【6】
ぼくは真っ暗でジメジメした洞窟を1人で進んでいる。その奥に間違いなくじいちゃんがいるって確信して。手元のランタンの炎が頼りなく揺れている。足音は無駄に大きく聞こえる。そっとポケットに手を忍び込ませてちゃんとナイフがあるのを確認して、萎れかけていた何かを奮い立たせた。どんなに怖くても、歩みは止めない。というよりも、足がぼくの意志とは離れて勝手に動く。最後の曲がり角はもう目の前まで迫っていた。壁に映るのは揺れ動く自分の影。足は止まらない。角は目前。そして、左折。
すると、曲がった先を見る渡す間もなく、ぼくの口が後ろから大きな誰の手に押さえられた。驚いて、目を見開いたのは、夢のぼくか、ベッドに寝ていたぼくだったのか。どちらにせよ、お父さんのおかげで遅刻は防げた。枕元の時計は七時半を指していた。
シロさんとの約束は9時35分にベジブル横を発車するバスだ。ただ、剣さんの家の場所の最終確認だけはしておきたかった。バス停で降りて、そのままシロさんと二人で迷子だけは避けたかった。きっと、気まずいことこの上ない。
「おはよー」
階段を下りたところで、台所からお母さんの声が飛んできた。
「おはよう」
カウンターテーブルから覗くお母さんの顔はまだ、準備前だ。とはいっても、自分のお母さんなだから、すっぴんでもきれいとかいうのは少し気恥ずかしいんだけど、まさにその通りだ。ということは、化粧をするともっときれいになるってことだ。とても30代後半には見えない。授業参観とかで、お母さんが来るとぼくはすごく得意な気分になる。
「休みなのに早いね。朝ご飯一緒に食べちゃう? それとも、おにぎりでも握っておこうか?」
「今日はちょっと用事がね。ご飯は一緒でいいよ」
「じゃあ、ちょっと待ってて。もうすぐでできるから」
「はーい」って言うつもりが、「はー」で欠伸が出て結局言葉にならずにこもった音が口から洩れた。
何気なくついているテレビには「おはようジャパン」の土曜日版が流れていた。今日もものすごく暑くなるみたいだ。外に出る予定がある日に限ってこれだから参ったもんだ。
「さて、朝ご飯できたっと」
お母さんが、ご飯とおかずそして味噌汁をのっけたお盆を持ってテーブルに着いた。いい感じにこげ目の着いたソーセージに目玉焼き、あとはキュウリとトマト、レタスのサラダ。夏の朝ご飯って感じだ。とはいえども、姫森家でこのタイプの朝ご飯は季節に関係なく出る。さすがに冬になると、キュウリとかトマトの回数は減るけれど。
「いただきまーす」
示し合わせたわけじゃないけど、自然とお母さんと声が重なる。お父さんが単身赴任になってから、気が付いたらぼくらの朝は大抵こう始まる習慣になっていた。
「今日はどこまで行くの? 1人であんまり遠くに行った駄目だからね」
「まぁこのへんだよ。1人で遠くにはいかないって。約束するよ」
「このへん」は嘘。でも、シロさんと一緒だから「1人じゃない」は本当。
「ならよし。お母さんは、5時過ぎぐらいには帰ってくるけど、郁が今日ベジブルいけないならお母さん行くけどどうする?」
「んー、ぼくが行くよ。間に合うように帰ってくるから大丈夫」
「じゃあ、郁に任せた。今日は冷しゃぶの予定だから、豚肉とレタスが欲しいかな。後から冷蔵庫見て、欲しい物のメモとお金を一緒にカウンターの所において置くから。郁が先に帰ってきたら、それでよろしくね」
「はーい」
となると、四時台のバスで帰ってこないと間に合わなくなっちゃう事になる。でも、シロさんとならうまくやれる気がする。年が近いシロさんが一緒なら、剣さんもきっと協力してくれるはずだし。
「よし。じゃあお母さんは、これ片付けたら病院行くね」
