平和な航海へ
―JST:PM12:05 やまと右舷見張り台―
「ん? ……あぁ、大樹さん!」
やまとはその相変わらず元気そうな顔をこっちに向けた。
俺を見た瞬間表情も明るくなる。何ともかわいらしいものであるが、考えてみればこれも今まで何度も見てきた顔だな。
「よう」
俺は右手を軽く上げて笑って返した。
向こうもより一層笑顔になっていった。
「もう休憩時間ですか?」
「ああ。そっち暇?」
「ええ、ちょうど何もすることなく」
「そうか。ならちょっと付き合ってくれ。こっちとて暇なんだわ」
そう言って左手を軽く手すりの上でパンパンとたたくしぐさをすると、
「え!? つ、付き合う!?」
「……は?」
なぜか向こうは右手で口を押えて顔を少し赤くした。
赤くしたらより一層かわいいなとかそういうのは置いといて。
……俺なんか変なこと言ったっけ? ただ単に暇だから付き合えと……、
「わ、私たち……」
「?」
「もう、すでに付き合うとかそのような関係に……」
「お い ち ょ っ と ま て 何 か 誤 解 を 与 え て い る」
この場合の付き合うってまさかデートのほう思い出した? 明らかにそうにしか見えませんがね。
……いや、ただ単に暇だからその暇つぶしに付き合えといっただけなのだが……。うん、日本語って難しいね。
主語がないだけでここまで意味が違って通るんだね。だから外国人が「オーウ二ポンゴムズカシイデース!」とかって悲鳴あげるわけだわな。
……実際アラビア語とかそこらへんのほうが難しいだろうに。あれもう文字なのかってレベルだし。そんでもって何言ってるかもわからんし。
日本人だからそう思うだけだろうか? これが向こうの現地人になれば発想が逆なんだろうなぁ……。
そろそろ言語翻訳が自動でなされてもいい頃。誰かが開発してるとかそんな感じのことをTVで言ってたし、それをなんか今開発中の人工知能に乗せて商業活用とかってのも聞いたが、まあそれももう少し未来の話であろう。
……と、今はそんなことはどうでもよかったな。
「そっちの付き合うでなくて暇つぶしのほうだって……」
と、そう言った時、ガタンッとでっかい物音と共に、
「なに!? 付き合うだと!?」
「お相手は!? やはり艦魂さんか!?」
「俺たちも混ぜやがれぇぇぇぇえええ!!」
「お 前 ら は さ っ さ と 持 ち 場 に 戻 れ ぇ !」
そう少し開けられた隔壁から顔を出してそんなことを叫んだと思ったら今度は副長の叫び声とと共にそいつら全員が艦内に引っ張られ、また隔壁がガタンッと閉じる。
……なんで中にまで聞こえるんだ。こっちの声完全に途絶されてるはずなんだがな。いったいどういうことなのか。あいつらの耳は地獄耳かなんかか……。
俺は思わず「はぁ~……」とため息をつく。
そして、話を戻す。
「と、とにかく別段そういう付き合いではなくてだな……」
「えぇ~、で、でも私たちあれやったじゃないですか……、あれ」
「はぁ? あれ?」
そういうと少しムッとして「忘れたんですか?」とでも言わんばかりに右手の人差し指を立てて口の前に持ってきた。
そして右目を閉じてウインク。
……あぁー、ハイハイ。
「ぐっ、……で、でもあれはお前が勝手に……」
「でも、しましたよね?」
「大丈夫。直でいってないから」
「むぅ~……。それでも一応認められますよねぇ……」
「はぁ……。あー、ハイハイ、勝手にしておれ」
そう半ば、というか完全にあきらめたように右手をひらひらさせつつ言うと、やまとはいたずらっ子のようなにやけ顔で「にひひ」と笑った。
……なんだ、あれが相当うれしかったのか? ほぼそっちからの強引だったように記憶してるんだが。こっちの否応なく。
……まあ、あれがいやだったなんてことは言わないしもちろん思わないが。
「とにかく、こっちとて暇なんだよ。ちょっと暇つぶし付き合え」
