爆発しろなんて言わない
直路と百代の二人から事情を聞いて、ひとつ疑問が生まれていた。
二人の間で、思春期特有の性の問題による、ちょっとしたすれ違いがあったことは事実なのだろう。
ところがそれを、直路は自分が先走ったせいだと言い。
百代は自分に魅力がないからだと言った。
〝すれ違い〟の中身は、百代の言葉が正しいのだと僕は思う。
なぜなら二人の話のうち、直路の方が見栄を張っていたからだ。
男子の方が1人で先走って傷つけたというのは、勇み足と言えなくもない。
逆に、いい雰囲気で何もしなかったのなら、意気地なしと思われるだろう。
もちろん、どちらの状況に対しても、真逆のイメージを感じる者はいる。
先走り=盛りのついたオスだとか、
何もしない=相手を気遣う紳士だとか、
そういう見方はできる。
それでも断言できることがある。
〝悪いやつ〟と〝情けないやつ〟の二者択一では確実に前者を取る。
男というのはそういう生き物なのだ。
結論が出た以上、僕はもうこの話を蒸し返すことはしなかった。
僕が黙ってさえいれば、百代の独白を直路が知ることもないし、直路の虚勢を百代が知ることもない。二人の間に余計な波風を立てずに済む。武士の情けというやつだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
1週間ほどして、部活動が休止になるテスト期間に入った。
秋の大会は結局ベスト8どまりだったが、それでも伯鳴高校野球部的には快挙のようで、全校朝礼でその話題が出されたりしていた。当の直路は勝ち負けにはあまり頓着していない様子で、全力を出し切れたことに満足しているようだった。
「阿山君の部屋で勉強会を行いましょう」
その日、帰ろうとしたところで繭墨に呼び止められた。
「テスト期間に入ったのでさすがに勉強しないと。特にあの二人は危険です。いくつかの教科でレッドラインぎりぎりに立っています」
「そんなに?」
「それに、どこかぎこちない様子が続いているようですし」
繭墨はさすがの観察眼でもって、直路と百代の間にある違和感に気づいていた。それだけではなく、勉強会をとおして二人のすれ違いを解消するつもりらしい。すれ違いを加速させて恋人の仲を引き裂き、自らの想いをねじ込むチャンスだというのに、そうしないのは意外だった。
……いやいや、友達の様子がおかしかったら心配するのは当然のことだ。それをらしくないと思ってしまうほど、いつの間にか僕は繭墨にブラックな印象を持っていたらしい。
「敵に塩を送るの?」
茶化して尋ねてみると、繭墨は口元を上げた。
「敵だなんて、物騒なことを言うんですね。この塩は、わたしとあなたの連名なんですよ?」
◆◇◆◇◆◇◆◇
室内には僕と繭墨と直路の3人。1人足りない。
百代にも声はかけてあったが、まだ気まずくて来られないのだろうか。
そんな繊細な子だったとは、少し意外である。
「どうする」
「仕方ねーだろ、始めようぜ」
選択権は彼氏にある。
僕はそう思い尋ねると、直路は淡白にそう言った。
「オレだってちょっと気が引けるけど……、人の部屋を借りてやるんだからさ」
直路は一応、メッセージアプリで連絡を入れていた。
「そうですね。ここはひとつ、進藤君への集中講義ということにして、ヨーコにはまた後日、厳しくやりましょうか」
冗談めかして言う繭墨に、違和感を覚えた。
まさか、とは思うが。
繭墨は、百代が来ないことをわかった上で、この勉強の場を設けたのではないか。
繭墨と百代は、同じクラスだし、友達でもある。
百代の精神状態は僕よりもよく知っているだろう。
それなら、先日の彼氏彼女のすれ違いについても、何かしら気が付いているかもしれない。何があったのかまではわからなくとも、何かがあったことくらいは察していてもおかしくはない。
その何かによってショックを受けた百代がまだ立ち直っておらず、誘いに乗れるような精神状態ではない、ということを見越していたのではないだろうか。
普通に考えれば勘繰りすぎだろう。繭墨乙姫は、少しばかり口が悪いだけの、同い年の女の子だ。僕が相手を大きく見積もっているだけなのかもしれない。
そう言い聞かせてみたものの、僕はあまり勉強に集中できなかった。
直路はまるで頼りにならない僕に代わって、繭墨の方に質問をするようになり、二人の間には静かな関係性が醸成されていった。要するになんかいい雰囲気になっていた。
問う者と答える者、そのやりとりが、少しずつ、二人の距離を近づけている。答える者への敬意と、問う者への肯定が、いつしか互いへの信頼に至るのではないか。そんな危機感を抱いてしまう。
