積極性の勝利ね
――百代曜子視点――
ナオ君に声をかけられて、彼の友達の家に行くと言われたときは、最初、どういうつもりなのかよくわからなかった。
1人で寂しいヤツだからちょっと賑やかしをしてやるんだ、なんて話。
ヒメにも声をかけて、実際にその友達に会ってみて、なるほど、って思った。
平凡な男子。
それが阿山君の第一印象だった。
野球が上手で存在感があって体つきもがっしりしているナオ君の隣に立つと、それだけでイメージが希薄になっちゃうような、そんな男子。
1人暮らしをしているって聞いたときは、ちょっとうらやましいと思うくらいだった。
でも、彼が一人暮らしを始めた裏事情を知ってしまうと、ずるい、と思うようになった。
親が再婚して、家族がゴタゴタして、そこから逃げてきたっていう、ちょっとドラマチックな理由に少しだけ憧れてしまう。
平凡さのレベルで言ったら、あたしも阿山君と大差ない。そう思っていたのに、特別な事情によって上を行かれたような気がした。
そう思うならお前も親の離婚を体験してみろ、なんて言われたらもちろんお断りだけど、でも、うらやむ気持ちは止められない。言葉にしなきゃ別にいいよね、それは。
うらやましいといえば、ヒメもそうだ。
美人だし、勉強も常に学年上位で、あたしなんかがどれだけ勉強したところでとても追いつけないくらい頭がいい。それに、1年生にして生徒会に所属していて、2年になれば生徒会長になるんじゃないかっていう、才媛って言葉がしっくり来る女の子。
ちょっと引っ込み思案というか、物静かなところも、美人な外見とあいまって独特の雰囲気を作っている。日本庭園みたいな感じ?
でもやっぱり、一番〝持ってる〟のはナオ君だ。
1年生にしてエースピッチャー。
ただの弱小校の、井の中の蛙なエースってわけじゃなくて、強豪とも渡り合える実力がある。
野球が上手いことが、自信になってるのかな。
他の男子と比べても堂々として、大人びてると思う。
もちろん年相応のところもたくさんあるんだけど、野球の話をするときなんかはものすごく真剣で、ああ、本気でやってるんだなって感じて、その表情を見てるだけでドキドキしてしまう。
女子の間でも人気のナオ君を、ヒメもよく目で追っていた。
ヒメってそういうミーハーなことに興味がないんじゃないかと思ってたから、すごく意外だった。
でも、たぶん、ヒメの視線に気づいてしまったからこそ、あたしは急いで告白したのかもしれない。
ヒメが本気になったら、あたしなんかじゃ敵いっこないと思ったから。
付き合うのって早い者勝ちみたいなところがあるし。
そして、告白してOKをもらって、彼氏彼女の関係になったけど。
何かが劇的に変わったりはしなかった。
せいぜい、周りの人たちがあたしと直路くんをセットで見るようになったり、一緒に帰ったり、そのときに手をつないだり、キスをするくらい。
ナオくんは休日も部活で忙しいことが多いから、遊びに出かけることも少ない。
物足りない、というのが本音だった。
付き合っていることが、形式でしかないような気がして、焦ってしまう。
みんなから一目置かれている人と付き合っていると、あたしもすごくなった気になる。
そんな彼を手放したくない、というのは他人から見ればきっと不純な感情なんだと思う。
だからってこの感情が冷めちゃうことはないけど。
どうすればナオ君をつなぎ止めていられるんだろう。
色々考えたけど、やっぱり年頃の男子に対しては、あの手が一番効果的なんだろうなぁ。
だから、覚悟っていうほどでもないけど、あたしは、迫られても拒まないでいようと思ったし、それとなく身体をくっつけたり、こっちから目を合わせたりして、どうぞご自由に、あたしは大丈夫っていうサインを出してきたつもりだった。
それなりにかわいいという自信のある外見は、あたしのほとんど唯一の武器だ。
それを使ってナオ君の気を引いてみても、彼の方から手を出してくることはなかった。大切にされている、というのとは違う感じ。腫れ物扱いってほどじゃないけど、それに近いような……。
ナオ君はそーゆーコトにあまり興味がないのかな。それとも、あたしみたいな子供相手じゃどうってことないくらい、場慣れしているのかな。
あたしを異性として意識してるのは、むしろ阿山君の方だと思うし。
でも彼はあんまりタイプじゃないし、平凡だし……、でもちょっとドラマチックな事情持ちだけど、それはあたしにとって意味のある〝すごさ〟じゃないし……。
でも勉強ができる人であることは、テスト勉強を一緒にしているとよくわかった。そこがまたずるいし、うらやましい。
そんな感じであたしは、彼氏の友達という関係でしかない阿山君に対して、変な反感を持ち続けているのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
――阿山鏡一朗視点――
中間テストの全日程が終了した。
運動系の部活に所属している生徒たちが、我先にと教室を飛び出していく。
普段は基礎練しんどい、サボりたい、などと愚痴りながら、のろのろと向かっている連中でも、やはり1週間も休んでいると待ち遠しくなるものらしい。
廊下で鉢合わせた直路もその例にもれず、いつも以上に活き活きとした顔つきをしていた。
「よう、おかげさまでそこそこ取れたと思うぜ」
「そりゃあよかった。百代さんは?」
直路の隣で浮かない顔をしている百代に声をかける。
「そこそこそこってところかなぁ」
「多いね、50点くらい?」
「それは上々っていうの」
「あそう」
僕の場合それは絶望というんだけど……。
「でも大丈夫、赤点はないはずだから」