「おっけい」
お母さんは予告通りメモとお金を置いて、病院に出かけて行った。作戦開始だ。まずは部屋で、パジャマから一気に着替えて調査リュックとカメラ、昨日作った方位磁針を持って、リビングのパソコンの前に陣取る。パソコンは上に行く直前に起動させておいたから、もう使える。
グーグルマップを開いて。剣さんの住所を入力する。最寄りのバス停の場所は覚えていたから、プリントアウトした地図に赤いマジックで剣さんちとバス停を道に沿って結んだ。これで、迷う心配は無くなった。バス停からどの位掛かるかは行くときに計っていけば、帰りの時間をあんまり気にしないで剣さんから話を聞ける。
起きてからここまで約1時間。今日の遠征の準備は整った。シロさんとの約束までは後1時間はあるから、おもむろに調査ノートをめくる。1ページ目にはあの写真がはさんでって、次のページには姫森金属の従業員だった人たちの名前と住所、そしてぼくの市と隣の市が載っている地図。この地図には、これから行く剣さんの家も含めて、いろいろな書き込みがしてある。もちろんぼくの家も、通っている小学校だってマークしてある。
朝賀さんのページには、職業と年齢、子どもが2人いるとか、聞けた事は全てメモしてある。あと、ぼくのへたっぴな絵で似顔絵も描いてある。だいぶ力作のつもりだったけど、描いたあとベジブルに行って顔を見たら全然違っていた。
あと、これは異例の事態だったから、一番後ろのページにシロさんについても書いてある。ただ、いまさら本名は聞きにくいし、前の仕事だってってぼやかされたままだから謎が多い。知っている事といえば、ベジブルの常連ってことと、あの公園を毎朝散歩していることぐらい。それと、もしかしたら元刑事かもしれないってことぐらい。似顔絵は本物より怖い顔になっちゃったから、シロさんには絶対見せられない。
こうしてみると、調査を始めてから一向にじいちゃんに近付けていない。今まで考えた事も無かったけど、急に不安になってきた。むしろ、可能性を1つずつ消していく事がじいちゃんから遠ざかっていくことのような気さえする。でも、一番最悪の事態は想像しないようにする。そうしないと、ぼくはこの調査を続けられる気がしないからだ。シロさんまで巻き込んじゃったし、もう引くに引けない。
ノートをリュックにしまって、付けっぱなしのパソコンでなんとなくとーかぶるを起動してみる。お父さんは当然オフライン。じいちゃんもやっぱりオフラインだった。もし、ここで、じいちゃんがオンラインになれば、すぐに通話ボタンを押して、ウェブカメラであの写真を見せてどこだか聞きだせるのに。
じいちゃんととーかぶるで話してた頃の事はもう3年も前の事なのによく思い出せる。
はじめは、じいちゃんの一人暮らしを心配したお父さんが、毎日連絡を取りたいって言ってじいちゃんの家にとーかぶるをセットした。安否確認みたいに毎日毎日電話をしていたんだけど、いつの間にかそれはぼくとじいちゃんの日課になっていった。実を言うと、お父さんが毎回してくれるのあのお話は、じいちゃんがぼくにしてくれていたのが始まりだった。その日あった事を話す日もあれば、地元の昔話とか、じいちゃんが昔言った東南アジアの国の話とか、その2日前に話してくれた話と同じ話をする日もあった。でも、ぼくはあのゆったりとした話し方が何より好きだった。
画面が消えるその時まで、じいちゃんがログインしてこないかを見届けてパソコンの電源を落とす。時計は9時20分を指している。急いで家の中の戸締りを確認して、お母さんのメモとお金を財布に入れて、家を出る。バス停には約束の5分前に着いた。シロさんはもうバス停のベンチで本を読んで待っていた。写真を見た時とおんなじメガネを掛けていた。ただ、背広なんて羽織っていかにもよそ行きって感じだった。ぼくが近づくと、メガネを外してぼくを見上げた。
