第104話 竜人
西の街オーヴェストを出てから、五日が経った。
話に聞いていたヴァレ峡谷の入り口は、苦労せずに見つけることが出来た。
それというのも、「この先ヴァレ峡谷」と書かれた石造りの看板が設置されていたためだ。
「なんていうか、その……雑だね」
看板は、表面を磨いていない石に、がりがりと削って刻まれた文字、という造りだった。
「人族が来るということで、急ごしらえで造ったのではないでしょうか。これでは、おそらく一年もたたずに文字は見えなくなるでしょうから」
スーが首を傾げて言った。
「歓迎する心づもりがある、ということなのではないか」
「進んでみないと分からないね」
軽口を叩けたのは、その入り口までだった。
ブーツに魔法をかけていたから、石だらけの悪路はそれほど苦にならなかった。
私の体力を容赦なく奪っていったのは、暑さだ。
峡谷に入ってからずっと、こもるような熱が空気に満ち満ちていた。
鎧も、上下にまとっている衣も、風通しは悪い。
それどころか、風が吹いたかと思っても、うだるような暑さなのだ。
「トリル様」
途中、少し開けた場所で、スーが口を開いた。
顔が真っ赤で、汗だくになっている。
「少し、格好を改善しませんか」
私は無言のまま、こくこくと頷く。
口を開くのがつらいくらい、暑い。
「鎧を脱ぐことで、影と遭遇した際の危険性は増しますが、鎧を着続けて熱にやられる方が今は危険です。鎧下として来ているこの上下の衣も、出来るなら脱ぎたいところですし」
「でも、着替えなんて持ってきてないよ。まさか、下着で歩き回るわけにもいかないし」
それくらいのことをしてもよさそうな暑さだが、そうもいかない。
アインの目がある、とか、竜人に会うから、とかいうことも理由にはあるが、峻険な岩道を進むのに肌をさらすのはどう考えても無謀だ。
「下衣は仕方がありません。上は、鎧と上衣を脱いで、軽装になりましょう。アイン様、心苦しいのですが……」
「ああ、荷物と鎧は俺が預かる。お前たちは、体力を温存した方がいい」
私は鎧と上衣を脱いで、上は布の下着と軽い着物という軽装になった。
下衣に熱はこもっているが、上が軽くなっただけで随分感覚が違う。
外套を羽織るかどうか迷ったが、とにかく今は涼しさを優先したくて、それもアインに持ってもらった。
「ごめんね、アインも暑いのに」
「俺はお前たちほど汗をかいていないだろう。ケンタウロスは、暑さ寒さには強いらしいな」
ほら、といってアインが私に革の水筒を手渡してくれた。
冷たいわけではないが、喉を潤すと体力が少しだけ回復したような気がした。
「おいしい」
「ふらつくようなら、背に乗せるぞ」
「そこまではお願いできないよ」
私は笑って見せて、水筒を返した。
「それにしても、この暑さはしんどいね。影も、出て来ようがないんじゃないの」
マチネが手のひらでパタパタ仰ぎながら言う。
「書物によれば、竜人と敵対するのはオーガという怪物です」
「昔、絵本で見たな……確か、オークよりも大きくて、口から牙がはみ出てて、肌が赤とか青とかなんだっけ」
「どこまで本当か分かりませんけれどね。マチネ様のいう通り、こんな環境にも影がいるのかどうか怪しいです」
「こんな環境に適応しているのだとすれば、相当強靭な体を持っているという可能性もあるがな」
アインの言葉にぐっとなる。
「意を決して鎧を脱いだばっかりなのに、怖がらせるようなこと言わないでよね」
「安心しろ、俺が後れを取るほどの相手ではないだろうから」
はいはい、と聞き流して、私は歩みを再開した。
上がったり下がったりする道を歩き続けて、時折足を滑らせそうになりながら私達は進んだ。
どれくらい歩いたか、上がり下がりが多くて距離は分からない。
そろそろ四回目の休憩が欲しいな、と思ったあたりで、変化があった。
大岩に腰掛ける人影が見えたのだ。
足を投げ出すように座っている。
靴は履いておらず、その足はまるで蜥蜴のように鱗があり、色は赤かった。
上半身は裸で、やはり赤い鱗で覆われ、首から上も、人のそれではない。
人の体に蜥蜴の頭がついている、というよりも、直立している蜥蜴といったほうがしっくりくる容姿だった。
手には何も持っていない。
こちらに気づくと、大きく両手を振った。
「お~い!!」
