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【5】

 昨日の朝は早起きにちゃんと成功して、ごみ拾いもちゃんとやった。何を思ったか、太陽もまだ昇らない4時半に起きてしまった程の大成功ぶり。ただ、ごみ拾い自体が退屈だったのはもともと分かってたから、我慢した。ぼくは子供みたいに余計な事を口にしたりしたりしない主義なんだ。殆ど無言で、空き缶を分別して、たばこの吸い殻を集めて、こべり付いたガムを引き剥がしたりした。


 そして、今日はいよいよ夏休み初日。毎年さぼる事のなく行き続けているラジオ体操に勇んで足を運んだ。火曜日という事もあって、道路は車で一杯。ところがどうだろう。公園はがらんどうで人っ子ひとりいない。焦ってポケットから出したラジオ体操カードによると、体操はなぜか来週からだった。「チョールト!」


 いま来た道を引き返す以外、道はなさそうだった。回れ右をして公園の出入り口を目指す。まだ七時というのに蝉たちがもの凄い勢いで鳴いている。地上に出てから約一週間の命を殆どを鳴くことに費やす蝉を想うと少しぞっとした。少し身震いして、歩幅を大きくした。 


 「郁か、早いな」


 突然の声に振り返るとシロさんがいた。どうやら朝の散歩といった感じだ。


 「あ、おはようございます」


 ぼくはぴょこんと頭を下げる。


 「どうした、こんな時間に。珍しい」

 「ラジオ体操だと思ってきたら、来週からで」

 「そうか。ということはあれか、暇になったわけだ」


 シロさんが少し笑った。なんだか、笑ったシロさんを初めて見たような気がした。


 「そんなところですね」

 「どうだ、少し話さんか」


 シロさんから誘ってくるなんて、なんだか変な感じだった。いくら少しニヤッとしたところでぶつかった初日や、この前の事を考えても少し怖い印象は抜けきらなかった。


 「ほれ、何か買ってこい」


 ぼくの答えを待たずにに500円玉を渡すと、顎で少し向こうにある自動販売機を指した。

 冷たいお茶を二本買って、おつりを回収すると、ベンチに座るシロさんの所に小走りで戻る。隣に座るのはなんだか少しドキドキした。蝉の鳴き声が遠くなった気がした。


 「お茶でよかったですか」


 お釣りと一緒に冷たいお茶を渡した。お茶はもう汗をかいていた。


 「うむ、すまんな。ところで、あの写真は今日も持ってるのか」


 持ってた。実をいうとどこに行くにも持って行っている。いつどこにヒントが転がっているか分からないから、殆ど癖の様に調査道具一式とカメラは持ち歩いている。もちろんラジオ体操だって例外じゃない。こうやって、誰かに会うことはあり得るのだから。


 「あります」

 「もう一度見せてもらえないか。初めて見せてもらった日から、忘れられなくてな」


 リュックを開けて調査ノートに挟んである写真を取り出すと、シロさんに渡した。


 「どうぞ。どこだか心当たりはやっぱりないですか?」


 シロさんは暫く写真を見埋めて、さっき買ったお茶を一口飲むと、


 「やはり、分からんな」


 と一言つぶやいた。ま、当然だ。そう思いつつも、ぼくは残念な表情を隠しきれてなかったと思う。蝉の声はもっと遠くなった。


 「そうですか」

 「物は相談なんだが......」


 写真をぼくに渡しながらシロさんはそこで言葉を切った。そして、またお茶を一口飲んでから、


 「わしにもその調査を手伝わせてもらえないか。前の仕事は人助けだし、力になれると思うんだが」


 びっくりして、飛び上がるかと思った。だってシロさんは、1週間前にベジブルでぶつかっただけの、いったら赤の他人である。ま、シロさんはもっと前からぼくを知っていた、正確には見ていたみたいだけれど。ただ、悪い気はしなかった。むしろ、心強さすらあった。けど、これはぼくとじいちゃんの問題だ。お父さんにもお母さんにも言ってない秘密の、それでいてすごく大切な調査だった。


