EP 30
美味なる毒
アルクス城の作戦会議室。その空気は、以前の悲壮なものではなく、静かな自信と、新たな緊張感に満ちていた。
メイド長のセラフィナが、リオナに最新の報告を上げていた。
「――以上の情報から、隣領のバルカス・ヴォルグ伯爵が、我がアルクス領を明確な脅威とみなし、警戒を強めているのは間違いありません」
「ヴォルグ領が…」
リオナの表情が、わずかに曇る。
その横で、賢者ルーナが、優雅にカップを傾けながら、くすくすと笑った。
「当たり前さ、リオナ。彼らから見れば、今まで見下していた貧相な獲物が、急に丸々と肥えてきて、自分から身体に美味しそうな油を塗り始めたようなものだからね。今、私たちが一番、美味しそうに見えるのさ」
「どうしたら、いいの…」
ルーナの的確だが、意地悪な例えに、リオナは不安げに呟いた。
その時、これまで黙って話を聞いていたシンイチが、セラフィナに視線を向けた。
「セラフィナ。お前ならどうする? …まさかとは思うが、この状況で、四方八方全てを敵に回すような、愚かな戦略は立てないな?」
その問いに、セラフィナは、表情一つ変えずに、しかしその瞳の奥に、確かな自信を宿して答えた。
「とんでもございません、シンイチ様。策は、至ってシンプルです。――この芋を、彼らに売れば良いのです」
「ほう…」
シンイチが、面白そうに口の端を上げる。
「売るって…敵に塩を送るようなものじゃないの? それで、どうするの?」
リオナの素朴な疑問に、セラフィナは、自らの計画を淀みなく開示した。
「はい。食糧難は、ヴォルグ領に限らず、どの領地も喉から手が出るほど解決したい課題です。まずは『人道支援』や『友好の証』として、我々の新しい作物を、安価で彼らに提供するのです」
「ふふん、セラフィナ。君って、本当に悪どいことを考えるねぇ」
ルーナの茶々に、セラフィナは構わず続けた。
「最初は、その美味しさと、腹持ちの良さに、彼らは熱狂するでしょう。そして、自領のまずい黒パンや薄いスープに、次第に満足できなくなる。我々の作物がなければ、もう駄目だ、と…。そうなった時が、好機です。徐々に値段を吊り上げ、こちらに有利な交易条件を提示するのです」
シンイチは、その戦略の本質を、瞬時に見抜いた。
「…依存度の高い、甘い飴、か。なるほどな」
「そうさ」と、ルーナが引き継ぐ。「一度知ってしまった、美味しい食べ物の味が忘れられなくなる。その味を再び手に入れるためには、こちらの出す条件を、呑まざるを得なくなるという訳だ」
セラフィナは、静かに、そして冷徹に締めくくった。
「どれほど屈強な兵士であろうと、高潔な騎士であろうと、己の『空腹』と、快楽を覚えた『舌』には、逆らえませんから」
それは、武力を用いない、静かなる侵略計画。
シンイチは、この世界の「頭脳」が、自分の想像以上に、合理的で、そして恐ろしいものであることを知り、満足げに微笑んでいた。