「きたか」
「おはようございます。もしかして、すごく待ちました?」
「なんてこない。わしが早く着いてしまっただけだからな」
「よかった。今日はよろしくお願いします」
「うむ」って頷いて、シロさんはぼくの足元から頭のてっぺんまでをじろじろ見ていた。少し気恥ずかしくなったから、シロさんの隣に座った。これはこれで少し恥ずかしかった。
「ところで、少し前に聞いた『理由』は見つかったか? あの写真の場所を見つけたい『理由』は」
このタイミングとは予想もしていなかったから、正直面食らった。ただ、それについては今朝も考えていたことだったし思った事をそのまま話すことにした。
「いや……。まだ、これが理由だって言えるものが分からなくて。でも、見つけたいんです」
「そうか。まぁ、よく考えるんだな」
シロさんは、正解ともハズレとも言わない。納得してくれたのかも分からなかったけど、次の話題に移る間もなくバスが来た。ただ、ぼくはどうしれシロさんがここまで「理由」にこだわるのかが分からなかった。どちらからともなく、ぼくらは立ち上がる。目の前にバスが止まって、プシューって音と共にドアが開く。乗車券を取って、乗り込むと、前から2番目の二人掛けの席に座る。シロさんはおじいさん特有の、少し病院みたいな匂いがした。夏休み中とはいえども、平日の朝のバスは空いていた。というよりも、車内には運転手さんとぼくらの三人しか乗っていない。ぼくらが降りるのはここから七つ目のバス停。約20分の乗車だ。市の境にあるぼくの家は、隣の市とはいえどもこの距離で行ける。ただ、歩きとなるとそれはそれで少し厳しい。
窓側に乗ったぼくは、ずっと窓の外を見ていた。沈黙が何とも気まずい。でも、話題が見つからないのだからどうしようもない。運転手さんにぼくらはじいちゃんと孫のお出かけって映っている事ろだろう。まさか、調査のために組んだコンビだとは思わないだろう。
そんな中、沈黙を破ったのはシロさんだった。バス停はもう3つ過ぎていた。
「学校は楽しいのか?」
「まぁ、ぼちぼちってところです。楽しい日もあれば、そうじゃない日もあるし」
「そりゃそうだ。毎日楽しかったら、ボケちまう。平和ボケだな」
「ぼくも1つ質問していいですか?」
「もちろん」
「シロさんはずっと一人暮しなんですか?」
「なんだ、そんなことか。結婚はしてた」
「してた? 離婚したんですか?」
「二年前に妻を無くしてな」
「ほれ」と薬指の結婚指輪を見せてくれた。多分初めて会ったときからしてたんだろうけど、全然気が付かなかった。これは、ものすっごくまずい事を聞いてしまった。ぼくは底なしの馬鹿だ。
「その、なんかごめんなさい。そんなつもりじゃなくて、ただ一人暮らしって言ってたから――」
「気を使わんでもよい。あいつの事はとっくに整理が付いてるからな。あの震災の後、暫く仮設住宅で暮らしてたんだが、急に体調を崩してな。そこからはあっという間だった」
淡々と話すシロさんの目を見れなくてほっぺのあたりに視線をずらす。
「そうだったんですか。でも、どうやって整理したんですか」
不謹慎な質問だったと思う。でも、率直な興味だった。
「難しい事を聞くな。どうって、わしの場合はだいたい予想ができていたからな。もちろん良くなって欲しかったが、世の中にはどうにもならない事もある」
「予想がついてたら……」
「いずれにせよ、郁にはまだ少し難しい。こういうのは年をとると分かるようになるものだ」