危機感。繭墨はともかく、直路に対しても。
この二人がくっついてしまう可能性を、想像してしまっている。
……いやいや、いくらなんでも飛躍しすぎだ。
僕は首を振って立ち上がる。
「どうした?」
「ちょっと買い物。忘れてたものがあって。そんなに長くはかからないから」
僕は繭墨と直路の二人を置いて、部屋を出た。
敵に塩を送る――自分で言った言葉が思い出される。
繭墨と直路を二人きりにすることは、まさにそれではないのか。
いや、違う。そうじゃない。
これはテストだ。
この程度のことで付き合いが駄目になるようなら、それは遅かれ早かれ終わってしまう関係だ。早めに切れた方が二人のためなのだ。繭墨のためではないし、ましてや自分のためであるはずがない。
戸口から垣間見えた繭墨は、かすかに笑っていた。
その笑顔は、感謝の微笑にも、理解の苦笑にも、蔑視の冷笑にも見えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
アパートから出て近所のスーパーへ向かっている途中、百代に出会った。
それはもう、道端でバッタリと。
「あっ」
「百代さん? 何してるのこんなところで」
「どこで何をしててもあたしの勝手でしょ」
「そりゃそうだけど」
「阿山君こそ、勉強会じゃないの?」
「誰かさんも誘ったんだけどね。もしかして来る途中だった?」
尋ねると、百代はムッとした表情で唇を尖らせる。
「阿山君のそういう、わかってて聞いてくるところ、なんかヤな感じなんですけど」
「えっ……」
ヤな感じ、それは思いのほかショッキングな言葉で、僕はとっさに返事ができなくなる。
「か、軽い冗談なんだから、そんな凹まないでよぉ」
「いやいや凹んでないよ、そこまでデリケートじゃないから」
「そお? ぜったい細かいって」
百代との付き合いはたいして長くないのに、どうしてそう言い切れるのか。
「ちなみにどの辺りが?」
「話ししてるときの感じとか、見せてもらったノートとか」
「理知的な一面が垣間見えちゃった感じ? なるべく隠してるんだけどな」
「あと、なんとなく雰囲気が神経質っぽい」
「そんな大雑把な」
「家具の場所が1センチずれても気にしてそう」
「それはさすがに。3センチくらいからだよ」
「うわぁ」
そんなやり取りをしながら歩いていく。
タイムセール目当てなのだというと、百代も面白がってついてきた。
百代も面白、早口のようだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
店内に入ると、目についた商品をせっせと買い物カゴに入れていく。
「なんか迷いのない手つきねぇ。どんな料理を作るか決めてるの?」
「料理を決めてから買うんじゃない、冷蔵庫の中を見て料理を決めるんだよ」
「何かの格言っぽいこと言ってるけど……、要は行き当たりばったりってことでしょ」
「考えながら買い回りしてると時間がかかるからね。肉売り場まで行ってまた野菜売り場へ戻ってくるとか面倒だから」
「意外と大雑把なんだ」
「いくつかの、あまりマイナーじゃない野菜と、卵と、安い肉と――あと適当な調味料があれば、味にうるさくない男子高校生を満足させる程度の料理はできるよ」
惣菜コーナーでサラダセットをカゴに入れる。
「あれ、そういうのも買うの?」
「今はサラダに使う系の野菜が高いし、一人前のサラダを作るために、それ用の野菜を別々に用意するのは割と面倒なんだよ。案外手間もかかるし」
「ふーん、なんかリアルな話……」
「レストランで出るような小洒落たサラダなんかも、2度と作る気にならなかったなぁ」
余ったクルトンはおやつとして食べました。
「それって1人さみしい食卓だったからでしょ? だったら……」
「部屋をパーティ会場として提供するつもりはないから」
「えー」
百代は不服そうな顔をしつつ、こっそりとスイーツをカゴに入れる。
僕がそれに気づかない振りをしていると、自分でそっと元に戻していた。
そういう律儀さは嫌いじゃない。
「1人暮らしって、あこがれちゃうけど、やっぱり大変でしょ。どうしてわざわざ実家から遠い高校を選んだの?」
パンパンになった買い物袋を提げて店を出たところで、百代がそんなことを聞いてきた。
「うーん……」
僕は軽めのトーンでうなった。
あまりライトな話題ではないので、せめて口調は軽くしよう。
「親が再婚したんだ。新しい母親ができて、新しいきょうだいができて」
父親のことは裏切り者だと思ったりして。
「そういう変化に僕は上手に乗ることができなくて……、いろいろ考えた結果、ちょっと距離を置いた方がいいんじゃないかなと、子供ながらに結論付けたわけ」
