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静けさを聞く骨董店  作者: 秋乃 よなが


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13/25

第十三話 木製ラジオ ―残響の波―

 

 十月の風は、もう夏の名残りをほとんど抱いていなかった。

 朝晩は冷え、空はどこまでも高い。

 格子窓を開けると、通りの先で祭りの準備をする音がかすかに聞こえる。

 太鼓の試し打ちと、誰かの笑い声。

 けれどその賑わいは遠く、店の中にはいつもの静けさがあった。


 棚の隅に、古い木箱が一つあった。

 取り出してみると、それは木製のラジオだった。

 角が擦れて丸くなり、ダイヤルの数字は薄れてほとんど読めない。

 手を当てると、木の表面がかすかに温かい。

 だが、電源を入れても、何の反応もない。


 それでも、不思議と『生きている』ように感じた。

 木目の奥に、まだ音が眠っている気がする。

 帳簿を開き、日付を記す。


 ――十月二日 ラジオ。


 風が通り抜け、棚のガラスがかすかに鳴った。

 それと同時に、ラジオの奥でザ――とかすかな音がした。

 気のせいかと思ったが、確かに波のような響きが続いている。


 耳を近づける。

 木の中から、遠い息のような音が聞こえる。

 それは人の声にも似ていた。


 《……こちら、放送局……誰か、聞こえますか》


 掠れた低い声。男性のものだ。

 聞き取れない部分もあるが、確かに言葉だった。

 私は筆を取り、帳簿の余白に書く。


 ――声、あり。男性。壮年。波に似る。


 《……まち……燃えて……います。ひ……なんを……だれか……》


 音が途切れ、またノイズが重なる。

 ラジオからは電気の匂いではなく、乾いた木の香りが漂っていた。

 それがかえって、声を近くに感じさせた。


 しばらくして、また声が戻る。


 《放送局はもう壊れた。機械も仲間も、ほとんど残っていない。

 でも、まだマイクが一つある。

 誰かが聞いているか分からなくても、話していれば――生きているって思えるから》


 声の合間に、笑い声のようなものが混じった。

 幼い子どもだろうか。あるいは錯覚か。


 私は静かに耳を澄ます。

 ノイズの中に、息を吸う音、吐く音。

 その律動が、まるで街全体の呼吸のように聞こえた。


 《焼け跡の中で、風が通るたび、誰かの声がした。

 それを拾って、マイクに乗せて、ただ流した。

 名前も分からない人たちの『生きてる』を繋ぐみたいに。

 声を出せば、まだここにいると伝えられる気がしたんだ》


 私は息を呑んだ。

 その言葉は、静庵堂で私が耳にしてきたどの声よりも生々しかった。

 『声』というものがただの音ではなく、『生きる証』であることを、初めて明確に感じた。


 《……誰か、聞こえているか》


 その呼びかけのあと、音が急に近づいた。

 ノイズがふっと止み、代わりに自分の心臓の音が耳の奥に響いた。


 《……そこのあなた……》


 確かに、そう聞こえた。

 私は手を止めたまま、息を詰める。

 ろうそくの炎がゆらぎ、壁の影が波のように揺れた。


 《ありがとう。声は、消えないんだ。

 どこかで、まだ誰かが聞いている。

 それだけで、生きていける》


 言葉の最後に、短い息の音。

 それが合図のように、ノイズが一瞬、静まった。


 沈黙が訪れる。

 しかしそれは、何かが終わった静けさではない。

 何かが、聴かれている側の静けさ。


 私は帳簿に書き留めた。


 ――今夜の声、穏やか。波、街の息に似る。


 火を吹き消す。

 暗闇の中、ラジオの木肌がわずかに温かい。

 そのぬくもりは、人の手のひらのようだった。


 ◇◇◇


 夢を見た。


 焼け跡の中。崩れた建物の影に、放送機材が一つ残っている。

 男性がマイクの前に座り、ヘッドフォンをつけている。

 顔はすすで汚れ、指先が震えていた。


 《こちら……放送局……》


 声は掠れている。

 しかしそのたびに、どこかで子どもの笑い声が響く。


 街の外れで、人々が焚き火を囲んでいる


 彼らは、ラジオの音に耳を寄せ、わずかに顔を上げていた。

 放送員はそれを知らないまま、呼び続けている。


 《聞こえていますか――》


 その声が夜気に混じり、波のように街の上を流れていく。


 私は夢の中で、その声を聞いていた。

 波打つ空気の振動が、胸の奥に届く。

 それは、生きている人たちの呼吸の音だった。


 ◇◇◇


 朝。風が澄み、空気が柔らかい。

 格子窓を開けると、遠くからチャイムの音が聞こえる。


 ラジオの前に座る。もう音はしない。

 木の表面は冷たく、静まり返っている。


 それでも、机の上には確かに何かが残っていた。

 音ではなく、呼吸の跡のような気配。

 私は帳簿を開き、筆を取る。


 ――静けさとは、声の残した呼吸。


 筆を置くと、外の風が店の奥まで流れた。

 その風の音に、かすかに誰かの話し声が混じった気がした。


 聞き取れないほど小さい。

 けれど確かに『生きた音』だった。


 私は顔を上げ、窓の外を見た。

 街の屋根の上を、光が滑っていく。

 それはまるで、誰かが見守るような優しいまなざしだった。


 声は消えたはずなのに、世界のどこかで、まだ誰かが話している。


 ――静けさが、私を呼んでいる気がした。


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