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【7】

 篠山さんが来たらしいと家政婦さんに言われて、宗次さんは玄関まで迎えに行っていた。


 「なぁに、昼からうな重なんて食いよったんか。言ってくれたら、もっとはよ来たのに」 


 障子の向こうから聞き覚えの無い声が聞えたきた。あの声の主が他でもない、篠山紀州さんだろう。うな重モードから、調査モードに戻ったぼくは、また緊張する。そして、そんなぼくに容赦など当然なく障子は開いた。宗次さんと談笑したままなんとなく篠山さんは、テーブルの下座に着いた。どこからともなく現れた家政婦さんが麦茶を置く。


 「どうも。奥さんもお久しゅう。ところで、こっちが社長のお孫さんやったな。こりゃ大きゅうなって」


 ぼくと宗次さんどっちに聞いてるの分からなくて、黙って篠山さんを見ていると、


 「そうそう。こっちが、お孫さんの郁君で、こちらが、その調査を手伝っているシロさんだそうだ」


 シロさんはいつものようにちょこっと頭を下げる。


 「こんにちは。姫森郁です。わざわざ来てくださってありがとうございます」

 「こりゃたまげた。さすが社長のお孫さんや。しっかりしとる。でも、気にせんでええ。幸い暇な老人なもんでな」


 と言うと、篠山さんはカラカラっと笑った。


 「ははぁ、でも、さっき用事って」

 「なんや、剣はん、言ってもうたんか」

 「いや、私はただ用事ってしか」と剣さんが苦笑する。

 「ほうか、まぁあれだ、さっきの用事はこれや、これ」


  そう言いながら、ドアノブを回すような動作をする。どうやら、パチンコの事を言いたいらしかった。


 「今日は珍しく当たってなぁ、席を立つに立てんかったんよ」


 そんなことか、と思いつつも、そのおかげでぼくはうな重を食べられらから、結果オーライ、ってことにしておく。そして、いよいよ本題を切りだす。


 剣さんにしたのとおんなじ説明を篠山さんにも繰り返す。さっきの語り口とは別人になったかのように、篠山さんは真剣に話を聞いてくれた。


 そして、例によってあの写真を篠山さんに手渡す。


 「ほんで、これが話の写真ってわけやな。ええ写真や」

 「それで、この場所について何か知ってたりしませんか? どんな事でも、いいんです」


 うーんと唸る。この表情は、朝賀さんも剣さんも、隣にいるシロさんもした表情だった。また空振りだと直感した。だけど、その直感は間違いだった。


 「ん? んん? この公園前にも写真で見たで。社長と奥さんが一緒に写ってる写真。間違いない、この公園や」


 思わず身を乗り出した。ここまでやって来て、初めて情報らしい情報が得られたのだから無理もなかった。


 「本当ですか? でも、前に見た公園と同じっていう根拠は何なんですか? 似ている公園だっていっぱいあると思うし」


 「根拠なぁ。強いて言えば、この海の景色やな。前見た写真もこんくらいの夕暮れの写真やった。あれは、確か社長が見せてくれはったんよ。そう、ここに住みたいって言うとったわ」


 興奮が収まるのを待って、ゆっくり思考を巡らせる。篠山さんが言っている事が本当なら、この写真の場所はじいちゃんが移り住んだ宮城の地である事はほぼ間違いない。ただ、ここで疑問が一つ浮かぶ。


 「篠山さんが、その写真を見たのってどのくらい前の事ですか」

 「そやなぁ。恐らく10年以上前やったと思うわ」

 「よかったなぁ、郁君。手掛かりが見つかって」


 宗次さんがぼくに笑いかける。


 「はい。お陰さまで調査が前に進みそうです」

 「ほうか、そんならわしも来た甲斐があったわ」


 それは、ぼくにも当てはまる話だった。ここまで来て、何も収穫なしではさすがに辛かった。ただ、こんなにもうまく話が進むと思っていなかった。「棚からぼた餅」ってこういうことかと、国語の時間に必死に説明していた担任の橘先生を思いだした。


