燕中佐、政治への挑戦
―CST:AM10:45 中華人民共和国首都北京 天安門広場―
「……と、終わったか」
私は目の前で私の前に立候補していた人の演説が終わったのを確認した。
あの台湾での日本エースとの会談後、少し複雑な目で見られつつも台湾で少し復興支援活動をした後、宣言したとおりに私は部隊、しいては空軍自体を退役した。
案の定部隊内から私の退役を惜しむ声が大量に聞こえたのだが、私は彼らには「私の後をついでほしい」という旨の内容を伝えて、そのまま退くことにした。
聞いたところでは、米軍による軍の再編によって私の部隊は解体されたようではあるが、それでも散り散りに散らばった彼らも彼らで、米軍から腕を買われて新人教育の教官に回されたりほかの部隊の隊長を務めたりするなどして活躍しているようで、私は心底安心した。
彼らも彼らなりに思うような活躍ができているようで何よりだった。彼らの隊長として安心するとともに、誇りに思った。
そして私はというと、そのままこれまた宣言通りに選挙に立候補。
米軍の厳正な審査を何とかパスすることに成功し、見事なんとか立候補は認められた。
理由としては、家庭事情的に考えて反共産主義的な思想が根幹にあるということと、そもそも本人自身も強く共産主義に反発的で、民主主義に積極的だという判断がなされたことにあるようだった。
……別に私は共産主義は嫌いでも民主主義が大好きだとは一言も言っていないのだが。あくまで今のところ地球上で行われている政体の中でまだまともだというだけの認識なのだが。
米軍が指定した候補者人数より大量に立候補したため、いわゆる倍率というやつがとんでもなくなり、たしか20倍だとか30倍だとかどうだとかという普通に考えればとんでもない数字になってしまった。
政治に素人な私でもわかる。声は多すぎる。
後に、メアドを交換して何人かと交流を受けるようになったうちの一人であるあの若僧……、新澤といったか。彼のいうところによれば、その兄曰く、
「いくら最初だから選挙区分けずに一点集中をしたとはいえ、日本じゃそんな倍率はあり得ない」
ということらしくて、心底びっくりしていた様子だった。
それだけ、今回の選挙には何としてでも当選したいという者たちが集まったのだろう。
私もその一人だ。
私みたいに、何としてでも中国を変えたいという有志がこんなに集まるとは。なんというか、人が集まっただけだというのに何とも壮観である。
この日のために様々な公約や選挙演説の内容・工夫を考えてきたのだろう。
もちろん、私も例外ではない。
あの会談の時もそうだったが、とにかく手元に集めれるだけの資料を集めまくって、それをとにかく読みふけり、時にはメモを残して自分なりにまとめたりもした。
また、それだけではわからない政治の実情なども、新澤君を通じて兄のほうからアドバイスを得ることに成功。
「素人意見なのであくまで参考程度に」という前置き付きだったが、彼も快諾してくれたようだった。
むしろ自分の政治知識が世の役に立つかもしれないということで結構興奮しているようで、自分があくまで中国人というところは一応はスルーしたどころか、そのあとに実は例のエースだと伝えたら今度は、
「マジでか!? そりゃこうしちゃいられん! 彼のためにも政治関連の情報集めねば!」
とかいう感じで結構乗り気というか、結構躍起になってくれた。
……彼も彼なりに協力的で助かった。
ちなみに、彼らの下には妹さんがいるらしく、彼女とも若干ではあるが交友を受けることに成功した。
というか、元より彼女は外人の友人がいないらしく、だれでもいいからほしかったらしい。まあ、こんなおっさんで構わないならいくらでもなってやるのだが。
そして、その彼から新澤君経由で送られてきた情報というのが、これまた信憑性が高いものばかり。
まず、今の中国は経済を優先させるべきで、国際関係の再構築もとても重要だということ。
とにかく援助を要請して、世界各国から復興のための経済的支援は惜しみなく受け取れということだった。
