珠霊狐
「珠霊狐様、いかが致しますか?」
綾子の屋敷の向かい側、ビルの屋上で黒猫が聞いた。
「結界は半端じゃない、入るのは無理です」
横の白猫も屋敷を睨んだ。
「そうですね、阿閦衆の総本山です。出てくるのを待つしかないですね」
紫の美しい着物、胸をはだけ襟足を大きく露出した珠霊狐が呟く。大きな切れ長の瞳と、血の様に赤い唇、結い上げた長い黒髪が月に照らされ異様な艶を醸し出していた。
「やはり、人間どもと手を組むのは同意致しかねます」
「仕方ありません、怪畏は我らにとっても難敵です」
黒猫の呟きに白猫も言葉を被せた。
「雷花の人間嫌いにも困ったもんですね」
黒猫に微笑み、珠霊狐は白猫を見る。
「嵐花、その通りです。怪畏は多くの同胞を……我らの数は人には遠く及びません、生き延びるには人を頼るしかないのです」
悲しそうに珠霊狐は瞳を伏せた。
「が、しかし人も我らを封印したり、滅したりしてきたではないか」
俯き小さな声で雷花が呟く、その肩を嵐花が優しく触れた。
「……人は、悪事を働かない我らを滅したりしない。怪畏は、全ての同胞を襲うのだよ」
「だが……」
雷花はそれでも顔を上げなかった。
「今の我らに選択の余地はありません。雷花、人はそんなに悪いものではありませんよ。それに、ずっとと言う訳ではありませんから」
含みを混ぜた穏やかな珠霊狐の笑顔に、雷花はそっと頷いた。
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真夜中、ふいに耳を立てた蒐羅が起き上がる。
「何だ、蒐羅、オシッコか?」
寝ぼけ眼の太一が、目を擦る。広い和室に雑魚寝して、式部や臥召羅はまだ寝息を立てている。摩姫羅は寝ぞうが悪く、一人だけ部屋の隅に転がっていた。
「来たか」
臥召羅が目を覚ますと、低く呟く。
「そのようですね」
「来たって、まさか怪畏?」
式部は寝た姿勢のまま呟き、太一はその顔を覗き込んだ。
「ものすごい数で、屋敷を取り囲んでいるよ」
ブルブルをした蒐羅が後ろ足で、後頭部を掻く。
「皆様、お座敷にお集まりください」
部屋の前で反目が告げた。
座敷に集まると、蓉子を中心に阿閦衆が集まっていた。その人数は、二十人前後だった。
「屋敷の周囲を取り囲まれました」
「差し出がましいようだが、我が二重に結界を張った」
正面に座る蓉子に、臥召羅が一礼した。
「それは有り難いこと、これだけの数では阿閦の結界だけでは持ちません」
蓉子が礼を返すと、やっと起きて来た摩姫羅が大欠伸と共に頭を掻いた。
「で、どうするの? まさか籠城でもする」
「数は約三百です」
後から来た反目が報告する。
「アタシが出ようか? 刺し違えてでも二百以上は倒して見せるぜ」
「そんなこと言うなよ」
変化した摩姫羅が隼鷹と鳳鷹を撫ぜると、太一が押し殺すような声を絞り出す。
「えっ?」
「だから、死ぬなんて言うなよ!」
真剣な顔で体を震わせる太一が、摩姫羅に詰め寄る。
「何だよ太一、冗談に決まってる……」
摩姫羅の言葉が太一の不安そうな顔に掻き消された。
「ごめん……太一」
「約束だ……」
「何の?」
「絶対に死なないって」
太一は強く摩姫羅を抱き締めた。
「……えっ、ああ」
抱き締められた摩姫羅は血が逆流するのを感じた。初めての感覚が全身を駆け巡り、それは見えない力となった。見ていた綾子にも初めての感覚があった、でもそれは摩姫羅が感じていた感覚とは少し違う。白濁した思考の中、もう一人の自分が嫉妬という結論を導き出していた。
「相手の数を減らすのが先決だよね、関門捉賊ってのはどう? 門を開いて、適当な数の敵を招き入れ、それ以上入って来られない様に門を閉じて中の敵を殲滅。これを繰り返して、敵の数を減らすんだ」
それまで静観していた蒐羅が、赤面どころか全身真っ赤な摩姫羅を笑顔で見ながら呟く。
「関門捉賊。文字通り城門を開いて敵を入れ殲滅する。だが、本来の意味は少し違う。弱小の敵に対し、包囲して徹底的に殲滅することだ」
臥召羅に指摘され、蒐羅は赤面した。
「まぁ、作戦名はどうでもいいけど。トロイ木馬って知ってる?」
やっと興奮が収まった太一が、大きく深呼吸した後に蒐羅の作戦にやんわりと異議を唱えた。
「木馬なんて、どうするの?」
「長くなるんでハショるけど、要するに敵の城に欺瞞工作で大きな木馬を運び込ませる。木馬の中には敵兵が潜み、夜陰に乗じて内側から城門を開ける。後は敵本隊がなだれ込み城は陥落っていう外国の神話さ」
「確かに蒐羅殿の作戦は良い目付けですが、邸内に敵を入れるのは危険かもしれませんね」
太一の説明に、蓉子が補足した。
「じゃあ、どうすんだよ」
少しムクれた蒐羅が、赤い顔のまま座り込んだ。
「ごめんよ蒐羅、そういうつもりじゃないんだ。だからさ、機嫌直せよ」
優しく背中を撫ぜながら太一が謝ると、臥召羅も気まずそうに言った。
「蒐羅の策も一考の余地はあるが、なにせ戦力が少なく……」
「素直に謝ればいいんじゃない? 蒐羅だって許してくれるよ」
太一は臥召羅に微笑む、一部始終を黙って見たいた式部も笑顔で頷く。
「すまぬ、蒐羅。我の言い方が悪かった」
「いいよ、別に」
素直に謝る臥召羅に、蒐羅も照れ笑いした。
「何だかねぇ、子供のケンカだねぇ……」
「これ! 摩姫羅。互いを思いやってこその仲間ですよ」
式部のひと声に摩姫羅は小さくなる。蓉子はそんなやり取りに、窮地であることを一瞬忘れ、闇の中に光を見い出せた気がした。
「外で何かが戦いを始めました」
ふいの反目の報告に、一同は息を飲み現実に立ち戻った。