要は逃げ出したのだ。
父親は僕の選択に理解を示し、協力的だった。他の選択肢を放棄し、僕を見放したと取れなくもないが、強引につながれるよりはずっとマシだ。その考えは今も変わらない。住む場所だって高校生の身分には贅沢なくらいの物件を用意してくれた。
母親も仕方がないという様子だった。
きょうだいは――姉はたぶん怒っていたと思う。
百代も怒っていた。
「やめてよそんな話……、反応に困るじゃない」
「ごめん」
百代の反応は、思っていたよりも軽かった。
というか、軽いのは僕の口だ。
なんでこんな、不幸話を披露してしまったんだろう。
しかもそれがあまり相手の興味を引けなかったという、恥の上塗りめいた有様だ。
かなり恥ずかしい。西日が強くて助かった。
言葉少なにアパートへ戻ってくる。
百代は顔の横で小さく手を振った。
「それじゃ、またね」
「あれ、直路たちはまだ部屋にいると思うけど、上がっていかなくていいの?」
「うん、今日はやめとく。……あたしと会ったことは、秘密にしといて」
どうして? とは尋ねなかった。
遠ざかる百代の背中はどこか寂しそうに見えたが、きっと夕日という舞台照明のせいだろう。そう思うことにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ドアを開けると繭墨が立っていた。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
「それでは、わたしは帰りますので」
「直路はどうなった?」
「どうにもなりません。次回乞うご期待です」
繭墨の憂いを帯びた表情が、デフォルトなのか、それとも諦観によるものなのか、判断がつかないまま彼女を見送った。
奥の部屋では直路が床に寝転がってぐったりしていた。
「おう、遅かったな」
「だいぶ絞られたみたいだね」
直路は横たわったまま顔だけをこちらに向けてくる。
「いやー容赦ねえわアイツ。口には出さねーけど、何でこの程度の問題がわからないのですか、って思ってるのがヒシヒシ伝わってきて怖かった。あと、正直言ってお前の教えかたの方がわかりやすいかな、オレは」
「繭墨さんはたぶん僕より理解が早いんだよ。一足飛ばしで勉強を進められる人は、進みの遅い人がどこで悩んでいるのかわからない……こともあるかも知れない」
教え方のうまさと知性の高さは別の能力だろう。
「あとはなんつーの? あの突き放した感じが、クールな女教師っぽくてグッと来るっつーか」
「来たの?」
「ちょっとだけ」
「百代さんより?」
「いや曜子とはタイプが違うだろうが」
「だからどっちのタイプが好みなのかなと」
「……どうした? なんか今日はやけにグイグイ来るな」
そんなやり取りをしつつ、僕は買ってきたものを冷蔵庫に入れていく。
「買い物してるとき、百代さんに会ったよ」
「あん? なんで」
「自分が属しているグループの、自分がいないときの様子って、気になるものだろ」
どんな話をしているのか、どんな雰囲気になっているのか。
自分について何か噂をされていないか、それはいい噂か悪い噂か。
信じる信じないの話ではなくて、ただ気になるのだ。
「僕が外に出てたってことは、必然的に、直路と繭墨が二人きりだったってことになる。一時的にしても。だから、そういうことは変に隠したり誤魔化したりしない方がいいよ。意味がないどころか逆効果だから。自分から話した方がいいくらいだと思う」
『……あたしと会ったことは、秘密にしといて』
僕は百代の頼みを聞かなかった。
なぜなら、ずっと繭墨の言葉が引っかかっていたからだ。
『――この塩は、わたしとあなたの連名なんですよ?』
繭墨は、百代が誤解するような状況になることを、狙っていたのではないか。
そして、僕は買い物に出ることで、その狙いに加担してしまった。
というか――、直路と繭墨を二人きりにしたのは、僕だ。
直路と繭墨が二人きり。
それを百代が誤解。
百代と直路が不仲に。
――そんな穴だらけのストーリーになればいいなという願望を、認めたくないから。
だから僕は、直路に忠告したのか。
繭墨がどこまで狙ったのかはわからないが、無意識なディスコミュニケーションがすれ違いを生むことは間違いない。
友達がギスギスしているのは居心地が悪いし、それが色恋がらみとなると尚更だ。
爆発しろなんて言わない。
直路と百代には、ぜひとも幸せになってほしい。
そうすれば、繭墨の訳知り顔に、反感を抱くこともなくなるから。
百代ともっと親しくなるという、希望を見ることもなくなるから。




