表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜  作者: mizu
第二章 王都クローネ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/20

尾けてくる足音と、四本目の匙

その男に最初に気づいたのは、ハンスだった。


 証拠を渡した日から、三日が過ぎていた。


 ヴェルナーさんに言われた通り、俺はいつも通りにしていた。朝は荷を受けて、昼は賄いを食って、午後は配達に出る。違うのは、荷を検めるのが店の奥になったことと、店先で薬草の話をしなくなったことだけだ。


 三日目の昼過ぎ、ハンスが箒を持ったまま、動かなくなった。


「レイ」


「ん」


「あいつ、昨日もいた」


 ハンスの目線を追った。


 通りの向かいの、パン屋の軒下。灰色の外套の男が、壁にもたれて立っている。パンを買うでもなく、誰かを待つでもなく、ただ立っている。


「一昨日もいた気がする」


「同じ場所か」


「いや。一昨日は、あっちの角」


 俺も、手元の箒を動かし続けた。手を止めたら、こちらが気づいたと教えることになる。


「マルタさんに言うか」


「もう言った」


 ハンスは、袖で鼻をこすった。


「『気にしないで掃いてな』って」


 この店の店主は、本当に、驚かない人だ。



 その日の夕方、店を閉めたあとで、マルタさんが俺とハンスをカウンターの前に座らせた。


 二度目だった。一度目は、鐘が鳴った日。


「三つ、決めるよ」


 マルタさんは、指を三本立てた。


「一つ。あんたら二人は、暗くなってから外へ出るんじゃない。配達は明るいうちに終わらせな。終わらなかった分は店へ持ち帰る。無理に届けようとするんじゃないよ」


「はい」


「二つ。店の戸は、日が落ちたらかんぬきを掛ける。夜中に叩く音がしても、あたしが出る。あんたらは奥にいな」


 ハンスが、生意気に口を挟んだ。


「おれも出る」


「出るんじゃない」


 マルタさんは、ぴしゃりと言った。


「あんたには母ちゃんがいるだろう。あの人に、あたしが顔向けできなくなる」


 ハンスが、黙った。


「三つ」


 マルタさんは、俺を見た。


「これがいちばん大事だ。——何かあったら、荷を捨てて逃げな。品より人だ。うちの店の品は全部、あんた一人より安い」


 俺は、頷けなかった。


 商売人が、品より人だと言った。それは、この人が今、商売の外側の話をしているということだった。


「返事は」


「……はい」


「よろしい」


 マルタさんは、それだけ言って、量りの分銅を拭き始めた。この人は、怖いときに手を動かす。



 翌日の午後、俺は施療院に薬を届けに出た。


 明るいうちに終わらせろ、と言われている。だから昼過ぎに出た。荷は軽く、道は知っている。いつもなら、往復で一刻もかからない。


 施療院を出て、大通りに戻ったところで、足音に気づいた。


 自分の足音と、少しずれた足音が、後ろにある。


 止まると、止まる。歩くと、歩く。


 振り返らなかった。振り返れば、相手も分かる。


 考えろ。


 まっすぐ店に帰れば、店に案内することになる。もう場所は知られているにしても、俺が「気づいて逃げ帰った」と教えることになる。


 人混みに入るか。市場は近い。でも、市場は袋小路が多い。第一、あの日ヴィオラが捕まりかけたのも、人混みの中だった。人がいるから安全とは限らない。誰も止めないと、あの日に学んだ。


