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スノウが興味なさげに足元であくびをする中、蓮の放ったバレットは彼の狙い通りに一本の木に当たる。だが、今まで使用していたバレットとは異なり、命中したバレットが木を凍らせる事はなかった。その代わり木の幹を抉ったのか、大きな窪みができていた。それほど太くなかった木は蓮のバレットにより作られた窪みによって、大きな音を立て倒れる。その光景を見届けた蓮は、自分の想像していた通りの結果になった事もあり、得意げな表情を浮かべて見ていた。だが、その表情は後頭部に走った痛みによって早々に中断させられる。
蓮が文句を言おうと背後に視線をやると、そこには見ただけで怒っているのがわかる表情をした鬼、もといフィアナが蓮を睨み付けていた。手は軽く左右に振られており力いっぱい蓮を叩いたであろうことが伺えた。
フィアナの出す迫力にたじろぎ、叩かれた事に文句を言えずに、蓮はフィアナの言葉を待った。
「ねぇ、何やってるの?」
「えっと、魔法の練習ですよ?」
疑問形に対し疑問形で答える蓮。彼には何故フィアナが叩いてくる程怒っているのかがまるでわからなかった為に、疑問形で返したのだが、それがフィアナを激しく燃え上がらせる事となった。小刻みに全身を震わせ下を向くフィアナ。泣かせてしまったのかと思った蓮がフィアナに触れようとすると、フィアナは顔を上げ満面の笑みを浮かべていた。美少女の満面の笑み。世の男なら喜ぶ状況の筈なのに、蓮の中では危険だと警鐘が鳴り響き、全身から冷や汗が流れ始める。
「えっと、フィアナさん。許してくれる?」
「待ち伏せしてる途中に大きな音を出すバカを許す程、私の心は広くないわよ!」
怒声とともに、声に合わない笑顔を浮かべたままフィアナが拳を繰り出した。その拳は丸で蓮の鳩尾と引き合っているかの如く、綺麗に突き刺さる。苦しそうなうめき声をあげ、蓮はその場に両膝をついた。
フィアナがここまで激怒するのも無理は無かった。そもそも二人がまたクーレルの森に訪れたのは、魔法の練習をするためでは無い。ゴブリンの巣の探索及び、可能であれば討伐という依頼をフィアナが受けたからである。討伐にせよ、巣の場所を報告するにせよゴブリンを発見しなければ話にならない。よって蓮とフィアナはゴブリンの目撃情報の一番多い場所に陣取り、ゴブリンが現れるのを待つ事にしていた。
だが、こんなにも大きな音がたてば、いくら警戒心の薄いゴブリンといえど、その近辺からは遠ざかるのは確実である。言ってしまえば、このやり取りは蓮の自業自得以外の何ものでもない。
「ごめんなさい」
「次は無いわよ?」
しばらくして、ダメージから回復した蓮はフィアナに頭を下げる。蓮の鳩尾に一発入れた事により、すっきりしたフィアナは先程の笑顔を浮かべ釘をさす。蓮はその言葉に何度も何度も頷く。例えるならその姿は恐妻に怯える夫といった感じであった。
その姿を見たフィアナは数回満足気に頷くと蓮の使った魔法について問いただすことにした。
「で、今のは何?」
今までフィアナが目にした蓮の魔法はM3によるシールドを除くと氷の属性魔法だけである。今しがた蓮が放った魔法は氷属性の魔法に見えなかったが何か新しい氷魔法を覚えたのだろうと思い、戦力を正確に把握しようと軽い気持ちで聞いたのだが、蓮からの答えはフィアナの予想を簡単に飛び越えた。
「今のは風属性のバレット。前に使ったバレットの効果が氷属性だけのものじゃなかったから試しに意識してやってみたらできた」
フィアナはゆっくりと嬉しそうにいう蓮の背後へと回ると両手をグーにし、蓮のこめかみにぐりぐりと中指の第二間接を駆使し激痛を与えた。
「いてえっつーの!何だよ今度は!俺は何もしてないだろうが!」
突然のフィアナの凶行。
一刻も早く苦痛から逃れるためにフィアナの両手を振り払い蓮はフィアナから距離をとり文句を言ったのだが、フィアナは何も言わずに、手はグーの状態を保ったまま蓮に近づいて行く。彼女の愛らしいつくりの顔は無表情。目からは光が消えており、何かに取り付かれたかのように蓮の言葉に耳を傾けず、ただただゆっくりと歩を進めている。
蓮はフィアナの様子に恐怖した。
「いや、ちょっと待って、お願いしますフィアナ様。その手を下ろして落ち着いて話そう。話し合えば万事うまくいくはずだ」
必死に懇願する蓮。その間もフィアナは確実に蓮へと迫ってきている。手首はゆっくりと動き出し、いつでも頭をぐりぐりする準備は出来ていると主張している。
「フィアナ待つんだ」
先程の激痛を二度と感じたくない蓮は、フィアナの肩を掴むと前後に揺する。一応蓮の手のほうが長かったためにフィアナの手は蓮の頭に届かないが、自分から危険に飛び込んだと言っても差し支えは無いだろう。フィアナが背伸びをしただけで、蓮のこめかみに再びフィアナの両手は届くのだから。
そんな簡単な事にも気づかないほど蓮は必死であった。