 「............」


 ぼくが黙ったせいでシロさんはばつが悪くなったようだった。


 「答えは急がんでもいい。気が向いたら声を掛けてくれ」

 「............お願いします。手伝ってください。お願いします」


 一瞬の事だったけれど、とっても悩んだ。ただ、実をいうとこれ以上の調査は1人では限界があった。例の、じいちゃんの工場で働いていた残りの人たちを訪ねる為には隣町へ行く必要があったからだ。でも、ぼくひとりじゃどうやっても難しくてお母さんに車で近くまで乗せて行ってもらおうと思っていた。でも、そこでばれないようにする手段はいくら考えても見つかっていなかったのも事実だった。シロさんなら何とかしてくれるかもしれないという結論からの答えだったのが正直なところだ。


 それと、シロさんという名前を最初に聞いた時も、もしやと思って前の仕事を聞いた時も、ずっとひっかっかっていた父さんの話。あの、お互いの首を絞めて死んだカップルを調査したベテラン刑事さんの話だ。お父さんは、刑事さんの名前をシロさんと言っていた。そして、前の仕事を「人助け」と濁す隣に座るシロさん。ぼくには偶然とは到底思えない。もし、あのシロさんなら人探し、場所探しにおいては百人力だった。神様とか、そういうのはあんまり信じれられないけど、「この話は乗っとけ」と誰かに耳打ちされているような気さえした。


 「おお、そうか。でも、わしか聞いておいてあれだが、こんな見ず知らずのじいさんでいいのか」

 「見ず知らずだからいいんです。お父さんとか、お母さんだと、じいちゃんに近過ぎてだめなんです」


 「わかった」と一言言ってまたお茶を一口。気が付くとぼくはまだ一口もお茶を飲んでなかった。喉は既にからからで、半分まで一気に飲んだ。蝉の鳴き声は元の大きさを取り戻していた。

 それから、30分ぐらいを掛けてぼくの調査の全てをシロさんに明かした。シロさんはなにやらメモを取りながらぼくの話を真剣に聞いてくれた。写真を見つけた経緯から、じいちゃんの過去と、工場で働いていた人たちを訪ねている事。朝賀さんは見つけたけど収穫なしだった事。でも、ベジブルでレジをやってる事を教えると「ほう、あの土浦さんが朝賀さんなわけか」と頷いていた。やはり常連さんは呑み込みのスピードが違う。


 「で、最初は誰から尋ねたい? 順番はあるのか?」

 「最初は剣さんで。隣町だけど、ここからは一番近いから。バスが良いんだけど、乗り方分かりますか?」


 生まれてこの方、バスは乗った事がなかった。でも、剣さんの家に行くにはバスが一番速く行ける。乗るためにはシロさんに願いを掛けるほかなかった。


 「もちろんだ。バスぐらい乗った事はある。出発はいつだ?」

 「今日行くんですか」


 あまりの展開の早さに思わず訊き返してしまった。


 「なんだ、今日じゃなかったのか」

 「今日は、宿題の自由工作を早めに終わらせる予定だったからごめんなさい」

 「そうか。それが本分だからな。しっかりやれよ」

 「剣さんのところは明日で。今日中にバスの時間調べておきます。夕方ベジブルで報告しますね。いつもとおんなじ時間に来てください」


 わかった。というと、シロさんは立ちあがって、うーんと唸りながら腰をひねった。ぼくも右に倣った。時計の針はもう八時を指していて、太陽はすでにすっごく高いところにあって、夏特有の暑さがぼくらをすっかり包んでいた。


 「ただいま」


 シロさんと公園で別れて、家に着く頃には前髪がすっかりおでこに張り付くほど汗をかいていた。


 「ラジオ体操にしては長かったんじゃない」

 「公園でセミの抜け殻探してたんだ。自由研究に使えるかと思って」


 ぼくにとってお母さんに嘘をつくのは不本意なんだけど、シロさんとの関係がばれるのはもっと不本意だった。心の中で「ごめんなさい」って言った。


 「そう、まあいいわ。にしても、汗びっしょりじゃない。シャワー浴びてから朝ご飯にする?」

 「そうするー」


 もう一回心の中で謝ってから、お風呂場に向かった。もちろん体は火照っていたから、冷たい水でいいと思ったけど水を浴びた瞬間体がとび跳ねてすぐにお湯を足す羽目になった。鳥肌はしばらく消えなかった。お風呂場に入ってくる朝の陽の光にシャワーの水しぶきが反射して、お風呂場が夜とは違った顔をみせる。


