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Room No.403  作者: 水月康介
2年次2学期
72/80

ツンデレではなく、飴と鞭


 体調を崩した繭墨を強引に部屋に連れて帰り、ちゃんと寝たのを確認した翌日。

 ――と言葉にすると何かすごくドラマチックで、僕たちの間柄もとても近しいように錯覚してしまうが、実際のところは何もなかった、その翌日。


 一つ屋根の下にいる繭墨から、スマホに音声着信があった。


『おはようございます』


 電話越しの声は、普段よりも通りがよくない。


「おはよう。どうしたの」

『今日は休みます。まだ体調がすぐれないので』

「……ああ、そっか。うん。どうぞご自愛ください」

『はい。それでは』


 通話が終わっても僕はしばらくスマホを眺めていた。

 先に繭墨の方から連絡が来るなんて、随分と素直になったものだ。


 昨日あれこれと世話を焼いたせいで、警戒されたのだろうか。


 僕にこれ以上口を出すきっかけを与えないように、先手を打って潰していく方針?

 それとも、わたしのことは気にせず先に行ってくださいという、言外のメッセージ?


 どちらにしても不安を感じつつ、スマホで時間を潰すこと数分。

 普段、登校をする頃合いよりも、まだかなり早い時間帯。


 304号室の扉が開いて、繭墨がその隙間から顔を出した。

 目が合った。


 今、僕がいるのはアパートの共用通路。

 3階、304号室――繭墨の部屋の前だ。


 早朝からずっと、僕はここで張り込みをしていた。繭墨からの電話もここで受けた。


「おはよう」


 朝のあいさつを投げかけても、繭墨は数秒ほど反応がなかった。


「……何をしているんですか」


 ようやく絞り出したような声で、そんなことを聞いてくる。


「繭墨の方こそ、具合悪いんじゃなかったの?」

「わたしは……、朝のゴミ出しです」

「制服を着て?」

「はい。わずかな外出であっても部屋着のままは許せない性質なので」

「代わりに出してきてあげるから、ゆっくり休んでて。具合が悪いんだよね?」


 差し出した僕の手に、繭墨はゴミを見るような視線を向ける。


「ゴミから個人情報の特定を行うつもりですね」

「ひどい濡れ衣だよ」


 それにゴミごときから採取できる個人情報なんて僕はもう知っている、と格好をつけたかったが、そのセリフを頭の中で再生してみても、変質者の戯言タワゴトにしか聞こえなかったので断念する。


「そこまで堕ちてしまいましたか」

「それって最初からある程度堕ちてる人間に使うセリフだよね」

「女性の部屋の前で出待ちなんて、わたしが通報すれば即ストーカーですよ」

「でも繭墨は僕が出待ちしてる理由を知ってるはずだ」

「……さて、なんのことでしょう」

「そうじゃなきゃあんな律儀に連絡してこないよね」


 繭墨は言い返さない。


 そういうことだ。

 さっきの連絡の電話は繭墨の嘘、しかも計算された嘘だ。


 今日は学校を休む。

 そう連絡を受けた僕は、繭墨の体調を確認する必要がなくなったと一安心し、待ち伏せを取りやめる。


 繭墨はその隙を突いて、頃合いを見てひとりで登校。

 学校で姿を見かけたときにはもう手遅れというわけだ。

 

 繭墨は電話一本で僕から距離を置こうとしたのだ。それに、本当に具合が悪かったとしても、登校さえしてしまえば後はどうとでもなる。強引に帰宅させるよりは、まず保健室で休んで様子を見ようという話になるからだ。


