ナツノハル
この家はなんだか居心地が良くない。
そんな風に僕は夏の始まりの頃感じていた。
しかし僕はとっくに慣れきってしまっている。この姉と二人暮らしの生活に。
この間、もうすぐ両親が海外出張から帰るとの連絡があった。
それに対して僕はとても複雑な気分になったのだった。
どうしてだろう?
いや、わかりきっている。楽しかったんだ。この夏休みが。いろいろありすぎたけれど。
楽しかったんだ、ナツキと一緒に暮らすのが。
さて、今日もナツキを起こす前に朝食を作らねば。そう思ってリビングのある一階へと降りる。
扉を開けると、そこには僕を驚かせる光景があった。
「おはよ、ハルキ」
満面の笑みで僕を迎えたのはピンクのパジャマにエプロンを着けたナツキだ。
「お、おはよう……。って今日はえらく早起きだな」
「ふふん、今日は特別な日だもん」鼻を鳴らしながら腰に手を当てるナツキ。
「特別な日?」と僕は返した。
「そう! 今日はハルキに『私の料理を美味いと言ってもらう記念日』なのだ!」
そう言われて僕はリビングのテーブルをちらと窺う。
鮮やかな黄色をしたオムレツが乗っていた。
やれやれ。お手上げだ。
♢♢♢
この家ほど居心地が良いと思う場所はない。
私は夏の始まりにそんな風に感じていたことを思い出す。
短くて、濃い夏だった。
でも終わってみれば結局何も変わっていない。そう、気持ちはずっとそこにあったんだ。
私はただ目を逸らしていただけだったんだ。
大切なことから。
今日は夏の終わり、最後のイベント。夏祭りの日だ。
♢♢♢
「やっぱり人多いな……どっからこんなに湧いてくるんだ……」
辟易気味に呟く。もうじき夜に差し掛かるという頃。僕たち姉弟は夏祭りの屋台が両脇に並んで賑わっている、神社の境内への道を歩いていた。
「まあまあ。祭りなんだからしょうがないでしょ!」
隣に歩いている白とピンクで彩られた花柄の浴衣を着たナツキがそう言った。
ちなみに僕も黒一色の甚平を着せられている。なんだかこっぱずかしい。
「まあ、そうなんだけど……って、ナツキ。なんでそんなに顔赤いんだ?」
気づくと白いナツキの横顔は火照ったように赤くなっていた。少しおどおどしてナツキが答える。
「ちょっと昔のこと思い出してね。ねえ、ハルキ」
ナツキが僕の名前を呼び、それに答えようとしたところで――。
彼女は僕の手を握った。
「ほ、ほら、人多いし……」ごにょごにょとゆっくり進む前の人ごみを見つめながらナツキは言った。
その手は驚くほど熱く、汗でびちゃびちゃになっていた。
「お前……手汗かきすぎな」
僕は笑って言った。
「もう!」とナツキが怒ろうとしたところで。
オレンジ色の花火が空中に大きな音を立てながら咲いた。
「わあっ」と一斉に周囲の人間が顔を上げ、目をきらめかせる。それはナツキも僕も同じだった。
僕はナツキの手を握り返して言う。
「はぐれたら危ないから仕方なく繋いでやるよ」
「……うん」
ますます顔を赤らめるナツキだった。
と、そこで真横から大きな声が僕らに降りかかった。
「二人とも、アツアツやなあ!」
「「え!?」」
姉弟揃って素っ頓狂な声をあげて横を見ると、そこには「最強のたこ焼き」という看板の屋台……。
「アツアツな二人に熱々のたこ焼きいかがですか!」
屋台の奥には水色のはっぴを着たトウカさんがいた。
「トウカさん! 何してるんですか!」僕はナツキと同じタイミングで繋いでいた手をブンと離して、屋台の前の少し空いたスペースに入り込んで聞いた。
「何って祭りに屋台は付き物やろ! 今年の写真部は夏祭りに進出や! 本場のたこ焼きで世界征服!」
「いや、わけわかんないっす……」
「だろうな……」
「でしょうね……」そう言って溜め息を揃えながら屋台の脇から出てきたのはトウカさんと同じく水色のはっぴを着たシュウジ兄と伊調さんだ。
「写真部勢ぞろいかい!」僕はやけくそになりながらもつっこむ。
「どうして私たちは呼んでくれなかったの?」とナツキが顔を真っ赤にしたままでトウカさんに聞いた。
「そら、あんたらは……デートやろ?」トウカさんがここぞとばかりに、にやりとセクハラをするおじさんのごときスマイルを浮かべる。
ナツキはとうとう鍋に打ち上げられたゆでだこのような顔色になってへなへなと地面に倒れ込んだ。
「あ、せやせや。ここは写真部らしく活動記録を写真に収めとかな! みんな屋台の内側集まって!」そう言いながらトウカさんはタコ焼き器の並ぶテーブルの下をごそごそと探り、何かを取り出す。
それはいつぞやの合宿で見た一眼レフだった。
「最近の機種は液晶がバリアングルになってて自撮りもしやすいんやで!」
「いや、携帯でいいだろ……」とシュウジ兄が呟いた。
「んー、まあええわ。じゃあハルキくんの携帯で撮ってや」カメラを元の場所に仕舞いながらトウカさんはこちらを見て言った。
「え、僕のやつですか。いいですよ」僕とシュウジ兄とトウカさんは屋台の裏から内側の狭いスペースに入り込む。
僕は携帯電話のカメラを起動し、インカメに切り替えて右手でかざした。
「あたしハルキくんの隣な!」そう言うトウカさんに左腕を抱きしめられる。例に漏れず、すごく柔らかいものが当たってるよ……。
「はいはい……」と今日一日トウカさんに振り回されたからであろうかげっそりとしたシュウジ兄。さりげない動作で伊調さんも僕らの背後に立ち、四人がカメラの撮影範囲に入る。
「ずるい! 私もハルキの隣がいい!」のびていたナツキがガバッと起き上がって屋台の内側に回り込み、飛びつくように僕のカメラを持つ手を伸ばしている右腕を掴む。
ただでさえ狭い空間はさらに人口密度の高い場所になっていた。
「ナツキちゃん! 狭い狭い! 後ろの方が広いって!」
「やだ! だってハルキは私のなんだから!」
夏が終わろうとしているその日。やはりこう思うのだった。
やれやれ。
僕は騒がしいその様子を捉えるべく親指でカメラのシャッターを切った。
夏の春――END