「ハイハイ、今いきますよ~」
そのままやまとは右手を胸に当てて青白い光と共にいったん消えた。
……と、そう思った瞬間に、
「はい、お待たせ~」
「相変わらず便利な能力だなぁ、それ」
すぐ左にやまとがまた青白い光と共に出現した。
いつもの瞬間移動能力。もはやこいつのご定番である。
……俺もたまに思うわ。即行で移動できたらってな。
まあ、そうしたらどっかのロボットが出すピンク色のドアよろしくいろんなとこに行けるから運送業とかが廃れますがね。はは。
やまとはそのまま俺のすぐ左に背中を手するにもたれて近づいてきた。
「さっきまで何歌ってたんだ? 軍艦行進曲だろあれ?」
「あ、聞こえてました?」
「むしろ鼻歌にしては結構でっかく聞こえたなぁってな」
メロディーがはっきり聞こえたんだ。聞き間違えようがねえよ。
やまとは少し恥ずかしげに「ははは……」と左手を後頭部に回して苦笑いすると、今度は遠い目になって行った。
「いえ……、ずいぶんと、懐かしいなって」
「は?」
「……ほら、今日って……」
「今日……? ……あ」
そこまで言って、俺は思いだした。
今日は4月7日……、
……そうか、今日は確か……。
「……そうか、今日はお前の……」
「ええ……。前世の、命日ですので」
「そうか……」
そうだったな。すっかり忘れてたわ。
4月7日は、今から70年以上前の第二次大戦、太平洋戦争時の最後の海軍の大規模な作戦ともいわれた『菊水作戦』で戦艦大和が沈んだ日……。
例の、“沖縄特攻の日”か……。
……そうか。だからあの時を懐かしんで……、
「……お前が転生して、通算2回目の命日だな」
「自分の命日を自分が弔うっていうのも、なんかおかしな感覚ですけどね……」
「まあ、それもそうだがな……。前世の自分を拝んどけばいい」
「自分で自分を拝むんですか……」
少し互いに苦笑いである。
……しかし、それでもこいつにとっては今日はとても特別な日ではあるはずだ。
前世の今日は、今頃沖縄に向かって特攻中だろう。
今は12時ちょい過ぎだから……。あー、あと2、30分で第一波の攻撃が始まるな。
あの時から、戦艦大和の死闘が始まるわけだが……。
「……今となっては、それも過去か」
「ええ……。過去です」
やまとがいった“過去”が、とてつもなく重い意味を持っているように思えた。少し体が重くなるような錯覚に襲われる。
……それも、すでに70年以上も前の話。そんな死闘があったって知ってる人がいないなんてこともよくある話となってしまっている。
もちろん、そのような死闘があったってことを教えるために、広島の大和ミュージアムとかがあるわけだが……。
……それでも、そのような歴史を知ろうとする人間は少ない。今を生きる現代人としては、それはぜひ知っておくべきなのだが……、悲しいかな。今の学校じゃほかの分野の内容につきっきりでこういうのはあまり教えないんだよね。
せめて軽くでも「こういうこともあったからぜひ調べてみてね」的なことでも言っておけばいいのに……。残念ながら、俺の学生時代はそれがなかったどころかとにかく「悪! 悪!!」と教え続けられてきた。
いくら戦争がいやだからって何でもかんでも悪にしてしまうのはまた違う気がするが……。まあ、今更そんなことを言っても始まらないだろう。
……そんな、今となっては過去になってしまった事実。それが、今また掘り起こされるようなことはあまりないが……。
「……しかし、それでもその時の当事者は生きてる、か」
「……それと、大樹さんのおじいさんも、ね」
「なぜか90超えてるのにめちゃくちゃ元気だがなぁ……」
といっても、さすがに車いす、ないし杖使ったノロノロ歩きの生活ですがね、今は。
