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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
五章 ベヒモス
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5.地の獣

 聖堂に足を踏み入れると、睨みつけてくるような視線が強まった。

 だが、このまま足を進めたところで奴が私に危害を加える事は出来ないだろう。

 戦うには必要な事があった。

 今や血の殆どを弾き、刃を青白く光らせているこの剣を祠の前で――透明な姿の何者かが睨みつけている真ん前で掲げる必要があった。

 グリフォスの見守る静寂の空間にて、私は迷いなく祠の前に立ち、疎らに血の残った剣を大きく掲げた。

 それが合図だった。

 馬のいななきのような怒声と共に、その獣の姿が具現化した。

 現れたのは、見事な一角とタテガミを持つ、サイのような巨大な生き物だった。私の身体ほどもある目がこちらを睨みつけている。

 鋭い角の先端は大きすぎて恐ろしさすら通り越してしまうほどだ。

「――ベヒモス」

 私は叫んだ。

「足掻きたければ足掻けばいい」

 ベヒモスの前脚が持ちあげられる。

 全てを身体に委ねて、私はその足を掻い潜った。ジズの血だろうか。それとも、手に持つ剣の意思だろうか。或いは、私の中のミールへの思いが爆発しているのだろうか。

 ジズの時よりもずっと動きやすい上に、ジズを殺した効果の為か自分でも恐ろしくなるくらい楽しさを感じた。

 ベヒモスの地団駄が私の動きを惑わそうとしている。だが、それすらも私には何の効果ももたらせない。

 ただし、ジズの時とは違って、私はなかなかベヒモスの身体を斬れなかった。

 どうやら、ベヒモスは私を正しく警戒しているようだ。ジズの時はまだ、私はそこまで警戒されていなかっただろう。

 ジズだって、私に殺される等と思っていなかったはずだ。

 その思い上がりが崩壊へと繋がったのだ。

 ベヒモスは違う。空の獣を殺したことを知っている為だろうか。私が近づくと、ベヒモスはすぐに距離を放した。

 巨体からは想像もできない程の動きが聖堂内を揺るがす。

 ベヒモスが動く度に、あらゆる装飾がぶつかり合って、美しい音が鳴り響いているのをなんとなく耳にしていた。

 焦る事は無い。

 ゆっくりと相手をしよう。

 グリフォスだってそんな事を言っていた。

 ベヒモスさえ殺してしまえば、地巫女に逃げ場は残されないのだ。

 巫女を守るのは所詮、聖獣であって、神は決して守ってくれない。ベヒモスを殺したとしても、もしかしたらカリスが私を阻もうとするかもしれないが、ケダモノに過ぎない彼女には力不足だ。

 有利なのはこちら。

 ベヒモスだって分かっているだろう。

 奴のしている事はただの足掻き。往生際が悪いだけの虚しい抵抗だ。もしくは、神殺しの剣を前に怯えているだけの事。

 ベヒモスが逃げ、私が追う。

 その攻防は始めから徹底して変わらない。剣をいくら払っても、届かない位置にベヒモスは逃げてしまう。

 だが、疲れが見られた。

 聖獣と崇められ、剣を掲げないと触れることも出来ないような不確かな存在であっても、斬れば死ぬし、動き過ぎれば疲れるのだ。

 ベヒモスは生きている。

 ただ長生きをしているだけであって、疲労しないわけではない。

 段々と、ベヒモスの動きが荒くなってきた。

 逃げるだけでは間に合わず、接近する私を追い払うような動作も加わり始めた。終わりは見えてきた。私は静かに目を光らせ、その時を待った。

 一度だけ斬れば道は開ける。

 だが、無理をして深追いすればこちらがやられてしまうだろう。

 いかにグリフォスの加護があると言っても、あの立派な角に突かれてしまえば、何もかもが無駄となる。

 追い詰め、逃げられ、また追い詰め。

 ベヒモスの固い蹄を避けながら、私は淡々と戦い続けた。

 どのくらい経った頃だろう。

 ベヒモスは床を強く蹴り飛ばしてひと飛びで祠の前へと逃れると、その厳格な双眸で私を強く睨みつけながら、その口を初めて開いた。

「――罪人よ」

 中性的で厳かな声だった。

「何のためにお前は世を乱しているのだ」

 私は答えなかった。

 答える代りに剣を持ちかえ、深く息を吐いた。

 相手が疲労するならば、勿論、私だって疲労する。その疲れを隠しきることなんてどうしても不可能だった。

 一歩、二歩とゆっくり床を踏みしめると、ベヒモスが眉をひそめるような動作を見せた。

「愚か者め……」

 吐き捨てるようなその声に、カリスの姿が重なった。

 走り出した私をベヒモスは避ける。

 しかし、その時、私の身体は引っ張られるようにベヒモスの動きに合わさったのだ。傍より見守るグリフォスが何かしたのだろうか。それとも、私の中に沁み込んだジズの血がもたらした機会だったのだろうか。

 ベヒモスもまた、私の様子に気付いた。

 だが、もうどうすることだって出来ない。床を蹴り、空中にいるほんの数秒の間、ベヒモスは全く無防備な状態でいるしかなかったのだ。

 この時をずっと待っていた。

 ほんの少しでいいから、この生まれ変わった剣の切っ先が届く瞬間が欲しかった。

 躊躇いも、迷いも、何もかも生まれる暇がなかった。

 確かな手ごたえが腕に伝わったその直後、聖堂の床が少しだけ血で穢れた。

 深くはないが、浅くもない。命を奪える範囲ではなかったが、戦いに支障が出ないわけでもないだろう。

 床に着地してベヒモスを振り返ると、右前脚を庇いながら私を睨みつけていた。

 ――もう直だ。

 私は思った。

 ――これでまたミールに近づける。

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