第108話 祈り
私は戦う前に通路に投げ捨てた外套を取りに行き、顔の汚れをぬぐった。
なんとなくべたついているような気がして、鞄から水筒を取り出し、顔にかけてさらに拭く。
アインが近づいてきて、私の顔をじっと見た。
「まだ汚れてる?」
「いや、オーガの血も、すでに影になって消えた」
私はほっとして胸をなで下ろした。
しかし、と言ってアインが言葉を次ぐ。
「顔が汚れているかどうかより、見えているかどうかを心配するべきだろう。大丈夫なのか?」
言われて、目をパチパチ上下させてみる。
大丈夫そうだ。
「見え方は、問題なさそう。見た目を気にしちゃうのは、女の子だから仕方ないよね」
えへへと頭を掻くと、アインは呆れたように笑って応えた。
「アインは、大丈夫? 最初にもいきなり……」
「ああ、したたかに打たれたな。戦い慣れている、というよりも戦うことが本能かのような連中だった。確かに、竜人が戦いたがらないのも分かるな」
そういえば、私も最後に思いきり頭突きをもらっちゃったっけ。
ヴァレ峡谷を歩いているときのような、鎧を脱いだ格好だったら危なかったかも知れない。
「あ……!」
私はあわてて鎧の留め具を緩めて、そのまま外した。
そして急いで上衣の首元を緩め、服の内側を見た。
「よかった……」
安心して、ため息が出る。
「どうした?」
「思いっきり胸の辺りに頭突きされたから、ティアドロが割れてないかと思って……でも、よかった。ほら、なんともなかった」
私は首紐をつまんで、薄紫色の石を見せた。
くるくる、色々な角度から見てみるが、大丈夫そうだ。
「戻ってから確認しても問題ないだろうに」
「だって、宝物だもん」
言ってしまってから、はっと口を抑える。
ちょっと、恥ずかしい発言だった。
私は耳が熱くなる感覚を覚えながらも、それを意識しないことを意識して、黙って石を元の位置に戻した。
そのまま無言で鎧を着直し、留め具を締める。
アインは笑いながら、くるっと振り返って歩き始めた。
少し進むと、聞こえていた水の音の正体が分かった。
「湧き水……地下水道っていうのかな、この場合」
壁から、結構な勢いで水が流れていた。
水は流れ落ちた先に水たまりをつくり、それがあふれてこないところを見ると、その中を通ってまたどこかに流れていっているのだろう。
水に触れてみると、長く指を付けていられないほど、冷たい。
「飲めるかな?」
私がちらっとアインを見ると、アインは手で少しすくって、匂いを嗅ぎ、口をつけた。
「毒は無い。それどころか、かなり、うまい」
私はその言葉に喜んで水を両手ですくった。
まずは、さっきオーガの血を浴びたあたりをごしごしと洗う。
キンと冷えた水に、頭の中までもすっきりと洗われるようだ。
次に手をじゃぶじゃぶ洗い、いよいよ、両手でつくった皿に水をためて、すっと口に流し込んだ。
やわらかい。
液体にたいして使うのもおかしな言葉かも知れないが、まろやかで、角のない舌ざわりだった。
不思議と、甘ささえ感じるような気がする。
「おいしい……」
「これは、ネーヴェの水よりうまいぞ」
「ネーヴェって、あの、コリーナで飲めなかった川の水だよね。コレペティタのせいで飲み逃しちゃったけど、そっか、こっちの方がおいしいんだ」
満足感を覚えながら、私はさらに一口飲み、水筒の中身もすべて入れ替えた。
「でも……竜人には、この水は冷たすぎるだろうね」
「だろうな。里のあちこちに湯気が出ている池があったから、彼らは飲料ですらそれなりに熱を帯びたものでなければならないのかもしれん」
私は、あらためてこんこんと流れる水を見た。
「それこそ、おいしいお酒の原料にもなりそうだけど……そもそも、ここは竜人には寒すぎるか」
「だが、これだけ寒ければ他の生き物がいてもおかしくない。ましてや、水辺には生物が集まるものだ」