しかし、あの爺さんの生命力というか、歳の長さが半端ないんだよなぁ……。定期健診で医者に見せてもらってるけど、老化で骨やらなんやらがもろくはなっているとはいえそれ以外は全然病気とかはなくて、そのたびに「なんでこの歳でこんなに元気なの!?」的なこと言って爺さんが笑うっていうのがもはやテンプレ化してるし……。
どうせ、今日も老人ホームでガッハッハ笑ってTV見てるんだろうな。一応俺たち家族が全員仕事に出てしまったから、一人になった爺さんはそのまま老人ホームでお世話になってる。
家に帰ったらまた父さんのほうで雇ったらしい家政婦にお世話頼んでるらしいし。あ、ちなみに婆ちゃんは先に亡くなってる。
……ったく、その長生きはいったいどこから来るのか……。
……ちなみに、
「……あぁ、爺さんで思い出した」
「? 何がです?」
「あぁ、そういえばいってなかったよな? 今度の体験航海……」
「俺の、爺さんも来るって」
「……え、ええ!? ほんとですか!?」
やまとはたいそう驚いたらしく、そのまま少しのけ反った。
案の定の反応だが、俺は何事もないようにすんなりと返す。
「ああ。今度の体験航海、陸・空の奴らを招待するって言ってたろ?」
「ええ。それで、大樹さんの弟妹さんや、あとうまくいけばお父さんも来るって……」
「ああ。それにプラスして、元大和乗組員でまだ生きてる数少ない人間がうちの爺さんでよ。こっちはまた個人的に招待されたんだわ」
「へぇ~……。え、てことは大樹さんのおじいさんって今回……」
「あぁ……。“超VIP”で来るぜ?」
「うひゃぁ~~」
そのまままたたいそう驚いたような顔で軽くのけぞった。
あんまりのことに思わず軽く気絶しそうにクラッとしたところをすぐに耐える。
そう。実はその爺さんもさっき言ったような理由で来ることになっている。
理由はさっき言ったとおりだが、なぜかまだ生きてる大和乗員があの俺の爺さん初めたった数人って話らしくてな。
そんで、その事情を俺から聞いた艦長が「じゃあその彼も招待するか」という話になって、ダメ元で統合参謀本部に頼んだらまさかのオーケーサイン。むしろ「あ、じゃあ自分もそっちに参加していいかな?」的な話になってしまった。
本当はその生き残り全員を招待したかったんだけど、のちに確認したらどこもかしこも健康状態云々の関係で無理ってことで、なぜかいまだに元気いっぱいの爺さんだけが来ることになった。
しかし、今更乗り込む人員を増やすのもまずいので、一応港のほうで少しばかり関係者と会合を持つということで話がまとまった。
俺のほうから爺さんに、艦長から許可を得て久しぶりに電話したついでに話したら、まさかの余裕でオッケーが出た。というか、むしろ喜んでた。「未来のやまとに乗れる!」って。まあ、気持ちはわからんでもない。
ただし、車いすか、または杖付きでノロノロ歩行の状態の体なのでそこはご了承してくれってことらしい。
もちろん、これくらいのハンデで参謀本部側がダメっていうわけもなく、なぜか大和ミュージアム関係者も来ることになって、もううちの爺さんがマジのVIP扱いになってしまっている。
まあ、これもつい最近決まったことで、また知らない乗員も多い。
……でも、これが来たってなったら……、
「……でもこれ、大樹さんも“いろんな意味で”巻き込まれますよね?」
「ああ……、だろうなぁ……」
もし爺さんという名の“元戦艦大和乗員の超絶VIP”が来たら、それを聞きつけたマスコミやらその道のオタク&マニアが殺到して港は大混乱。
そして関係者も港に押し寄せて爺さんに挨拶にきてこれまた大混乱。
そんでもってさらにやまと艦内にその孫がいるってことを聞きつけたマスコミが大挙して取材を申し入れてこれまた大混乱……。あ、ついでに、その家族たる弟妹と、もしかしたら父もくるからそっちにも取材という名のマスコミの魔の手が……。
……好意で招待したのはいいけど、今から違う意味で嫌な予感がいっぱいです。はは、これはマジで俺も航海始まる前から苦労するんでないかな?
