えほんとしまい
コォン、コォン、コォン────……
光差し込む廊下に響く足音は、その距離に響き、自分から発せられているとは思えないような、不思議な印象を抱かせる。
私は、甲冑とドレスが合わさったような装備を好む。
女を捨てたくない……という理由からでは、もちろんない。
全身甲冑を全て着込んだ場合、その重さは軽くても60ケルガ、重盾職の物になると、100ケルガは超えるだろう。
剣技職や軽技職にとって、鎧の軽さ、というものは、常に追求対象である。
私たちの技は、何に置いても、早さを味方につけた方が、勝つからだ。
大きな技は、遅ければ当たらず、意味をなさない。
小さな技は、早い代わりに軽く、反撃をもらう。
素早く切り、早く防ぐ。
当然の事だ。
これが理想の戦い方だと、皆が知っている。
しかし、剣を振るうには、重さがいる。
剣に重さを移す足さばき。
すぐに動ける装備の重さ。
そのための、理想的な姿だというのに……。
「あ、ひらひらのねーちゃんだ!」
「ほんとだ! ひつじさんだ!」
「ひつじのおねーちゃんだ!」
「ちがうよ! あのひとは、いもうとなんだって!」
「ひらひら! いもうと!」
「は、はは…………」
目の前から、孤児院組の子供たちが走ってくる。
……相変わらず、口の利き方を知りませんわね……。
「ヒキハ、今日は何しにきたの?」
「……まず、挨拶をなさい。こんにちは」
「「「「こんにちは!」」」」
「で? 何しにきたの?」
うーん。
私たちも、ここにいた頃は、こんなだったのだろうか。
いや、姉さまは、こんなだったかもしれないな……。
私はもう少し大人しかったと、信じたい。
「……マザーの顔を見に来たのですよ」
「え〜! 教会は逆だよ?」
「こっちからは、"こじいん"だよ!」
「ああ……ええと、ちょっと懐かしくなって……」
「前も、オシハと来てなかった!?」
「あ……ははは」
「あ〜〜! なんか隠してる!」
「ヒキハは、嘘の時、笑うからすぐわかるよ!」
「う……」
自分はまだまだ修行不足のようだ。
こんな子供にも、秘密を見抜かれるとは。
今の立場では、機密を扱う事もあるというのに……。
「きゃはは! じゃーね! ヒキハ!」
「また遊んでね!」
「次はいちげき入れてやる!」
手を振りながら、笑顔で子供たちを見送る。
思わず、ここに来た理由を隠してしまった……。
"絵本を見にきた"なんて、恥ずかしくていえないわ……。
いつも、教会に立ち寄る時は、こんなに奥に入る事は、ほぼ、ない。
今の私は、格好だけなら、剣士だ。
当然、剣も携えている。
そのような武器を持つ者が、子供の生活する場所に、気安く上がり込むものではない。
姉ときた時は、孤児の数の調査や、有望な候補生の引き抜きしか行わなかった。
個人的なお布施は、マザーに渡しているし。
私たちが育った場所には、剣を持ってからは、初めて入るかもしれない。
「……随分、ちいさくなったものです」
……私が子供だった時、ここは、もっと広大であった筈だ。
ほんとうに、久しぶりにここに入る。
区分けされた、集団で寝るベッドの部屋。
濃いピンクのカーテンで覆われた、食堂。
室内に拓けた、お遊戯をする、ステージ。
全てが、記憶より、ちいさく、可愛く、愛おしい。
あの時の私には、何か魔法がかけられていたのではないか。
そんなふうにさえ、思ってしまう。
今、この場所に不釣り合いな大きな私は、実に、こっけいな存在だった。
「……なつかしい」
思わず、声に出た。
この孤児院に、図書室はない。
王都という、大きな場所の孤児院だからこそ、人が集まり、備蓄や資材、書類は、大量となる。
本を置く場所が、とうとう、溢れだしてしまったのだ。
特に、子供向きの絵本なんかは、こんな所に横一列に並んでいる。