明るい声色に、私は思わず笑顔になって両手を振って応えてしまった。
はっとして後ろを見ると、スーが苦笑していた。
赤い鱗の人物は、大岩から飛び降りて、二本の足ですたすたと歩いて私達の前まで来た。
服と呼べるものは、何重かに巻かれた腰巻きのようなものだけだ。
ほとんど裸だということになるのだが、人族や森人のような肌がないため、それほど違和感なく見れてしまう。
「ようこそ、人族。そして、ケンタウロス。おいらの名前はゲネラル・プローペだ」
「はじめまして。私は、トリルといいます」
私に続いて、スー、アイン、マチネが名乗る。
「おいらのことは、ゲネと呼んでくれ。それに、かしこまった言い方はお互いにやめないか。飲みながら話すには、ちょっと舌を噛みそうだ」
けらけら笑うゲネに、私達は笑って応えた。
こっちだ、と言って先導を始めてくれたゲネに追いついて、私は隣を歩く。
「暑そうだね、トリル」
「うん、すごく。ゲネは、なんともないの?」
ゲネが声を上げて笑う。
「おいら達は、体の中に火精が宿っていると言われてるんだよ? 暑いことなんてひとつもありゃしないさ。むしろ、山を下りて草原に行こうものなら、寒くてたまらないよ」
どうやら、まるで体の感覚が違うようだ。
「それじゃあ、竜人が山の外に出ることがないのって……」
「寒いからさ。ただ、おいらはどうしても試してみたくって、山のあちこちを歩き回ってるんだけどさ」
そう言って頬を掻くゲネを見て、私はピンときた。
「もしかして、ゲネが、人族のお酒の香りに誘われた竜人さん?」
「ありゃ、分かった? 人族と接触した話を里でしたら、そりゃもう長老達に怒られてさ」
「え、怒られたの? どうして?」
「他の種族と交わることは災いを招くなんて言い伝えがあるのさ」
これは、まずいんじゃないか。
でも、モナルキーアで聞いたときは、かかわりを持てそうだというような話だったような。
「それじゃ、私達が里に行くのって、まずいの?」
ゲネはまたけらけら笑って、首を振った。
「いやいや、みんな歓迎するつもりだよ。だって、何か酒を持ってきてくれたんだろう? そんな言い伝えよりも、新しい酒に出会えることのほうが、おいら達には重要だもの」
「うん、いくつかは持ってきたけど……でも、それだけのことで?」
「あ~あ~、むしろその発言の方が長老の機嫌を損ねるよ。だって、みんな、自分の人生を酒造りに捧げるからね。酒を下に見るような発言は、くれぐれも控えた方がいい」
黄色い瞳をきらりと光らせて、ゲネが言う。
「そ、そっか。気を付ける。でも、お酒に人生を捧げるって、どういうこと?」
「どういうことも何も、どの種族もそうなんじゃないの? みんな、体に入れるものを大切にするはずだろ? おいら達は、それが酒だっていうだけさ。」
種族ごとに、色々な文化があった。
竜人は、そういう文化なのだ。
つまり、お酒を何よりも大切にする人々。
「ところで、トリルはどういうお酒をつくるんだい?」
「えっと……」
リリコと初めて会った日のことを思い出す。
どの種族も、自分達の生活や考え方が当たり前になっているから、そもそもの前提が違うということを、初めに確認しないといけない。
「お酒は、つくってないの」
「え!?」
思った以上に大きな反応だった
ゲネが、立ち止まってしまった。
「なんで!?」
「えっと……私の両親は、剣とか、鎧とかをつくる仕事をしてるの」
「剣とか鎧? ああ、まあそういう道具があるのは知ってるけど……お酒は?」
「お酒をつくる仕事をしている人もいるけど、それほど多くはないかな」
ゲネがふらふらしながら頭に手を当てる。
よほど衝撃的だったようだ。
「じゃ、じゃあ、トリルは自分で飲むお酒を、常に人からもらってるっていうのかい?」
「というか、私、お酒を飲めないから……」
ゲネの長い口がぱかんと開いた。
開いた口がふさがらない、という反応が、竜人にもあるらしい。
「おさけを飲めない……なんてかわいそうに……」
どうやら、私達が竜人とお互いを知り合うには、かなりの時間を要しそうだ。
読後感と必然性を大切にしたい、作者の成井です。
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それでは、また次のエピソードで。