 「篠山さんはゆっくりされていけるんでしょう? 久しぶりに集まったんですから。それに、若いお客さんもいることですし、ね」


 おばあさんの最後の「ね」が優しい口調だったものの、有無を言わせない感じで「じゃあ少しだけ」とぼくとシロさんはもう少しだけの滞在を決めた。


 大分ぼくの緊張も解けて、というよりむしろ希望で胸が膨れ上がるぐらいになったところでもい切って最初から気になっていた質問をを投げる。


 「ところで――篠山さんって関西方面出身の方なんですか」

 「ん、わしは福井の出身や。だいぶ前にこっちに来たんだが、どうにも訛りは抜けんくてな」

 「福井、福井。たしか、もんじゅの所ですよね。てっきり大阪とか京都の方かと」

 「そやな。でも、あっちの言葉はもっときっつい訛り方をしよる」


 東京の人たちが「方言かわいいー」って言って「~だべ」とかを使う感じが少しわかったような気がした。東北弁でなまっているぼくですら、関西のなまりには憧れを感じる事もある。ただ、大阪弁=関西弁でみんなが同じなのかと思っていたぼくにとっては、驚きだった。


 篠山さんが増えたことで、ご老人座談会の場は過熱していった。シロさんはさっきよりもさらに饒舌になって、普段の寡黙さはもとからなかったかのようになっていった。ぼくの分からない話しもいっぱいあったけど、おばあさんが言っている老人会の句会ではちゃめちゃな句を読むお爺さんの話は面白かった。バスの時間が迫って来て、ぼくらがそろそろお暇しなくてはいけなくなった頃にはぼくを含めた5人が今朝知り合ったとは思えないほどだった。ま、すでに、剣さん夫妻と篠山さんは知り合いだったけど。そして、気が付くと今日のほとんどをこの剣さんちの和室で過ごしていたことにも気が付いて驚いた。


 「それじゃ、今日は本当にありがとうございました。調査が終わったら、また報告にきます。今度は、突然じゃなくてちゃんと電話してから来ますね」

 「とんでもない。私達も楽しかったよ。調査が終わってからとは言わず、いつでも来てくれてかまわないからね。それに、シロさん、郁君をよろしく頼みますよ」


 宗次さんに、そう言われるとシロさんは「無論です」と「ルパン三世」の次元みたいに帽子をひゅっと上げた。


 篠山さんもぼくらと一緒に剣さんちをお暇してて、バス停までは3人で歩いていった。


 「いやぁ、楽しい一日やったな。おたくらとは今日初めて会ったなんて、嘘みたいや」

 「まったくですな。隣町ですし、また近いうちに集まりましょうかね。今度は老人だけで」


 シロさんはそう言って、ぼくをちらりと見ると笑いだした。篠山さんも一緒になってけらけら笑っていて、釣られてぼくも笑った。こんなに笑ったのはひどく久しぶりだった気がした。剣さんちに行って良かったと心から思った。


 そうこうしているうちに、バスが来て、篠山さんと別れた。乗り方はもうばっちりだった。ぼくは来た時と同じように窓側の席に座った。


 「あんなにしゃべるシロさん初めて見ました」

 「そうか? なんだか、あそこにいたらついな。郁だって案外しゃべってたじゃないか」


 悪戯っぽくシロさんが笑う。ぼくも知らず知らずのうちにお喋りになってたんだ。「チョールト!」ああいうのを「場の力」って言うのかもしれない。剣家の和室とうな重恐るべし。


 「ところで、これからどうするんだ」

 「とりあえずは、家を調べてみようと思ってるんです。篠山さんが見たって言う写真がまだあるかもしれないので。なにせ、うちにじいちゃんの写真がいっぱいあるんで」

 「そうか。それと、従業員はもう一人いたよな。そこには行かんのか」


 そうだった! 今日の収穫のせいで、ド忘れしていたけど従業員リストに手書きで書かれた久米氏くめしさんが残っていた。


 「えっと、久米氏さんのとこはもちろん行きます。でも、まだ詳しくは住所とかを調べてないんで調べたら日程を伝えますね」

 「心得た」


 行きより帰りの方が、早く着いたような錯覚に襲われながら夕暮れでオレンジ色に染まったベジブルの前でバスを降りる。


 「それじゃ、ぼく買い物してから帰るんで。今日はありがとうございました」


 ぼくはありったけのお辞儀をする。事実、シロさんなしでは今日の収穫は無かった。


 「うむ。じゃあな」


 と言って、別れかけたその時、


 「そうだ、今朝も聞いた『理由』だが、どうだ。剣さんの家に行って、話を聞いて、何か見つかったか」


 また、「理由」。ぼくでさえ分からないのに、ここまでこだわるシロさんがだんだん意地悪に見えてきた。お腹の中で何かが沸点に達しかけていた。


 「シロさんはどうしてここまで『理由』にこだわるんですか? ぼくだって分からなくてどうしようもなくて、ただじいちゃんはここを探さないとどんどん遠くなっていく気がするし、お腹の下のほうで何かがぐるぐるになっていつ爆発しちゃうか分からなくて、早くこんな気持ちから抜け出したい――」


