8.第二のパン
狙うのはカリスではなく、蜻蛉の子達の方だった。
一人ひとりは力が無くとも、放っておけば面倒な邪魔をするであろう事は分かりきっている。ならば、容赦なく切り捨てるのは当然のことだ。
確実に一人ひとり殺していく私に、カリスもまた加減をせずに襲いかかってきた。
あれを食らえば一溜まりもないだろう。
だが、カリスの爪や牙が私を引き裂く事はなかった。カリスもまた、私の剣も、グリフォスの手も触れさせない。
生き残っている蜻蛉の子達が私の動きを弱々しく捕えると、すぐにまた突っ込んでくる。
けれど、無駄な事だった。
確実に減っていく蜻蛉の子達に、カリスが焦り出す。残り二人となった時、ようやく彼女は吠えた。
「もういい、お前達は逃げろ!」
けれど、従ってはくれなかったらしい。
二人同時に走り出し、私の身体に掴みかかる。
先程見た愛らしい顔などもう忘れてしまった。私の動きを阻もうとする煩わしい存在は、悲しいほどに弱かった。
剣が二人の命を容赦なく奪うと、ダフネのすすり泣く声が聞こえてきた気がした。
狼姿のカリスがその惨状を見つめ、立ち尽くした。
残されたのは、カリスとダフネの二人だけ。
「さあ、もう十分だろう」
私はカリスに向かって言った。
「それとも、お前もまたこいつらのようになりたいか?」
血や臓物の事がなければ、人形が転がっているような有様だった。
カリスはそんな蜻蛉の子の死体を目の当たりにして、言葉を亡くしていた。誰ひとり残らなかった。当然だ。彼らは戦うような生き物ではない。ウサギが獅子に勝てないようなものだ。こんな戦いは無意味だったのだ。
それでも、カリスはまだ諦めていなかった。
接近していたグリフォスの手を狼の姿のまま掻い潜ると、私の横を通り抜けて、そのままダフネの元へと逃れた。
開かない扉の前で仲間の死に震えるダフネに寄り添い、カリスは唸りながら言った。
「悪魔め。今に裁きが下るぞ」
その目はグリフォスに向いていた。
深い恨みと怒りが込められた眼差しだが、ただの人間ならばともかく、グリフォスを怯えさせるには不十分なものであるらしい。
「裁きを貰う前に、事を済ませるから大丈夫よ」
そう言って、グリフォスはゆっくりと二人に近づいて行った。
その時、カリスがダフネに何か告げた。頷いたダフネが、その細い腕を狼姿のカリスの背中へとまわす。しがみついたのを確認するなり、カリスは激しく吠えた。
強硬突破というわけだ。
グリフォスの眼差しも鋭くなる。私もまた、剣を構えて通路を塞いだ。それでも、カリスには逃げ道が見えているらしい。
走り出すカリス。その正面よりグリフォスの手が伸びる。しかし、カリスはダフネを乗せたままその手を飛び越えた。
振り向いたグリフォスの姿が影に消える。だが、それには目もくれずにカリスは私のいる場所へと向かって来た。
私さえも飛び越えるつもりだろうか。
そんな事が出来るとでも思っているのだろうか。それでも、カリスは躊躇ったりもしなかった。ダフネは必死にしがみついている。彼女の力が尽きればこちらのものとなるはずなのに、その様子は全く見られない。
カリスの身体が迫り、私は上下に剣を払った。
掠ってもいいくらいのものなのだが、カリスの勢いは私の勘よりも勝っていたらしい。空ぶった剣を再び払い、私はカリスを振り返った。
逃がしてしまう。
奴らも恐らく逃げられたと安心したことだろう。
けれど、そうはいかなかった。
走るカリスの身体が、突然横から突き飛ばされたのだ。壁へと叩きつけられ、カリスはそのまま犬のように悲鳴を上げた。
投げ出されたダフネが慌ててカリスへと駆け寄ろうとする。
そこまでだった。
「捕まえた。愛しの地巫女さん」
グリフォスの姿がいつどうやって現れたのか、見ていた私にも分からなかった。
ただ分かったのは、逃げようとするカリスを横から突き飛ばし、投げ出されたダフネのみを目で追い、間違いなく捕まえてしまったことだけだ。
触れられたダフネが小さな悲鳴を上げる。
起きあがったカリスが慌てて何か吠える。
言葉は出なかった。獣のように唸り、彼女はグリフォスを呪った。
様子が変だった。己の異変に彼女自身も気づき始めていた。恨めしそうに唸りつつ、カリスは狼の姿のままでグリフォスへと突進した。
だが、その突撃は片手のみで封じられてしまったのだ。
「哀れな子。あんなに頑張ったのに、何一つ守れなかったわね」
そう言ってグリフォスはカリスの身体を突き飛ばした。
サファイアの容姿からは想像も出来ない力だった。まるで人狼の持つ怪力のようだ。突き飛ばされたカリスの身体が、私のすぐ傍で床に叩きつけられた。
悲痛な犬の鳴き声がカリスの口から漏れた。
もう、立って戦うこと等不可能のようだった。
私は剣の切っ先を床につけ、そっとグリフォスを見守った。
邪魔者のいない場所で、グリフォスはじっと地巫女ダフネの顔を見つめていた。すぐには口をつけず、その光景を心の底から楽しんでいるようだった。
震えるダフネを見つめ、グリフォスは恍惚とした声で呟いた。
「美味しそう」
その唇が、その手が、動き始めようとしていた。