「…蓮」
蓮の必死な気持ちが伝わったのか、フィアナの瞳に少しばかり光が戻り、小さく口を開き蓮の名を呼んだ。傍目から見るとキスでもしそうな雰囲気が漂っているように見える。
「フィアナ。よかった。正気にな」
背伸びをし、蓮の手を押さえるようにフィアナが手を蓮の背中に回したことにより、蓮の言葉は途切れた。密着した二人の身体。小さいながらも柔らかい胸が蓮の身体に当たっており、女性特有の甘い匂いが蓮の思考を停止させていく。突然の事態に蓮の心臓は早鐘のように心拍数を上げていく。混乱しきった彼がゆっくりとこめかみに向かう手に意識をやれなかったのは仕方の無い事だろう。
「簡単に…」
「ん?」
蓮に密着したままのフィアナが何事か口にするが、蓮の耳には届かなかったために、蓮は聞き直したのだが、さらに二人の身体が密着しただけだった。
「な、なあ、どうしたんだよフィアナ」
今まで女性とこんなに密着した経験のない蓮にとって、この状態はとても嬉しいことなのだが、何故この様なことになったのかまったくわかっていない為、嬉しさと比例するように不安な気持ちが増大している。
「蓮はそのままでいて、後は、私がやるから」
上目遣いで何か決意をした瞳で見つめるフィアナ。その表情は見た目とは裏腹にとても妖艶に見えた。その表情に見とれていた蓮は完璧に先程何をされたのかが頭から抜け落ちていた。
「ぎゃあああああああああああああ」
余談ではあるが、この日クーレルの森に響いた若い男の絶叫により、変異体が出現したばかりでピリピリしていたギルドでは、暫くクーレルの森に対し警戒態勢をひく事となったのだが、それはまた別の話である。
蓮にとっては永遠とも思える程だったフィアナによるこめかみへの攻撃は十分ほどで終了した。そのダメージから蓮が立ち直るのに、二十分程の時間を要した。今二人は二番目にゴブリンの目撃情報の多い場所に向けて歩いている。
「んで、なんで俺はこんな理不尽な攻撃を受けたのか説明してもらえるんだよな?」
こめかみを押さえた蓮は不機嫌なのを隠そうともせずに、前を歩くフィアナに問う。蓮の不機嫌さの中には、フィアナの行動にドキドキさせられてしまったことも含まれているが、さすがにからかわれるのが簡単に想像できた為、それに対しては何も言わない。しばらくフィアナの感触を忘れないと心に誓った蓮だが、それは男なら仕方の無いことだろう。
「相性のいい属性っていうのは、どんな人でも二つか三つはあるわ。これはすべての人に当てはまる。魔法使いや契約術師なら、複数の魔法を使える者もいる。けれど、蓮は普通じゃない。魔法を使って一日二日の人間が複数の属性を使えるなんて滅多に無いのよ。天才と呼ばれるレベルだわ」
「おちこぼれって評されてた俺が天才かよ。んで、俺に攻撃したのはなんでだよ?」
「契約術師として私の方が先輩なのに、私は火属性しか使えないから。簡単に言えば悔しかったのよ。ただの八つ当たり。それにしても蓮がおちこぼれって、どんだけあんたのいた所は化け物揃いなのよ。もしかしてどっかの軍隊の特殊部隊だったりする?」
「それ程はっきり八つ当たりだと言われると逆に気持ちいいな。怒る気が失せた。俺は退学に追い込まれてたただの学生だよ」
怒る気は失せたと口にしつつも、蓮は退学の部分を強調して言っていた。言葉通り怒る気が失せているとは到底思えない。
「退学寸前までいった人間に負けてるのか私」
遠い目をしたフィアナは蓮の言葉を受け、がっくりと肩を落としはしたものの歩みは止めなかったのだが、次第にその瞳にはキラリと光るものが見え始める。結局、それを見て言いすぎたと反省した蓮はフィアナを慰めながら目的地を目指す事となった。
◇◇◇
二番目にゴブリンの目撃情報の多かった場所はクーレルの森の中心にある泉のから見て、南西に位置する。最初に蓮とフィアナが待ち伏せをしていたのは、泉から見て東だった為、移動距離としてはそれなりにあった。初心者向けと言われるクーレルの森ではあるが決して狭くはないことを蓮は現在進行形で学んでいる。フィアナの持つ地図を移動中見せて貰った蓮は、直線距離で考えてしまっていたので、迂回したりする心労やまっすぐ進む事のできないもどかしさが溜まってきていた。蓮が森を風属性のバレットを使用し、平らにしていこうかと真剣に考え始めたところで、前を歩くフィアナが足を止めた。
「どうかした?」
「まずいわ。あそこの茂み見て見なさい」
「ザ・ゴブリンって感じだな。あり得ないぐらいの気持ち悪さだな。なんで金ピカなんだよ。嫌悪感しか抱けない」
「ゴールドゴブリン。ゴブリン種の最上級種よ。クーレルの森には居ないはずなんだけど」
フィアナは形のいい眉を歪ませ、ゴールドゴブリンの動向を伺っている。蓮にとってゴブリンはゲームの序盤にでてくる雑魚というイメージが強く、フィアナが焦る理由がわからない。
身をもってゴールドゴブリンの恐ろしさを思い知る事になるなど、この時の蓮は考えもしなかった。




