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Room No.403  作者: 水月康介
1年次3学期
19/80

贈り物です


 シャワーの水音が止んで、浴室の戸が開く。


「ねえ阿山君、シャワー借りてもいい?」

「もう貸してるけど」

「シャワー浴びたいってこと」

「ええ?」

「だって上着もところどころ濡れてるし、ズボンの濡れてる範囲もどんどん広がってるし、とにかく寒いし」

「火傷はどうだった?」

「んー、ちょっと赤くなってて、ひりひりするところもあるけど、ほら、チョコがかかったところの真ん中あたり。そこだけだから」

「そっか、じゃあそこにはなるべくシャワー当てないようにね」

「はーい」


 幸い、百代の火傷はごく軽いようだ。

 火傷の傷口は湿潤の状態にしておくのがいいらしい。火傷専用というわけではないが、軟膏なら持っているので、あとで貸してやろう。

 

 顔の見えないやり取りが終わり、そして衣服を脱ぐ衣擦れの音が聞こえてくる。


 僕はテレビをつけて音量を上げた。

 スタジオ内のキッチンに、女性アナウンサと年配の男性が立っている料理番組だった。


『はい、明日はバレンタインデーということで、今日はチョコレートの手作りにいそしんでいらっしゃる方も多いのではないでしょうか。今日はそんなあなたにおすすめ、一風変わった手作りチョコレートをご紹介しちゃいます。お招きしたのは料理研究家の五範旨三(ごはんうまぞう)さんでーす。五範さんは和食がご専門なのですが、チョコレートにその和風のテイストを盛り込んだ創作和菓子でも非常に知られている方です。では先生、よろしくお願いします』『うむ、ワシこそが、まだ見ぬ甘味を求めて彷徨さまようさすらいの料理人、五範旨三である』先生根無し草アピールが強いな。『和の甘味といえばあんこやきな粉がぽぴゅらあ(・・・・・)じゃが、ワシはまったく違うところに目を付けた』『先生それは?』『抹茶である』先生それこそぽぴゅらあ(・・・・・)なんですけど。アナウンサの女性も「え、今さら?」みたいな顔してるし。

 しかし先生の語りは止まらず、抹茶アイスや抹茶チョコなどはすべて自分が作り出したか、あるいは先を越されてしまっただけでアイディアとしては自分の方が先だと言いたげな口ぶりでひたすらしゃべり通していた。

 途中からはしゃべりながらも手元は滑らかに動いていて、そのあたりの熟練はさすがだったが、料理しながらべらべらしゃべるのって衛生的にどうなんだと思わないでもない。これツイートを字幕で流すタイプの番組だったらカウンタの回りがすごいことになりそうだな。


 台所を片付けつつ、テレビに突っ込みを入れていると、百代が顔だけひょっこり出した。肩口までの長さの髪がしっとり濡れた湯上り姿。


「どうしよう」

「何が」

「勢いで着替えちゃったけど、上着もズボンも替えがないよ……」


 僕に言われても。


「とりあえず上着は適当に、ズボンは僕のがいくつかあるから……」


 いや待て、それを穿かせるのか? いろいろ大丈夫なんだろうかそれは。

 ためらいはあったけど、今も百代は下に何も身に着けていないわけで仮にも男子の部屋でそれはまずいわけで取りあえずタンスからズボンを出して浴室の手前に放り投げた。


「ぶかぶかじゃないこれ」


 百代が、

 僕のズボンをはいた百代が、

 僕のズボンをはいてスソがだぼだぼ(・・・・)になっている百代が、

 歩きづらそうに部屋に入ってくる。


 ぶかぶかの服を着た女子が部屋にいる。

 理想はワイシャツかもしれないが、たとえズボンだったとしても、グッとくるシチュエーションに変わりはない。


「あ、片づけてくれてたんだ。ありがとう。……ごめんね」

「気にしないで」


 百代がシャワーを浴び、着替えている間に、片づけはほぼ済ませていた。

 余計な邪念を抱かないよう、清掃作業に心技体のすべてを注ぎ込んだ成果だ。


 百代はよたよたと歩いてベッドに腰かけた。


「あーあ……、こんなんじゃチョコ作れないよ」


 百代はベッドに座ったまま、右足を上げる。裾が長く、足はつま先しか見えない。

 このぶかぶか感。やっぱりまずい。

 

 テレビのおかげで沈黙はないが、百代の格好を意識してしまうのはどうしようもない。どうしよう。

 内心おたおたしている僕をよそに、百代はスマホでどこかに電話をかけ始めた。


「あ、もしもし、あんた今、家にいるでしょ。ちょっと頼まれてくれない?