 (今日はこんなはずじゃなかったのに)


 「でもあの地震からもう3年も経つのに、まだ小さく揺れただけで自分の手を握っていないといてもたってもいられなくなるし、川が波打つのを見るだけで気持ち悪くなることだってしょっちゅうある。夜中に目が覚めた時なんてお母さんの心臓がちゃんと動いていて、息をしているか確かめに行かないと、気が気じゃなくてまた寝ることができない。それに写真の場所にじいちゃんがもう死んだことぐらい、空っぽの葬式をやった時からもうずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずーっと分かってたよ。そんなことぼくだって分かってた」


 (何言ってんだろう)


 「それでも、まだ、もしかしたらって思いこませて、ぼく自身を騙して、騙して、騙してやっとここまでやってきてたのに『理由、理由』ってあんまりです。じいちゃんとの距離をそのままにするために探してるのに、『理由』を見つけらじいちゃんがもういないことを認めなきゃいけなくなって、じいちゃんはどんどん遠くなって何の意味もなくなっちゃうんだよ」


 沈黙、いや、ぼくが肩を震わせてわなわな泣く声だけがシロさんとの間に流れる。涙でぐしゃぐしゃになりながらシロさんの顔を見上げると、シロさんは目を丸くしてぼくを見ていた。そして、一文字に結んでいた口を開く。


 「すまなかった。わしは、郁を分かっていたつもりで、何にも分かってやれてなかったみたいだ。ただな、」


 一瞬の沈黙。


 「ただ、理由が無いと、くじけそうになった時に堪えられないと思ったから、わしは聞き続けていたんだ。この調査で、いつになっても手掛かりが見つからなくて絶望した時、それでも郁に倒れて欲しくはなかったから」


 そして、もう一度「すまん」と言って、ぼくが言葉を返す前にシロさんは去っていった。夕焼けの中にシロさんが消えていった。


 ぼくはTシャツで涙を乱暴に拭ってベジブルに入る。いつもの賑わい、買い物かごを手に取ったたとん、現実に戻ってきたような気がした。それだけ今日は色んな事があったということだった。


 お母さんの丸文字に従って、レタスと豚肉をかごに入れると、レジに向かう。無意識に朝賀さんの所に向かってしまう。涙目は少し腫れが収まっていたと思う。


 「あら、今日はバスでどこにお出かけだったの」


 開口一番に飛んできたその言葉には、さすがにたじろいだ。


 「どうして知ってるんですか」


 思わず小声になる。


 「朝、店の横でゴミ出ししてたら、お二人さんがバスに乗って行くところが見えてね」


 (まずい)


 「でも、朝賀さんって夕方からのお仕事じゃなかったんですか」


 上手く話を逸らしたいぼくの、起死回生の一手。


 「そう、そうなのよ! あんまり大きい声じゃ言えないんだけどさ、いつもいるパートの人が今日に限って休みで開店からかり出されたわけ。こっちは、息子と旦那のお弁当も作らなきゃいけないってのに朝から大忙しよ、もう」


 どうやら、うまく軌道を逸らして、直撃は避けられた。「590円ね」っていつも調子で朝賀さんに言われると、お金を払ってそそくさと店を後にした。


 家につくと、玄関のライトが付いていた。もうお母さんは帰ってきているみたい。しぜんと、少し早足になる。


 「ただいまー」


 出来るだけ明るい声に聞こえるように努力する。リビングから、「お帰りー」ってお母さんの声が飛んでくる。この感じが、たまらなく好きなのはここだけの秘密。


 リビングに入ると、お母さんがソファで夕方のニュースを見ていた。幼稚園児の交通安全教室が開かれたようだった。


 「買い物ありがと。あら、ずいぶん完全装備で出かけたんじゃないの」


 思いもよらない言葉にはっとして、自分を見ると、船の絵が描いてある黄緑色のTシャツに七分丈のジーンズ。ここまでは普通だ。ただ、その上に、じいちゃんのカメラ、お手製の巨大コンパス、そしてぎゅうぎゅうに膨らんだリュック。高原にハイキングに行くより重装備だった。


