1話 決意
エレノア・グルーシアには前世の記憶がある。
そしてこの世界が、前世で親友だった友人が書いていた小説の中の世界という事実を今この瞬間理解した。
「エレノア様、聞いていますか?」
「き、聞いています」
エレノアは思考停止していた脳を稼働させ、現実を受け止めるのに精一杯だった。
エレノアの家庭教師である老人とも言える年齢のポールがエレノアの集中力が切れているのではないかと顎に生えた髭を撫でている。
「では、復唱願えますか?」
エレノアは教科書の一文に目をやる。
ポールはエレノアがちゃんと話を聞いていたのか確かめるつもりだ。
エレノアは、ポールの話はちゃんと聞いていたのだ。
だが、その話があまりに理解できない素っ頓狂なものだったというだけ。
「ラントレー国の貴族の子供にはラントレー貴族学院への入学が義務付けられている」
「ちゃんと聞いていたんですね」
ポールのそんな言葉にエレノアは構っている暇などなかった。
ラントレー貴族学院。その名はエレノアの前世の親友が書いていた小説の中に出てくる学院の名であった。
つまり、エレノアはその小説の中の脇役でもない貴族令嬢に転生したのだ。
エレノアは物心ついた頃から自分が転生したのだと理解していた。
だが、この世界がその小説の中だとは思ってもいなかったのだ。
父親であるアランが頃合いだろうと家庭教師をつけて、今日がその最初の授業の日だ。
始まってものの数分で特大の爆弾が落ちてきたのだから、そんな中で授業に集中できる冷静さを保つ方がおかしい。
「ポールさん。ラントレー国の大公家の中にイーサン・バンフィールド様というのはいますか?」
「もちろんいらっしゃいます。ですが、どこでその名をお聞きに?エレノア様はまだ貴族を覚えになってはいないとアラン様にお聞きしたんですが」
「たまたま耳に入ったんです⋯⋯たまたま」
「質問は以上ですか?」
「はい」
「では、授業を再開します」
その後もポールの授業は淡々と続いていった。
前世の授業とほとんど変わらないその教え方に、エレノアは自然とこの世界のことを理解していった。
そして、この世界が小説の世界と同じだという確信も得ていった。
エレノアが、イーサンのことを最初に気にしたのは、彼が小説の中で仲間に裏切られて殺されたからだ。
ポールは教科書を閉じて、ふうっと呼吸を整えた。
エレノアへと視線を写し、授業の終了を示唆する。
「今日の授業はこれで終わりです。何か質問はありますか?」
「今日の授業には関係がないんですけど⋯⋯いいですか」
「いいですよ」
「イーサン・バンフィールド公子様に会うための手段はなにかありますか?」
ポールはエレノアの質問を一蹴することなく、エレノアの横へと座り、まっさらな白い紙に文字を書き連ねていく。
「まず、結論から申し上げるとなんの理由もなく会うというのは困難です。グルーシア伯爵家は革新派と呼ばれる派閥。バンフィールド大公家は保守派とよばれる派閥です。敵対派閥とまではいきませんが、この2つの交流はあまりありません。なので、関わりがあるとすれば、先程説明したラントレー貴族学院でしょうか。ただ、騎士学部と魔法学部、教養学部があります。ですが、この3つの学部で実際に関わりがあるかと言うと実際のところ、学部の違う生徒との関わりはほとんどありません。エレノア様がバンフィールド公子様に会えるとしても、教養学部と騎士学部では期待は持てないというのが私の見解です」
わかりやすいように整理された紙を見て、エレノアはある結論を見出した。
「騎士学部に入学できれば可能性はあるんですよね?」
「ええ、まあ。ですが、バンフィールド公子様は特待生入りするのではと言われてますので、騎士学部の普通生徒では取り合ってもらえないかもしれませんが」
ポールはエレノアに諦めてもらうための説明をしたつもりだったのだが、エレノアにとってそれは逆効果でしかなかった。
それをポールもその言葉で段々と理解しはじめていった。
そして、次の瞬間、エレノアはポールの前である宣言をした。
「騎士学部の特待生になればいいのよ!」
「え?」
あまりに素っ頓狂なことをエレノアが言うので、ポールは空いた口が閉じれずにいた。
ポールは雇い主のアランにエレノアの教養学部のための授業をするように言われていたのだ。
なのに、当の本人ときたら騎士学部の特待生になりたいというのだから、あまりに話が違う。
ポールは軌道修正をしなくてはとエレノアの説得を試みようとした途端、エレノアはポールににこやかな笑顔を向けていた。
その瞬間、立ち上がり嬉しそうに笑うエレノアを見てポールは何も言えずにいた。
