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Room No.403  作者: 水月康介
1年次3学期
20/80

ギリギリ友達という意味です

――繭墨乙姫視点――



 教室に入ると、普段とは明らかに違う空気が流れていました。

 浮ついた、落ち着かない、周囲の出方を探るような空気。


 今日は2月14日。

 バレンタインデーです。


 セントバレンタイン、などと御大層な冠をつけられることもありますが、わたしに言わせればこんなイベントはよこしまです。イビルバレンタインです。

 せいぜいみんな、製菓会社の掌で踊っていればいいんです。


 いつもより粘度と糖度の高い空気の中を歩いて自分の席に座ると、すぐに曜子が話しかけてきました。


「おはよ、ヒメ」

「おはよう、ヨーコ」

「はいこれ」


 と、曜子が差し出したのはチョコレートではなくスマートフォンでした。


「……どうしたの?」

「この写真、見てみてよ」


 曜子の手の中の液晶画面を見ると、チョコレートケーキの写真が写っています。それもネット上で拾ってきたのではなく、カメラで撮影したもののようです。

 画像の中のケーキはすでに切り分けられており、家で食べる直前に思いついて撮影したような場当たり感のある画像です。少なくとも市販のケーキの販促画像には見えません。


「おいしそうね、デパ地下? それともどこかのケーキ屋さんかしら」

「違うよぉ、これ、手作りだから」

「えっ、ヨーコが? まさか」


 わたしは思わず声をあげました。

 曜子のお菓子作りの腕前は知っています。クリスマスのブッシュドノエル。

 あの出来栄えと比較すると、このチョコレートケーキはクオリティが高すぎます。


「残念ながらあたしじゃないんだよねぇ」


 と曜子は苦笑。では曜子の母親でしょうか。

 そんな風に考えていると、予想外の名前が出てきました。


「これは千都世さんが作ったの」

「……ちとせさん?」

「そっ。阿山君のお姉さんなんだって」

「そう、お姉さんがいたのね」


 わたしは、阿山君にお姉さんがいることを、知らないふりをしました。

 とっさの判断でした。

 なぜだろうかと考えてみるに、おそらく、阿山君に関する知識で、曜子より先に行っていてはいけない、という心理的なブレーキがかかったのでしょう。

 

 だってたぶん曜子、阿山君のことを好きになってますから。


「阿山君のお姉さんって、どんな人なのかなぁ」

「ケーキは見たのに会ってないの?」

「うん、ケーキだけクール便で送られてきたから」

「そう。……きっと阿山君を使い走りにするような気の強い人じゃないかしら」

「えー、でもこのケーキだよ? 絶対おしとやかな感じだって。小鳥を指に乗せて語らっちゃうみたいな」

「人は見た目じゃわからないわよ」

「そうだけどさぁ」


 曜子はそう言いながらスマートフォンを仕舞います。その間際――画像のチョコレートケーキを置いている場所が、阿山君の部屋のテーブルによく似ていることに気づきました。それはそうですよね、お姉さんのケーキが郵送されてくる場所は、阿山君の部屋しかありませんから。

 まさか、曜子と阿山君は、私が思っている以上に進展しているのでしょうか。


 様子をうかがっていると、曜子はカバンから小さな包みを取り出しました。


「はいこれ」

「ありがとう。友チョコというものね」

「改めて友とか言われると照れくさいよねぇ」

「でもごめんなさい、わたし用意してなくて……」

「いいよぉ別に、今じゃなくても3月があるじゃない」


 と曜子は遠慮するように手を振って席に戻っていきます。期待してるからねー、と付け加えてきたので、遠慮はフリだけでしたが。


 曜子の席は教室の廊下側前列のあたりです。

 新学期の席替えで、曜子と進藤君の席は大きく離れていました。


 別れた当初は相手をうかがうような視線を向けていることもありましたが、今はもう、二人はほとんど、ただのクラスメイトに戻ってしまったようです。


 進藤君のところにはこのクラスだけではなく別のクラスの女子も訪れ、プレゼントの包みを渡していました。

 進藤君は、受け取る瞬間こそうれしそうな表情をするものの、女の子が立ち去ると疲れたようにため息をついていました。

 一つ二つならうれしいものでも、十や二十となると煩わしくなるのでしょう。

〝学校の有名人〟レベルでこれでは、本当の有名人――アイドルなどの圧迫感はいかほどでしょうか。そもそも好んで有名になりたいという人の精神がよくわかりません。


 曜子は一人でスマートフォンをつついていました。〝有名人と付き合いそして別れた〟というレッテルのせいか、このクラスではもう、曜子はクラスメイトと活発に騒ぐことはないかもしれません。わたしは一人が好きですが、曜子はきっと違います。クラス替えのある2年次まであと少しなのが救いですね。

