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番外編 その日、果実は戦慄した

 その日、果実(かじつ)は戦慄した。殊更強く握っている一枚の紙を凝視する。が、当然の如く何度見ても目に入って来る情報は変わらない。周囲の文字よりも一際大きいフォントで書かれた「D」の文字。それも残念な事に一つのみならず、数個記載されていた。


「D判定って……。全くもって笑えない……」


 今を煌めくアイドル・小林果実本人だとは到底思えない禍々しいオーラを身に纏い、ヒクヒクと口元を歪める果実。そんな果実を慰めるように、松基(まつもと)が肩に手を置いた。


「諦めな。それが現実だから。大体、あんたここ最近本来のアイドル業に加えて映画の撮影だったり、隙間に文化祭の練習までして全然勉強してなかったじゃん。当然の結果でしょ」


 前言撤回。松基は慰めるどころか淡々と事実を突きつけ、トドメの一撃を刺してきたのであった。「うっ……」と呻き声を上げながら胸を抑える果実。どうやらクリーンヒットしたらしい。


「そうだけどっ! この時期にD判定はヤバいって!! 高三の秋……、てかもう冬に片足突っ込んでるし!! これなんとかなるモンなの!? マジどうしよう~~!!」


 落ち込んだかと思えば、目をカッと見開き松基の方を前後に激しく揺らし泣き言を吐露する果実。感情の起伏が激しすぎやしないか、とツッコミを入れたくなるが、模試の結果で一喜一憂してしまうのはこの時期の受験生であれば致し方ない部分も多いだろう。

 アイドル活動を認める代わりに大学進学はキチンとする、と実父が亡くなって以降世話になっている叔母と約束をした背景があるため、果実は何としても受験を突破しなければならなかった。しかし、松基の言う通り、近頃は初めての映画撮影を始め音楽番組への出演など様々なチャンスに恵まれ忙殺されていた。あまり口を大きくして言えないが、忙しさのあまり授業中に夢の世界に旅立つことも少なくなく。とどのつまり、近頃は受験生としてはあるまじき勉強から離れた生活を送っていたのである。果実は、まぁなんとかなるでしょ、と思っていた夏前の自分を殴りたい気分になっていた。


「果実の気持ちがわからんでもないけどさ。悩んでる暇あったらちょっとでも勉強した方が良くない?」


「うぐっ……。もうそれ以上は勘弁してください……」


 果実は魂が抜けきった表情で天を仰いだ。

 一気に老け込んだ錯覚を覚える親友の姿を確認し、松基は呆れながらも助け船を出す事を決めた。……といっても、実際に助けるのは松基本人ではないのだが。なんだかんだ言いつつ、松基も人の勉強の面倒を見れる程余裕は無いのである。


「杜中(もりなか)くんに応援要請出したら? 去年、学年順位下位筆頭の数研の先輩が藁にも縋る思いで杜中くんに教えを乞って秋から猛勉強したら合格したって逸話あるじゃん」


「え、何その逸話!? てか聡馬(そうま)が他人の面倒見るなんて珍し!!」


「アタシ達数研の部室を会議室代わりに便利に使ってたじゃん? なんでも、四の五の言ってられなくなった先輩が、そこを突いて杜中くんに臨時家庭教師役を迫って粘りに粘って首を縦に振らせたらしいよ」


「へぇ~。粘り勝ちとはいえ聡馬が了承するなんてねぇ。やるじゃん、その先輩!」


「いやいや、本筋を見失わないでよ。どう考えても凄いのは杜中くんでしょ。何で一個上の先輩のカテキョ役やってシレっと受からせてんのよ。どんだけ敏腕なのよ。てか、何でできるのよ。色々可笑しいでしょうよ」


「まぁ、そこは聡馬だし? 今更って感じだよね」


 本気で理解できないという表情の松基に笑いかけながら、果実は末恐ろしい従弟の顔を脳裏に思い浮かべていた。








「……で? 俺に教えを乞いに来たってわけ?」


「偏にわたくしめの努力不足が生んだ結果ではございますが、お力添え頂けないかと……! 何卒……!」

 聡馬の自室の前でここぞとばかりに、ははあぁ、と芝居めいた掛け声を出しながら、果実は見事なまでの土下座を披露していた。そこにプライドは存在しない。強いていうのならば、アイドルを続ける為に是が非でも大学受験を突破しなければならない、という思いが果実を突き動かしていた。


「暇だしいいけど。ただし、合格するって保証はしないし、あくまでも自己責任だからな」


「そりゃ勿論! ありがとう!! マジで頑張るからビシバシお願いしますッ!!」


 勢いよく頭を上げたかと思えば目に炎を宿し拳を握る果実。完全にやる気モードである。この時ばかりはどんなに厳しい指導でも、大量の課題でも、何でもやってやるという気力に満ち溢れていた。……のだが、この時の発言を数日後には少しばかり後悔することになる。

 メンタルを削る率直なダメ出しを始めとした予想以上のスパルタ指導、隙間時間を有効活用する為に考え尽くされた課題。そして何より。聡馬は果実のスケジュールを完全に把握しているため、「スケジュール的に厳しくて出来なかった」という言い訳が一切通用しないのである。それにより、何が何でも与えられた課題を熟すしか道は無い。それこそ聡馬にさえも見放されてしまえば、果実にこの大学受験という名の壁(しかもタイムリミット間近)を乗り越える希望は絶たれるのだ。


(つ……辛すぎる……)


 時には目の端に涙を浮かべ、時には白目を剝きながら、それでもひたむきにアイドル活動と並行しながら参考書及び聡馬の課題に向き合い続けた。

 その結果。


「あった……。あった! 私の番号あった!!」


 果実は奇跡的に合格を果たしていた。

 込み上げてくる安堵や聡馬への感謝。そして何より、


(顔も名前も知らない同門の先輩……! マジ尊敬します……!!)


 同じだけの苦難を乗り越えた筈である聡馬に泣きついた始まりの者・顔も名前も知らない一個上の数研部長に敬意を表していた。

 そして数時間後の職員室では、合格絶望的であった果実を受からせた聡馬の手腕に職員たちが唸り、歓喜し。次第に学校中で聡馬は「生ける受験の神様」として密かに称えられ、これまた伝説になっていったのであった。

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