第105話 虫
「さぁ、ここから先がカロレ台地、そして竜人の里クラテーレだ」
これで最後だと言われた坂道を登りきると、山が大きく窪んで平らな土地を形成していた。
石を積み上げて作られた簡素な住居が、ざっと数えただけで百はある。
住居の他には、湯気の立っている池がいくつも見えた。
天然の浴槽とでもいえばいいだろうか。
あちこちを、ゲネと同じ竜人達が歩いたり談笑したりしている。
そしてまたあちこちから、キン、コン、キンと心地よい音が響いてくる。
「この音は……?」
私が聞くと、ゲネが嬉しそうに笑った。
「これはクシロフォノ。音のいい石を集めて、細い板にして並べて、音楽をやってるんだ。なにせ、この台地の中に引きこもっているから、楽しみが少なくてね」
言われて眺めると、確かに大小様々な石を並べて、棒のようなものを当てて打ち鳴らしているようだった。
また、どうやら竜人という種族は、鱗の色に個性があるらしく、真っ青な鱗の人もいれば、黄緑色の鱗の人もいるようだ。
「ねぇ、ゲネ。竜人にとって、鱗の色って、何か重大な意味があったりする?」
「鱗の色かい? みんな自分の色が一番きれいだと思ってるよ。だからといって喧嘩になったりはしないけどね」
そうなんだ、と言いながら、私は頬に当たる風が少し涼しいことに気が付いた。
高い場所にあるせいか、それとも別の要因なのか、ヴァレ峡谷の岩道よりは幾分涼しく、なんとか我慢できそうな気候だ。
「ヴァレ峡谷よりも、ちょっと涼しいね」
「そうだね。おいら達にとっては、寝るときに鱗寒いくらいだけどね」
ひとまず、滞在することが出来そうな環境で安心した。
「まずは、どこへ行くの?」
「長のところさ。誰よりも楽しみに待っていたからね」
ゲネがにやりと笑って歩き始めた。
彼の後ろをついていくと、道すがら、会う人会う人が笑顔で挨拶をしてくれる。
歓迎してくれる雰囲気が感じられた。
「コリーナを思い出しますね」
スーが言った。
「ミノタウロス達も、温かく迎えてくれました」
「そうだね。姿は人と違うけど、心はすごくおおらかで優しそう」
私はそう言いながら、ミノタウロス達の饗応を思い出していた。
彼らが振るまってくれた料理は、いつでも、なんでもおいしかった。
もしかしたら、竜人の食べ物も、私達人族では思いもつかないほどおいしいかもしれない。
お酒造りに人生をかけるというのだから、食べ物にも同じくらいの力を注いでいてもなんの不思議もない。
里の中をどんどん歩いて行って、他の住居に比べると少しだけ大きいだろうかという建物の前に来た。
ただ、入り口がそれほど大きくなく、アインやマチネは身をかがめて通る必要があった。
「ベル、お待ちかねのお客だよ」
ゲネが、言いながら入り口をくぐる。
家には石造りの丸テーブルがあり、奥にひとりの竜人が座っていた。
「おお、待ちかねたぞ、新たな酒!」
見るからに喜色をたたえ、赤い鱗の竜人は両手を広げた。
私達は促されて座り、クプレ大臣にもたされた酒をすべてテーブルに並べていった。
「おお、おお、これはありがたい。我ら竜人は、寒さに弱い故、この山を離れることができんのでな。こうして他の種族の酒にありつけるというのは、この上ないことよ」
カラカラ笑って、竜人が言う。
「あらためて、名乗らせてください。私はトリル、こっちはスー。それにアインと、マチネです」
「我はベル・カント。ベルと呼んでくれて構わんよ。里の長などと言われているが、別に偉くもなんともない。そちらも楽に話してくれい」
口を大きく開けてベルが言う。
やっぱり、どことなくミノタウロス達に雰囲気が似ているような気がした。
「これだけの酒を頂いたからには、我の手作り、秘蔵の酒を……」
「ベル、この人たちは、お酒を飲まないんだそうだよ」
ゲネの言葉を聞いたベルは、口をあんぐり開けて固まってしまった。
は、とだけ声を出して、動かない。
「私は、飲むわよ」
マチネが頬を掻きながら小さく言葉を紡ぐ。
「酒を飲まんとは……それでは、振るまえるものがひとつしかないが、あれは……いや、種族が違うから……」
ベルがぶつぶつ言いながら、テーブルを立って奥の棚をごそごそ探り始めた。
「あの、お構いなく」