 「着替え、ここ置いておくよ」


 曇りガラスの向こう側からお母さんの声がした。お陰で、シャワーの後裸でウロウロしないで済んだ。


 「ありがと」


 結局パンツだけを穿いて、Tシャツとズボンは脇に抱えてリビングに向かう。


 「ご飯、おにぎりとみそ汁だけでいい?」

 「うん。おにぎりの中何?」

 「鮭と、ツナマヨどっちがいい?」

 「断然ツナマヨ!」

 「そう言うと思った」


 お母さんはそう言うと、ものすごい速さでおにぎりを握って作ってあった味噌汁を温めて持ってきてくれた。


 「おまたせ。食べ終わったら、食器は台所に持って行ってね」


 すでにおにぎりで一杯になってる口を無理に動かして「うん」と言った。


 少しすると、お母さんはパートに出かけて行った。お母さんは近所の加賀崎病院で看護婦さんの手伝いをしていている。ぼくが生まれる前まで現役で働いていたけど、いったん退職して3年前の震災の少し後からまたパートという名のお手伝いで働いている。原発のせいで逃げちゃうスタッフもたくさんいて、もともと人手がさえ少なかった病院は窮地に立たされた。そこで、元職員のお母さんに白羽の矢が立ったというわけだ。お父さんの仕事が駄目になっちゃった時も、しばらくの間はお母さんが働いて家を支えていた。初めは落ち着くまでって話だったんだけど、なんとなくお母さんはそのまま働くことになった。お母さん曰く「流れ」だったらしい。つまり、お母さんはそのへんのお母さんよりもすごいってことだ。少なくともぼくは尊敬している。だから今朝の嘘は全部終わったらちゃんと白状しようと思っている。


 朝ご飯の食器を台所で洗う。置いておくだけでいいってお母さんは言っていたけど、ほんとは洗っておいて欲しい事もぼくは知ってるから洗う。これを「思いやり」って言うんだ。クラスの男子達がもっと「思いやり」を知ってれば、ぼくや殿塚さんの名前が馬鹿にされる事も無いと思うんだけれど。でも、夏休みに入れば、ラジオ体操で会うメンバー以外は合わなくなるから良しとする。


 食器を洗い終えた手をシンクの下に掛けてあるタオルで拭いて、パソコンに向かう。剣さんの家に行くためのバスを探さなければいけないかった。スイッチを入れてから使えるまでにはあと3分ぐらいかかるから、この間にいつものリュックから調査ノートを持ってくる。一番新しいページを開いて、「元刑事のシロさんが調査協力してくれれることになった」とと書いた。書いたそばから、「元刑事」の横に「かもしれない」と書き加えた。


 そうこうしている内にパソコンから起動完了を知らせるピロロンという音が鳴った。地球儀型のアイコンをクリックしてインターネットに繋ぐと、グーグル検索バーに剣さんの住所と「バス」って打ち込んで検索。百件以上のヒットがあった。手始めに一番最初のやつを開くとバスおたくの日記みたいなやつが出てきたからすぐ消して、2番目を開いた。どうやらバス会社の路線図のページにうまくアクセスできたみたいだった。バス時間検索のページにぼくの家の住所と、剣さんの住所を入れて「検索」ボタンをクリックするとあっという間に時刻表が出てきた。基本的には1時間に1本で、朝の7時台と、夕方5時台だけ3本になっていた。これだったら、暗くなるまでには十分に帰ってこれる。お母さんにばれることはまずないはずだ。


 出てきた時刻表を、調査ノートに写していく。あとから、シロさんの為にスキャナーでコピーもしておかないといけない。画面の時計を見るともう10時半を過ぎていた。思った以上に時間が過ぎるのは早い。今日は、これが本題じゃなくて自由工作を片付けることが本題だった。全てを写し終えると、パソコンをシャットダウンした。また、ピロロンとなってカラフルな旗のマークが真っ黒の画面に消えていった。


 いったん部屋に戻ると、工作に必要な材料を両腕いっぱいに抱えてリビングに戻る。今年は時計型コンパスを作る。簡単にいえば、普通のコンパスの文字盤の部分を時計にする。構想の段階では、文字盤の数字をローマ数字にすることでうんとおしゃれになる予定。テーマは「小学生らしくないもの」って決めていたから、これはなかなかいい線だと思う。今までは、紙粘土で恐竜を作ったり、貯金箱を作ったり、昆虫の標本も作った。去年は紙粘土で人体模型を作った。全部のパーツが取り外し可能でかなりの完成度だった事は認めるけど、「紙粘土」って時点で小学生さが出ていた。