 「まぁね。備えあれば憂いなしだからさ」

 「郁って形から入るタイプだったっけ。お父さんにそっくり。昔っからお父さんも、何かするときは絶対見た目からはいる人なんだから」


 そう言うと、お母さんはぼくの頭を撫でながら「今日もありがと」と言ってベジブルの袋を受け取って台所へ行く。すると台所から、「手洗いうがいねー」と声が飛んできた。


 言われた通り、洗面所で済ませると、台所へ向かう。


 「ねぇ、じいちゃんの写真って、プレハブの中にあったよね」

 「ん、じいちゃんの? うーん、多分あったと思うけどなぁ。何かで使うの」

 「いや、ちょっと見たいなぁって思って」

 「そう。探すなら気をつけなさいよ。ちょっと暗くなってきてるから。懐中電灯の場所分かる?」

 「うん。大丈夫。探してみるよ」


 プレハブの中が妖しいと睨んでいたけど、これはどうやら見つけられそうだ。


 「あ、あとさ、10年かもっと前に、じいちゃんとばあちゃんって宮城に旅行に行ったことあった」


 一瞬の沈黙。


 「あぁ、あった、あった。旅行っていうか、ばあちゃんの実家が仙台の方で確かそのへんに行ったはず」

 「そっか。ありがとう」


 点と点が線になっていく感覚。やっと、どこかに辿り着けるような気がしてきた。まずは、そのためにもプレハブの捜索を始める。プレハブのある庭に出ようとした時、電話が鳴ったから引き返そうとしたら「出るから大丈夫―」っていう声とスリッパの足音がしたからそのままプレハブに向かった。


 懐中電灯で室内を照らす。前に社員名簿を探しに来た時とおんなじように中はほこりっぽくて、その中に少しじいちゃんの匂いがした、様な気がした。


 会社関係と、私物にはある程度分けてあるから、この前とは違う山を捜索していく。どのダンボールを開けても、だいたい難しい本が入っている。一人暮らし先には多過ぎるって言って、殆ど自分の愛蔵書たちを置いて行ったんだっけ。


 4つ目の段ボールを開けたところで、古いアルバムらしきものが出てきた。上気する胸を落ち着かせながら、ページをめくっていく。どのページをめくってもばあちゃんが映っていた。ばあちゃんになる前のばあちゃん、ぼくが知らないばあちゃん、どれも幸せそうな笑顔。一人で写っているところを見ると、カメラマンはじいちゃんだろう。ただ、いくらページをめくっても、篠山さんが見たという例の公園らしき所が映った写真は現れない。


 段ボールから出したアルバムがどんどん山になっていく。6冊目のアルバムも、空振りらしい。そして、次のアルバムに手を伸ばそうとしたときだった。


 「郁、ご飯出来たよー」


 なんてタイミング。でも、ご飯が出来たからには一旦中断をせざるを得ない。調査は明日に持ち越しと言いうことで、普段は誰も入る事はないだろうからアルバムたちはそのままにしてプレハブを後にした。


 テーブルにはもう冷しゃぶが並んでいた。お母さんはご飯をよそっている。


 「ね、今日の冷しゃぶかなりうまくいったと思うの。食べて食べて」


 ときどきお母さんはこんな感じではしゃいだ感じになる。ぼくが好きなお母さんの一面ベスト3で第2位のお母さんだ。ちなみに、第3位は朝のくしゃくしゃの頭のまま朝ご飯を作るお母さん。お父さんが、お母さんと結婚したくなったのが分かる様な気がする。


 「ん、うまー。ちゃんと冷しゃぶだ」

 「なにそれ。いつものは冷しゃぶじゃないみたいじゃん。それに、意外にお肉のゆで加減とか大変なのよ」

 「じゃあ、いつもより冷しゃぶ」

 「あんまり変わってないって、それ」


 「うっ」ってぼくが言葉に詰まったところで、お母さんは「ふふっ」って笑った。このお母さんが第一位だったりする。


 「ところで、宿題はやってるの」

 「うん。夏友は少しやった。あと、自由工作も終わったよ」

 「いいペースじゃない。今年もさっさと終わらせちゃうんでしょ」

 「予定ではね」

 「ま、郁なら宿題について心配ないか。雄くんのお母さんと今日病院で話したんだけど、今年も相変わらず宿題には一切手をつけてないのって」


 雄くんってのは、緑川雄っていって、幼稚園からの幼馴染で今は違うけど、四年生までおんなじクラスだった。で、お母さん同士が同じ病院で働いている。元々は、お母さん同士が仲良かったみたいだ。