「繭墨の体調に問題がなければ、僕だってあれこれ口出しはしないよ」

「コンディションは万全です」

「強がった病人はみんなそう言うんだよ」


 僕は体温計を繭墨の顔の前に差し出す。


「なんですかこれは」

「証明の機会を与えます、ってやつ」

「そして女性の腋を堂々と視姦する機会を得るわけですね」


 そ、そんな逆セクハラには負けないぞ。


「口内検温という手もある」

「そんな畏まった単語を使わなくても、いつものように言えばいいじゃないですか」

「いつものように?」

「〝いいから黙ってこいつを咥えろよ、ちゃんと奥までな〟」

「どうしたの繭墨ホントに熱あるんじゃないの?」

「何を照れているんですか」

「そっちこそ顔赤くしながらそういうこと言わないでほしいんだけど」


 言い合いをしていると、2つ向こうの扉が開いて若い女性が出てくる。

 黙り込んだ僕たちを物珍しそうに振り返りながら階段を下りていった。


「……とにかく、ちゃんと体温を測るまではここを動かないよ」


 そう言って見据えると、繭墨はあきらめたようにため息をついた。一旦部屋の中に引っ込み、またすぐに出てくる。


「今、検温中です」


 腋の下を押さえながら繭墨が言う。なんかその格好だけでちょっと性を感じる。


「どうせ熱なんてありませんよ。それに37℃くらいあったとしても、それで学校を休んだりはしないでしょう?」

「休みたい人にとっては口実になるけどね」

「精神が貧弱なんですよ」

「いや僕は違うよ? あくまで一般論として」

「阿山君は孤独を好む割には一般論が好きですよね」

「一般的な思考という地図を知っておかないと、自分の立ち位置もわからないからね」

「なるほど。孤独を気取りつつ一般におもねっているんですね」


 ちょっと格好つけてみたらすぐに足を払われる。

 そんなやり取りの合間に繭墨の顔色を確認していたが、その表情からは体調の悪さは感じられない。本当に具合が悪くはないのか、それとも隠すのが上手なのか。


 やがて、繭墨がまた室内に引っ込み、また出てくる。

 体温計をこちらに差し出して、若干、勝ち誇ったような顔で言う。


「このくらいなら、許容範囲でしょう?」


 37.6℃。

 熱が出てはいるが、それほど高熱というわけでもない。

 しかしそれだけで判断するのは早計というものだ。

 僕はスマホを取り出して、登録していたある番号に電話を掛けた。


『あらぁ、本当に電話をくれるとは思わなかったわ』

「朝早くに申し訳ありません」

『いいのよ、どうせあの子がらみのことでしょ』

「はい。乙姫さんの平熱を教えてほしいのですが」

『平熱? 普段の体温のこと? 何、あの子、具合が悪いの?』

「はい。文化祭の準備でここ最近無理をしていたみたいで」

『あらそうなの。あの子の平熱ねえ……、だいぶ低かったわ。35℃の中盤くらいよ』

「そうですか。ありがとうございます」

『学校には私の方から連絡しておくわ』

「助かります。乙姫さんはきっと自分から連絡はしないでしょうから」

『そうね。その通り。阿山君、ベッドに縛り付けてでも部屋から出しちゃダメよ。母親として多少の強引な手も許可します』

「わかりました」

『多少強引に手を出すことも許可します』

「あれ、今ニュアンス変わりました?」

『あの子、病弱ではないけど、体力がある方でもないから……。お願いね。私も午後にはそっちに様子を見に行ってみるわ』


 通話を終えると、繭墨はゴミを見るような目でこちらを見ていた。

 だけど今の僕は完全に優位だ。どんな冷徹な視線で射抜かれようとも、どんな苛烈な言葉を浴びせられようとも、一切動揺はしない。


「卑怯者……」


 震える声で繭墨は言う。

 前言撤回。予想外の弱々しさにちょっと申し訳なくなってしまう。


「な、なんとでも言うがいいさ。ほら、観念して今日は休みなよ」

「ここまで外堀を埋められてしまうとは思わなかったわ……」


 繭墨は観念したように視線を落とす。


「さっきの話を聞いてたらわかってると思うけど、学校に行っても無駄だからね、先生に追い返されるから」

「ええ。丸一日、文化祭の準備ができると割り切ることにするわ」

「いやちゃんと寝てよ。平熱より2℃も高いのって、普通は勉強とか手につかないレベルだよ」

「そうなったらそうするわ。……一応、心配してくれて、ありがとう。おせっかいだけど」


 嬉しくも余計な一言を残して、繭墨は部屋に引っ込んだ。


 まあ、ちゃんと登校を断念してくれただけでも良しとするか。あとは繭墨のお母さんも来てくれるらしいし、僕にできることはもうここにはない。


「……それじゃあ、行ってきます」


 扉の向こうの繭墨に声をかけて、僕は学校へ向かった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 繭墨が休む旨を伝えると、百代は心配そうに目を細めた。