 でも、今年は違う。ラジオ体操のあの公園で毎週日曜にやるフリーマーケットで大きくていかにも古そうな懐中時計と、これまた古くて大きいコンパスを買った。時計は壊れているけど、文字盤が使えれば十分だし、コンパスも針の大きさは十分だから思った以上の出来になりそうだった。しめて、500円で済んだのも店主さんの粋な計らいだった。あとは、ぼくの「ドア・イン・ザ・フェイス」っていう交渉術だった。これは、お父さんに教えてもらった心理学を使った交渉術で、最初にちょっと無茶なお願いをしてわざと断らせて、その後小さいお願い事をして叶えてもらいやすくするっていう技。


 時計とコンパスは普通に買ったら800円だったんだけど、「2つ買うから200円にしてもらえますか」って聞いてもちろんダメだった。そこで、「500円では?」ってお願いしたらうーんって唸ったあと、「小学生がこんなの買うなんて良い趣味してる」って店主のおじさんは気分良くまけてくれた。おじさんはもちろんいい人だったけど、お父さんのおかげでいい買い物ができた。


 早速テーブルに広げた材料の中から、懐中時計を拾い上げると、小さめのマイナスドライバーで文字盤のガラスを外す。最初にして最も気を使わないとガラスが割れて、取り返しがつかなくなる一番重要な作業。一か所ドライバーを入れただけでは開かなくて3ヶ所入れた時点で、ガラスは綺麗に外れた。慎重に秒針、長針、短針の順に外していく。こっちは少し力を入れるだけで、あっさり外れてくれた。針という針が全て外された時計は、丸裸にされたみたいで、少し恥ずかしそうにしていた。その丸裸になった時計の文字盤を濡れたティッシュで拭き上げていく。長年の汚れは思った以上に溜まっていて、全て拭き終わると見違えるように綺麗な文字盤になった。予想以上にローマ数字が映えていい感じだ。


 次に、懐中時計は一旦横において、コンパスの解体に移る。こっちは、針しか使わないから少し作業が雑になってもかまわない。でも、あんまり壊さないに越したことはないから、時計の時と同じ要領でガラスを外して針を回収する。時計に針を重ねいてみると針と文字盤の大きさの比率がぴったりで安心した。コンパスから回収した針は、本来のコンパスの働きを忘れている針だから、もう1回磁石で擦ってコンパスの針にしてあげる。ついでに、赤と青の塗装も剥げちゃっていたから上から色を足してあげた。


 あとは、時計側にコンパスの針を合体させれば完成なんだけれど、文字盤に方角が書いてない事に気が付いた。これはコンパスとしては致命的だから書き足すしかないんだけど、どうもぼくは字が汚い。それはもう、致命的に汚い。何か無いものかと、電話機が置いてある棚の下から2番目、家族兼用の文房具が入っている引き出しを漁ると、筆記体でいい感じのアルファベットのシールが出てきた。多分お母さんが、手紙の封を閉じるときとかに使っているやつだ。これを拝借する他はなかった。


 学校で習った記憶を必死探る。たしか、北がノースで「N」、南はサウスで「S」。これは磁石と同じだから分かるんだけど、西と東がどっちがどっちだかどうにも思い出せない。今度はテレビの脇になる小さい本棚から、和英辞書を引っ張り出してきて西を調べる。辞書によると西はウエストだから「W」だ。すると、東は消去法的にイーストで「E」になるわけだ。シールを一枚ずつはがしてローマ数字の「12」の上に「N」をといった感じで、左回りに順番に張っていく。ところが最後のイーストの「E」を貼ろうとしたところで、問題のそのシールが無い事に気づいた。「チョールト!」


 ここで、ぼくが手書きをするときっと酷いことになるだろうから、「ひがし」の「H」を貼った。こういうところで、日本語も忘れてないアピールができれば君島先生もグッとくるはずだ。全てのシールを貼り終えて、コンパスの針を被せると大分それらしくなった。針はちゃんと北を指している。続いて、元の時計のガラスを戻す。ただ、さっき力ずくで外しているから今度は接着剤を使わないと戻ってくれない。瞬間接着剤をガラスの淵に付けて静かにはめ込む。暫く手で押さえて、くっつくのを待ったらいよいよ完成だ。少しくすんだ銀色の懐中時計の蓋を開くと、そこにはコンパスがある。これはかなりかっこいい。夏休み明けに提出するまでは持って歩こうと思う。