 「雄はちゃんと宿題やってきた方が少ないからね」

 「郁の爪の垢を煎じて飲ませたいって言ってたよ。雄くんにちょっとあげたらいいんじゃない? 減るもんじゃないし」

 「そこが雄のいいところだからいーの」

 「それもそっか。らしさって大事よね。ん、あれ、そろそろじゃないの、お父さんと」


 (チョールト!)


 すっかり、時間を忘れていた。時計はもう8時を指そうとしていた。味噌汁をかき込んで、パソコンの電源を入れる。急いでいる時に限って、起動の時間は遅く感じられる。なんとかならないものだろうか。お母さんと明日の天気について少し話したところで、起動が完了した。


 ピロロンと電子音が鳴る。お父さんだ。


 案の定、画面には「おとうさんさんから新着メッセージ一件」とある。お父さんさんってのは「おとうさん」っていう名前で登録をしたら、「さん」が余計についちゃったってわけだ。


 メッセージを開くと、「よう」の2文字。いかにもお父さんらしい。とりあえず、準備は整ってるみたいだから、早速ビデオ通話で発信をする。


 一瞬の暗転の後、画面にはスウェット姿のお父さんが映し出される。


 「よお」


 お父さんがまた言う。


 「ごめん、遅くなっちゃった」

 「ん、大丈夫。だいたいオンタイムだ。ご飯は食べたのか」

 どうやら今日のお父さんはもう一杯やった様子だった。顔が少し赤くなっている。弱いくせに飲むのがお父さん。

 「ご飯は今終わったところ」

 「ほうかほうか。お父さんは、お母さんの肉じゃが久しぶりに食べたいな」

 「送ってもらったら? ねーお母さん、お父さんが肉じゃが食べたいって」


 「あら、今度送らなきゃね」って洗い物をしながらお母さんが答えると、お父さんがニヤニヤしていた。


 「今日は何してたんだ? 結構熱かったし家にこもって宿題か」

 「ううん、今日はちょっと出かけてた。でも、結局室内だったから変わりないけどね」

 「ま、外に出ることはいいことだ。家にこもりっきりになったら、人間終わりだ。外に出てナンボだからな」

 「ぼくもそう思う。で、今日はお話しできそう? 結構酔ってるでしょ」

 「なぁに、この位大したことない。息子の為ならいくらでもする」


 って自分で言ったくせに、5分後にはお父さんはパソコンに突っ伏していびきを書き始めた。どうやら一杯どころではなかったみたいだ。お父さんの居眠りがぼくに実況中継されることになったわけだ。前にもあった事だから、解決策は知っている。家の電話から、お父さんの携帯に電話を掛ける。3コール目ぐらいしたところで、画面の向こうのお父さんがとび起きた。お父さんが電話に出て、パソコン画面と受話器でお父さんの声が追いかけっこした。


 「本当に大丈夫?」

 「んぁぁ、すまん。ちょっと待ってくれ、顔洗ってくる」


 宣言通り「ちょっと」したらお父さんは画面に戻ってきた。


 「よし、もう大丈夫だ。今日は何の話にしようか」

 「うん。そうだなぁ、なんかオススメはある」

 「そうだなぁ、頭の体操になる様なやつにしようか。お父さんも寝ぼけてたし」

 「おっけい。じゃあそれをお願い」


 お父さんはいつの間にかお茶っぽい何かを飲んでいた。


 「ミステリー系の話な。要は犯人当てだ。今回は犯人当てがメインだから動機は気にしなくていいからな」

 「どんとこいだよ」

 「よし、まず舞台は……どうしよっかな」

 「ぼくが決めてもいい」

 「お、それは面白くなりそうだな」

 「じゃあ舞台はバスの中。路線バスね」

 今日乗ったばかりだから、思いついたけど、意外とお父さんにうけてよかった。

 「なかなか乙だなぁ。じゃあ登場人物は5、6人ぐらいがいいかな。まずは、初老の運転手だろ。あとは――」

 「ぼくぐらいの男子と、おばあさん!」

 「よし、じゃあ、あとはお父さんぐらいのサラリーマン風のおじさんとお母さんぐらいの女の人だ」

 「お父さんはもうおじさんなの」

 「ま、その話は、置いておこうか、な」

 「おっけい」

 「よし、始めるぞ。この路線バスは、だいぶ田舎のバスでな。山が多いこの地域ではよある集落と集落を繋ぐ山越え専用のバスだった。まぁ、この日も山道を走ってたんだな。ところが、山ん中も良いところにガス欠でストップしてしまった。山道は案外ガソリンを喰うもんでな」

