白い騎士と獣の老婆
深き緑の園と呼ばれる、
太古から続く、大きな森の中で、
人と、アライ族が先を急いでいた。
都は、死んだ。
もう、あの場所に、普通である者は残っていない。
人であり続けた者は、
やっと、あの都を捨てる決心をしたのだ。
とても、遅すぎた。
我らは、減った。
かなりが、都の再生を信じ、
黒を吐き出し、怪異となった。
若い、端正な顔立ちの騎士に、
年老いた老婆のアライ族が近づく。
「……ロトラ殿……」
「だいたい、逃げ終わったかねぇ……」
小柄で、子供ほどの背丈しかない老婆は、
しかし、灰茶の毛並みと尻尾は、
綺麗に整えられている。
左の腕には、簡易に装飾された弓が光る。
族長としての、確かな威厳と、気品があった。
「……この度のアライのご助力、感謝の言葉がない……」
「ふん、畏まるんじゃあないよ。最初に我らが、おぞましいシンエルを感じ取った時に、すぐに動いていればよいものを……」
「……」
白髪の若い騎士は、窘められながらも、
しかし、獣人の老婆の言葉を、受け止める。
彼女の指摘は尤もだからだ。
彼らは、時間を、かけすぎた。
「お言葉、痛み、いる……。あの言葉、すぐに信じるには、この都は豊かさに過ぎた……」
「壁に囲まれ、本能を忘れし生き物よ。守るために、命を動かす速さを知らん」
「……言葉は、返せぬ……」
命を動かす速さ。
人の身で、あまり使わない言葉の表し方だ。
だが騎士は何故か、しっくりと感じ入るものがあった。
人が代々、蔑んできた獣人達は、
壁の外で、あらゆる理を感じ取り、
転々としながら、生き残ってくれていた。
だからこそ、僅かに救えた命があるのだ。
「……何故」
「なに?」
「何故、我らを助ける……我らは互いを、毛嫌いし続けてきたというのに……」
騎士は、問う。
対等に、問う。
老婆に、問う。
問う、ということは、
対話の始まりなのだ。
「……明日の目覚めが悪いと思ったからだよ」
「目覚め?」
「我がアライの一族は、長年、人への不干渉を決め込んできた……随分前のことだがね、同胞を帽子にされた恐怖ってのは、ずっと語り継がれているんだよ」
「……」
「でもね、私たちゃ、ちょっと賢くなりすぎた。ケモノにしては、随分、文化的になっちまった。違う種族でも、家族を思う気持ちがあると、理解できる程にはね」
「ロトラ殿……」
「私はね、掟破りのバカ族長さ」
「……其方の慈愛、豊かさに腐った我らも、気づきはじめている」
「どうだかね……アライは掟を破った。我らは族名を捨てようと思う。皆、何故か賛同した。よくわからないものだ」
「……誓おう。我が生涯、獣人と、人との架け橋となるよう、尽力すると」
「くくくく……まるで、新しい王のようだ」
「……お戯れを。とにかく、生きねば。この地はまだ、自然に飲み込まれている。この森の近くに、豊かさに慣れた人々はまだ、住めぬことだろう。新天地まで、厳しい旅が続くはずだ……だが、我らは帰ってくる! 必ず、この場所に! いくら、時がかかってでも……其方達がいる、この森に……!」
「く、こんなばぁさんに言っても、得はないよ」
獣の老婆が距離を縮め、
騎士の、すぐ隣に寄る。
共に、茂りの向こう、
都の空を、見あげた。
" ……──ガルルルロロオオオオオンンン──……!! "
「……先ほどの音……やはり、鳴き声だったのだろうか……」
「……あれはだめだよ。逃げる他ない」
「……」
白髪の騎士は、願う。
ただ、あの声の主が、前に、進まぬように。
出来るならば、あの場所から、出てこぬように。
ただ、ただ、願う。
人を変えてしまう黒が、
ただ、広がらぬように。
「……我が願いを聞く、神などいるのか……」
「お前さんの言っていた、隊長の血筋はどうした」
「隊長も、その娘殿も、まだお見かけできぬ……」
「……そうかい」
「……先の問い、隊長の娘殿にも、聞いたのだ」
「なんだって?」
それは、獣人に心を開いたがための、
彼の、弱さの表れだったか。
滅びゆく都の空を見て、
白髪の騎士は、言葉をもらした。
「……あの娘は、昔から、忌み嫌われていた……騎士団に加わった時、驚いたものだ。彼女が突入隊に志願した時、ふいに問うた。"何故、忌み嫌われてきたのに、助けようとする"と」
「……して、なんと返された」
「────"黙れ"と」
「くくくく」
「我は……愚かだな」
「普通さ。気持ちなんざ、そうそう理解されてたまるか。その娘は、自分で決めて行ってるよ」
「……愚王は、倒されただろうか……」
「さぁね。先の声の主に、喰われたかもしれないよ?」
「……。もう、彼女の力を、信じるしか他ない……」
「私たちゃ、信じちゃあいないが……その娘は、持っているんだね?」
「……持っている。我らが繁栄の証、"時限"を超越せし、紫の輝きを……!」
「…………む? まて、なんだこれは」
「──?」
人より優れた感覚を持つ獣人の長、
それらの経験と知識を以て、違和を口にする。
「どうなされた」
「なんだ、このシンエルは……ッ!?」
「……ロトラ殿?」
彼女の目線は、動かない。
食い入るように空を見る、獣の老婆。
その目は、徐々に開かれていく。
「! ……──ッ?」
ただ事ではないと感じた白の騎士は。
また、視線を戻し、空を捉える。
その瞬間────……、
『───────ュゥゥゥウウンンンンッッ!!!!!!!』
……────光の柱が、疾った。
( º дº)<目撃者、確保。