その際、さすがにやりすぎると世界各国になめられるのである程度は立場をもってあたるのがベストで、そこの調整がとにかく難しいから注意が必要だというのと、アメリカの言いなりには絶対なるな、あいつらの言うこと全部鵜呑みにしたら日本みたいにアメリカ依存になって本当の中国として成り立たなくなるということ。
確かに、アメリカに頼って経済を立て直したほうが手っ取り早いのは確かだが、その代償は結構高くなるということだった。
……ものすごい説得力があった。付け加えでその結果日本がアメリカ依存になり、そしてアメリカの声が“どんな場合でも”基本無視できなくなった事例をいくつか挙げた。
F-2かいはつからTPP、そして今回の中国国政への無駄な介入による日本の「ちょっと待ってくれ」という感じの抑止的な発言力。
……アメリカにかなうはずもなく、向こうのやり方にただ従うのみとなっている。それにだけはなるなということだった。
でないと骨抜きにされる。周元主席が言っていた、本当の中国は達成できなくなるとも言っていた。
また、経済のための政策の一環としては、やはり今の雇用を拡大させるしかないといっていた。
そもそも今回の経済危機の原因の根幹としてあるのが、中国製品の劣悪さと、それの延長線上で起きた各国企業撤退による雇用者撤退だった。
それを解決させるのが最優先だということだった。これはまず外国の企業をとにかく呼び寄せるのもあるし、そして自国で復興事業とかを大量に立ち上げてそれを雇用者窓口として使うのも一つの手だとも言っていた。
……で、その一案として、外国で受けた被害の復興の事業を使うのはどうかとも会ったが、これはさすがにそもそも被害を受けたアジア各国が、当の加害者ともいうべき中国を受け入れてくれるわけもないだろうということで、向こうから提案して向こうで却下された。
……まあ、一応私も台湾にまだいた時は復興の手伝いをしたのだが、その目も複雑、ないし結構嫌悪的だったからな……。いや、台湾だったからまだよかったかもしれん。
これがほかの国になったら絶対排他的なムードが形成され、下手すれば殺人事件に発展する可能性もある。
これは彼のほうでも懸念を示しており、先ほども言ったようにもう少し時間を見てほとぼりが冷め多っぽかったら、ということになった。……そのころにはもう大抵は復興が終わってしまってるだろうが。
そのほかにも、出せるだけの経済対策を提案してくれ、あとはこれらからそっちでよさそうなのを考えるなり、そこからさらに発展させるなりしてくれということだった。
また、経済だけでなく環境関係にも手を貸してくれた。PM2.5やらなんやらで環境汚染がとんでもなかったが、そこで日本で制定されている環境基本法や大気汚染防止法など、各環境関連の法律内容について簡単に説明してくれ、それを参考にちょっと考えてみてくれということだった。
環境は国民の生活にも大きな影響を及ぼすので、これをうまく生かせば支持率アップにもつながり、さらに今後観光客を呼び寄せる際にも、この環境汚染という観光客が中国旅行を躊躇する一つの障害を取っ払うことで、より第3次産業の発展につながる可能性もあるということだった。
……環境か。これもこれで重要だな。
さらには、そもそもの根幹として民主主義の弱点を理解しておくことも重要だといい、一番は意思決定に時間がかかり、そしてそれまでに大量の費用や手間を使うという点であった。
例えが悪いが、独裁主義国家なら、その国の方針やその次の行動の意思決定にそれほど時間を使わず、行動を即行で起こせる。……尤も、それは上の連中が下の組織をすべて統括で来ていた場合に限られるのだが、それでも民主主義国家よりは迅速に動ける確率は高い。
しかし、民主主義はそうもいかない。民主主義というのは一人一人の声を尊重することであるが、逆を言えば“一つの決定に一々全員の声を聴かないといけない”というとてもめんどくさいことでもある。