 「立ち往生だね。携帯で助けとか呼べないの『ガソリン持ってきて』ってさ」

 「残念ながら、圏外でな。日も大分暮れてきて、下手に山道を下るのも危ない。幸い季節は夏だったから、みんなはバスの中で一泊する事に決めた。食料は偶然にもおばあさんが買い物の帰りでたんまりあったからね。看護学校を卒業していたおばさんのおかげで、いざというときの応急処置に関しても問題は無かった」

 「まさに不幸中の幸いってわけだ」

 「そうだな。日が暮れると、明かりなんて無いから早めに食料を皆で分け合って、暗くなった頃に安全のために、ドアは手動でロックを掛けて早めに寝ることにした。ストレスがあったし、みんなあっという間に眠りについた。ところが」

「ところが?」

「男の子だけはなかなか寝付けなかったんだ。運転手さんが、夜中までエンジンとかそのへんを点検しているみたいで、その物音も気になったし、そもそもバスの中だから無理も無いよな。皆が続々と眠りにつく中、一人もぞもぞしていたわけだ。運転手も車内に戻って来て、前方の方の客席で眠り始めて、そんな彼もいつのまにか寝てしまった」


 誰とも知らない人同士でバスの中で一泊なんて、地震の時の避難所みたい。寝た気なんてしないんだろうな。


 「ここまでではガス欠しか起きてないよね」

 「そうだな。ただ事件は明け方になって発覚する。なかなか寝付けなかったとはいえども、いつもよりは早く寝たせいで、男の子はかなり早めに目が覚めてしまった。おばあさんが昨日に限って『バスに乗ろう』なんて言い出さなければこんな事も無かったのにと思いながらねむい目をこすったんだな。まだ、陽が昇るか昇らないかの時間。車内には皆の寝息が聞こえ。ただ、一つだけおかしい音が混ざっていた。『うっ、うっ』って感じで、いかにも息も絶え絶えといった様子だった」


 もう、どうしてこういう物の第一発見者はたいてい弱い立場の人なんだろう。


 「隣で寝ているおばあさんを起こさないように車内を見て回る。近くで寝ていた女性はは何事も無いようにシートに横になっている。うめき声はもっと前の席からだった」

 「あの、おじさんだ!」

 「そう。まさかと思って、男の子は驚きつつも駆け寄ると何かに滑っておもいっきり転んだ。お尻に伝わる生温かい感覚。まぁ、血だな。座席からはあのおじさんがだらんと頭を垂れていた。でも何より驚いたのはその状態だった。座席に横になったおじさんの首もとから血が流れ出ていた。ただ、傷跡らしいものは固まった血で全く分からない。そして、お腹にはナイフが一本深々と刺さっていた。不思議と真っ白なワイシャツに血の跡はほんとんど無かった。男の子は必死に目をぎょろぎょろさせながらおじさんが伝えようとする何かを汲み取ろうとした」

 「うえぇ殺人の話かぁ」

 「ん、やっぱり嫌だったか? やめてもいいぞ」


 ここで意地を張るのがお父さん譲りの負けず嫌いなぼくの癖。


 「大丈夫。続けて」

 「よし。おじさんは、必死にドアのほうを顎で指していた。そっちに目をやると、ドアは開けられていた。となると、もしかしてと思った男の子は運転席に確認しに行く。でも、運転手さんは何事も無かったかのようにそこで眠っている。ただ、ドアのロックに使う部分のレバーだけが血まみれになっていた」