予想できたからって、諦められるものなのだろうか。でも、やっぱりシロさんの言うとおりぼくがもっと大人になったら納得できるのかもしれない。少なくとも、今のぼくには納得いくものではなかった。ちょうど6個目のバス停が窓から後ろに流れていった。でも、残念ながらぼくはバスの止め方を知らない。
「バスどうやって止めるんですか?」
運転手さんに聞かれるのは少し恥ずかしいから、小声でシロさんに聞く。
「なんだ、そんな事も知らんのか。頭の上のボタンを押せば止まってくれる」
言われるがままに中腰になって、ボタンを押すとバスの中にあるボタン全部に明かりが付いた。どうやら止まってくれるらしい。
「切符は4番だから、料金は230円だな。あの前の料金箱に、切符と一緒に入れれば降りられる。金はあるのか?」
乗るときに取った切符を見ながらシロさんが教えてくれた。確かに、前にある電光掲示板の「4」の部分には230円って表示されていた。
「大丈夫です。お金はあります」
リュックから財布を出して、100玉を1枚と10円玉13枚を出して握りしめる。
いよいよ前方にバス停が見えてきた。停車と同時にぼくらは降り口に向かう。料金箱のベルトコンベアに乗ってぼくのお金が奥の方に吸い込まれていった。「お気をつけて」とバスの運転手さんが笑うと、シロさんが「どうも」と応えてバスは去っていった。
「さて、目当ての家はどこなんだ?」
調査用リュックから、ノートを取り出し、挟んでおいた今朝プリントアウトしたばかりの地図を取り出す。地図によると剣さんの家はこのバス停から、西に向かって歩いて3つ目の交差点を左に行って、2つ目の交差点をまた左にいった通りで、道路の右側2軒目だ。
「とりあえずは、こっちに真っ直ぐです」
「よし」と言ってシロさんが歩きだす。道を知っているのはぼくのはずなのになんとなくぼくはシロさんに続く。剣さんの住むこの街は、ぼくの住んでいるところより、だいぶ静かな場所だった。まさに閑静な住宅街って感じで、家と家の間がすっごく狭い。
この静かさのせいか、2つ目の交差点を過ぎたあたりでやっとシロさんは振り返り、「まだ真っ直ぐか?」とぼくに聞いた。次を左っていうことを伝えると、「うむ」といってまた歩き出す。左に曲がったところで、バスを降りた時から蹴飛ばしてきた小石が側溝の穴に吸い込まれていった。
最低限の道案内ぐらいの会話の他は、会話らしきものも無いままぼくらは剣さんの家に到着した。入口は和風の木造りの門で、凄いお金持ちな雰囲気が出ていた。高そうな木製の表札にはしっかり「剣」と書かれていた。
そして、ここまで続いた沈黙を破ったのはシロさんだった。
「剣さんに聞く事は決まっているのか?」
「一応は。まずはあの写真の場所を知っているかってことと、最後にじいちゃんと連絡をいつ取ったかってことです。出来ればその内容も」
「そうか、何か手掛かりが見つかるといいな」
うん、という代わりにぼくは首を縦に振った。シロさんは少し笑った。
意を決してインターホンを押すと、「どちらさまでしょうか」という穏やかなおばあさんの声がした。
「こんにちは。いきなり訪ねてきてすみませんが、ぼくは姫森郁といいます。宗次さんとお話がしたくてきました」
「宗次とですか。はて、どういったご用件で」
「えっと、宗次さんは五年前まで、ぼくのじいちゃんと、いや、姫森金属で働いていたと思うんですけど――」
「あら、社長のお孫さんで。これは大きくなられて。ちょっとお待ちください、いまそっちに人をよこしますからね」
ぼくが返事をする前に、インターホンは切れたものの、すぐに目の前の大きな門が少し開いてお母さんと同じ年ぐらいの綺麗な女の人が顔を出して「どうぞ」と言ってニコッとした。言われるがままに、ぼくとシロさんは門をくぐる。門の向こう側は、予想以上だった。すっごく手入れのいき届いた感じのある庭で、池まであった。さすがのシロさんも