……しかし、
「……でも、俺としてはそっちより……」
「?」
「……爺さんが、」
「お前を見た時の反応が、楽しみでな」
「……確かに」
「な?」
そう。爺さんも、一応は艦を脱出した直後の一瞬だけではあるらしいが、見たとは言っていた。
それも、結構自信満々だったから、よほどはっきり見えたに違いない。
今現在もその能力があるかはわからないけど……。
……もし見えて、やまとをその目で見たとしたら、
「……当時の人間と艦、70年以上の時を超えた再会、か。絵になる運命もあったもんだ」
ということになるな。
やまとも少し楽しみにしてそうに少し微笑んでいった。
「ですね……。どんな人なんでしょう。大樹さんのおじいさんって」
「いろいろと豪快っていうか、中々歳に似合わず元気だぜ? まあ、実際には見てみればわかるか」
ほんと、本気で90歳越え名乗ってるのかと……。実は50くらいだろってツッコミたいんだが、まあそれくらい元気な人ってことです。今の医療技術が高いのもあるんだろうが、それでもあの定期的に見せるたびに医者が驚くくらいだ。たぶん本人の根性的なこともあるんだろう。
……俺はあれくらい長生きできるだろうか。
「……もし、あったらどうする?」
「え?」
俺はふと気になって聞いた。
「もし、その爺さんと話す機会があったら……。何する?」
「そうですね……」
やまとは少しうつむいて考えたのち、答えを出した。
「……まずは……、謝りますかね」
「え? 謝る?」
「ええ……。皆さんを、沖縄に連れていけなくてごめんなさいって」
「あぁ……、なるほど」
そうか……。まあ、あの結末だからな……。
しかし、そうなると爺さんもあの後陸上戦力として向こうにいくかもしれなかったんだよな……。幸か不幸か、今こうやって生きてはいるが……。
「……謝って納得するかな。違う意味で」
「さぁ……。でも、一応当時の私としての責任ですし……。それに、これが私の本心ですから」
「……うちの爺さんが軽く豪快に笑ってあしらう未来が見えるぜ」
「ッははは、そこまでなんですか大樹さんのおじいさんって?」
「あの豪快ようはもう爺さんじゃないぜ……。まあ、百聞は一見に如かず、ってやつだ」
「まあ、それもそうですかね……」
しかし、そうなるとマジで反応が楽しみである。
当時の当事者同士の再会か……。しかも、元乗員と艦である。
……構図が、何というか、変な言葉になるが“感動的”過ぎる。いや、正確にはそれとはまた違うんだろうが、少し考えてみたらお涙頂戴な状況が目に浮かぶ。
……しかし、
「……まあ、爺さんとしては、当時の事より、今の事を話したいだろうな……」
「え?」
俺は爺さんの性格を考えてふとそう言った。
「いや、やまとができるって最初聞いた時、爺さん言っててさ。“彼女から見たらこの現代はどう見えるんだろうな”って」
「……今、ですか?」
「そう、今」
うちの爺さん……。結構気になってたからな。
当時を生きた人にとっては、今の現代は“違う意味で”平和らしい。
……つまり、あんまり快く思ってないってことだ。
そりゃそうだ。つい最近まで「武力あるほうが戦争になるんですぅ!」とか言って違う意味の妄想的平和を謳うわそれに追従するアホがいるわ、当時戦争していた人間だからってのをぬかしてもこれはいろいろとひどいと思っていたようだった。
俺が子供の頃も「皆考えてる平和がおかしい!」と愚痴を言っていたくらいだ。
実際、現実見たらそんな平和なんて夢想幻想どころではないのだが……。まあ、つい最近までそれが普通だったってのにいやな気分を覚えていらしい。
……尤も、今もたまにそんなことをのたまうやつはいるにはいるが。ただし、ごく少数である。
……そんな現代に生まれた彼女は、その今をどう見ているのか。
はたして、今の“平和”な現代にどんな感想を持っているのか。
……俺の爺さんは、とても気になっていた。
なぜやまとに対してなのか。それは爺さんにしかわからないだろうが、まあ、単純に思い入れの類だと思う。
俺の質問にやまとはまた考えた。
さっきより長く。時たまため息をつきつつ考えた。
……少しの沈黙の時間である。
耳に入る音と言ったら、そこら近所からくる波の音と、相変わらず元気に動いている機関の音くらいである。
そして……、
やまとは、やっと口を開いた。
「……好きですよ。今の平和は」
「ほう?」
やまとから出た答えに俺は少し興味がわいた。
好き……、か。好きにもいろいろあるが……、
「……というと?」
「……今の海、穏やかですよね」
「?」
いきなり話が思いっきりずれたことを言ったように思えて思わず首をかしげたが、俺はすぐにその意味を理解した。
「あぁ……、穏やか、だな」
「ええ……。穏やかです。なんの……、争いもない。穏やかな海です」
「……去年戦争起きたけどね」
「でも、今は穏やかですよね?」
「……あぁ」
穏やか……。