 壁に掛かっている我が家の時計を見ると、もう1時を回っていた。ただ、工作が完成しただけで十分な収穫。テーブルに散乱した、工具類を片付けてお昼ご飯にしよう。


 お昼はそうめん。去年までは、ぼくひとりでコンロは使っちゃいけないって言われていたからできなかったけど、6年生になってからはそのコンロが解禁になったから、お母さんがいない時でもそうめんが作れる。鍋にたっぷりのお湯を沸かしてさっとそうめんを入れると、入れたそばからぐにゃっと曲がって今度は泡が昇ってくる。火を弱めながら数分ゆでて火を止める。これからが一番の難関。シンクにざるを置いて、そこめがけて麺を鍋からあける。立ち上る湯気の中で鍋はいったんコンロに戻して麺を水で洗う。これが予想以上に熱い。なんとか盛り付けまで、漕ぎ着けたらもう安心。あとはつゆを作って食べるだけ。


 数ヶ月前にやっていたドラマの再放送を見ながら、そうめんを啜る。茹で残しがあってまだ固いところがあったけど、まあ許せる範囲だった。午前中は時計とか、他の物に集中していから気が付かなかったけど、外では蝉が全力で鳴いていた。テレビが付いていても、うるさいほどだ。窓から見える空は真っ青で太陽は空のてっぺんにいた。


 それから、お母さんが帰ってくるまで図書館から借りた「ギリシャ神話」を読んで過ごした。個人的には「ヘラクレスの十二の難業」が気に入った。ただ、ヘラクレスは少し人が良すぎる。あんな怪物たちを倒してこいって次から次へと依頼されて、ほいほい行く人はなかなかいない。とはいっても、ヘラクレスは神様と人のハーフだからそこは目をつぶる。11番目の難業でヘラクレスが黄金のリンゴの為に竜を倒す話を読み終わったあたりでお母さんが帰ってきて、ぼくにベジブル行きの使命が課された。


 小さく折りたたんだ、バスに乗る予定表をポケットに忍ばせて、調査用リュックを背負ってカメラを首から下げて、例のコンパスをチェーンでズボンに付けるとヘラクレスみたいに勇んで出発した。


 入店の時、朝賀さんと目配せしてから、野菜売り場でナスを選んだ。大きくて細いのと、太くて短いのどっちにしようか悩んでいるところで、シロさんが来店。ぼくらはそれとなく合流して、例の小さく折ったメモをシロさんに渡した。


 「明日、ベジブル横のバス停に集合でお願いします」


 メモを受け取って、「わかった」とだけ言うと、シロさんはそっとぼくから離れていった。なんだか、スパイ映画の主人公になったみたいだった。でも、すぐ本来の目的を思い出して浮ついた気持ちを掻き消す。これは、じいちゃんのための真面目な調査でなきゃいけないはずだった。


 今日も朝賀さんのレジを抜けて、家に帰った。今日はシロさんとのことは何にも言われなかった。帰り際店内を見回したけど、シロさんの姿はもうどこにもなかった。


 家に着くとお母さんは誰かと電話していたけど、ぼくが玄関からリビングに上がる頃には受話器をもう置いていた。


 「あ、おかえり。ナスあった?」

 「うん、細長いのと短くて太いやつを二つずつにしたけど、良かった?」

 「大丈夫。ありがとね」


 夕食には綺麗な紫色に揚がった、ナスがでた。生姜がかかっていて、非の打ちどころの無い完璧な揚げ茄子だった。


 ご飯の後は、久々のお父さんとの「とーかぶる」の予定。ここのところ、お父さんの仕事がかなり忙しくてテレビ電話ができずにいた。昨日、とーかぶるを開いたらメッセージが届いていて、今日なら大丈夫とのことだった。どうやら、仕事に一区切りがついたのだろう。


 「今日はお父さん話せそうなの?」


 洗い物をするお母さんの声が台所から飛んでくる。


 「うん。昨日メッセージが着てて、今日なら大丈夫みたい」

 「そっかー。この前のプレゼンで企画が通ったみたいだったからね。お父さんも今回の仕事、張り切ってるんだよ。多分疲れてるはずだから、短めにしてあげなね」

 「りょーかい。わかってるよ」


 東京に単身赴任になる前は、お父さんにコンピューターソフト関係の知識があるなんてぼくは全く知らなかった。ましてや、電子工学系の大学を卒業していたことすら知らなかった。だから知識ゼロでというより、むしろ本来の畑に戻ったお父さんは伯父さんの会社でめきめきと頭角を現すことになった。今では、会社でもかなり重要なポジションにいるらしい。おじさんと親戚ってこともあるかもしれないけど、お父さんの腕を買っているとおじさんも言っていたからそのへんの腕は確かなのだと思う。


