転生少女、忠告を受ける
「とにかく!リーナは連れて帰らせてもらうから!」
「どうぞ?もう、その子のは貰ったからいいよ」
全身の毛を逆立てて威嚇する猫の様に男を鋭く睨みながらゆっくりリーナの元へ歩んでいく。
さっさと変わらず宙に寝ている彼女に手で触れると、その身体はふわりと地面に着地した。
どんな原理になってるんだか、さっぱり分からない。
覗き込むと彼女の白い首筋には赤い斑点が縦に二つ、幸い目立つ様な場所じゃなかった。
シャツの襟で隠せば見えなさそうね。
「遅くなってごめんなさい。一緒に帰りましょう」
未だに深い眠りの中にいるリーナの髪を数回撫でたあと、彼女を背負って教会の扉へと歩き出した。
意外と重たいな……というか、背中に脂肪の塊が押し付けられている。くっそ、リーナも巨乳族の輩だったかっ!
「……ねぇ、一つだけ忠告しといてあげるよ」
黙々と歩いていたその背後から声を掛けられる。けれど、出来るだけリーナを起こさない様にしたい私は彼を振り返ることはせず、足だけを止めて耳を傾けた。
「君は確かに馬鹿だけど、僕の正体を見抜けたし、そのご褒美って所かな」
「……なによ」
「この学園には僕以外にも何人か吸血鬼がいる。バレないように生活しているみたいだけど、そろそろ奴らも人を襲い始めるんじゃない?」
「それ、どういうこと?」
聞き捨てならない言葉に反射的に振り返った。
暗いフードの奥から僅かに見えた口元が面白がるようにせせら笑う。
「君達人間は知らないだろうけど、吸血鬼っていうのは普段は血を飲まなくても生きていける。けど、その間の吸血欲っていうのはどんどん溜まっていくんだ。そして、その吸血欲は月が満ちるに連れて膨れ上がっていって、満月の夜最高潮に達するんだよ。ほら、そこの窓から月が見えるだろ?」
指を刺されて窓を見上げれば、あと数日ほどで満ちるであろう月が青白く輝いていた。
「僕みたいに常日頃から吸血して発散しているならまだしも、奴らはこの学園に入ってからまだ一度も吸血したこと無いみたいだからね。いつ爆発してもおかしくないと思うよ」
つまり、こいつはいつも血を吸ってるから大丈夫だけど、他の吸血鬼もとい攻略者達はこの学園に入って約数年の間、ずっとずっと吸血欲を我慢してきているのでいつそのリミッターが解除されるかわからないという事らしい。
……あ、というかそのリミッターが解除される時っていうのがきっとヒロインとの絡みのシーンなんだろうな。 ほら、ヒロインはシナリオでめっちゃ吸血シーンがあるらしいから。
前世の私?まず、そのシーンまで辿り着きませんでしたけど??
「って事はまだ大丈夫じゃん!」
ヒロインくるまであと一年ちょっとあるし。
まだ、あともう少しくらいはみんな我慢できるでしょ。
「何が大丈夫なんだか……。確かに最近は吸血欲を抑えるサプリメントなんかもあるけど、いつまでもそれで本能を抑えられるわけじゃない。特に」
すらすら流れる様に語っていた彼の言葉がピタリと止む。不思議に思って顔を上げると、フードの奥の彼の瞳とバッチリ目があって一瞬心臓が跳ねた。
「特に、紅月の夜はまずい」
「紅月……」
彼の言葉を噛みしめるように復唱する。
紅月。この世界では不定期に月が真っ赤になる夜がある。それが、紅月。
私もこの世界に転生して何度か見た事はあるけど、紅月の日は目に映る全ての世界が赤一色に染まり、何故だか心が酷く騒つく不吉な空気が訪れる。
だから、紅月の夜は誰も外に出ないし、どこの店もさっさと店を閉めるんだ。実際、うちの食堂もそうだったし。
「紅月には人だけじゃなくて魔物をも狂わせる程の魔力があるんだよ。その日ばかりはこの僕ですら本能に抗えなくなる。そんな日にもし、吸血鬼に出くわしたりしたら……致死量まで血を吸いつくされるだろうね」
「う、嘘……」
「嘘じゃない。君みたいな鈍間だったら確実に捕まっておしまいだ」
さらっと恐ろしい事を告げられ、身が凍りついた様に動かなくなった。よくよく考えたらここ数年、紅月は起こってない。という事はここ近辺で起こる可能性は十分あるって事だ。
だ、大丈夫だとは思うけど一応気を付けよう……。そんでもって、やっぱり攻略者には近寄らないようにしないと、うっかり紅月の日に一緒にいようものなら私は間違いなくそのままいただかれてしまう。
「なんでそんな事私に教えてくれたの……?普通、吸血鬼だってバレたら生かしておかないとかない?」
「何?君、死にたかったわけ?」
「いえ、滅相もございません」
一瞬彼から殺気を感じて即座に否定した。
危ない。自ら破滅ルートを選択する所だった。
「まぁでもそうだね。普通だったらそのままにはしておかないよ。今までの子たちみたいに記憶を消してから帰す」
「じゃあ、どうして私の記憶は消さないの?