これは災害や戦争など緊急を要する事態では致命的であり、今回の戦争も、日本が出遅れた原因の一つとしてこれが挙げられたとも言っていた。
もちろん、このような緊急事態に備えて、最悪日本で言う内閣のメンバーで意思決定をしてしまうなどということも必要になってきており、その関連の法もできつつあるらしいのだが、それの成立までにも時間がかかる。
ましてや、中国は今後国内外で情勢が急激に変化し、それに対応できないといけない。そうでなければ、あの結局空回りに終わった“アラブの春”のようになるとも言っていた。
これは、今までの独裁政治による国民生活・負担の圧迫によって、国民、特に下級階級の国民が政権打倒を謳って政治を転覆させたまではいいのだが、そのあとの後任も中々政治がうまくいかず、結局民主主義にしたところで何ら変わらず結果が見えなかったおかげで、これまた国民の怒りが爆発して、今の政権を打倒させるか、今の民主主義政権を維持するかで二分する事態に発展してしまい、結局アラブの春どころか、まだまだ真冬真っ只中の状態になっているという、ちょっとしたジョーク交じりの解説をしてくれていた。
そして、これはヒトラーの言葉を引用したらしいのだが、彼は民主主義には否定的で、「議会制度(いわゆる議会制民主主義体制)は無責任な政治体制だ」と言っている。
その理由として、もし何らかの政策に不備があった場合それはだれも責任を取らずにただ解散するだけで終わって結局根本的解決にならず、それを次に生かすわけでもない。それよりだったら独裁的にでも支配者にまとめられるほうがましだという内容だった。
彼曰く、後半のほうはちょっと論外として、前半の部分はあながち間違ってはいないとして、確かに何らかの責任問題が起きた場合即行で野党が批判して、そしてそのまま議員解散か内閣総辞職しかなくなり、結局その後任がその問題点をよく見ずに何の教訓にもならないことが多かったという。
これは民主主義の特性上、あくまでその人のやり方次第なのでどうしようもないことで、これに関してはとにかくその政治家一人一人が関心をもって政策にあたるしかないということだった。
アメリカが提唱している政治改革の内容を見る限り、ある程度は日本のものと似ているということで、おそらく政党がまず2つくらい作られて、それぞれ与党・野党として政治を運営していくだろうが、それでも互いにに一つ一つの政治に関心をもってあたる必要があるといった。
これは、先ほど言ったようなことを起こさない点もあるが、何も知らずにただただ自分の思い込みなどで適当にものを言っていたららちが明かないということだった。
彼は例としてオスプレイを挙げた。
日本に今駐屯している海兵隊のMV-22オスプレイ輸送機。あれはティルトローターの次世代輸送機として使われているが、なぜかマスコミや、オスプレイをよく知らない野党議員によって「オスプレイは事故が多い」「騒音がひどい」などという誤った情報をぶちかまされて、MV-22の進出許可や、その後の日本陸軍のオスプレイ導入にも時間がかかったということがあった。
事実問題としては、これらの批判は全くの間違いで、事故はそれほど他と比べても大差なく、彼らの挙げている事故率の高いオスプレイはあくまで空軍仕様の“CV-22”のほうであり、そっちは任務の特性上どうしても事故が多くなってしまうということで、そのほかの騒音についても、うるさいどころかむしろ静かだったりするという点も挙げられた。
もちろん、オスプレイ自体も何らかの欠点がないとも言えないが、それいったら軍民問わずどの飛行機にもあげられるものばかりで、それらの主張がまかり通るならもう今飛んでる飛行機全部飛行停止にしろと言わんばかりのものばかりだったらしい。
その結果、その知識がないことが災いして中々野党の理解が得られず、それが延びに延びて国民にもその疑惑が波及してしまいさらに混迷。