 え? なんでよ。いいでしょ? ……見返りぃ? あんたあたしが今までどれだけあんたの面倒を見てやったと……、はいはい、わかったわよ、いいものあげるから。え、そんなの秘密よ。……ホントだって、男子だったら泣いて喜ぶに決まってるレベルよ。うん、そう。それで、持ってきてほしいのは……」


 百代は持ってこさせる上着と、それからズボンのデザインを詳細に語っていたが、僕が電話口の相手だったら困惑していたと思う。特にズボンのことをパンツと言うのがどうにも慣れなかった。


「家族?」


 電話を終えた百代に尋ねる。


「弟よ、かわいくない弟、中学二年の、ナマイキ盛りのガキンチョよ」

「ふぅん」

「阿山君は弟とか――あっ、ごめん」


 気まずそうに目を伏せる百代をフォロー。


「いや、いいよ。姉が1人いる」

「そうなんだ」


 と、百代は軽く普通の会話として流してくれた。

 それにしても、弟に自分の着替えが入ったタンスなりクローゼットを探らせても平気なのだろうか。百代はあまり気にしていない風だが、弟さんの方はどうだろう。


「それでね、お願い阿山君、近くにスーパーがあるでしょ」

「ああ、ラッキーマート」

「そこに晴起はるき――って弟の名前なんだけど、晴起に着替えを持ってこさせるから、取りに行ってくれない?」

「ん、いいよ。百代んってどれくらいかかるの」

「自転車で10分かかんないくらい」

「そうか、じゃあもう出とくよ。チョコの材料も買い足さないといけないし」

 

 ――何より、百代の格好は刺激が強くて、同じ部屋に長く居続けられるほど、僕は気が大きくないのだ。



◆◇◆◇◆◇◆◇


――百代曜子ももしろようこ視点――



 阿山君が部屋を出ていくと、あたしはベッドの上を転がりまわった。


 うわー、うわー、うわー……、

 何これ、なんなのこのシチュエーション。


 チョコをひっくり返して服を汚してシャワー浴びて着替えがないから服を借りて……。

 着替えたら阿山君こっちすごい見てるし。

 いろいろ迷惑かけちゃったけど、半分くらいは阿山君のせいだし、仕方ないよね。


 だって、急にあんなこと言うから……。


『――気持ちも分散する』

『――テンション下がる』

『――少なくとも僕はそう感じる』

『――手作りは1人だけ――とまでは言わないけど、身近な人だけに限っておいた方がいいんじゃないかな』


 あれって、まるで、あたしの手作りチョコばら撒き作戦に嫉妬してるみたいだった。

 渡すのはオレだけにしとけよ、って、強気にアピールしてるみたいだった。


 本人はその気もないし、きっと意識してないんだろうけど。

 阿山君ってときどきああいう、無自覚に恥ずかしいこと言うんだよねぇ。


 あたしは転がっているうちに体に巻き付いていた布団を、ギュッと顔に引き寄せる。

 いい匂いとは言えないけど、不快じゃないにおいに包まれる。

 