 「ドアが開いてるのに乗客の数が変わって無いってことは、外部犯だよね」

 「そう考えるのが普通。と言いたいところだが、残念」


 あっ、と気が付いた時にはお父さんがもう答えを言ってしまっていた。


 「気が付いたか。そう、ロックは内側からしか開けられないからだ」

 「じゃあなんで犯人は、最後にドアをわざわざ開けたんだろう」

 「さて、そこは郁の推理のしどころだな」

 「えー後ヒントは無し?」

 「ま、話はもう少し続きがある。男の子はその後おじさんのもとに戻ったが、もう息はしていなかった。半泣きになりながらみんなを起こして、今自分の身に起きた事を説明する。もちろん車内は騒然とした。転がり落ちるようにみんなバスの外に出たわけだ。幸い残りの乗客は無傷だった」

 「とりあえず、『助けを呼びに行きましょう』って最初に言い出したのは運転手だった。まぁ、バス会社としては当然の話だよな。ただ、『外部犯の可能性もあるし、下手に一人で動くのは危ないって』っていう話も出たんだ」

 「どっちの意見も一理あるよね。ただ、男の子はこの中に犯人がいる気がしてならなかった。理由は行きずりの犯人がわざわざバスに入って来て人を殺すようなことするとは思えなかったからだ」

 「行きずりって」

 「偶然通りがかったってこと」

 「なら、ぼくもそれに賛成だ」

 「じゃあ、誰がおじさんを殺したかだよな。ちなみに、殺されたおじさんは免許からバスの出発点の集落の出身だった事が分かった」


 可能性があるのは、男の子以外の3人。ただ、おばあさんが関係しているとは考えにくい。


 「消去法的に考えたら、運転手かおばさんが犯人だね。おばあさんには荷が重すぎるよ。ただ、おじさんの最後の仕草もあるし、外部犯の可能性も捨てきれない、かな」

 「なるほど、郁はそう考えたか。話に戻ると、一同は話し合いの末、結局乗客は皆で固まって下山して警察に通報することになった。ただ、警察すぐに乗客の中に犯人がいると『断定』して捜査を進めた。理由は、ドアロックの事もあったし、バスのすぐ横の草むらから発見されたカテーテル。これは、バスにあった救急箱の中身だった。それらを加味すると、犯人は非力な女性である可能性が高かったからだ。バスは女ばっかりだっからな」

 「カテーテルって?」

 「まぁ、管みたいなもんだ。あの、点滴するときに使うみたいなやつだ」

 「なるほど。でも、このままじゃ、まだ誰がっていう根拠がまだ無いよ」

 「そうかぁ、もう1つ目の大きなヒント入ってあるんだけどなぁ」


 大分フェアじゃなくなってきた感を感じながらもぼくは思考を巡らせる。お父さんの話にはどこかに必ず「穴」があるはず。そこが正解への入り口のはずだ。


 「ううん、乗り合わせた人たちの証言とかは無いの」

 「よし、これはだいぶヒントっぽくなるぞ。まず、おばさんは朝、男の子が運転席の方で立てた物音に気が付いて目を覚ましたそうだ。もちろん、ドアのロックを解除した覚えはないそうだ。あと時間までは曖昧だけど、夜中に目が覚めた時男の人は生きてたと思うって証言した。理由は、いびきがすごかったからって。事実おばあさんもおじさんのいびきについては証言していた。これは、運転手の証言と一致している。そして、男の子は見たまんまを証言した。でも、これらの証言を聞いた男の子は犯人が分かったんだ。さて、郁は分かるかな。想像力を働かせるんだぞ」


 話はここで終わりみたい。ぼくはさながら探偵になった様に顎に手を添えて物思いに耽る。お父さんの話をはじめの方から頭の中で反芻していく。考えれば考えるほど、穴の無い完璧な話のように思えて仕方がない。


 「だめだぁ。全然思いつかないや。ただ、運転手が一番怪しいかな」

 「ほう、理由は?」

 「一番力があるのは運転手だもの。おばあさんとか女の人が殺したとは思えないよ」


 画面の向こうでお父さんがにやりと笑う。


 「お父さんは運転手が男だなんていつ言ったっけ。『初老の運転手』ってしか言ってないはずなんだけどなぁ」


 お腹の下の方にじわじわくるようなモヤモヤ。何かがほどけて見えそうになって、また遠くの方へ行った。


 「そんなぁ、ずるいって。じゃあ運転手もおばさん?」

 「そろそろ、ネタばらしするとするか。まず、運転手はそう、おばさんだ。『運転手のおばさん』ってわけだ。ちなみに、郁はいつから女の人をおばさんだと思い込み始めたんだ? お父さんは『女の人』ってしか言ってないんだけどなぁ。つまり、女の人は一切言葉を発していない。まぁ、男の子の近くで寝てたぐらいかな。郁が、お母さんをおばさんって思っているから、女の人がおばさんに見えたのかもな」