「えっ、ヒメ、具合悪いの? 全然気づかなかった……」

「僕もわからなかったから、帰らせるのが遅れた」

「大丈夫なの?」

「疲労から来る発熱だろうから、1日休めば治ると思うけど」

「そっか。帰りにお見舞いに行ってみようかなぁ」

「なんかお母さんが看病に来るらしいけど」

「……看病に来る(・・)って?」

「あ」

「あ、って何。あ、って」

「五十音の最初の仮名だよ」


 という僕のインテリジェンスあふれる切り返しに、百代は胡散臭そうに目を細めた。


「……なんか隠してるときの反応」


 即バレしてしまった。


 少し迷ったけれど、素直に白状した。この手のことを百代に隠しておくのは後ろめたかったからだ。繭墨は現在、僕と同じアパートの別の部屋で寝泊まりしている。


 簡単に説明を終えると、百代は苦笑いしつつ目を細めた。


「なんかすごいことになってるねぇ……。同棲疑惑が再燃したらもう誤魔化せないんじゃないの?」

「かもしれない」


 というか、僕はもうあの噂のことなんて、どうでもよくなってきていた。繭墨だけがあれやこれやと必死になっていて、僕はそれを手伝っているだけだ。


 噂を打ち消すために、文化祭のイベントを増量するなんて。繭墨が言い出した当初は賛同もしたけれど、今となっては首をかしげざるを得ない。費用対効果が悪すぎる。


 繭墨はそれを度外視してまでも、僕との噂を否定したいのだろうか。

 それはそれで凹むものがあるな……。


「これはもしかしてぇ、ヒメのツンデレも終盤戦突入って感じじゃないの?」

「ツンデレの終盤戦?」

「ついに来たってこと」

「何が」

「デレが」


 僕はかつて繭墨のことをツンデレと評したが、あれは間違いだったと今なら断言できる。ツンデレとは、感情の起伏がもたらす反応の揺れ動き、予想外のギャップに他ならない。


 繭墨の厳しさとやさしさ、鋭さとやわらかさ――

 そういった落差は確かに感じたことがある。


 だけど、それは意図されたものだった。

 計算ずくで〝提供〟されたものだった。

 彼女自身によって制御されたものだった。


 そう。ツンデレではなく、アメムチというやつだ。


「またなんか変なこと考え込んでる……」


 百代がつぶやく。

 同じ失敗ばかりする教え子を見るように目を細めていた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 放課後に生徒会室へ顔を出してみたが、すでに繭墨の方から連絡が行っており、役員たちに混乱はなかった。


「鬼の居ぬ間になんとやらってやつ?」


 遠藤がそう言って茶化したが、僕はあくまで繭墨のサポート志願であって、取って代わるつもりなんかない。会長不在の今日は、何もする気はなかった。


 ただ、繭墨の口からはっきりと「生徒会から遠ざけている」と言われた以上、しばらくここに来ることもできない。


「1学期の生徒総会のときみたいに手伝いたいから、進行が遅れてる案件があればこっそり回してほしいんだけど」

「うん、いいよぉ、あたしも楽できるし」


 だから、そんな裏交渉を行っただけだ。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 繭墨の体調は、悲劇のヒロインのように急激に悪化するということもなく、翌日にはごく普通に登校できていた。1日休養したぶん気合十分で、業務をこなすペースが上がっていると遠藤は笑っていた。


 やがて、生徒会だけでやっていた文化祭の準備に、文化祭実行委員会も本格的に取り掛かるようになる。


 そして、通常授業の6限目が文化祭の準備時間に充てられる通称〝文化祭ウィーク〟を経て、文化祭前夜がやってくる。



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