 じゃあ、どこへ。


 ——あの角、二本目を右。突き当たりの塀、下に穴がある。


 ヤンの声が、頭の中で鳴った。


 三日前、官庁通りで教わった逃げ道は、ここからでも行ける。行けるが、遠回りだ。走ればいい。子供の足のほうが、路地では速い。


 俺は、角を曲がって、走った。



 背中で、足音が速くなった。


 やっぱり、尾けていた。


 一本目の角を過ぎる。二本目を右。壁が近づいて、道が細くなる。この辺りは日が入らない。昼過ぎなのに、夕方みたいな色をしている。


 突き当たりの塀。


 あった。低いところに、崩れた煉瓦の隙間。犬ぐらいしか通れない、とヤンは言った。


 鞄を先に押し込んで、体を横にして、頭から突っ込んだ。肩が引っかかる。息を吐いて、胸を薄くして、押した。


 抜けた。


 服が擦れて、肘が痛い。でも、抜けた。


 塀の向こうから、男の足音が来て、止まった。


 しばらく、何も聞こえなかった。


 それから、舌打ちの音がして、足音が遠ざかった。


 俺は、塀にもたれたまま、息を整えた。膝が、少し笑っていた。


「生きてんな」


 声がして、飛び上がりそうになった。


 ヤンが、路地の反対側から歩いてきた。後ろに、ミアと、見たことのない男の子が二人。


「……いつから見てた」


「あんたが二本目の角を曲がったあたりから。施療院を出たときから、後ろについてた奴がいるって、ミアが知らせてきた」


 ヤンは、当たり前みたいに言った。


「にいちゃん、走るの、へた」


 ミアが真顔で言った。六つか七つの子に足の速さを評価された。


「あの男は」


「北へ向かった。うちの連中が、足音立てて連れてってる」


 二度目だった。この子たちは、同じ手を、同じ手際でやる。


「ヤン」


「なんだよ」


「……銅貨、いくらだ」


 ヤンは、ふん、と鼻を鳴らした。


「今日は、いらねえ」


「え」


「二回目だからな。一回目は取引だ。二回目は、なんて言うんだっけ」


 ヤンは、少し考えて、それから、言った。


「まあ、いいや。とにかく、いらねえ」


 言い終わる前に、もう背中を向けていた。ミアが小さく手を振って、路地の奥へ消えた。


 俺は、そこにしばらく立っていた。


 二回目は、なんて言うか。


 俺は知っている。アシェンで、七年かけて覚えた言葉だ。


 でも、あいつが自分で言うまで、こっちから言わないでおこうと思った。



 店に戻ると、マルタさんがカウンターから俺を見て、それだけで全部分かったらしい。


「服が汚れてるね」


「尾けられました。逃げる途中で、塀の穴をくぐりました。……ヤンたちが、引き離してくれました」


 マルタさんの手が、一度だけ止まった。


「そうかい。あとで、あの狐にも知らせておくよ」


 それ以上は騒がず、奥へ顎をしゃくった。


「客が来てるよ。裏だ」


「客」


「あんたの客さ」



 台所の卓に、アーニャが座っていた。


 アーニャがこの卓で賄いを食べるのは、十七日ぶりだった。


 顔色は、この前よりましだった。でも、目の下の黒さはまだ残っている。膝の上で手を握って、背筋を伸ばして、じっと待っていた。


 俺を見て、その子は、立ち上がった。


「来たわ」


「……ああ」


「昼前に間に合わなかったけれど」


「賄いは、残してある」


 俺がそう言うと、アーニャは、少しだけ笑った。


 ルーチェが、鍋の前から飛んできた。


「アーニャ!」


 ぶつかるみたいに抱きついて、それから、鼻を寄せた。ためらいもなく嗅いだ。


「……におい、かなしい」


「ルーチェ」


「でも、うそのにおいは、しない」


 ルーチェは、それだけ言って、満足そうに離れた。ルーチェの検品は、いつも一瞬で終わる。


 ハンスが、荷を抱えたまま、戸口に立っていた。


「よお」


「……こんにちは」


「おまえ、ずいぶん久しぶりだな。どこ行ってたんだよ」


 アーニャの肩が、わずかに強張った。


「家が、少し」


「ふうん」


 ハンスは、それ以上聞かなかった。荷を置いて、当たり前みたいに皿を四枚出した。


 この店の人間は、本当に、聞かないのがうまい。



 賄いは、豆の煮込みだった。腸詰めは切れていて、代わりに玉ねぎが多かった。


 ルーチェが匙を並べる。


 四本。


 いつもと同じ本数なのに、今日は違って見えた。四本目に、座る人がいる。


「いただきます」


 四人で言った。


 アーニャの「いただきます」は、この前より少しだけ大きかった。


 食べている間、ハンスが今日の荷の話をして、ルーチェが市場で見た犬の話をして、俺は聞いていた。アーニャは、やっぱりあまり喋らなかった。でも、この前と違って、聞きながら、時々笑っていた。