「ありがとうございます。ポールさん、私、お父様に直談判しに行くわ。善は急げ、だもんね」
エレノアはポールのこと表情など気にせず、満面の笑みを浮かべていた。
「え、ああ、はい。お力になれたなら何よりで。ああいや。エレノア様――」
ポールの本音はエレノアに届かないまま、エレノアは部屋をあとにしてしまった。
エレノアはアランの執務室の扉をノックする。
「誰だ?」
貴族モードの父親であるアランの冷たい声に臆することなく、エレノアは自らの名を告げた。
「エレノアです。お父様」
エレノアの声にアランは今度は優しい声で「どうぞ」と声をかけた。
エレノアが扉を開けるとアランは羽ペンを置いて、机の上で手を組んでいる状況だった。
「授業が終わったんだね。どうだった?はじめての授業は」
アランはエレノアが授業のことを報告してきてくれたのだと思っていた。
エレノアはアランに授業は滞りなく終わったことを報告すると、一呼吸置いて、アランにお願いをした。
「お父様にお願いがあります。私にラントレー貴族学院の騎士学部特待生になるために、剣術の先生をつけてほしいんです」
「もう一度いいかい?」
アランはその言葉が嘘だと言ってくれと言わんばかりに顔をしかめた。
今まで剣術をやりたいなどと言ったことのない娘から出てくる言葉だとは思えなかったからだ。
アランは授業は本当に滞りなく終わったのかとポールを今すぐ呼び出して聞いてやりたい気分だ。
「私をラントレー貴族学院の騎士学部特待生になるために剣術の先生をつけてほしんです」
もう一度繰り返された文言にアランはこれが夢ではなく現実なのだと知らしめた。
そして、頭を抱えた。
今まで可愛がってきたエレノアが剣を持つことなど予想などしていなかったからだ。
私兵の騎士らに対しエレノアが興味を持ったことなどなかったのに、なぜ今になってとアランは状況を理解しようと賢明に頭を働かせたが、エレノアがその夢を叶えたいと願う理由に対して検討もつかなかった。
「なぜ、騎士学部特待生なんだい?」
「イーサン・バンフィールド公子に会うためです!」
「会うだけなら騎士学部特待生になる理由はないんじゃないか?」
娘を騎士の道へと進ませたくないアランは、エレノアに別の道を提案させようとしている。
だが、絶対にイーサンを救済させるためには、アランの説得が必要不可欠なエレノアがそんな説得で簡単に諦めるはずがなかった。
諦めるわけにはいかないエレノアはイーサンの素晴らしさを説くことにした。
「イーサン公子様はとても強くてかっこいい方だと聞いたの。私も彼のように強くなって、いつかはイーサン公子様に会いたいの」
「エレノアがイーサン公子様に会いたいというのは分かったが、特待生なんて目標があまりにも大きすぎないか?」
熱い思いを告白したエレノアに、アランはあわあわと口を動かしていた。
どうしたのだろうとエレノアが首を傾げていると、アランが神妙な面持ちのまま小さな声でぼやいた。
「もしかして、公子のことが」
「え?」
あまりに小さい声で呟いたアランの声を聞き取れず、エレノアは思わず声を漏らした。
「公子様のことが好きなのかい?」
落ち着きを取り戻せていないアランが、エレノアに聞き返す。
エレノアは、自分がイーサンに惚れたから彼との接点を作るために言っているのだとアランが勘違いしているのだと理解した。
だが、エレノアがここは小説の中で彼の死を止めるために近づく必要があると言ったところで、アランがその話を信じてくれる気もしなかった。
むしろ、医者に見せようとするかもしれない。
娘の頭がおかしくなったと。
エレノアはイーサンに惚れたからというのが現実的な理由として信じてもらえると判断した。
そして、彼に惚れた令嬢を装って父親へと懇願する。
「ええ。とてもかっこよくて強い方だと聞いたんです。私はそんなイーサン様が好きなんです」
「そ、そうか。だが、派閥の違うエレノアを彼が婚約者にと望む可能性はないかもしれない。それでもいいのか?」
アランはエレノアがそこまでして失恋するのが怖いようだ。
今、エレノアは6歳。ラントレー貴族学院に入学するのは14歳だ。
だけどアランもエレノアがそこまでの思いが続くとは思っていないだろう。
だが、エレノアはイーサンと恋仲になるのではなく、イーサンの死を止めるために彼と接点を作り、死へのルートから彼を救い出す。
それが目標だ。
「もちろんです。絶対に途中で諦めたりしません」
アランにはエレノアの意思の固さが見て取れた。
それほどイーサンを思っているのだと理解した。
「すぐに剣術の先生を用意してみるよ」
「ありがとうございます!お父様」