 そうこうしていると、お父さんからテレビ電話の着信があった。お父さんから掛けてくるのは珍しい。赤い通話ボタンをクリックする。画面にワイシャツ姿のお父さんが表示される。


 「おう。久しぶりだな。郁、少し大きくなったか?」

 「たった3日ぶりなんだけど......」

 「いや、郁ぐらいの歳の子は一晩でぐんと大きくなる事もあるからな」


 この少し、ぶっ飛んだ感じがお父さんらしくて好きだったりする。


 「じゃあ伸びたのかも。で、仕事は忙しいの?」

 「まぁ、ぼちぼちだ。ただ、この前言ってた企画が通ってな。嬉しい忙しさだ」


 お父さんの顔がほころぶと、釣られてぼくもニヤっとしてしまう。


 「ならよかった。でも、今日は短めで大丈夫だからね」

 「なんだ、気を使ってくれてるのか。そんなの10年早いぞ」

 「あ、うん。でも、お母さんが......」

 「雫が? なら、大丈夫だって言っておいてくれ」


 お父さんは、お母さんを「お母さん」って呼ぶ事もあれば、「雫」っていう名前で呼ぶ事もある。余談だけど、ぼくの名前が漢字一文字なのはお父さんとお母さんに倣ったそうだ。ちなみにお父さんの名前は駿で、ぼくら家族の名前は、一瞬一瞬を大事にするっていう意味が込められている。ぼくの「郁」は「香り」なわけで、一応、一瞬の儚さがあるみたい。


 「わかった。あとから言っておくよ」

 「そうだ、夏休み始まったんだろ? 宿題はもうやってるのか?」

 「まだ初日だって。でも今日、自由工作やったんだ」

 「おう、今日からだったか。何作ったんだ?」

 「時計型コンパス。ちょっと、待って、今取ってくるから」


 台所のカウンターテーブルに乗せておいた、例のコンパスと持って、パソコンの前に戻る。


 「これこれ。見た目は懐中時計だけど、開くと、ほら。コンパスになってるでしょ」

 「おお。すごいな。材料はどうしたんだ?」

 「日曜のフリマで買った。ドア・イン・ザ・フェイスを使って値切ったんだ」

 「全く、恐ろしい小6だ」

 「教えたのお父さんじゃん」

 「お父さんは教えたけど、使えとは言ってない」

 「なんだよ、それー」


 お父さんは本当に口がうまい。一見、無茶苦茶に聞こえても、結局最後の最後で辻褄を合せられちゃうからぼくには反論の余地がない。


 「よし、じゃあ今日の話だ。久しぶりだし、テーマは郁が決めていいぞ」


 明日は、ぼくとシロさんが初めて一緒に調査をしに隣町に行くから、そんな感じの話が良かったけど、そのまんまは言えないから、テーマは「冒険」でってリクエストした。


 「冒険か。難しいなー。ちょっと待ってろよ......、うん、よし、決まった。始めるぞ」


 今お父さんの頭の中で何が組み立ったのかぼくには知る由も無かった。


 「主人公は郁ぐらいのアメリカの田舎の男の子だ。名前は、そうだな、コーディがいい。時代は、五〇年ぐらい前だな」

 「なんでコーディなの?」

 「お父さんの好きな冒険映画の主人公の名前なんだ」

 「ふうん」


 コーディは金髪で白人ってことにしておこう。


 「コーディはすっごく平和な田舎町で暮らしていた。そりゃ、1年に1回事件が起きるか起きないかの平凡で平和な町だ。家族は両親と二つ下の弟、それからおばあちゃんの五人暮らし」

 「東京とかに比べたら事件が1年に1回って、すごい町だね」

 「ま、それだけみんながそこの生活に満足してるってことだな。ま、そのコーディの平和な生活にずれが起き始めるんだ」

 「冒険ならそうこなくっちゃ。何が起きたの?」

 「街の子どもたちがいなくなっていくんだよ。初めは、コーディの家の2軒隣の家の女の子が。その次は、はす向かいの家の小さな男の子。小さい町だし、街の中にいれば誰かが気付くはずだ。でも、誰も子どもたちを見つけられずにいた。そして、3人目の行方不明者が――」