 パンをスープに浸す食べ方も、もう慣れていた。



 食べ終わって、皿を洗って、表まで送った。


 通りの向かいに、迎えの二人が立っている。前より近い場所に立っていた。


「レイ」


「ん」


「父は、まだ目を覚まさないわ」


 アーニャは、前を向いたまま言った。


「でも、侍医が替わったの。それに、薬の調合を調べるために、監察庁が宮廷の外から薬師を入れたわ」


 ヴェルナーさんだ。


 もう、そこまで動いている。


「……そうか」


「あなたが、渡してくれたから」


「俺は、渡しただけだ」


 アーニャの目が、俺の破れた袖に落ちた。


「それで、その服は?」


「……転んだ」


「そう。では、転んだことにしておくわ」


 この子は、賢い。俺が何かを隠していることには、もう気づいている。


「レイ」


「なんだ」


「私がここに来るのは、あなたの迷惑になる?」


 ——来た、と思った。


 答えは、簡単だった。なる。今この店は見張られていて、王女が出入りしていると知られたら、俺だけじゃなく、マルタさんも、ハンスも、ルーチェも危なくなる。だから来るな、と言うのが正しい。


 正しい答えを、俺は知っていた。


 でも、口が動かなかった。


 あの日、四本目の匙が並んだまま食卓が静かだったことを思い出した。ルーチェが「あのこ、くる?」と聞いたことも、俺が「約束したから」と答えたことも。


 それに、この子の家には、揃っているのに誰も喋らない食卓がある。


「……マルタさんが言ってた」


 俺は、そう切り出した。


「うちは、いる人数で分ける。それだけの話だって」


「知ってるわ」


「だから、来ればいい。……ただし」


 俺は、そこで初めて、この子の目を見て言った。


「一人で来るな。あの二人を、もっと近くに置け。それと、来る日は決めるな。決まった日に決まった道を通る人は、いちばん狙いやすい」


 アーニャは、目を丸くした。


 それから、ふっと肩の力を抜いて、笑った。


「……あなた、そういうことばかり言うのね」


「商売と同じだ。荷を運ぶ日を決めると、盗られる」


「私は荷なの」


「王都でいちばん高い荷だ」


 アーニャは、声を出して笑った。


 迎えの二人が、驚いた顔でこちらを見た。あの人たちが、この子の笑い声を聞いたのは、たぶん久しぶりなんだと思う。


 笑い終わってから、アーニャは、居住まいを正した。


「分かったわ。二人を近くに置く。来る日も、道も決めない」


「それならいい」


 アーニャは、迎えの二人を連れて、帰っていった。



 その夜、屋根裏で、ルーチェが毛布の中から言った。


「レイ」


「ん」


「きょう、匙、四本つかった」


「うん」


「あしたも、つかう?」


 俺は、天井を見た。


 明日は使わないかもしれない。明後日も、その次も。あの子は、来る日を決めないと約束した。だから、いつ来るか分からない。


 でも。


「並べておけばいい」


 俺がそう言うと、ルーチェは、しばらく黙って、それから、小さく笑った。


「うん。ならべておく」


 窓の外で、丘の上の城が光っている。


 あの灯りの下で、侍医が替わった。誰かが、動き始めている。


 けれど、王を眠らせた相手も、店を見張っていた男の正体も、まだ分からない。


 それでも今日、うちの卓には四人いた。


 それだけで、今日は十分だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