「これは凄い」と言ってて顎をさすった。今度はぼくが先頭だった。
「奥さまは奥のお部屋でお待ちです。どうぞこちらへ」
何本も長い廊下を通って、やっと辿り着いた部屋には六十代ぐらいの優しそうなおばあさんが待っていた。インターホンで話したのはこの人だと確信した。
「こんにちは」
「あの、突然お邪魔してしまってごめんなさい」
「まぁまぁ、お部屋におはいりなさいな」
「あっ、はい」
勧められるがままに、部屋に入っておばあさんと向かい合って座る。さっきの、案内してくれた女の人がぼくとシロさんの前に麦茶を出してくれた。青いグラスがすっごく綺麗。見とれていると、おばあさんが先に話しだしてしまった。
「さてと、郁君でしたっけね。私は宗次の妻の、紀和子と申します。郁君が赤ちゃんの頃は何度かお会いしていたので、お久しぶりが正しいんですけどね。こんなに大きくなられて。それにしても、宗次にはどんな用でしょうか? じつは今外出してまして、すぐに戻ると思うのですが」
まさかの「お久しぶり」に驚くものの、ぼくにはまったく記憶が無いからどうにも「はじめまして感」が拭い切れない。ただ、さっきから一言も話さないシロさんが凄く浮いているからここはぼくが紹介をする。
「はぁ。えっと、こちらはぼくの調査を手伝ってくれているシロさんっていいます。それで、今日はその調査の事で宗次さんにお話を聞きたくて来ました」
「どうも」とシロさんは頭を下げる。
おばあさんも「これは、どうも」と腰からのすごくきれいなお辞儀をした。
「ところで、調査といいますと」
「じいちゃんの、姫森辰男について調べているんです。おばあさんが知っているか分かりませんが、あの震災の後からじいちゃんは行方が分からなくなっていて」
一瞬、おばあさんの顔色が曇ったと思うと、ぼくが話を終える前に、
「まぁ、社長さんが……。なんてこと。すぐに電話で宗次を呼び戻しますので少しお待ちください」
そういって、おばあさんは部屋から足早にいなくなってしまった。
「どうしてシロさんはしゃべんないんですか」
ぼくらが部屋に二人きりなことをいいことに思い切って聞いてみる。
「これは、郁の調査だ。わしがとやかく口をはさむ必要はなかろう。ただ、助けが必要ならいつでも言うんだ」
シロさんの言うことはもっともだった。もし、シロさんがいなければぼくはこの場に座っていることすらできなかったのだから、ここからはぼくがやらなくちゃいけない。
そうこうしているうちに、足音が聞えてきた。多分2人分だ。
廊下に面した障子に2人の影が映ったと思ったら、勢いよくそれが開きおばあさんと、シロさんぐらいのおじいさんが部屋に入ってきた。恐らく宗次さんだろう。おじいさんはぼくとシロさんを交互に見ると、ぼくらの前に座りながら、
「お待たせして申し訳ない。私が剣宗次だ。姫森社長のお孫さん、郁君だったね。そちらは、調査を手伝われているシロさんでしたね」
またシロさんは少し頭を下げるだけだった。
「はい。こちらこそ突然お邪魔しちゃってごめんなさい。今日は、じいちゃんの事でお話が聞きたくて」
「紀和子から話は聞いたよ。あれから行方が分からないとは…。お察しするよ。それで、私は何を話せばいいのかな」
「ありがとうございます。ええと、まずは、この写真を見てください」
そういうなり、右横に下ろしてあったリュックから例の写真を取り出し剣さんに手渡す。
「これは、じいちゃんがいなくなる前、最後に撮った写真なんです。この場所に心当たりがあったりしませんか」