 「弟だったんだね」

 「先に言うなって」

 「ごめん、ごめん、つい」


 ため息交じりにお父さんが笑う。


 「ま、いいか。そう、3人目はいよいよコーディの弟だった。お母さんはショックで寝込んじゃうし、温厚だったお父さんは毎日カリカリするようになった。そして、弟がいなくなって3日目の晩、コーディは街の外にいなくなった子どもたちを探しに行くことを決意した」

 「1人じゃ無茶だよ」


 街から外の世界に一人で行く事を決意したコーディが目に浮かんだ。真っ暗い道の上に金髪で真っ白な肌のコーディが立っている。決意に満ちているけど、どこか心もとない目。リュックはぼくとおそろいの物を背負っている。


 「まだ、1人でっては言ってないぞ。同じ街に住む同い年の友達2人が協力してくれることになったんだ」

 「なんだ、よかった。でも、よく親は許したね」

 「もちろん、探しに行く事は内緒だ。3人とも危険は承知だったからな」

 「そっか。あと、一緒に行く2人の名前決めても良い?」

 「もちろん」

 「じゃあ、マックスとフレディにして」


 ぼくが思う、外国人の男の名前でカッコいいと思うやつベスト2だ。


 「よし、じゃあコーディと、夜中に連絡を受けたマックスとフレディの3人は、日の出と同時にまだ暗い街を出た。3人にとって街を出ることは初めての経験だった。ちなみに、もう一人誘った1つ年下のジャックは親にばれて行けなくなったんだ」

 「早速、心細いね。で、3人に作戦はあったの?」


 ふぅ、といつものように一旦息をついてお父さんは話を続ける。


 「いったら、作戦は無かった。子どもたちを見つけたら、全力で逃げるぐらいしかな」

 無謀だ。でも、必死になるとそのへんって考えなくなっちゃうんだと思う。ぼくにも少し経験があったから、コーディ達の気持はよく分かる。

 「子どもにはそれが限界だよね」

 「まぁな。でも、街から出ていくら朝靄のかかる森の中を歩いても、人っ子ひとりいない。たまに、なんだか分からない獣が鳴くぐらいが関の山だった。それでも、お互いを励まし合いながら進んだ。すると、森の中にぽっかり広場が表れたんだ。その広場の行き止まりは見上げるほど高い岩の壁になっていて、その中腹にこれまたぽっかりと穴があった」

 「大人を呼びに街に戻るべきだよ」


 それが、できれば。と、心の中でぼくは付け足した。ぼくだったら、街には戻らず自分たちで進む道を選ぶような気がした。


 「うん。でも、コーディ達は進む事を選んだ。3人で協力しながら崖を上って、ほら穴までたどり着いた。中は、洞窟の様になっていた。そして、入口にはコーディの弟が大好きだった消防車のミニカーが落ちていた」

 「3人はここだって確信したんだね」

 「そうだ。行方不明になった子どもたちはここにいる。そして、それとおんなじくらいの確率で犯人もここにいるって」

 「武器はあるの?」

 「コーディは12歳の誕生日にお父さんから貰ったサバイバルナイフを持ってきてた。あとは、護身用のこん棒とか、そのくらいだな。あと、爆竹と煙花火も持ってきてたな」

 「それじゃあ、かなり不安だね」

 「そうだな。3人は固まってゆっくり洞窟を進んだ。ランタンの炎はゆらゆらして洞窟の中ではかなり頼りない。でも、彼らはゆっくり、着実に進んだ。そして、いよいよ奥から明かりが漏れてきた。大人、5、6人の人影が明らかに壁に映っていた」

 「子どもたちは?」

 「子どもたちの影もゆらゆら動いていた。ぴったり3つだ」

 「3人はまず作戦を考えた。最初にマックスが爆竹と煙花火を投げ込んで犯人をかく乱す。その後、素早くナイフを持ってるコーディが縛られているであろう子どもたちを解放して、脱出。って流れだ」

