2.罪の始まり
巡礼者に混じって大社に忍びこむと、すぐに私は異様な視線に気づいた。
監視している人鳥達が予想以上に厳しい眼差しをしているのだ。カリスが何かを行ったのだろうか。いや、そうだとしても、ジズの末裔ともあろう者たちが、人狼であるカリスの告げ口を真に受けるなんて事があるのだろうか。
巡礼者はというと、そんな人鳥の目も意に返さずにジズを模した巨像の前へと殺到している。立ち入りを許されているぎりぎりの場所で、各々が各々の祈りを捧げているばかりだ。そのすぐ横にて、人鳥によって遮られているのは、大社のさらに奥へとつながる扉。開け放たれている理由は、その奥を通る巫女の姿を巡礼者たちにひと目でも見せるためであるらしい。話によれば、本物のジズがいるという祠は、あの奥の閉ざされた場所にあるのだとか。
一般人である我々が近寄れるのは巨像だけ。人間達、或いは、人間に扮している魔族、魔物達は、人鳥の目を恐れてそれ以上は先に進めない。進むとなれば、人鳥の怪力によって八つ裂きにされても仕方ないからだ。
そもそも、ここにいる誰もがそんなつもりであの山道を越えてくる事はない。
いるとすれば、私だけ。そう、私とグリフォスだけなのだ。
監視している人鳥達の目を気にせずに、私はグリフォスに憑かれたまま、人鳥が目を光らせる扉の前へと近づいていった。
この何処かにカリスはいるはずだ。だが、彼女も近づけはしない。つい先ほど、グリフォスの放った言葉の効き目があったらしい。
躊躇いも無く、真っ直ぐ扉に近づこうとする私を、見張りの人鳥たちは慌てて呼び止めた。
「待ちなさい」
人と変わらぬその姿だが、目だけは鷲や鷹のように輝いている。少し力を解放すれば、たちまち腕より羽毛が広がり、大空へと飛び立つ翼が生まれるらしい。
そんな異形の血を引く男二人が、私を強く睨んだ。
「この先は一般人の立ち入りを禁じられた場所。通るには、人鳥の長の許可が必要となります」
丁寧に言われ、私はじっと二人の人鳥を見つめた。
僅かに力を解放しかけている。警戒が強まっているのだろう。私が答えずに黙っているものだから、じわじわと人間ではない証拠となる特徴が滲みでてきている。
だが、彼らは飽く迄も理性的なようだった。
「あなたは許可を貰った方ですか?」
訊ねられると、何故だか笑みが漏れた。
「いいや」
グリフォスの見守る中で、私は広間に響くほどの声で答えた。
「だが、通らせてもらうよ」
力が解放されていたのは、彼らだけではなかった。
自分では止められない程の衝動が私の身体を引き裂かんばかりに蠢いていたのだ。そして、その衝動は、私が緊張を解いた瞬間、一気に暴れ出した。
抜いたのは魔女狩りの剣。
本来ならば国に返すべきその得物は、もうすでに魔女狩りの剣以上の存在となっている。そうしたのはグリフォスだ。彼女の力があったからこそ、私はこんなにもあっさりと、剣を血に染めることが出来るのだ。
鈍い衝撃が走り、生臭さが一気に広がる。
私の視界は赤く染まり、群衆のざわつきが悲鳴へと変わる。
血塗られた床で私が見たのは、さっきまで話していた二人の人鳥の変わり果てた姿と、うっとりとした表情でそれを見つめるグリフォスの姿だった。
「素敵よ、ゲネシス」
サファイアの声で、サファイアの眼差しで、彼女は私を褒める。
次いで、人鳥達の怒号が飛び交い、血塗られた扉の前に立つ私の傍へと詰め寄って来るのが視界に映り、私は剣を持ちなおした。
「そこの男、止まれ!」
恐れも成さずに人鳥達が己の力を解放していく。
怪鳥の本性を顕わにする人鳥達の姿に、巡礼者達の混乱は更に増していくばかりだ。
迫りくる人鳥。美しい羽毛の生えた腕とその手に握られる巨大な槍や太刀。人間には到底扱えないような代物をもって私の命を狩ろうと狙う彼らを前にしても、私の中にはちっとも恐怖は生まれなかった。
近づく人鳥達を次々に返り討ちにしていく度に、私の中で何かが変容していく。
もはやカリスが見ているだろうという感覚も忘れ、気付けば私はただ単に殺戮を楽しんでいた。聖なる鳥の末裔。中級程度の魔物をも凌駕する力を持ちながらも、無益な争いは避けるのだという人鳥達。
私が剣を振るう度に、一人、また一人と冷たくなっていく。
彼らの流した血が池をつくり、ぬるりとした感触が冷たい床を生温かいものへと変えてしまっていた。聖域であることを忘れるほどの凄惨な世界が広がっていく。
五人ほど斬り殺した頃だろうか。
前に続いて襲いかかってこようとしていた人鳥達の表情が変わった。魔物よりもずっと理知的な彼らは、このままでは全滅すると判断出来たのだろう。
生き残ったのは数名。関係のない巡礼者達を逃がしている者も含めれば十名ほどにはなる。この中の何人かは町に戻ってこの事態を報告するだろう。そして何人かは、私よりも先に巫女を逃がそうとするだろう。
「巫女の気配がするわ」
うっとりとした表情を崩さずに、グリフォスは開け広げられたままの扉の向こうへと引き寄せられていく。私がそれに続くと、人鳥の内の何名かが追いかけてきた。だが、勿論、待つわけがない。
「侵入者だ!」
人鳥の一人が大社全体に響き渡るほどの大声を放つ。
その声が大社の奥に籠っているだろう巫女やジズに伝わっているのかは、分からない。私が分かっている事はただ一つ。グリフォスについていけばいいという事だけだ。
「止まれ!」
いつの間にか、人鳥達が詰め寄ってきていた。
仲間を既に幾人か殺されたと言うのに、彼らに恐れはないのだろうか。私とグリフォスを遮ろうと狙う彼らの動きを私ではなく、私の持つ剣が警戒していた。青白い刃には血の一滴も残ってはいない。
そんな剣を握りしめ、私は立ち止まって振り返った。魔なる剣の欲するままに、力を任せる。直後、私の周りで再び血飛沫があがった。
美しい大社の廊下が穢されていく。
剣より大きな命を狩り取る感覚が伝わってくればくるほど、私は内心悦に浸っていた。ジズの末裔たちが、今や私にとって無力な虫けらのよう。
追ってきた全ての人鳥を殺し終えると、グリフォスがそっと告げた。
「空巫女が動いているわ。取り囲んでいるのは数名の人鳥と狐人だけ。早く行きましょう」
微笑みながらそう言われ、向かうべき場所へと歩み出そうとした、その時、廊下の壁よりするりと何かが飛び出してきた。
まばゆい黄金の体毛を持つ狼。カリスだった。