剣さん夫妻が写真を覗き込む。ぼくは、写真を手に入れた経緯とかも話した。聞くからには、こっちの情報は全て伝えるのがせめてものマナーだと思ったからだ。でも、写真を見ながらおばあさんの方は今にも泣きだしそうに眼を潤ませていて、なんだか少しばつが悪くなった。
「わざわざ来てもらって申し訳ないけれど、ここだという確証が持てる場所を私は知らないみたいだ。紀和子はどうだ?」
「私も思い当たりませんね。ごめんなさいね、郁君」
「そうですか。でも、大丈夫です。謝らないでください」
落胆していないといえば、それはものすごく嘘だったし、おっきな溜息をつきたいのはやまやまだった。ただ、それ以上に目の前にいる2人が本気で心を痛めている事実のほうが、もっと辛かった。そして次に口を開いたのは宗次さんだった。
「たしか、社長は工場をたたんだ後、宮城に移り住んだんだったよね。働いていた頃から、余生はあっちで過ごすんだって言われててね。やっぱり、私には宮城の海沿いにある公園の写真だと思えてならない」
「ぼくもその可能性については考えたんです。でも、宮城県の海沿いの公園といっても、かなりの数があって」
「それはそうだな。そういえば郁君は、なぜ社長が宮城に行きたいかって言う理由は知っているかい」
「えっと……、聞いたこと無いです。知ってるんですか」
「まぁ、昔一緒に飲んだ時に聞いたからあまり詳しくは覚えていないのだがね。たしか奥さん、その郁君のおばあさんとの思い出の地だったらしいんだ。海沿いを良く2人で連れだって歩いたって言う話をしてくれてね。もしかしたら、あっちに移り住んだ理由と関係があるかもしれないね」
ぼくのおばあちゃんは、ぼくが小学校に上がる前に亡くなっている。うっすらと、庭で一緒に遊んだ記憶ぐらいしか残っていない。でも、遺影を見るたびおばあちゃんが大好きだった感覚を感じる。頭で覚えてるってより、体が覚えている感じだ。
「そうだったんですか。あと、最後にもう一ついいですか」
「なんだね」
「最後にじいちゃんと連絡を取ったのはいつですか?」
「そうだね、あれはたしか工場をたたんで少し経った頃かな。社長の方から、突然電話が来たんだだったな」
「どんな事を話したんですか」
「他愛も無い雑談だったと思うな。『夢が叶いそうだ』とは言っていたよ。恐らく、あれが宮城に移り住む事だったんだね。あとは、郁君の自慢をすごくしていたよ。『郁は間違いなく、頭のいい子に育つ』ってね。どうやら、社長は間違ってなかったみたいだ」
そう言うと、宗次さんはぼくを見て笑った。照れていいのか、寂しがっていいのかなんだか分からなくなって、ぼくもすごくぎこちなく笑った。
「それで、これからどうするんだい。その、調査の方は」
「他に一緒に働かれていた方の事を訪ねるつもりです」
「篠山さんの所はもう行ったのかな?」
「いえ、まだ朝賀さんと、剣さんの所だけです」
すると、ずっと黙って座っていたおばあさんが口を開いた。
「それなら、あなた、篠山さんのこと、お呼びしたらいいんじゃないの」
「それもそうだな。ここから車で15分ぐらいなんだ。電話して都合が付けばここに来てもらえると思うのだがどうかな」
願っても無いチャンス。シロさんを覗き込むと、目をつぶって深く頷いた。ぼくはこれを無言ながら、圧倒的な肯定と判断する。
「本当ですか? ご迷惑じゃなきゃ、ぜひお願いしたいです」
「なら話は早い。少し電話をしてくるから、楽にしていてくれ」
宗次さんは「よっこいしょ」と立ち上がるとさっき入ってきた障子をあけて廊下の方へ行った。部屋には、またぼくとシロさんと、おばあさんの三人になった。ふわふわした沈黙が漂っていた。