アインがきょろきょろ見渡して、顎で何かを示した。
私がそっちを向いてみると、そこには見慣れない生き物が這っていた。
全身灰色で、人の胴体くらいの大きさがある。
のっぺりとして平べったく、のそのそと四つん這いで歩いている。
目が見当たらなかった。
「あれ、なんだろう。トカゲ、の割には鱗がないような」
「目無魚だ」
アインが長剣を抜いた。
「ど、どうするの?」
「トリル、こいつはな……」
カツカツと蹄を鳴らしてアインが近づく。
目無魚は、逃げようともしない。
「焼いて食うと、信じられないほどうまいぞ」
アインは剣を一閃して、あっというまにそれを絶命させた。
「部族で旅をしている中で、谷間があればこいつをみなで探したものだ。焼いた肉は取り合いになり、子どもだった俺は中々ありつけなかった」
へぇ、と言いながら、私は目無魚を手際よく捌くアインを見る。
「いいものが手に入ったな。ここは寒すぎるし、オーガ共に遭遇する危険はあるが、山の中に入れば食い物があるということは確認できた」
「やっぱり、火精の力が及ばない所だったら、食べられる生き物が見つかるって言うことだね。この分だと、スーとマチネも、山の上の方で何か見つけてくるかもね」
アインが大きな革袋に目無魚の肉を入れ、私達はそこを一応の終点として、戻ることにした。
「あ、ちょっと待って」
上に戻る前に、私はオーガ達が倒れたところに向かって指を組んだ。
『陽精よ。どうか、影の者達が安らかに眠れるよう、光を与えて下さい』
言い終えると、アインが不思議そうな顔で私を見る。
「何を唱えたんだ?」
「陽精にお願いしたの。さっきのオーガ達が、安らかに眠れますようにって」
「影だぞ?」
「わ、分かってるよ! 意味があるとは思ってないもん。でも、減るもんじゃないし、こうしたいんだから、別にいいでしょ」
私が慌てて言葉を紡ぐと、アインは私をそっと抱き寄せた。
そして、すぐに離れた。
何か、褒められたような、認められたような感じがした。
少し嬉しくなって、顔がほころんでしまう。
坂を上り戻って、まっすぐ進んだらどこまで行けるのだろうと見渡してみる。
「この洞窟って、どこまで続いてるんだろうね」
先がどのくらい長いのか、まるで分からない。
ただ、道はずっと同じ広さと高さで、どこまででも行けるような気になる。
「分かれ道も多いからな。意外と山脈を突き抜けて、どこかに繋がっているのかもしれん」
そんな話をしながら、私とアインは帰路についた。
ところが、帰りがけにまたオーガ三体に遭遇し、私達は戦わざるを得なかった。
今回は直線の通路で遭遇したが、アインが遠目にその存在に気付いたので、得意の手投げ斧で一体を絶命させ、駆けて一体を、そして返す刃でもう一体をあっさりと影にした。
私は彼らにも祈りを捧げた。
洞窟の入口に戻ると、もう日が暮れかけていて驚いた。
「中にいると、時間の感覚がわからなくなるね」
「トリルの魔法でずっと明るいということもあったかもしれないな」
私とアインは、お互いに顔を合わせて笑った。
借宿に戻ると、すでにスーとマチネが帰って来ていて、ふたつの宿の間に火を起こしていた。
「おかえりなさい」
スーが嬉しそうに私達を見る。
「ただいま。やっぱり、戻ってくると暑いね」
私とアインは、それぞれ宿に行って装備を外し、涼しい格好になってそこに合流した。
「何か、収穫はありましたか?」
「スーのその顔を見ると、そっちの話の方がおもしろそうだけど」
私が言うと、スーとマチネが顔を見合わせてにやりとする。
「面白いものを見つけましたよ」
そう言ってスーがつまんで見せたのは、何かの植物だった。
読後感と必然性を大切にしたい、作者の成井です。
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それでは、また次のエピソードで。