 また、お父さんがふふっと笑う。


 「いやっ、お母さんはおばさんじゃないって」


 少し焦り気味に否定すると、「誰がおばさんだって―」とお母さんが意地悪そうに笑った。


 「んもー。えっと、おばさんは運転手で、証言もしていて……。もうだめ! ギブアップだよ。やっぱり、もう最初の方は思い出せないなー」


 いくら負けず嫌いでもさすがにお手上げだ。お父さんには到底追いつけそうにもない。


 「なぁんだ、じゃあ正解はこうだ。まず、犯人は運転手のおばさん。根拠としては、第一に寝ていた場所だ。初めは運転手は客席で寝たと言ったのに、事件の朝になってみると運転手は運転席で寝ていた。その事に気が付けたのは最後に寝た男の子だけなんだ。運転手より早く寝てしまった他の乗客はそれを証言できなくて当然だ」


 確かに。注意深く聞いていたはずなのに、もうこんなところに「穴」があったとは。


 「えっと、じゃあ証言したおばさんってのは運転手ってこと」

 「その通り。おばあさんがそれを裏付ける証言をしたよな。それで、運転手(=おばさん)の証言の裏付けになるわけだ。ただ、この証言はひっかけで重要なのはその前。運転手が男の子が起き出した物音に気が付いていたということ。普通前方で寝ていて、子供一人起き出したくらいの物音で目覚めてしまうというのもなかなか非現実的だ。つまち、運転手は起きてたんだ。まさに犯行の真っ最中だった。ナイフで刺した後、ドアを開けて、例のカテーテルを処分したところで、彼が起きた。焦った運転手はとっさに運転席で寝た振りを決め込む。血の付いたレバーはそのままに、ハンカチとかで血を拭って替えの運転手用の手袋をしてしまえば一見しただけで気が付かれるることはまず無いよな」

 「たしかに。でも、帰り血はあったんじゃないの? ナイフ刺したんだし」

 「そこで、カテーテルと看護学校卒業が噛んでくるんだよ。看護学校を卒業していたおばさんはもちろん運転手のおばさんだから、血の抜きかたを知っていても不思議はない。足元に広がっていた血は、刺し傷からではなく、首の動脈から外部への血の流れを作った結果だったんだ。血を全部抜くのはある程度設備が無いと不可能だけど、大量出血を避けるための血圧を下げることぐらいは可能だ。こうして、運転手は返り血を殆ど浴びる事なく、失血により体の自由が利かなくなったおじさんを悠々と刺したわけだ」


 我が父親ながら圧巻。と言った感じだった。まぁ、このセリフは前に読んだ本から貰ったんだけど、まさにこの通り。伏線を全部回収したところで完全に納得させられちゃったから、もうぼくの完敗だ。


 「と言うことは、最後に客席で寝たふりをすれば完全犯罪だったわけだ」

 「んまぁ、その場しのぎかもしれないけどそう言うことだな。血の抜けるスピードが予想以上に遅かったってのが犯人の最大のミスだな。それで、男の子が起きちゃったわけだし」


 そこまでの計算をむしろ頭の中だけで、しかも即興でしたお父さんの方がむしろ怖いわ。と突っ込みたくなる。


 「今までで一番難しい話だったかも。さすがに分かりっこないよ」

 「そうか? まぁ、郁も最初に比べたら大人になったからそれなりに難易度上げようと思ってな」


 こう言われてしまうと、正解にこそたどりつけなかったものの、お父さんに少し認められた事の嬉しさが悔しさに勝ってしまう。


 「どーれ、今日はこの辺で終わろうか。だいぶ長話になったな」

 「うん。すっごく頭使ったわ。絶対明日の分まで使った」

 「じゃあ明日は、ぼーっと一日を過ごすしかないな」

 「明日は明後日の分を使うよ。じゃあ、仕事頑張ってね。おやすみなさい」


 おう、と言うと画面からお父さんの顔が消えた。ログイン状態は、オフラインになる。じいちゃんもオフラインのまま。

 シロさんの事が気になったけど、ぼくにはどうしようもなくなっちゃったから、今日はいつもよりベッドの中で強く目をつぶって寝た。


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