やまとにとって、当時の海は怖いものだったのだろう。
穏やかとかそんなことを言ってられない。そんな時代だったんだ。
戦争によって波が激しく揺れ動く。そして、それによって自分たちが大きくいろんな方向に流されていく。
……当時は、そんな時代だったんだ。
戦争によって、大好きなはずの海が怖いものの対象となってしまった。
……でも、それが今は違う。
当時と比べてみれば、確かに去年戦争は起こったにしろ、結構波は穏やかである。
当事者の目からはそう見えるのだろう……。
……俺のような、現代の人間には分らない感覚だ。
「……私は今が好きですよ。天気のいい空が続いてますし、そして海も穏やかで気持ちがいい。そして……、」
「……大樹さんをはじめとして、多くの“頼れる仲間たち”が、私のもとについてますし」
そう言ってやまとは笑って返した。
俺も、思わず小さなため息とともに笑みがこぼれてしまう。
……今が大好きな理由である。
それほど、今のこれが好きなのだろう。
何より、平和に、自由な航海ができる。
もちろん、まだまだ戦いはすぐそこにないとも限らない。
しかし、当時と比べれば幾分も平和になった。
こいつからすれば、もう今までで体験したことのないものなのだろう。
……元気に波を切っている様が、まさにそれを表してしているかのようだった。
こいつも、楽しいんだ。
こうやって、戦わないで自由気ままに航海ができるのが。
……それが、この表情にも、しっかりあらわれているようであった。
俺はそのまま微笑んで返す。
「……爺さんも喜ぶぜ。たぶんな」
爺さんとしても、ある意味納得の答えのはずだ。
こいつ自身が、楽しく平和に海を走っているのを知ったら、爺さんもほんとに大和の元乗員でよかったと思うだろう。
ある意味、爺さんにとってはこいつは相棒であったと同時に、すぐそばにいた“娘”のような存在なんだ。
当事者の感覚とはわからないものだが、それでも、爺さん自身がそう言っていた。
……それほど、爺さんにとってもとても大切な存在であったに違いない。
……余計会うのが楽しみになってきた。まだ爺さんの艦魂が見える能力残ってればいいが……。
せっかくの再会を、ぜひとも実現させたいぜ。
……まあ、万が一の時は俺が通訳をしてやるがな。
「ふふ……、楽しみにしてます」
やまとも微笑んでそう言った。
俺はそれを見てまた微笑んで返すと、ふと、空を見上げた。
別段これといって思ったことはないが、何の意味もなく空を見上げた。
そこには、左手にすっかり修復されたメインマストがあり、それ以外は全部青い空と白い雲である。
相変わらず、春の風に流されてどこかに飛んで行っている。
どこに行くかはわからんが……、なんとも、自由気ままだ。
まるで、風に流されるのを楽しんでるかのようである。
「……今日は風が心地いいな」
ふと、そんなことを言ってしまう。
やまとも、同じく空を見上げつつ言った。
「そうですね……。暖かいですし、思わず眠たくなりますね」
「春眠暁に覚えず、ってやつだな。……まあ、お前は寝れても、こっちは寝れねえよ」
「ッはは、そりゃ、乗員は勝手に寝ることは許されませんからね」
「はぁ、いいよなぁお前は。好きな時に寝れてよ」
「にっひっひ~。どうだ~、うらやましいか~?」
「なぜにいきなりそんないじめっ子口調に……」
まあ、かわいいからいいが。
「……しかしまあ、今となってはこの空も新鮮に感じるな。……海もそうだが」
「……ですね」
俺はふと体ごと振り返って、今度は軽く前のめりで手すりに寄りかかって、海と空を交互に眺めた。
相変わらずこっちも青い空に白い雲。そして、下はアカプルコの濃い青色の海があたり一面を覆っている。
波は穏やかである。この海域も少し荒っぽくなることもあるのだが、今日は機嫌がいいようです。
……当たり前の風景のはずだった。
しかし、あの去年の戦争を経験してから、どうもこれが新鮮というか、とても貴重なものに見えてしまっている自分がいる。
……これらを見るのが、とても楽しくなってしまっている自分が、ここにいた。
「……平和だな、この海も」
「……ええ」
そんな、短い会話が自然と起きてしまう。
そのまま、しばらくの間その海と空を眺めていた。
どれくらいたっただろうか、数十分と断ったかもしれないし、ただ単に体内時計が狂って実はたったの数分しか経っていなかったかもしれない。
俺たちは、その光景をよく見に焼き付けていた。
……なんでとかは思っても聞かないでくれ。俺たちも、半ば自然とやってるんだ。
何とも言えない、漠然とした気持ちが、そうさせている。
少しの時間が経ち、やまとがふと言った。
「……私」
「?」
「……この海を、楽しんでるんですかね?」
「……え?」
ふと、あまり意味が分からないことを言われる。
俺は思わず聞き返した。
「……楽しんでるって?」
「いえ……。あの戦争以来、この海を見るのが好きになりまして……」
「ほう?」