 ――と、不意にインターホンが鳴って、あたしはベッドから飛び起きた。

 いけないいけない、何やってんだろ、あたし……。


 歩きづらいズボンに足を取られながらもインターホンに出る。宅配みたい。


「はーい」

『阿山さんのお宅でしょうか』

「はい」

『世界通運です、荷物の受け取りをお願いします』


 玄関を開けて荷物を受け取り、サインをすると、宅配の人は何事もなく帰っていった。

 宛先は阿山鏡一朗って明らかに男の名前なのに、あたしが出ても本人確認はなかった。

 家族と思われたのかな。

 阿山曜子。語呂は悪くはないかなぁ。


 送られてきたのはクール便だった。

 さすがに開けちゃまずいから、冷蔵庫に押し込んでおく。

 でも、送り先の宛名の阿山千都世って……、お母さん? それとも、さっき言ってたお姉さんかな。この時期ってことはバレンタインの贈り物よね。

 どっちにしても、家族と、仲いいんだ。


 ――そんな風に、あたしは阿山君が、両親の再婚後も良好な家族関係にあるらしいことに、ただ安心していた。

 このあと、贈り物の中身を目の当たりにするまでは。



◆◇◆◇◆◇◆◇


――阿山鏡一朗視点――



 百代の弟君から着替え一式を受け取り部屋に戻ると、百代が何やらそわそわしていた。

 視線がさまよい、髪の毛をいじったり、狭い部屋の中を歩き回ったりと落ち着きがない。


「どうしたの、なんか挙動不審だけど」

「ううん、なんでも」

「そう……ホントに?」

「あ、あたしの挙動がヘンだとしたら、それは一刻も早くチョコづくりを再開したいっていう気合が漏れ出してるの」

「あそう」


 その気合に応じるために僕はスーパーで買ってきた板チョコを差し出す。


「だいぶ時間が無くなってるけど」


 時計の針は16時を指している。


「むぅ……」


 延長はダメ? みたいな視線を向けてくる百代に、僕はゆっくり首を振った。

 理由は言わない。

 時間を延ばせば夕食まで世話することになる。

 そこまでやって、ただの同級生ですって関係はありえない。

 いささか近づきすぎているという自覚はあった。ここらではっきり、線を引いておかないと。


「はーい」


 百代の返事はあっさりしたものだった。僕の断固たる態度が効いたのだろうか。

 やはり男子たるもの、たまには無言でもにじみ出る意気ってやつを見せないとね。


 ただ、百代が着替えている間、そわそわしっぱなしだった内心は、にじみ出てないことを祈らないといけないけれど。




 着替えた百代は、再びエプロンをまとって台所に立った。


「時間がないし、なんかもうテンパリングなんて細かい作業やってたらテンパっちゃうし、もう1品だけでいっかぁ」


 そんな独りごとを言いながら湯煎を再開する。

 たぶんずっと言いたかったんだろうなあのダジャレ。


 百代が作ったのは生チョコだった。

 難しそうなイメージがあったけど、実は溶かしたチョコに生クリームやハチミツなどを入れるだけいいという割とシンプルなものだった。最後にココアパウダーをまぶすので、表面の瑕疵かしをカバーできるところもいい。


 特に手伝うこともないので、僕はベッドに背を預けて読書をして時間をつぶした。

 集中している百代の邪魔になってはいけない。下手に話しかけてさっきのようなことになっては困る。

 それにしても、なんで百代はあんなに動揺していたのだろうか。

 確かに説教臭いことを言ってしまったとは思うけど……。


「できたよー」


 20ページほど読み進めたところで、百代が声を上げた、


「え、もう?」

「1時間くらい冷蔵庫で冷やすんだって」

「へえ……」


 当然のことだった。溶かしたチョコなのだから冷やさなければ。

 でも、一時間って。

 間が持つかどうか、ちょっと心配になる長さだ。


 僕の心配をよそに、百代はチョコを入れた平皿を冷蔵庫に入れると、代わりに何か、ティッシュ箱よりやや平らなサイズの箱を取り出した。

 僕はそんなものを冷蔵庫に入れた覚えはない。


「何それ」

「えっとね、阿山千都世さん、からの贈り物です」


 !?