結局、何とか理解を得て導入に至るまでにとんでもない紆余曲折を経ることとなってしまい、民主主義のそもそもの欠点ではあるにしろ、使い方を間違えればこんなことにもなるということを言ってくれていた。
日本でのこういう政治的事情はあまり聞いたことないので私としても結構興味深く聞いていた。
……なるほど、こういうこともあるのか。政治家というものはやはり大変な役職であることをよくよく思い知らされた。
その後も、しばらくの間連日に続いてそのアドバイスを、新澤君を通じて聞いた。また、新澤君自身や、その妹さん、さらにはその彼らと彼女の友人たちにもそれ関連の情報を聞きまわったらしく、それらも提案として出してくれた。
彼らの熱心な協力にはとても感謝をしてもしきれない。
しかも、これもこれで中々面白く、かつ信憑性の高い内容ばかりで、なんで軍人ではなく政治家にならなかったんだと思ったが、それはどうやら私だけではないらしい。
新澤君も妹さんもそのようなことを考えていたらしく、そして当の本人でさえも「軍を退役したらなってみようかな」とか言っていた。
もしなったら、うまくいけば彼とも直接対面できるだろうか? まあ、それでももう少し未来の話だろう。
私はそれらによってもたらされたアドバイスを、彼本人が言ったように“あくまで参考程度にとどめて”まとめ上げ、そこからさらに現在の中国情勢に合わせて独自で改良、ないし付け加えて、それをさらに自分自身の選挙に挑むにあたって掲げる公約として仕上げていった。
それを、今度は簡略にまとめて多さざっぱなものとしてマスコミに発表した。
これはアメリカの政治改革を行うに当たっての提案であり、ほかの立候補者も同様に行っており、これは事前にマスコミを通じて国民に知らせることにより、今回の選挙や政治自体への理解と関心を呼び寄せる狙いがあるのだという。
マスコミは今回の戦争の件で共産党とのつながりを一切断たれ、一般の民間放送局として生まれ変わった。
そのためもあってか、今回の公約報道はとても信憑性が高いものとなり、国民の関心も一気に高まる結果となった。
そしてこの大衆なのだが、その効果は絶大なものだったようだった。
あれから結構な月がたつが、この日のために猛烈な勉強を重ねた。
日本人の友人たちの協力も精一杯得ることができた。
そして、私自身も精一杯の努力をした。
……負けるわけにはいかなかった。
ここで負けたら、それこそ彼らに対する申し分が立たない。
最後に言われたのだ。「選挙当選を見守ってる」と。
……私は、やっとこの場に立つことができる。
ここで、今までの成果を発揮せねばならない。
「……絶対に、勝たなければ」
入り口は狭いが、こじ開けてでも中に入らねばならない。
私は改めて決意を胸にしていると……、
「……あぁ、お疲れ様です」
その演説台から、大きな拍手と歓声を背中で受けつつちょうど降りてきた人とあいさつを交わした。
大体40台当たりの中年男性。
カーキ色のスーツを身にまとい、少し肉体的にいかつい感じの人であった。
そして、顔自体も少しいかつめである。
ちょうど降りてきたばかりの彼も、私に挨拶を返してくれ、さらに少し会話を重ねる流れとなった。
「あぁ、どうも、お疲れ様です。……そうか、次はあなたでしたか」
「ええ。……どうです、手ごたえのほどは」
そういうと彼は「ふふん」と自信満々のようににやけ顔で鼻を高くして胸を張っていった。
「上々ですよ、なんとか。……国民の理解を得るのには一苦労しましたがね」
「おお、それはそれは。……やはり、元政治将校をしていた経験ですか?」
「まあ、これでもこういうことはなれてるのでね。……もともとやっていた仕事柄ね」
そういうと彼は少し遠い目をする。
彼自身、実はこれまでは共産党から南海艦隊に派遣されていた政治将校をしていたらしく、今回の戦争でも駆逐艦『成都』に乗って政治将校として各乗員の監視をしていたらしい。
しかし、今回の戦争の終盤で共産党がやった核恫喝や、それの延長線上でやった強硬策を目の当たりにした彼は共産党に絶望し、戦争後共産党を離党、政治将校の職も降りてそのまま新たな政治家としての道を歩むことにしたようだった。