「それで、見てたらなんか……、結構新鮮に思えて、飽きないんですよね。なぜか」
「なぜか……、ねぇ」
「……無意識ですけど、やっぱり平和になって、この海が穏やかに見えてきたのも、それのせいなんでしょうか?」
そんなことを質問された。
ぶっちゃけそんなことを言われても、俺は艦じゃないから正確にはこうとは言えないが……。しかし、わからなくもない。
さっきの俺も似たようなもんだ。この空を見るのが中々飽きない。まあ、ずっと見てたらさすがに飽きるが、しかしそれまでの時間が格段に伸びた。
……ある意味、やまとが言ってる通りなのかもしれない。
楽しんでるんだろうか、この海を。
この……、“平和な海”を。
「……そうかもしれないな。俺も、似たようなもんだ」
「……やっぱり、私が艦だからですかね?」
「はは、まあ、それもあるだろうし、俺もある意味楽しんでるからな……。戦争を経験すれば、自ずとそう見えるのかもしれないな」
「なるほど……」
そう言って、また海を眺めだした。
まるで、その見ること自体を楽しむように。
やまとの顔は少し微笑んでいる。
「……やっぱり、好きなんですね、私。平和な海が」
「今まで自覚してないだけだ……。当たり前すぎてな」
「ええ……。当たり前すぎて」
今の世の中。当たり前と思っているものが実はとても貴重な場合がある。
よくあるのが、人の死を見た時だ。今まで、たった数日前まで、いや、ついさっき数秒前まで生きていたのが、自分の目の前で死んでいくのを見た時、人間はある後悔をする。
“今までの当たり前が当たり前でなくなる”という、その覚悟をしていなかったという後悔だ。
……俺も婆ちゃんを亡くした身だ。その気持ちはよくわかる。
まだ、俺が小学5年生のときだった。
普段あまり泣かないってことで昔から言われていた俺が、初めて本気で泣いたのがあの時だ。
火葬される時、婆ちゃんの遺体が入った木箱がそのまま火葬場の焼却室に入って、その扉が閉まる時、もう会えなくなると思ったその瞬間、思わず泣き叫んだ。
しかし、扉がそんなことを知るはずもなく、無慈悲にその扉はしまった。
そのまま、俺は泣き叫んでしまった。
これは、俺だからまだよかったからかもしれない。
元の母に値する俺の母さんなんて、俺が知る限り初めて大泣きした。普段、俺たち子供のことを思ってか、映画で泣きシーンの時以外は滅多に泣かない母さんが、初めて大泣きしていた。
……あれも、一種の後悔に値する。
そういうものだ。人生で当たり前と思っているものは、大抵は当たり前じゃない。
こうして生きているということも、実は当たり前じゃない。もしかしたら次の瞬間には事故に会って即行で命を落とすなんてことも珍しいことではない。
そして、またそのたびにさっき言った類の後悔をするのがオチとして待っている。
もちろん、こだけではない。
こうやって艦に乗れていることも、こうして衣食住不便なく生活できていることも、そもそもの問題“俺自身がこうして生まれてきた”ことも。
……そして、
「(……こいつとの出会いも、な)」
今となってはこうして当たり前のように話したりしてよい関係を築いていっている。
しかし、これもこれで本当はよくよく考えれば半ば奇跡に等しい。
俺が、あの時ここで暇つぶししてなかったら見つけれなかったかもしれないんだ。そして、その、さっきあいつがいたほうを見なかったら……。ということも言えるのだ。
……それらの、いわば一種の“奇跡”が組み合わさり、こうした“当たり前”という概念が生まれる。
……そう考えると、この今みている光景も、全然当たり前じゃないんだよな。
それは、戦争を体験して、初めて死に対する恐怖を味わったからこそ考えることができることだ。
そう考えると、今みているものも、とても新鮮で、貴重に見える……。
……やまとが普段何とも思っていなかった海も、今となってはそれに対して“大好き”という感情を覚えるに至っている。
それが、何よりの証拠となるであろう。
「……今、こうして平和に生きてるのが貴重なんだ。……大切にしないといけないな」
「ですね……。せっかく、こうして生き残ったんですしね」
「ああ……。そうだな」
俺は改めて思った。
今を、“大切に生きよう”と。
今まで何とも思ってなかったことではあるが、改めてそれを決意し、それを行動に移すことによって、
それが、今の俺に対する、平和を享受する対価となるであろう。
俺は、そう思った。
「(……平和が、ただの安い平和ではないってことだな)」
今まで考えていた平和が、本当にすぐ近くにある、お手頃な平和なのか。
それは、今回の戦争で答えが出た気がした。
改めて俺は空を海を見る。
それらの光景も、見方が変わった。
……それを教えてくれたのは、戦争なのかもしれない。
「(……大切に、生きていかないとな)」
俺は改めてそう思った。
……と、その時だった。
“ヤッホー! おまたせぇー!”
