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静けさを聞く骨董店  作者: 秋乃 よなが


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第十一話 カメラ ―焦点の届かぬ祈り―

 

 午後の光が傾き始めていた。

 格子窓から差す陽が棚の隅を照らし、埃が光の粒になって舞っている。

 その粒の中で、一つだけ違う光が瞬いた。

 他のものよりも硬く、静かに呼吸をしているような光。


 手を伸ばすと、それは古いカメラだった。

 黒い革の表面は乾きかけ、金属の縁には細かな傷がついている。

 手のひらに乗せると、ひんやりとして、どこか脈のない心臓のようだった。

 レンズの奥では、ガラスがかすかに光を返している。


 私は帳簿を開き、日付を記す。


 ――九月一日 カメラ。


 外では、蝉の声がもう少し遠くに聞こえていた。

 夏の終わりの光は白く、少しだけ優しい。


 レンズを覗くと、ぼんやりと格子戸が映り込む。

 焦点は合わない。

 それなのに、その曖昧さの中に、誰かの笑い声がまぎれている気がした。


 夜になった。ろうそくの火を灯す。

 炎がレンズの縁を滑り、ガラスの奥で静かに揺れた。

 覗き込むと、自分の顔が曇った金属の中にぼんやり映る。


 そのとき、カチ、とかすかな音がした。

 シャッターの音ではない。

 熱を吸った金属が息をするような、短い響き。


 《焦点を合わせるっていうのは、願うことに似ているんだ》


 声がした。若い男性の声。

 快活さの影に、どこか滲む疲れがある。

 私は筆を取り、帳簿の余白に記す。


 ――声、あり。男性。若し。光の粒子を含む。


 《俺は、部隊の記録係だった。

 仲間の顔を撮るのが仕事でね。最初はおもしろかったよ。

 シャッターを切るたびに『生きてる』って感じがした。

 笑えば、光が笑い返してくるんだ》


 レンズの奥で、炎が跳ねた。

 影が机の上を横切り、また沈む。


 《でも、戦地じゃ風景がどんどん減っていく。

 木も家も、人の顔も。

 焦点を合わせても、次の瞬間にはいなくなる。

 だから撮り続けた。焦点が合わなくなるまで》


 彼の声が、少し遠くなった。

 炎の明滅に合わせて、金属の輪が震える。


 《最期の日の朝、陽がやけに白くてね。

 レンズを覗いた瞬間、光が目に刺さった。

 何も見えなくなった。でも、不思議と怖くなかった。

 『ああ、これが焼き付くってことなんだ』って思った》


 私は息を呑む。


 写真立ての光と同じ、焼けるほどの白。

 見えないのに、確かにそこにある光。


 《それ以来、俺は光を直視できなくなった。

 でも、今でも瞼の裏で鳴ってる。

 あの光の音が。仲間の声と笑いと一緒に、ずっと》


 言葉が途切れた。

 炎が少し傾き、影が長く伸びた。

 その中で、カメラの金属がひときわ冷たく光る。

 私は筆を取り、帳簿に書き添えた。


 ――今夜の声、静か。焦点、痛みを含む。


 ペンを置いた瞬間、店の外で風が鳴った。

 格子戸がわずかに揺れ、光が壁にちらりと跳ねた。


 ◇◇◇


 また夢を見た。

 夕暮れの野原。空は淡く、光がゆっくり沈んでいく。

 私はカメラを手にしていた。


 指先が重く、シャッターが固く動かない。

 それでも押そうとする。

 視界の先で、誰かが笑っている。

 見知らぬ兵士たちの影が、一つずつ夕陽の中に溶けていく。


 ――カチリ。


 光が弾ける。

 世界が真っ白になり、音が消える。

 瞼の裏で光が波打ち、輪郭が焼き付く。

 それが写真になる前に、私は目を覚ました。


 ◇◇◇


 朝。空は曇り、風が少し冷たい。

 蝉の声は遠くで弱く続き、代わりに虫の声が混じり始めている。


 机の上のカメラに触れると、少し冷たい。

 しかしその冷たさは不思議と心地良い。

 まるで、熱を手放したあとの静けさのようだった。


 私は帳簿を開き、余白に一行書く。


 ――静けさとは、焦点の合わぬ光が残した願い。


 筆を置いたとき、机の上でかすかな音がした。

 カチリ、と。


 それが金属の軋みか、シャッターの名残りかは分からない。

 ただ、その一瞬、窓の外の光が柔らかく滲んだ。


 店の中に、光と影のあいだの時間が流れる。

 カメラのレンズがかすかに揺れ、そこに誰かの瞳が映ったような気がした。


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