ちなみに、あの最終決戦である高雄沖海戦でのあの海軍の反乱を起こした発端は彼の旗艦に乗っている政治将校に対する反発的な発言らしい。……あの時は事情がよく分からず流れのままにいたが、そんなこともあったか。
あの後、私は立候補のための準備を進めるうちに彼とも知り合い、ほぼ似たような境遇にあった者同士ということで互いに親交を深めるに至った。年齢的には彼が上なので私が敬語である。
顔はいかついが、笑えば中々いい笑顔である。こんな彼が今まで政治将校をしていたのかと、少々信じられなくもあったのだが、彼曰く「貧しい家計の足しにするため」だったらしい。
……尤も、彼自身共産党万歳なところもあったらしいのだが、今回の一件でそれも潰えたようだった。
そして、そんな彼はその掲げた国民を第一にした現実的な政策から高評価を受け、今では今回の選挙の当選者の筆頭として挙げられており、その人気は先ほどの歓声と万雷の拍手によく表れていた。
そこら辺はやはり元政治将校らしくカリスマ性がある。そこは、私にはないところだった。
そうはいっても、彼自身は元政治将校なので国民の見る目も複雑なものであったはずで、彼自身もさっきの発言を見てもわかる通り少し憂慮していたのだが、もうそれが杞憂だったのではないかと思われるくらいに国民の反応は良かったように見えた。
……私も、政治家を目指すものとしてそこは見習わなければならないだろう。
あの新澤君の兄さんも「政治家なら政治家らしく物事はっきり言えてカリスマがあるやつが一番ウケる」といっていたほどだ。
まさしく、彼のようなことを言っているのだろう。
……今まで政治将校としていたのがもったいないくらいだった。
「この後は燕さんでしたな。演説のほうの準備は?」
「一応は万全ですよ。……あなたみたいにうまくやれるかわかりませんが」
「はは、私もああ見えてガッチガチでしたよ。……練習したときはもう少しうまく言えたんですがね」
「あれでガッチガチですか……」
どっかの日本のロボットアニメに出ていたやつのようなとんでもなく力強くうまい演説だったように思えたのだが、そこは元政治に携わったらしく、まだまだ改良の余地があるということなのだろうか。
……あれでもう十分だろうと思っている私はまだまだということである。
「はは、とにかく、あとはそちらの番ですな」
「ええ。……郭さんに負けないようにせねば」
「あぁ、応援してますよ。一緒に、政治の舞台に上がりましょう。今の燕さんならやれます。なに、私が直々に演説の演習してあげたんですし、十分やれるでしょう」
「はは……、その節はどうも」
そう、今回の演説に当たって、職業柄そこら辺に慣れている彼に演説指導を“願い出ていた”のである。
元より、私は仮にも元空軍の部隊長。人前に出てこうやって自分の意見を言うのはある程度は慣れてるし、元よりそのような立場の人間だった。
しかし、それがこんな何百万人と集まり、かつTVからも中国国内ほぼ全国民から注目されている中ではやったことないのでどうしても不安だった。なので、彼と知り合って彼の元々やっていた職業を聞いた時にダメ元で願い出た結果、なんと快諾してくれたという経緯があった。
もとより、彼自身も今回の選挙に入るにあたり当選したとき何らかの政治的な仲間がほしかったらしい。政策関連で相談等が容易にできるかららしい。
そこらへんはよくわからんが、まあ政治にはとても重要なのだろう。
先ほど新澤君の兄が言っていた“迅速な対応”が問われる場面では、こういう交友関係がその迅速性を上げることもある。
そんなわけで、彼との演説の特訓の末、何とかその演説スキルを得るに至った。
彼自身からも最終的には私の演説のスキルに太鼓判を押してくれた。相当な練習や努力をしたし、今の私なら十分通用するという。
……そんなわけで、そんな経緯を経ての演説舞台本番である。