「お?」
すると、自分の耳に元気な声が届いてきた。
これは……、
「あ! こんごうさん!」
やまと同様の元気っ娘にしてやまとの親友。こんごうさんだ。
彼女も、やっとここに合流したか。
“いや~、ごめん、待った?”
「いえいえ、大丈夫ですよ。予定通りです」
“そう? よ~っし、じゃあこの後はそっちの指示だから。よろしく~”
「は~い。ほかのメンバーは?」
“うん。いるよ。……おーい、そっちはいいー?”
こんごうさんが呼びかけると、
“あいよ~。こちらあきづき、準備はいいですよ~”
“いなづま、準備完了で~す”
“わた、ふぶきさんも準備完了しました~”
「相変わらずイメチェンしようとしてる……」
まだあきらめてなかったのか。もういい加減どっちでもいいから確立させなさいよまったく。
“今そっちに向かって合流するから~。あと5分まって~”
「了解です。合流したらさっそく訓練ですからそのつもりで~」
“りょうか~い”
そんな会話が艦魂同士でなされる。
今日はこの後午後から艦隊規模での連携を重視した訓練で、一応実弾も使う。
さっきはシステム上だけでの訓練で、主に各装置や機器の動作確認や、ダメコン関連の訓練を中心に行ったが、今回はまた模擬弾を使ったものになる。
一応訓練支援として無人機が大量にどこからか飛来して攻撃をする手筈となっている。なお、いつどこからどうくるかは秘密で教えられない。教えたら訓練にならないのはまあ大体お察しの通り。
やまとを旗艦として、イージス艦2隻に汎用駆逐艦3隻の計5隻。本当はこれにもう1隻加わる予定だったけど、急なメンテで入れなくなって、こんなこんな中途半端な数になってしまいました。
まあ、それでも訓練自体は急に中止なんてことはできないので続行です。もとよりこういうことも別段珍しいことではない。
「じゃ、私たちもそろそろ……」
やまとがいったんここで切り上げを要請する。
……そうだな。気が付けば結構な時間が経ってしまった。もうそろそろ交代の時間だな。
「うん。じゃ、俺もそろそろここいらで」
「はい。……じゃ、今日の午後も張り切って……」
「でも一応言っとくけど、機関一杯のシナリオはどうしても起こらないからな?」
「……」
すると、やまとは図星を突かれたように肩をビクッとさせた後、ショボーンとした顔をこっちに向けた。
……いや、あのなぁ……、
「……ダメですか?」
「ダメっていうか、お前いろいろとはしゃぎすぎなんだよ。あんな本気で機関一杯出して平気なのか?」
「平気だからこんなに元気なんじゃないですか」
「兵器だけに、疲れは知りませんってか……?」
「あの、全然うまくないです。後、一応私たちも疲れます」
「うん、知ってる」
はぁ……、と、思わずため息が出てしまう。
でも、たまに心配になるんだよなぁ……。こんなにはしゃいで電子機器とか兵装とかに不具合でないかって。
まあ、今のところそれはなさそうだし、今後もそれっぽいことはなさそうだが……。しかし、あの午前の訓練を考えた上層部も上層部だ。
復活後いきなり機関一杯って、まあ試験航海とかではよくあることではあるが、それでもこっちは病み上がりだからなぁ……。
改良型のものを積んだとはいえ、やはり艦自身と関係を持っている人間としては少し心配である。
……まあ、こいつを見る限りたぶん杞憂に終わりそうだが。というか、なってくれるならぜひそうなってほしいものだけれども。
「まあ、でも一応次の訓練は実弾、というか模擬弾が飛んでくるからな? 今回は本気で頼むぞ?」
「私はいつでも本気ですよ? お任せください。生まれ変わった私の実力をとくと見るがいい!」
「はは、威勢のいいことで……」
まあ、自信があるのはいいことだ。こりゃ、いつも通り結果は期待は出来そうか。