"廊下図書館"。
今も、そう呼ばれているだろうか。
この本棚の列だけは、今の私にとっても、巨大に感じた。
低い、倒れて子供に怪我をさせない三段の本棚。
それが、廊下の窓側の壁に、びっしりと並んでいる。
今日も、天気がいい。
窓から照らす光の影に、ひっそりと本たちは、並ぶ。
この光景だけは、とても鮮烈に覚えている。
「なな……はち……きゅう……」
コォン、コォン、コォン────……
「じゅう……じゅういち……」
コォン、コォン、コ────……
「じゅうに!」
あった。
すぐわかる。
背表紙が、ハデすぎる。
「……"義賊クルルカンの冒険"」
どうしても、この絵本が、読みたくなってしまったのだ。
いつも、黄金の仮面を被り。
馬鹿みたいに大きなマント。
派手で道化のようなヨロイ。
人の心を守るために、盗む。
誰かの誇りのために、壊す。
彼に追いつけるものはなく。
彼を知る者は、誰もいない。
黄昏る心を持つものに現れ。
その黄金の心で、皆を救う。
気づけば、彼は消えている。
瞬きする間に、消えている。
そして、私たちの心の奥に。
黄金の光だけが、残るのだ。
気づけば、鎧の足をくずし、ドレスを広げ、
床に座って、読みいっていた。
この本を見て、子供の頃は、憧れが勝った
"なんて、格好いいんだろう!"
"なんて、尊い心だろう!"
"私も、こんなふうになれたら!"
…………でも。
大人になった私は、何だか、可哀想な気持ちになった。
誰かを守るため、壊し続けて、
誰にも追いつかれることなく、
誰からも助けられることなく、
誰かに幸福だけを配り続ける。
仮面は、彼に友を作らせない。
仮面は、彼を道化師に見せる。
仮面は、彼の悲しさをかくす。
仮面は、彼だけを駆り立てる。
「………………」
思い出されるは、一人の少女。
晴れた森の中。
笑顔を浮かべ、
掻き消えるように、消えてしまった、
あの、黄金の娘を。
……そうか。
あの時、私は悲しかった。
もう、彼女と、話す事すら、できないかもしれないことを。
憧れの人を、一人で送りだしてしまったことを。
「……多分、私は、子供の頃から、思っていた。この仮面のひとは、孤独だと。この仮面のひとだけに、任せてはいけないと……」
人任せにする、罪悪感。
鍛錬し、力を得たからこそ、そこに浮かびあがる、後悔。
……私は多分、彼女の、助けになりたかった。
彼女は、少しだけ、教えてくれた。
彼女を動かす、仲間の事を。
権力の外から、誰かを守り続ける存在を。
くちから、ほろりと、こぼれた言葉があった。
「……隠れSランク……」
昔、この話を姉から聞いた時、ばかにした記憶がある。
全ての強者が、大衆に認知されている訳ではない。
だから、必ず、いる。
誰にも知られない、大いなる力を持つ者が。
でも。
そんな力を持ってたら、自慢するでしょう?
そんな力があったら、みんな知ってるでしょう?
みんなをビックリさせて、目立って、頼りにされて。
それこそ、英雄になってしまうでしょう?
「……そうだ。そんなふうに、私は言い返した。お姉ちゃんに」
「────ありゃ? 私、なんか言い返されたっけ?」
────!
がばぁ。
「わっ────!」
まったく、気配は、感じなかったのに!!
「えへぇ、な──に、なつかしいもの読んでるの? 地べたに座ってさ!」
「ね、ねぇさま!」
「ええぇ────!! さっきみたいに、"お姉ちゃん"って呼んでよぉ────!!」
王都、"剣技職"部隊、総隊長。
"プレミオムズ"剣技職。
────────オシハ・シナインズ。
私の最愛の姉が、後ろから抱きついていた。
「ほ──んと! ヒキハちゃんは、大人っぽくなっちゃってさ?」
「いや、姉さま……」
あなた……
私よりもおっぱい、大きいでしょう……。