「……互いい風当たりは厳しいですが、お互いに頑張りましょう。後ろから見守っています。……上りましょう、政治の舞台に」
「ええ、一緒に」
私は彼とお互に自分の決意を示すかのように、お互にそう一言言葉を交わした。
……と、その時だった。
『えー、それでは、お次は、無所属、元中華人民解放空軍軍人の“燕炎彬”さんです。お願いします』
司会から呼ばれた。
途端に演説前に大量に“敷き詰められている”一般大衆から万雷の拍手がとどろく。
まあ、これはある意味演説する人に対する最低限の礼儀である。そのような思いでやっているかはまた別として。
「っと、そろそろ私もいかなければ……、では」
「ええ。では、私もこれで失礼します。演説台から見守ってますよ、あなたの演説を。……では、またお会いしましょう。……どこでない、」
「政治の舞台でね」
「……ええ。待ってます」
お互いにその約束を交わし、彼はそのまま演説台を離れ、私は目の前にある演説台の階段を上がった。
鉄製の階段を上るとき、私は胸が高鳴るのを覚えた。
やはり、体は正直である。緊張しているのだ。
その階段を上るときの鉄製の階段と、今となっては我が国内でもメジャーとなってしまった日本製のスコッチグレインの靴底が当たるときの、カン、カンという音が私の脳内で反復して聞こえていた。
周りの拍手もかき消し、なぜかその音だけが反復していた。
そして短い階段を上り終えると、演説台に立った。
司会から後を任された私は、目の前を一望した。
そこには、あたり一面に敷き詰められたかのごとく隙間なくいる人、人、人。
あたり一面が、人の頭で埋め尽くされていた。
そして、その視線は私を向いている。
いや、人の視線だけではない。
演説台に陣取っていたマスコミのカメラも、私を凝視していた。
そのカメラ越しに、今度は今目の前にいる人以上の人数の国民が見ていることだろう。
そう思うと、やはりまた緊張し鼓動が高鳴った。
しかし、もう後戻りはできない。
ここまで来たら、とことんやるしかなかった。
鳴り響く拍手を右手を軽く上げて制止すると、私は一言、静かにそう言って切り出した。
「……只今、ご紹介に預かりました、燕炎彬です。これから私が話すことは、すべて、自分が実行できるすべての範囲での内容です。……どうか国民の皆さんには、忌憚のない、自分のその本心の心と耳をもって……、」
「……今の政治には何が必要かを、よくお考えになられつつ……、お聞きください」
少なくとも、ここにいた全員が息をのむのがよく見えた。よし、導入はうまく完了したようだ。
そのあとは、自分の公約を、自分の持てる演説の能力すべてを使って、とにかくわかりやすく説明していった。
国民もそれを真剣に聞いていた。それをみると、私はさらにそれにこたえようと熱くなり、ときには身振り手振りを大きく使っての、大げさな演説となって行った。
しかし、私はそれでもかまわない。
とにかく、今は“問いかける”する必要があるのだ。
今の政治に本当に必要なのはいったい何なのか。
今の政治が、今の中国の政治が本当に求めているのは何なのか。
それを、ここにいる国民全員“問いかける”する必要があった。
そして、それには私が必要であると“納得”させる必要もあった。
そのために、私は身振り手振りをつかったりしながらも、
とにかく国民に問いかけつつ、かつ私の必要性を納得させるべく熱気のこもったな演説を展開した……。
正確な時間はわからないが、
その演説は、しばらくの間続いていった。
その間は、国民も真剣に耳を傾けてくれ、
私もそれにこたえようと、熱心に演説を続けていた。
中国、北京。
その晴天の空の下で行われた私の演説は、なんとも熱気のかかるものとなっての上にある、ただただ漂っている白い雲と青空はまるで、
そんな私と、それを熱心に聞いている国民たちを見守るかのようであった。
……その後も、私は、
しばらくの間、目の前の国民の大衆を相手に、
体を使った、時には熱くなる演説を熱心に披露していった…………