……はっ!もしかして、今恩を売っておいて、後から血を要求しに」
「だから、君の血は要らないって」
「ですよね」
「なんか自分でもよくわかんないけど君の記憶は消さない方がいい気がした。……それに、なんでか君には出会った時から嫌悪感を感じる」
「はっ?」
え、何いきなり。
彼の言ってる言葉が理解できなくて首を傾げる。
あ、いや。言葉の意味は理解できるんだけど。
なんで初対面でそんなに嫌われてるの私。出会った時から嫌悪感って、それ完全にディスられてるよね?
「なんか君を見てると嫌な事を思い出すというか、まるで大切なものを壊されたような苛立ちがあるんだよね。……あー、あとその子とかアイリス嬢を見た時も同じ感覚になる」
そう言って私の背で眠るリーナを静かに指差した。彼のその言葉には思い当たる節がある。
攻略対象者である彼は本能で私やリーナが自分やこれから彼が好きになるであろうヒロインに害を成す存在だと言う事を察知したのか、もしくは彼ルートのシナリオ中で本当に私達がヒロインを壊してしまうのか。
どちらにせよ、彼が悪役の私達に嫌悪感を抱くのは納得できる。
すげぇな、攻略対象。
大当たりだよ。
……まぁ、今の私はそんな事しないけども。
「なのに、リーナの血は吸ったのね」
「彼女は大人しく捕まってくれてたからね。誰かさんと違って」
「怪しい男に捕まってる時に、大人しくしてるわけがないでしょ!?」
嫌味ったらしい口調に若干キレながら返答すると、すぐさま彼は首を横に振った。
「いやいや。普通はこんな色男に捕まったら、どんな女の子だって喜ぶよ?」
「どこが色男なの!?というか、フードで殆ど顔見えないじゃない!」
私がまくし立てると彼は急に黙り込んだ、かと思うと、被っていたフードに両手をかける。
そして、フードがパサリと音を立てて捲れた。
フードの中から現れたのはアイリスより少し霞んだブロンドの髪の青年。
ツリ目の紅の瞳が性悪な性格をよく表している……と口にしたら本人が間違いなく激昂するでしょう。でも、確かに美丈夫である事には間違いない。本人が色男と自称するだけの事は、あるな。
露わになった彼の顔に私は思わず釘付けになる。
それを見てか、彼は口の端を上げてニヤリと笑った。
「何?見惚れた?」
「い、いや。想像以上だったからちょっと驚いただけ……」
嘘です。思いっきり魅入ってました。
い、いや。だって、危なさ全開のフード男がまさかこんなにイケメンだとは思ってなかったんだ。
そりゃ、攻略対象者だからイケメンなのは当たり前なんだけど。
ーーピコン
ライア・ベルロット
吸血鬼(純血種)
好感度……-10
ヤンデレ度……0
素顔を視認できた事で彼の情報が更新されたようだ。
お決まりの電子音と共にウィンドウが表示され、表示された情報を順々に追っていくと画面下の辺りでピタリと止める。
好感度にマイナス値ってあるのか。
嬉しいような、虚しいような複雑な気持ちだよ。
「忠告はした。後は君次第だから、襲われようが血を吸われようが僕の知ったこっちゃないよ」
もう話す事はないと私達に背を向けるライア。
相変わらず憎たらし口調だけど、忠告してくれた辺りそこまで悪い人でもないのかも知れない。
……いや、撤回。大勢の女子生徒を誘拐して血を吸ってる時点でこいつも結構な悪だわ。
「教えてくれてありがとう」
とは言ったものの、彼のおかげで吸血鬼について少しだけ勉強できた。ので、少しだけ感謝してなくもない。ほんの少しだけ。
「あ、そうだ。そんな馬鹿な事絶対ないと思うけど、もし万が一僕の正体を周囲にバラしたりしたら襲いにいくから」
振り返って満面の笑みで告げるライア。でも目が全く笑ってない。これ、本気だ。私が吸血鬼って単語を出しただけでも殺しにくるって目が語ってる。
「しないしない!私、まだ死にたくないし」
「そう。じゃ、早く行きなよ」
今度こそ、彼は私に背を向けて闇の中へとその姿を消した。
やっぱり人間業じゃないんだよなぁ。
最後までイリュージョンを観ているような気持ちで少しの間だけ彼の消えた暗闇を見つめていたけど、背中でリーナが眠っている事を思い出して早足で教会の外へ向かった。