最終話:永遠(とわ)の春、畳の上で笑う契り
レンタカーを北へと走らせるにつれ、窓の外の景色は、かつて二人が駆け抜けた越前の深雪ではなく、現代の柔らかな春の陽光に包まれてゆきました。
福井市、北ノ庄城跡。
今は柴田公園として整備されたその場所に、勝利と壱伽は、まるで吸い寄せられるように辿り着きました。
公園の入り口に立つ、柴田勝家公とお市の方の銅像。
その無骨な男と、気高き美女の姿を見上げた瞬間、二人の脳裏を、あの日、北ノ庄を焼き尽くした紅蓮の炎と、互いの血で染まった死の色彩が、濁流のように駆け抜けました。
「……勝家様」
壱伽の唇から、現代の言葉ではない、震える声が漏れ出しました。
彼女の瞳からは、大粒の涙がポロポロと溢れ、かつて勝家様の頬を撫でた、あの絹のように柔らかな掌で、己の胸を強く締め付けます。
「市……っ。ああ、市……!」
勝利は、膝をついて泣き崩れました。
四百年前、己の無力さを呪い、彼女を地獄へと引き摺り込んだという、あまりに重い「罪」の記憶。その絶望が、現代の勝利の大きな体を押し潰そうとしておりました。
「……すまぬ、すまぬ、市。わたくしが、わたくしが至らぬばかりに。お前を、またあの日のような、悲劇に……!」
勝利は、自分の顔を大きな掌で覆い、嗚咽しました。
けれど、その勝利の頭を、壱伽は、そっと、現代の、けれど四百年前と変わらぬ底知れぬ慈愛に満ちた掌で、包み込んだのです。
「勝家様、お顔をお上げなさい。……もう、城は燃えておりませぬ。秀吉殿も、主君の命もございませぬ。あるのは、ただ一人の男と、一人の女の、新しい春にございます」
壱伽は、涙を拭うよりも先に、最高の笑顔で勝利の頬を包み込みました。
その指先から伝わる感触は、どこまでも温かく、それゆえに勝利にとっては、どんな刃よりも鋭く、その胸を切り刻む「残酷な慈愛」ではなく、四百年の氷を溶かす「真実の救済」でございました。
「ねえ、ゴンちゃん。……いや、勝家様。
あの時、火の中で『来世こそは』って誓ったでしょう? その来世が、今、ここにあるのよ。……今度は、最後まで、幸せにしてくれるのでしょう?
壱伽の瞳の中にある、春の陽だまりのような温かな光に、勝利の鼓動は「ドクン、ドクン」と、戦の太鼓よりも激しく、けれど穏やかに打ち鳴らされました。
勝利は、震える手で壱伽の肩を抱き寄せ、彼女の瞳を、今度は逃さぬようにじっと見つめました。
そこには、救いも、希望も、明日への光も……すべてが、最高のハッピーエンドとして、そこに存在しておりました。
「……ああ。市、いや、壱伽。俺は……俺はもう、逃げない。今度は、畳の上で、一緒に笑って死ぬまで、君を離さない」
勝利は、己の荒れ果てた大きな掌で、壱伽の細い手を、お預かりした宝物のように、静かに、そして深くその胸に刻まれるように強く、強く、抱きしめ合いました。
外では、北ノ庄城跡に咲き誇る山桜の花びらが、そよ風に吹かれては、まるで祝福の散華のようにひらひらと舞い落ち、静寂に包まれた公園内に、二人の新しい旅立ちを運んでまいります。
乱世という荒波の合間に訪れた、奇跡のような凪の時間。
この時の温もりこそが、四百年という悠久の時を越え、現代の雑踏の中で再び二人を結びつける、唯一無二の道標となったのでございます。
「……もう、本当にお手のかかるお方。ほら、涙で眼鏡が曲がっておりますわ。じっとしていてくださいませね」
壱伽はクスクスと笑いながら、勝利のネクタイをグイッと直しました。
今度は、城は燃えていない。
今度は、彼女の手を血で染めることもない。
四百年前、血と炎にまみれて交わした「死」の儀式は、今、春の陽光と山桜の香りに包まれて、最高にハッピーでコミカルな「永遠の祝言」へと書き換えられてゆくのでございました。




