2.見張り
グリフォスと私から距離を保ちつつ、カリスは人の姿で壁へと寄りかかった。
普通の人間に見せる努力は怠っているようだが、それでも彼女の正体を知らない人間ならば彼女を怪しく荒々しいだけの同胞だと思うだろう。
包帯を巻かれ、深い傷の手当てを受けている現状を見れば尚更だ。
「よく来たものだ。斬られ足りなかったか?」
私の問いにカリスは引きつった笑みを浮かべた。
「もう十分だよ。お前にとって私はケダモノでしかないのだろう?」
期待していたわけではないが、確かにカリスらしい答えが返ってきた。
死んではいなかった。その上、手当てもされている。
誰かカリスの味方となる者がいるのだろう。だとすれば、私の凶行も知られているのだろうか。この忌まわしき事態をよしとしない何者かがカリスの背後にいるのだろうか。
想像してみたが、何も感じない。
何者がいたとしても、私を阻むのならば斬り捨てればいいだけのことだ。
「ゲネシス」
私とグリフォスを睨みつけながら、カリスは言った。
「どうしてもベヒモスと巫女を襲うつもりか?」
「何度言わせる気だ」
苛立ちを顕わにして答えたが、カリスは怯んだりもしない。
「その魔女はそんなにも強い者なのか? 三神獣と巫女、そしてそこにいる悪魔の力が必要なくらいに強力な者なのか?」
何を問いたいのかさっぱり分からない。
黙っていると、カリスは続けざまに言った。
「なあ、ゲネシス。仇を取りたいのならば、私が力を貸そう」
その顔が暗闇でよく見えない。
「忌まわしきキュベレーとやらを殺したいのならば、我が人狼の力を利用するのも手だ。相手は所詮、人間を相手にする魔女。ならば、私も恐れはしない。我ら人狼の魔足る力をお前に見せてやることも出来るぞ」
何故、そんなにも必死なのだろう。
私は表情を変えず、カリスに言った。
「私は罪人だ。お前たち魔物の守護者を殺した。そんな私に何故、お前は力を貸すというのだろう」
「ゲネシス、私は――」
言いかけるカリスを制し、私は言い放った。
「狼。残念だが、お前ではあの魔女には勝てない。ミールを確実に取り戻すには、悪魔に従うしかないのだ」
「それは思い込みじゃないのか? その悪魔に吹き込まれただけだろう?」
不審そうにグリフォスへと目を向ける。恨みすら籠っているような目で見つめられても尚、グリフォスの表情は一切変わりやしない。
「いや、違う」
私はきっぱりと否定した。
「お前はキュベレーを見ていないだけだ。あれはただの魔女ではない。お前のようなケダモノ等、容易く殺してしまうだろうさ」
侮蔑の念すら込めてそう言ってやると、カリスの鋭い視線が私へと向き直った。
だが、それだけだった。彼女は怒りに任せて襲いかかってくるような馬鹿な獣ではない。だからこそ厄介で、面倒臭い女なのだ。
「ふん、そうか。ならば私の出る幕は無いようだな」
「分かったのならば去れ。それとも、今度は本当に殺されたいか?」
その言葉を口にした瞬間、私の体内で力の波が生まれた。
ジズの返り血が霊魂となって私に宿っているのかもしれない。残酷にも殺され、怨念となっているようなその魂は、私の血潮を熱く滾らせ、目の前に居る人ではない女の血と肉の味を欲していた。
無意識に剣へと手が伸びる。
刃を恐れてか、カリスの視線が私に固定された。
「やれやれ、お前は本当にろくでもない奴だ」
溜め息混じりにそう言うと、カリスはすぐにその場を逃れた。直後、いつの間にか移動していたグリフォスの手が現れる。
触れられる事を感じていたのだ。喋っていても人狼は人狼。獣に等しい感性は並大抵のものではない。私と、グリフォスとを警戒したまま、カリスは別の壁へと寄りかかった。
「だが、ゲネシスよ。よく考えて欲しい」
カリスは動じることもなく続けて言った。
「お前は本当にそれでいいのか。ジズと空巫女は確かにお前達に殺された。だが、他の二神獣がこの世を守れば奇跡は起こるかもしれない。ゲネシス。まだ間に合うかもしれないぞ。方法はあるかもしれない」
「そんなのなくたっていい」
不思議と感情の伴わない声が我が口より堕ちていく。
ジズの末裔を殺した瞬間、私はもう破滅していた。今頃、引き返したとしても、何もかもが手遅れなのだ。
私に出来る事は突き進む事だけ。
それをカリスは分かっていない。
「カリス」
私は美しい狼の名を呼んだ。
「お前に出来る事は限られている。私の邪魔をせずにこの場を去るか、私の邪魔をしてこの世を去るか、もしくは奇跡的に私を殺してしまうか」
淡々とした我が言葉に、カリスは黙したままその目をこちらに向けた。
揺らいでいるが、感情の揺らぎまでは分からない。彼女が私に対して何を感じているのか、もはや気にもならなかった。
やがて、カリスは獣の吐息を漏らすと、眉を潜めたまま言葉を放った。
「大馬鹿者が……」
そして、瞬く間に闇の彼方へと消えてしまった。