「いやいや、そういうわけにはいかん、何せ酒をもらったんだ。酒には酒を、が我ら竜人の流儀。しかし、酒を飲まないとなると……」
ベルがテーブルに戻ってきた。
手には、小さな石の皿を持っている。
皿の中を見て、私は自分の笑顔が固まったのが分かった。
虫だった。
小さなバッタのような虫が、透明な黄色の石のようなものに包まれている。
「……食べるかね?」
ベルが首を傾げる。
隣に座っているスーを横目で見ると、皿の中身を凝視している。
これは、彼らにとってどういう意味をもった食べ物なのだろうか。
客人をもてなすときの、とっておきの一品だとすれば、食べないわけにはいかない。
皿の近くには、食器のような何かはない。
ずっと前、シラブルと初めて食事をとったときは手づかみで食べて笑われたが、今回は、本当に手づかみのような気がする。
やるしかない。
私は意を決して、皿の中の、見ようによっては飴細工の虫の、極力小さいものをひとつつまみ、口に入れた。
後ろに立っているアインとマチネがどういう顔でこれを見ているのか、確かめるのが怖い。
ケンタウロスも虫は食べないって言ってたし。
奥歯で噛む。
石のような見た目だと思ったが、パリポリと、噛み応えは心地よかった。
乾燥させた小麦の麺を噛んだ時のような感触だ。
味はというと、ほのかな甘みがあるにはあるが、苦みの方が強かった。
それでも噛み砕いて、私はそれをごくりと飲み込んだ。
スーは手が出せないまま、口を一文字に結んでいる。
さあどうぞ、と言われなければいいけど、と心配になる。
「どうかね?」
ああ、それを聞かないでほしかった。
味覚が違う可能性があるから、彼らはこれを好んで食べるのかもしれない。
でも、おいしかったと嘘をついて、ではもっとどうぞと薦められると困る。
正直に言おう。
「苦いです……」
私は伏し目がちに、申し訳なく言葉を紡いだ。
「だよねぇ」
ゲネが苦笑する。
「インクボは客に出すもんじゃないでしょ、ベル」
「しかし、酒以外にはこれしかないだろうが」
口の中に苦みが広がっていて、あまりしゃべりたくない。
私はスーを見て、会話を進めるように目で懇願した。
「あの、お酒以外にはこれしかない、とはどういうことですか?」
私の気持ちを察した親友が尋ねる。
「おいら達が棲んでいるこの一帯では、これくらいしか食べ物が手に入らないんだ」
「これくらいって……その、この虫だけ、ということですか?」
スーが驚いて問うと、ベルもゲネも深く頷いた。
「おいらが山の裾まで行くのは、何か食べられるものがないかと探しに行っているのもあるんだよ。でも、ヴァレ峡谷には近づく動物がいない。鳥も見なかったろ? 火精の力が強すぎて、生き物を寄せ付けないんだ。おかげで、影もいないんだけどさ」
言われてみると、岩道を歩いている最中、獣の類を何も見なかったかもしれない。
後ろを振り向くと、アインがこくこくと頷いた。
「でも、お酒をつくってはいるんですよね? その原料となるものは、食べられるのではないのですか」
「酒の原料となるのは、台地周辺に群生するソーニョという植物だ。それを二日蒸し焼きにして、石臼ですり潰す。そして出来たしぼり汁を発酵させ、蒸留させると完成するのだが……」
「そのソーニョっていう植物自体もおいしくない、と」
どうにか口を開く。
ベルは頷いた。
「我らはこのカロレ台地にしか住めん。ここで取れる食べ物は、インクボとソーニョだけ。あとは湯ばかりさ。そこで、竜人はソーニョを酒にして楽しむことを追求しているということだ」
ミノタウロス達とは、まるっきり逆だと思った。
彼らは土精の恵みを享受して、たくさんのおいしいものを食べて毎日を過ごしている。
この人たちは、おいしい物がないから、せめてお酒で楽しもうとしている。
「この虫……インクボですか? どうやってもおいしくならないんですか?」
「トリルといったかな。君が食べたとおりだ。苦みが強すぎて、何をどうしてもその味にしかならないんだよ」
ため息をつくベルに、私は苦笑するしかなかった。
読後感と必然性を大切にしたい、作者の成井です。
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それでは、また次のエピソードで。