 曜子はそのさみしさを紛らわせるために、阿山君という手頃なだけの冴えない男子に近づいているのでしょうか。バレンタイン前日に部屋へ行くなんて狙いが明け透けすぎます。


 わたしは曜子の手作りチョコを持ち上げ、前後左右、360度ぐるりと回して鑑賞したあと、カバンに入れました。

 曜子の手作りという特別感を差し引くと、そこそこの出来栄えです。

 さきほど曜子は、チョコの出来については何も言いませんでした。クリスマスのときにブッシュドノエルをさんざん自慢していたのとは雲泥の差です。

 きっとあのハイクオリティなチョコレートケーキを見てしまったからでしょう。


 確かにあれはやりすぎです。

 漆器のようなコーティングにはわずかなムラもありませんでした。あの光沢を出すのはかなり困難なはず。

 料理の腕はもちろんですが、何か、強い感情が込められているように思います。


 阿山君は、お姉さんのことを好きになってしまい、距離を取るために実家から遠い学校へ進学した――そう語っていましたが、それがすべてではないのかもしれません。


 だって人の好悪は相手あってのもの。一方の言葉だけでは事情の半分しか見えません。


 あの美しいチョコレートケーキを、バレンタインデーの1日前に送り付ける意図。

 まるで牽制じゃないですか。

 翌日に渡される、あらゆるチョコレートを陳腐化する、圧倒的な先制攻撃。

 かわいい弟に悪い虫がつかないようにという、お姉さんからの無言のメッセージ。


 きっとお姉さんも阿山君のことが好きで、その好意は姉弟愛という言葉で片づけられるような、生ぬるいものではないのかもしれません。


 ――そんな想像をしてしまうわたしは、本の中の物語に毒されているのでしょうか。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 阿山君への疑惑とは関係ありませんが、放課後、彼を生徒会室に呼び出しました。

 わたしが到着してから数分後、阿山君がやってきます。


「あれ、繭墨だけ?」

「はい。今日は生徒会の業務はありません」

「あ、そうなんだ……、で、なんの用?」


 阿山君は不安そうに室内を見回しています。

 仮にも女子生徒に呼び出されたというのに、なんだか失礼な反応ですね……。


「今日はなんの日ですか?」

「まさかとは思うけど、バレンタイン的な何かを?」


 わたしは静かにうなずきました。


「今日のわたしの動向はクラスメイトの一部から注視されているらしく、男子生徒と二人きりでいることが知れた場合、余計な勘繰りをされる恐れがあります」

「ああ、なんか絶対チョコレート渡したりしない感じがするもんね、繭墨って」

「人目を避けるために、このような場所にご足労いただいたというわけです」

「――じゃあ、バレンタインとかは全く関係ないけど、何か用事はあるってこと?」

「半分は正解です」


 わたしはカバンから直方体のラッピングされた箱を取り出します。


「これをどうぞ。ギリトモチョコですが」

「義理の友達……なんて表面的な響きだろう」


 阿山君は爆発物の受け渡しでもしているかのように、恐る恐るチョコを受け取りました。


「義理だなんて打算的な言葉ではありませんよ。ギリギリ友達という意味です」

「もっと離れた気がするぜ」


 阿山君は引きつった笑顔でギリトモチョコをカバンに入れながら、


「……そういえば、直路にはチョコ渡した?」


 などと、失礼千万な質問を投げかけてきます。


「いいえ」

「でも今はあいつフリーだし、別れてからそこそこ時間も経ったし」


 わたしは阿山君を見据えます。

「ひぃ!?」とひきつった声が聞こえましたが気のせいでしょう。


「あなたと同じようなことを考えた有象無象が、バレンタインという甘ったるい腐臭をまき散らす忌まわしいイベントにかこつけて、新藤君に愛想を振りまきながら一方的な贈与品を押し付けているんです。わたしをそんな方々と同じとお思いですか」

「ごめんなさい滅相もありません」

「ところで、先ほどお渡ししたチョコレートのお返しに、わたしの頼みを聞いてほしいのですが」

「え、その場で徴収するスタイル?」


 たしか一方的に商品を送り付けておいて、後で料金を請求するタイプの詐欺があったよなぁ、などと阿山君は失礼なことをつぶやいています。


「まあいいや、その頼みって? また生徒会の手伝いとか?」

「聞いてしまえば引き返せませんよ」

「……厄介なヤマなの?」

「これでも依頼する相手は厳選していますから」

「へえ……、それじゃあ、聞こうか」


 阿山君は椅子に座ると、両手を組んでその上に顎を置きました。

 乗り気のようです。

 わたしが見込んだとおり、この人はマンガや小説などの「学園なんでも屋」的なノリが好きなようですね。

 この件の成果次第では、今後も色々と頼みごとを聞いてくれる都合のいい――ではなく頼りがいのある男の子として使い潰し――ではなく、力になってくれるかもしれません。


 わたしは言葉を選びながら相談の内容を切り出します。




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