「直路はさっそく部活?」
「シャドウピッチとかはしてたけど、やっぱボール持たねーとな」
「ちょっと離れてると恋しくなるよね」
「お前はどうなんだよ」
「え?」
「野球。高校じゃやらねーのか?」
「うん、やらない。ブランクもあるし」
「オレの全力の球を捕れるってだけで、能力的には十分だと思うけどな」
「高評価ありがとう」
そんな話をしながら、僕たちはグラウンドへ下りていった。
僕はそのまま帰宅する予定で。
直路は部活へ。
「百代さんはどうするの?」
「ナオ君の練習を見るのよ」
フェンス裏へと歩いていく百代。そのあとに続く。
「え、見てるだけ?」
「そうだけど」
「マネージャーをやろうとか思わないんだ」
尋ねると、百代は顔をしかめた。かなり本気度の高いしかめ方だ。
「イヤよ、絶対イヤ」
「言い切りますか」
「だってエラそうだし臭そうだし面倒そうだし」
「あ、そうか、向いてないのか」
百代は顔をしかめたまま唇を尖らせる。
「別にあたしだけの問題で嫌がってるんじゃないの。あたしとナオ君が付き合ってることが知れたら、ナオ君だけ贔屓するなよとか、部内でイチャイチャするなとか文句を言う人が出てくるでしょ。それだけじゃなくて、ただでさえ才能のあるナオ君に嫉妬して、シゴキとかイビリとか、そういうのがエスカレートして、暴力事件になるかもしれないし」
野球部の内情は知らないが、想像はつく。百代がマネージャーとして入部することが、部にとってプラスに働くかどうかは、百代の心がけしだいだ。
百代が直路との付き合いを持ち込まず、各部員に分け隔てなく接するのであれば、よいマネージャーになれる可能性はある。かわいいし。
だが、さっきの嫌がりようを見る限り、それはありえない。仮にマネージャー百代曜子が誕生したら、陰で直路専属とか言われるくらい贔屓をすることは明らかだ。
そういった意味で、百代の言葉は一理ある。
グラウンドでは、部員たちが練習始めのランニングを行っている。
遠目に見る分には、きちんとした2列縦隊なんだけど、百代の発言――エラそう臭そう面倒そう――のせいで、見た目どおりのさわやかなイメージを持てなくなってしまった。
「阿山君が野球やめちゃったのって、やっぱり家庭環境のせい?」
「……うん。親の離婚と再婚は、幼い少年の精神に大きな影響を与えちゃったんだよ」
思いも寄らない方向からの話題に、一瞬だけ戸惑う。
不躾な質問だが、腫れ物扱いよりはずっといい。
当時の僕に、こんな問いかけをしてくれる子がいれば、もっと明るい中学時代を送れたかも――そんなことを思った。
「百代さんと直路の馴れ初めは?」
「なれそめって?」
「付き合うきっかけのこと」
「あたしの方から告白したの。校舎裏に呼び出して、付き合ってくださいって」
百代の表情に照れはなかった。
デートに誘うことすらはしたないと頬を染めていた繭墨とは対照的である。
「ああ、やっぱり」
「なんで?」
「直路って常に不特定多数の女子から好意を向けられてるんだけど、その逆に、直路の方から特定の誰かの話は聞かなかったから」
「そうなの?」
「百代さんは一歩抜け出したってわけだ」
「積極性の勝利ね」
百代は胸を張る。なかなかある。
告白という行為については、百代が先駆けだったわけではない。
また告られた――そんな愚痴を、直路から何度か聞いたことがある。
告白されたことを愚痴るという圧倒的買い手発言には、正直イラッとくることもあった。
ただ、直路が困惑している様子だったのには理由があって、それらの大半がSNSを通じてのものだったらしい。
自撮りのムービーに音楽を重ねたり手書き文字を入れたりしたものや、メッセージアプリでの雑談のさなかの一文を、告白と称されたこともあったという。
『オレにはよくわからん。理解できないオレが古いのか? 面と向かってないとダメだと思うのは、オレがピッチャーだからか? なあキョウ、どう思う?』
そんな風に、直路は首をひねっていた。
だから百代の〝面と向かっての〟告白が、直路の琴線に触れたのかもしれない。
恋はタイミング、とはよく言ったものだ。
――なんて恥ずかしいことを考えたタイミングで音声着信があった。
『阿山君に、少し、お願いしたいことがあるのですが』
繭墨からだった。
「……何?」
『生徒会室の場所はわかりますか?』
「うん。何かの手伝い?」
『そんなところです。30分ほど、お時間をいただけないでしょうか』
「まあ、それくらいなら」
『了解してくれると思っていました』
「それは僕がヒマそうだから?」
『あなたはやさしい人ですから』
「そう?」
『はい。お待ちしています』
率直にほめられて、悪い気はしなかった。
が、ふと漢字変換を間違ったのかもしれないと思い直す。易しい人、だ。
「ねえ、僕ってチョロそうに見える?」
「どうしたの急に。……そーねぇ、あたし的にはメンドくさそうなタイプかなぁ」
「あそう……」
「ね、今の電話ってヒメからでしょ?」
「うん。どうして?」
「阿山君のしゃべり方がなんか親しげだったから、あてずっぽうよ。……そんなことより、いつの間にアドレスとか交換したのよぉ、隅に置けないじゃん、このこの」
百代はニヤニヤと口元をゆがめる。
肘で突いてくるのがちょっとウザかった。
「それで、なんの用事だったの?」
「生徒会の手伝いみたいな感じかな……」
「ふーん、あたしもついて行っていい?」
「30分ほど雑用で拘束されることが予想されるけど」
それでもかまわないという百代と一緒に生徒会室へ向かう。
道中、百代ともアドレスを交換し、電話帳の女子数が約11%ほど上昇した。




