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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
四章 ジズ
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7.虚しい足掻き

 気付けば汚らしい水の音が私を取り囲んでいた。

 既に剣より伝わる感触に重みはなく、嫌に柔らかなものを殴っているだけの感覚ばかりが私の脳を刺激した。

 神聖なる祠。

 穢れをもたらすまいと多くの力なき者が守ってきた聖域。

 そんな場所におぞましい肉片は散らばっていた。臓物や管、液体に骨、そして、ふと意識が定かになってきた時に訴えてくる悪臭。

 かつてジズと呼ばれていた怪物の死体が放つ強烈な死臭を受けつつも、それでも不快な気持ちにならないのは何故だろう。

 言うなれば私は、欲を満たしていた。

 斬って、斬って、斬りまくって、ジズを壊していく度に、身体の奥底にてうごめく食欲や性欲のようなものを満たしている感覚に陥った。もうとっくに息を引き取った聖なる亡骸を斬れば斬るほど私は人間から遠ざかっていくようだ。

 そうと分かっていても、止めることが出来ない。止める必要性を感じない。

 けれど、それも長くは続かなかった。

 いつか腹が満たされるように、いつか絶頂を迎えるように、私の欲も無事に解消されたのが自分でも分かった。

 剣を手からぶら下げたまま、私はドロドロとなったジズの亡骸を眺めた。

 何も感じない。罪の重さも、反省も、気持ち悪さも、興奮も、美しさも、醜さも、何も感じない。先程まで確かにあった欲さえも、今や正確に捉えることが出来なくなっていた。

 私は何故、ここまで斬る事に固執したのだろう。

 分からない。

 ただし、一つだけは確かだ。これで、私は目標に近づけた。ミールを救いだすという未来へと近づけた。

「見事だったわ」

 サファイアの声が聞こえ、私の意識が定まった。

 振り返れば、サファイアだけが私を見つめていた。いや、サファイアではないのだ。グリフォス。彼女の生み出した幻に過ぎない。それでも、私を讃えてそっと微笑むその顔は、生きていた頃のサファイアそのものにしか感じられなかった。

「これであなたには力が宿り、空巫女の守護はなくなった」

 妖艶な声でグリフォスは言う。

 空巫女。

 そういえば、と私は血塗られた聖堂を見渡した。傍で震えていたはずのカザンがいない。ついでにカリスも傍にいなかった。

 私がジズの身体を斬るのに夢中になっている間に逃げ出したのだろうか。

「大丈夫。逃がしはしないわ」

 グリフォスが穏やかに言った。

「ただ、狼は邪魔なの。ジズを殺したあなたの力が必要よ」

「カリスを殺せばいいのか?」

 ぼんやりと、私はただ確認した。殺したくないのか、殺してもいいのか、もはや自分でも判断出来なかった。

 そんな私に対して、グリフォスはサファイアの顔で優しく笑ってみせた。

「あなたに力が宿ったいまやもう、別にどちらでもいいの」

 不敵な答えに、私は無言でそっと窺った。

「邪魔されなければそれでいいわ。あなたの力で狼を抑え込んで見せて欲しいだけよ。空巫女を確かに貰い受けてしまえば、もうあんな狼どうだっていいのよ」

 だから、とグリフォスは私にそっと触れながら言った。

「どうするかは、あなたに任せるわ」

 どうするべきか。どうしたいのか。

 私はほんの少し考えた。

 カリスの命を奪う。その状況を想像して、前は恐ろしいと感じていたはずなのに、今の自分は、前よりも更にカリスの生にさほど興味を抱いていない。

 まるで何かにかき消されてしまったかのようだ。

 この異変は何だろう。やっぱり分からない。

「おいでなさい」

 柔らかい声で言いながら、グリフォスは歩きだした。

「二人はそう遠くへは行っていないわ」

 その言葉には余裕がたっぷりと含まれていた。

 得体の知れない悪魔を前にして、カリスはどうしてここまで信仰に誠実であろうとするのだろうか。

 自分の身も顧みず信仰心からなる責任を果たしているのか、はたまた、私がまだ自分を傷つけるなんて本心では思ってもいないのか。

 どちらにせよ、私はもう恐くなかった。

 相手は人狼。ちっぽけな存在。

 非力な人間にとっては力ある魔物とは言っても、剣にその血を吸わせた聖獣と比べるのも滑稽なほど有り触れた魔物だ。そんな者に守られながら、更に非力な巫女が逃れられない運命から逃れようと足掻いているに過ぎない。

 それは、虚しい足掻きでしかない。

 グリフォスの後を追いながら、私は足元より伝わる血の感触を味わった。

 カリスを殺すかどうかはまだ分からない。空巫女にだって、私が手を出す事もないだろう。この先の仕事は飽く迄もグリフォスのもの。私が出来る事は彼女の補助だけ。

 それでも、ぬるりとした血の感触を味わうと、全身が熱くなるような興奮を覚えた。

 何かと戦いたい。

 溢れる力を解き放ちたい。

 ジズを壊してしまう前はなかったはずの欲求が、私の中にて目覚めていた。その欲求を解消してくれるような相手はここにはもう残っていないだろう。

 いるとすれば只一人。

 私の壁となるだろうカリスだけだ。

 迷いなく進むグリフォスに従いながら、私は歯向かうはずのカリスの姿を想像し、期待を膨らませていた。


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