「篠山さんの都合が合われるといいですね」
おばあさんがシロさんに話しかける。一瞬どうなる事かと思ったけど、シロさんは意外と普通に話した。
「まったくですな。この年になってなおさら忙しくなられる方も大勢いますからね。ところで、震災の時はこちらにおられたんですか」
「ええ。宗次も私もこちらに。とにもかくにも揺れましたからね。ただ、息子が建ててくれたこの家は本当に頑丈で。これといって壊れることも無く済みましてね。それに使用人も含めてけがも有りませんでしたし。ほんと、幸せ者です」
「それは、何よりでしたな。こんな立派なお家を建ててくれるなんて、良く出来た息子さんだ」
「はい、最近は初孫も生まれまして、自慢の息子です。親馬鹿ですかね」
「いや、それが親の仕事ですよ」
シロさんがそう言うと、二人は笑った。いつになく口数が多いシロさんに目を丸くしていると、また廊下の方から足音がして宗次さんが戻ってきた。
「ちょっと用があるから、1時間ぐらいで来てくれるそうだ」
そう言いながら、障子をあけてさっきの席に戻る。おばあさんは、宗次さんの麦茶を少し足す。
「よかった。でも、本当に迷惑じゃなかったですか」
「とんでもない。なにせ私から言い出した話だからな。この、気配りが良くできるところは社長の直伝かな。そっくりだ」
「本当ですね」とおばあさんも言葉を添える。似てると言われる事は間違いなく嬉しいんだけど、なんかこの「じいちゃんに近づいて遠くなる感じ」がお腹のあたりぐるぐるした。そして、隣に座るシロさんにもばれないようにこっそり首から下げているカメラを触った。
篠山さんが到着するまでの間、剣さん夫妻から学校は楽しいかとか、休みは何をして過ごしているのかなどかぼくに対しての質問攻めが続いた。2人とも、親切過ぎるぐらい協力してくれているから、悪い気はしなかった。みんなぼくが近所の川の水質調査をしてドジョウを捕まえた話とか、学校の図書室にある図鑑を5冊一気に借りて持って帰るのがめちゃくちゃ大変だった話とか、どうでもいいような馬鹿な話にコロコロ笑っていた。
「さてと、そろそろお昼にしましょうかね」
そう言って、おばあさんが立ち上がる。廊下で、最初に案内してくれた家政婦さんと何やら話しているようだった。腕時計を確認すると、もう12時半を回っていた。 ぼくらは思いの他長居をしてしまってたようだった。しかし、これから来る篠山さんを待つためにもここでお昼を断るわけにもいかず、ぼくらはうな重をつつくことになった。土用の丑の日でもなく、特に他のお祝いでもないのにうな重を食べるなんて、実は初体験だった。ちゃっかりシロさんも美味しそうに食べていた。
「小さい孫も可愛いが、この位話の出来る孫ってのもまたいいな」
と、宗次さんが不意に漏らす。さっきおばあさんが話してた初孫の事かなと思う。
「お孫さんは男の子なんですか」
「男の子だよ。郁君みたいに好奇心旺盛で溌剌とした子に育ってほしいものだ」
「とんでもない」って言う意味を込めて、肩をすくめる。ぼくは、ぼくを良く知っているつもりだけど、好奇心旺盛は別としても溌剌としているかは微妙だった。
それから暫くは、シロさんも含めたお年寄り3人での雑談の聞き役に徹した。何せ、ぼくはうな重を食べる方が忙しかった。何せお昼からこの量。篠山さんが来るまでに食べ終われるかはいささか不安だった。それに比べて、残りの3人はぺろりと完食してしまった。年をとると食が細くなるとか、いろいろ話は聞くけど、どうやらそれは全お年寄りに適応される現象ではないみたいだ。少なくとも、この3人は例外ってことになる。
篠山さんが到着したのは、ぼくがうな重をやっとこ食べ終えた頃だった。




