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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
四章 ジズ
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3.引き留める声

 大きな獣が立ちふさがった。その瞳に滲んでいるのは、私への軽蔑だろうか。

 いや、少し違う気がした。その目には焦りばかりが浮かび上がり、それ以外のいかなる感情も覆い隠してしまっている。

 カリスはただ私を通すまいと身を構え、私ではなくグリフォスを睨みつけていた。

 誰を真っ先に警戒すべきかを彼女なりに判断してのことだろう。それはつまり、私ならば斬りつけてきたりしないと信じているということなのかもしれない。

 笑ってしまう。

 人狼とはこうも無警戒なものだっただろうか。

「ゲネシス!」

 カリスはグリフォスの姿を目に捉えたまま、私の名をしっかりと呼んだ。

「なんて事をしたんだ。もはやお前はこの世界にとっての罪人となってしまった」

 人鳥を殺した事を言っているのだろう。我々人間が彼らを敬うように、魔物に過ぎない彼女もまた神の子孫として敬っているに違いない。

 だが、カリスは怒っているのではなく、焦っているようだった。

「このままではお前は人鳥の餌食となるだろう。ゲネシス。今ならまだ間に合う。罪を重ねず、ここから逃げるんだ」

「馬鹿ね」

 真っ先にグリフォスが口を挟んだ。

「彼がそんな安い説得に騙されるとでも思って?」

 微笑みながら伸ばす手を、カリスは慌てて避けた。こんな時でも、その手に触れられるという意味を忘れてはいないらしい。

 悪魔の手を恐れる狼を横目に、私は足を踏み出した。

「ゲネシス!」

 カリスが叫ぶ。

 その声に後ろ髪を引かれるような気もしたが、私の足は止まらなかった。今はこの先に向かうだけだ。向かうだけ。

「行くな、ゲネシス!」

 カリスは叫ぶだけだ。

 グリフォスに触れられるのを恐れ、それ以上私を阻むことも出来ない。グリフォスの威嚇によって開かれた道を見つめながら、隠れ潜む気配を探った。

 この先に行けばいい。

「ゲネシス、駄目だ!」

 カリスの呼びとめる声が、逆に私の背中を押している。

 そんな事にも彼女は気付いていないだろう。カリスに阻まれれば阻まれるほど、想いと願いは頑なになっていくような気がしていた。多分それは、気のせいなどではない。

 廊下を歩きながら、私はただ剣を持つ手の感覚だけを意識した。

 カリスの声が遠ざかっては近づく。グリフォスに触れられないぎりぎりの場所で、私についてきているのだろう。

 そんな狼の姿を確認する間も、今の私には惜しかった。

 廊下を抜けた先では、他人の姿一人見受けられなかった。けれど、どこかに誰かが潜んでいるのだろうとは察しがついた。

 隠れているだけでは傷つける理由にならない。私が攻撃するのは、目的のものと、私の邪魔をする者だけだ。

 四方に伸びる通路を見つめながら、私は神経を研ぎ澄ませた。カリスはまだ私に話しかけていたが、もはやその声は聞こえない。

 私が耳にするべき音は、もっと他のもの。

「こっちよ、ゲネシス」

 グリフォスに誘われ、私は進んだ。

 狼はついて来ているが、成す術がないようだ。闇に紛れて人間を襲って食べる生き物のくせに、死人の皮を被った女のせいで私の歩みすら止められない。

 亡霊のような女を追いながら、私はただその場所を目指した。

 異変は既に伝わっているだろうか。この悲鳴と嘆きが、空気を伝ってジズと巫女たちに伝わっているのかもしれない。

「おまちを!」

 グリフォスに続いて歩いていると、声がかかった。

 人間のような姿をした妖艶な女たちだ。数人が横に並び、我々の行く手を阻んでいる。ここに仕えている女官のようだ。だが、すぐに分かった。彼女達は人間ではない。魔物だ。カリスによく似た類の者だろう。塵の中を歩いていなくとも、何故だか私には分かった。

「この先は神聖な場所です。どうかお引き取りください」

 歌うように彼女達は言う。

 よく見れば男性もいるが、どちらにせよ誰もが現実離れした容姿をしていた。ただ美しいだけではない。彼らは魔物としてはさほど力を持たないのかもしれないが、そうであっても人間の命を奪うなど容易いものだろう。

 グリフォスが目を細めた。

「弱々しい魔物達が束になっているわ」

 不敵に笑う彼女に、魔物達が怯えている。

 その時、背後より吠えるような声があがった。

「逃げろ! そいつは会話が通用するような相手ではないぞ!」

 カリスだ。

 人狼のくせに、いや、人狼だからこそ、彼らを庇うつもりらしい。だが、そんなカリスの助言があっても、彼らは動いたりしなかった。

「どうか、どうか、お引き取りを!」

 震えながら彼らは私の行く手を阻む。

 人鳥を殺した事を知っているのだろう。それでも怯えを殺してまで動かないのは、動けないからではなく、それほどまでに守りたいものがこの先にあるためだ。

「ゲネシス」

 グリフォスの冷たい声が響いた。

「あなたの力を見せて」

 その言葉は、私の心を縛る鎖を容易く緩めてしまう。重たく引きずっていた躊躇いは床に落ちていき、鳥の血を流した剣が求めるままに、私は身を委ねる。

 魔女の血肉に飽きたこの剣が欲しがるのは新たな血。

 目の前に居る希有な獲物達を見つめながら、私は魔物よりも汚らわしく荒々しい感情を、思うままに顕わにした。

「やめろ……!」

 そんな私の耳にも、その声は届いた。

「やめるんだ、ゲネシス!」

 カリスの悲鳴のような声が。


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