 「フレディは何をするの?」

 「コーディが子どもを開放する間、こん棒で犯人からコーディを守るんだ」

 「なるほど。あえて倒しに行こうとしないところが偉いね」

 「あくまでも、目的は救出だからな」


 ぼくも目的を見失わないまま、勇敢になりたいと思った。そこが、強さと成功の秘訣なのかもしれない。


 「スリーカウントで3人は作戦を実行した。爆竹を投げ込むなり、壁に映る影は一斉に慌ただしく動き出した。それを追う様に煙花火を入れて、洞窟の中は真っ白になった」

 「ここからは時間との勝負だね。急いで救出して脱出しなきゃ」

 「その通り。コーディは急いで煙の中に潜り込むと、大きな影の間をすり抜けて、子供たちの元に急いだ。フレディは何人かの足をこん棒でひっぱたいていた。暫く進むとと、覆面をされて座らされている3つの小さい影を見つけたんだ。覆面を外すと、懐かしい弟の顔があった。ロープを切って、猿ぐつわを噛まされていたから、それも外した。フレディは残りの2人を同じく助けたんだ。みんな無事だった」

 「よかった。まだ、けが人はゼロだね」

 「助けた子供を含めて五人は、入口に待機しているマックスの元に急いだ。彼がランタンを持っていて、それが煙の中で目印になった」

 「作戦は成功だ!」

 「入口で合流すると、総勢6人で急いで街を目指して森の道を急いだ。でも、やっぱり一日じゃ着かないから、森の中で野宿もした。お兄さん3人が夜通し交代で見張りをしたんだ。弟達はすっかり疲れきっていて、殆ど話す間もなく、ぐっすりだった」

 「犯人達も追って来てるはずだよね」

 「3人もそれを心配した。急ぎたい気持ちでいっぱいだったけど、体はもう言うことを聞かなくなっていた。疲れが溜まり過ぎていたんだな。各々が少しずつ寝て、朝イチで出発した。お昼になる頃には生まれ故郷である、あの田舎町に辿り着いた」

 「一件落着だね」

 「ところが、だ。街の入り口には、覆面を付けたあの洞窟の犯人らしき人が、6人立っていた。それはもう仁王立ちだ」

 「先回りされてたってこと?」

 「そう。でも、様子がおかしかった。覆面集団は笑ってるんだ、声を上げて」

 「どういうこと?」

 「彼らは笑いながら覆面を外した。そこには、見覚えのある顔が6つあった。その中には、コーディやマックス、フレディのお父さんの顔もあった。他には、町の花火屋のおじさんにペンキ屋のおじさん、居なくなった女の子のお父さんまでいた」

 「全部、自作自演だったってこと?」

 「難しい言葉を知ってるな。言ってしまえばその通り。でも、これには目的があった。これが、この村特有の成人式だったんだな。12歳の誕生日を迎えた男の子達は勇気を試される何かに巻き込まれるんだ。前の年は、野獣騒ぎだった。そして今回は誘拐事件だったわけだ。それで、無事子供たちを連れ帰ってきた3人は晴れて成人になれた」

 「そんなむちゃくちゃなー」

 取ってつけたみたいな結末で、正直ちょっとがっくりした。

 「でも、お父さんは最初に『1年に1回ぐらいしか事件は起きない』って言ったよな。成人式は1年に1回だから、これならフェアだろ。あと、最初に断られたジャックは1つ年下でまだ11歳だったんだ」

 「なるほど......」

 「これを伏線っていうんだ」


 ほら、やっぱりお父さんはこうやって辻褄を合わせてくる。最初から罠が張られていたんだから、ぼくに勝ち目はなかったわけだ。


 「知ってるよー。お父さんの得意な伏線ね」

 「そうだ。郁も、将来子供ができたら、お父さんみたいに上手にお話ししてあげるんだな。きっと、子どもにモテるぞ」


 自分で、上手って言ってるし。でも、本当の事だけど。そして、ぼくにモテている事も本当だ。


 「そうするよ。そんときは、お父さんの話使わせてもらうから」

 「それはずるいな。ちゃんと、おじいちゃんのお話だって言うんだぞ。著作権だ」

 「はいはい。そうしますよー」


 父さんがふふっと笑って、「そろそろだな」って腕時計を見ながら言った。画面右下の時計で確認するともう10時を回っていた。


 「うん。じゃあ、おやすみ。仕事頑張ってね」

 「おう。郁は宿題も良いけど、ちゃんと遊べよ。子どもの本分は遊ぶ事だぞ」

 「はーい」

 「じゃ、またな。おやすみ」


 そう言うと電話は切れて、お父さんが画面から東京に戻っていった。

 ふぅと息を吐いて、なんとなく目を落としたぼくのコンパスはちゃんと北を指していた。


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