実際、性能自体は生まれ変わったも同然なんだ。FCSレーダーも改良されたし、各種武装や電子機器もアップグレードされている。
……今のこいつなら、今まで以上の結果が期待できるだろう。
最強の防空巡洋艦の実力、お前の言う通り、とくと見させてもらうとしようかな。
「では、私はそろそろ。ステンバーイに入りますので」
「あいよ。じゃ、合流したらそこからスタートだからな」
「了解です! では!」
そう言って威勢よく敬礼した後、そのまま青白い光を放ちながら一瞬にして消えた。
艦に戻ったあいつは、今頃ほかの艦魂のみんなと訓練事項の確認に入るだろう。
こっちでもその手順は踏まえる予定だ。なお、その時の操舵は俺がやることになる。
……さて、今日もこの後は訓練の日々だぜ……。
……すると、
「おーい新澤ー、交代の時間だぞー」
一人の乗員が隔壁を開けてそう声をかけた。
どうやらちょうど時間のようだ。
では、俺もお仕事午後の部と行こうかな……。
「了解です。今行きます」
俺はすぐに隔壁に向かった。
……その直前、
「……お」
ふと、とある音に意識が言った。
ゴォーッというジェットエンジン音。
空の上から……、これは、旅客機かな?
ふと上を見ると、そこには小さな白い点がある。
民間機か……。今日も、空を優雅に飛んでるらしい。
その白い点は、時折見えている白い雲に隠れつつ出つつ、その空を優雅に飛んでいた。
そしてそれはどんどんと遠くへ行ってしまい、海の向こうへ、そして空の彼方へ消えて行ってしまった。
俺はその光景を見て、思わず口をゆがませて微笑みながらため息をする。
「……まったく、今日も今日で、」
「……平和な、海と空だぜ……」
そんなことを呟いていると、ちょうどまた乗員から催促の声が聞こえてきた。
俺は一つ返事で返すと、急いで艦橋の中に入って行った。
中で、なぜか懲りずにまた来ていた変態共がまだ俺とあいつとの会話内容を聞き出そうとしていたが、
俺が軽くあしらうと、副長にまた無理やり追い出されていった。
……まったく、相変わらず、あいつらも懲りないな。
そんなことをヤレヤレといった感じでため息をついて思いつつ、
そのまま、俺はまた操舵の舵を握る。
そして、その視線を目の前の水平線に向けた……。
日本、太平洋沿岸より。
この海が、とても平和に見え、そして穏やかに見えたのは、今までの戦争の経験のおかげなのかもしれない。
そして、あいつと出会ったことで、俺の人生は大きく変わって行っていた。
あの戦争中の行動も、あいつとのかかわりのせいなのかもしれない。
でも、これもこれで面白いとも思った。
この後、俺にはいったいどんな運命が待っているのか。
ぜひとも、この目で確かめてみたくなった。
平和な海。そこで繰り広げられる……、
艦魂との、少し変わった、でも、いつもと変わらない日常を。
……相変わらず今日も、そのアカプルコ色の濃い青色の海は……、
今日も、穏やかな波を打ち、俺たちの目の前に広がっている…………
―END―
これにて、当作品の物語は無事完結となります。
皆さまの、今までの多大なご支援と、そして、応援には、自分としても最大限の感謝を送らせていただます。
結果的には自分の自己満足のようなものになってしまいましたが、それでも、最後までご愛読していただいた皆様には、最大限の感謝を申し上げます。
それでは、長くなってしまっても仕方がないので、そろそろこれにてというこということにさせていただきます。
……それでは、今まで当作品【『やまと』 ~戦乙女との現代戦争奮戦記~】をご愛読いただきありがとうございます。
一度といわず、何度見に来ていただいても構いません。
そして、今後とも、私『Sky Aviation』を、よろしくお願い申し上げます。
それでは、皆さん。また、次の作品でお会いしましょう。
……それでは、失礼しました。ではでは。