 僕は立ち上がった。

 部屋中を見回し、人が隠れられる浴槽やクロゼット、ベランダなどに視線を巡らせる。

 人影はない。

 よかった、と安堵のため息をつく僕に、百代がいぶかしげな視線を向けてくる。


「どうしたの、何、その反応」

「あ、いや、ちょっと、サプライズの気配がないかと思って」

「千都世さんってそういうことをするタイプの人なの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」


 千都世さんのことは今は置いておく。


「それより、いつ来たのそれ。僕が出てるあいだ?」

「うん。ちょっと迷ったけど、まあいいやって。迷惑だった?」

「不在宅への再配送は、宅配業の大きな負担になってるからね。それは構わないよ」

「あー二度手間ってイヤだもんねぇ」

「これは感情的なものだけじゃなく、業界全体の労働環境に直結する大きな問題なんだ」

「どしたの阿山君、ギョーカイ関係者だったの?」


 百代は首をかしげつつ、千都世さんが送ってきた荷物を持ってきて、テーブルに置いた。


「ね、阿山君。このタイミングで送ってくるってことは、この中身、チョコだよね」

「たぶんね」

「開けてみようよ」

「そして?」

「食べてみようよ」

「このいやしんぼめ……」


 相変わらずの強引さだったが、いつもの調子が戻っているのはいい傾向だ。

 それに、時間も潰せるし。

 僕はため息をつきつつ、フォークと小皿を取ってくる。


 千都世さんはお菓子作りが得意だった。

 中身はおそらくケーキの類だ。

 チョコレートならこの時期は十分に常温保存できるので、クール便で送ってくることはないはずだから。


 箱を開けて取り出した中身は、思った通りチョコレートケーキだった。

 ただし、とんでもなくクオリティが高い。


 サイズは小ぶりのホールケーキ。

 表面にぴっちりとコーティングされたチョコは、まるで漆器のような光沢を放っている。飾りはイチゴと、球形のチョコレート――ガナッシュだろうか。

 ナイフを入れることをためらってしまうくらい、芸術的な一品だ。


 中央部に『鏡ちゃんへ(ハート)』というメッセージボードさえなければ。


 百代が怪訝な顔をする。


「かがみ……? あ、きょうちゃんかぁ。ふぅん……」


 僕はチョコ製のメッセージボードをつまんで口の中に放り入れた。

 しかし百代の視線はまだ説明を要求している。

 僕はそれを黙殺して、ケーキにナイフを入れた。

 切り分けて取り皿にのせ、百代の方へそっと差し出す。


 ジト目だった百代も、切り分けたケーキを口に運ぶと、一転、表情をほころばせた。


「おっいしー!」

「これはなかなか……」


 濃厚な甘みとさりげない苦みのハーモニーが味を奥深くしている。

 しっとりとした生地にはチョコクリームが練りこまれているのか、生地自体もチョコの味付け、しかしコーティングのチョコよりもあっさりしていて、味が単調にならないようにという配慮がなされている。

 コーヒーを淹れておけばよかった、と後悔するくらい上等なスイーツだ。


「すっごいね、このケーキ。ホントに阿山君のお母さんが作ったの?」

「いや、姉さんの方」

「あのメッセージも?」

「そんなのあったっけ」

「ふーん……、料理とか上手なんだぁ」

「家庭的な人だとは思うよ」

「売り物になるレベルだよねぇ。高級ホテルのパティシエが監修しました、みたいな」


 すごいよねーと感心しきりの百代は、スマホでいろんなアングルから写真を撮っている。

「ハイ笑ってー、違う違う、もっと挑発するような視線くれない?」などと無生物に向かって無茶な要求をしていた。


 2人で半分ほど食べ、残りは後日、何回かに分けて食べることにした。

 千都世さんのケーキを冷蔵庫に入れながら、百代に声をかける。


「チョコ、そろそろ冷えたんじゃないの」

「えぇ……」


 百代は嫌そうに眉を寄せる。


「どうしたの」

「あんな気合の入ったハイクオリティなスイーツのすぐあとに、あたしの、人生初の手作りチョコレートを晒そうとするなんて、阿山君ってやっぱSっぽいところあるよね」

「大丈夫、比較したりしないから」

「あたしが気にするのよぉ」


 百代の嘆きを無視してチョコを冷蔵庫から取り出し、台所に置いた。


「ほら、観念して続きをやりなよ」

「うう……」


 百代は渋りながらも立ち上がり、チョコづくりの作業を再開したのだった。


 やがて、百代お手製の生チョコレートが完成した。

 味見で一切れ食べさせてもらったが、市販の生チョコと遜色ない味だと思う。


 おいしいよ、問題ない、大丈夫、などとフォローを入れても、千都世さんのチョコケーキがよほどショックだったのか、百代は「うん」「そーね」「ありがと」などと生返事を繰り返すばかりであった。生なのはチョコだけで十分だというのに。


「結局、ちょっとしか作れなかったね」


 後片付けを終えて帰り支度をした百代に、玄関口でそう声をかける。

 そのときの、百代の返事が印象的だった。


「阿山君の説教どおりになっちゃった」


 ハプニングで当初の計画の1/3しか達成できなかったかった上に、圧倒的クオリティのケーキを見せつけられて落ち込んでいたはずなのに、百代の笑顔は決して強がりではない、晴れやかなものに見えた。


 帰り際にそういう表情を見せてくれるのなら、こちらも、台所を提供した甲斐があったというものだ。




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