倶赦
途中にアパートに寄って式部達も合流し、全員で綾子の家の居間に通されていた。初めての広大な和室、時代劇などでは見た事があるが太一はその広さに目を丸くした。
「ようこそお出で下さいました。綾子の祖母、蘆屋道蓉子です」
「こちらこそ、式部と申します」
奥から出て来た蓉子と向かい合い、式部はニコやかに微笑んだ。
「神将様、お会いできて光栄です」
横に座る摩姫羅達にも、蓉子は礼をした。
「摩姫羅、ヨダレ」
太一は溜息を付く。出された沢山の御馳走に、ハートの目をした摩姫羅がヨダレを流す。
「同じ神将として恥かしいよ」
「アンタだって、ヨダレ出てるよ」
背筋を伸ばす蒐羅に、摩姫羅が横目で言う。
「ふぅ……」
呆れた臥召羅が、首を項垂れた。
「ところで、あなた様は?」
やっと声が掛る、優しそうな蓉子の目が太一に注がれた。
「俺、いえ、僕は伏見太一です。今はその、ばあちゃん、じゃなかった式部さんと一緒に住んでいます」
シドロモドロになった太一に、少し離れて座る反目が小さく笑った。それを見た蓉子は優しく微笑んだが、太一の胸の勾玉に気付くと更に笑顔になった。
「どうやら反目は、あたたのことを気に入ったみたいですね」
「そーなの、はーちゃん?」
「……」
振り返る太一に、反目は無言で小さく頷いた。
「綾子の話では、納言様が関係しているとの事ですが」
蓉子は式部に向き直ると凛とした言葉を向ける、同じく凛と式部が返す。
「その様です」
「人のままの怪畏、存在はご存知でしたか?」
「ワラワも初めてのことです、現在に至るまで例はありません」
「やはり、現世の乱れが原因でしょうか」
蓉子は現世の現状を憂いた。
「人が死に、魂が体を離れ、初めて怪畏が存在を現すはずでした。生きたままだとすれば殆んどの人は怪畏に成り得ます」
「成らない人もいるの?」
力無く答える式部に、太一が途中で口を挟む。
「煩悩の無い人間なんていないよ」
猛烈な勢いで御馳走を食べながら、摩姫羅が口に一杯頬張ったまま呟く。
「そうだね、キャリアは全人類って言っても過言じゃないよな」
自分自身も含め、今更ながら背筋の冷たくなった太一の言葉に、蓉子がゆっくりと呪文みたいに声を被せる。
「怪畏は殺されない限り永遠の命があります。自身の拡張を望まなければ、食べ物の必要もありませんし、病気や怪我とも無縁です」
「それって、いいことなんでしょうか?」
「相対的に見れば、心や体が病んでる人々には良いことになるかもしれません。しかし怪畏になるということは、心を失い絶対の邪悪となり、欲望の獣となることなのです」
蓉子の言葉に太一は息を飲む、さっき見た人のまま怪畏になった人々の顔が目に浮かんだ。精気の無い、ビー玉みたいな目に改めて身震いした。
「人のまま怪畏になったのなら、倶赦並みの力があるということだね」
「何だそれ?」
食べ物を一旦皿に戻し、蒐羅が呟いた。また聞き慣れない言葉に太一が首を捻る。
「怪畏の中で一番下級な首弩、こいつらは別に妖力は無いんだ。霧や影みたいなもんさ、意思や思考は無いけど本能だけで生きてる」
「俺が初めに見た奴か」
「そうだよ、やがて他の怪畏を食らって媚赦となる、まだ実態はないけど妖力を使い出す。そして倶赦だ。実態を持ち言葉を話す、つまり意思や思考が芽生えるんだ、厄介な奴らだよ……そして最後には撫羅腑、稀だが存在する」
「そいつは?」
「そうだね、権化だよ。あらゆる邪悪のね。多分、諾子様は……」
蒐羅の耳はダラッと下がる、ふと見た式部からは笑顔が消えていた。
「これからどうなるんだろう……」
先の見えない不安に、太一の声は微かに震えた。
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「真の目的は何なのでしょうか……」
前に太一が言った言葉が、蓉子の口からも零れる。
「だからぁ、そんなもん良くない事に決まってるよ」
「例えば?」
面倒そうに頭の後ろで腕組みする摩姫羅に、真剣な顔の太一が聞いた。
「だからその、まぁ、世の中全部を怪畏にするとか」
少しドギマギして摩姫羅が呟き、すぐに太一が突っ込む。
「そんなことして、何になるんだ?」
「つまり、人の根絶……」
蓉子は初めて悲しい目をした。
「清少納言ってさ、枕の草紙の人だろ。春はあけぼの、ようようちりゆくってやつ。会ったこと無いけど、なんかそんなに悪い人には思えないなぁ」
太一は、先入観を正直に言った。
「あい、諾子殿はお優しく、明るいお人でした……ワラワは諾子殿の才気に羨望を抱き、嫉妬していました、式部日記にも中傷を……」
俯き呟く式部は、肩を震わせた。
「無名草紙や古事談には、諾子様の誹謗中傷が描かれてますが」
「それは事実無根です、全部……ワラワの責任なのです」
綾子が少し悲しそうな顔で呟く様に言うと、即座に否定した式部はまた深く俯いた。
「それだけさ、ばあちゃんも才能があったんだから。源氏物語って、よくは知らないけど世界最古の長編小説とか聞いたことあるし……どんな内容?」
式部を励まそうと必死の太一は、最後を小声で綾子に聞いた。
「簡単に言うと、王朝物語です」
「そう、それ! だから、若気の至りって言うか、誰にだってあるさ」
小声で教えた綾子の言葉をそのまま使い、太一は必死で式部を宥める。
「なんか、アンポンタンに励まされると余計に落ち込む気がするけど」
「何だと! 幼児退行するお前に、チャイルドバッドみたいに言われる筋合いは無いぞ!」
呆れ顔の摩姫羅に、太一が喰って掛る。
「香子様。千年以上も前の事、とっくに時効です」
穏やかな笑顔の蓉子に、綾子も笑顔で続く。
「そうです、女の嫉妬は若さと輝きの証です」
「蓉子殿、綾子殿……」
「俺は?」
顔を上げた式部に、太一が微笑む。
「ありがとうございます、太一殿」
式部は涙を拭い、笑顔を向けた。
「私、がんばります。摩姫羅さん達と力を合わせたら、なんとかなると思うんです」
改めて気付く、綾子の澄んだ可愛い声。向かいに座ってるだけなのに、その甘い香りが漂っているみたいにも感じた。そしてステゴサウルスみたいに遅れて赤面する、さっきドサクサで綾子の手を握ったのだと。
柔らかくて小さな手、車に乗せる時に抱き寄せた細い肩、太一はケトルみたいな湯気を出した。
「何だ、太一、知恵熱でも出たのかぁ」
片膝を立て、横目で睨んだ摩姫羅が憎々しく言ったが、上の空の太一は綾子から視線を外さない。
「何だよぉ、助けたのはアタシなんだからな!」
その間に割り込む摩姫羅に、気を取り直したニコやかな式部が割って入る。
「これこれ、摩姫羅、およしなさい。今はお食事をいただきましょう」
「ふぁ~い」
渋々と摩姫羅が席に戻る、太一に見詰められ綾子もモジモジと赤面した。その様子は蓉子にとって、つかの間の安堵に深く繋がった。




