十一
食堂の前で、王女は立ち止まる。近衛兵がいたからだ。しかもあの印章は兄のものではなかったか。
(⋯面倒ね)
兄の近衛兵は、自分を見下しているような気がする。いや、気がするではなく本当に見下しているのだろう。でなければシルクを見かけても挨拶しない理由が思い付かない。
ちらり、とシルクは再び食堂を覗く。疲れ果てた顔の近衛兵が幾つもいるから、朝練とやらをやって来た後なのだろう。
(行ってもいいけど。絶対面倒なことになるでしょうし⋯)
はあ、とため息をついて、シルクは厨房の方へ足を向けた。
「王女様?どちらに行かれるので?」
背後からかかって来た声。ギョッとして、慌てて振り向く。
「王女様のような方がまさかまさか、食堂でお食事するわけ⋯ないですよね?」
そう言って目を光らせたのは、ルイだった。最近ずっと見飽きていた顔だ。
というか、口調が変わってないか?いや、余所行きの口調か。
「⋯そんな訳ないでしょ。ちょっと暇になっただけのことよ」
「おや、マナー教師からの課題は終わらせた、ということで?」
「ええ」
頷くと、ルイは目を見開いた。かなりの量の課題を、一日で終わらせたことは衝撃だったようだ。
「⋯そういえば貴女って王族でしたね」
「そういえば、って何よ。分かってるわ、自分の扱いなんて」
悔し紛れに付け足した言葉は、自分に一層酷い傷を付けた。苦しくて息ができなくなりそうだ。慌てて話題を変える。
「貴方は?どうしてここに来たの?」
「貴女を探しに来たんですよ」
「私を?」
「ええ。聞きたいことがあるそうで」
その後に言われた言葉に、シルクは何も言えなかった。だからだろう、ルイは此方ですよ、とシルクを案内し始めた。
(⋯嘘でしょ。何で、急に?)
必死に頭を回すシルクとは裏腹に、ルイは余裕そうに歩を進める。
「ふふっ」
(笑っ⋯馬鹿にされてる?)
「何?」
「いえ、余りに表情が変わるものですから」
そう言われてシルクは手を頬に当てる。表情管理がなってない、ということだろうか。
「分かってるわよ」
「ん?──ああ、そうではなく。私の見たことがないほどクルクル変わるものですから、面白いな、と」
「面白いって⋯馬鹿にしてる?」
「してますよ」
即答で返された言葉に、良い返答が見つからない。詰まったシルクを少し振り返って、ルイは続けた。
「というより、貴女を見下していない人がこの城にいるとお思いで?」
「それはっ」
言いかけて、言葉が出て来ない。本当のことだからだ。王族の中で唯一、馬鹿にしても怒られない人間。誰かの言葉が思い返される。『そんなんだから王女様って安っぽく見られるんだよ?』
あれは、誰だったか。
「さて、着きましたよ」
その言葉で現実に引き戻される。シルクは目の前の扉を見て、ちらとルイを伺った。
「因みに、貴方は入らないの?」
「そう命じられておりますので」
「そう」
いたら良かったのに、と思う。でも、できないのだろう。身分差というものがあるから。
「いってらっしゃいませ」
意味の分からない言葉を紡いでルイはいなくなった。扉が開いた。シルクはそっと部屋に入る。
「⋯久しいな」
「ぉ、お祖父様⋯御久しゅう御座います」
薄暗い部屋に、蝋燭の火が何本も灯っている。縦に長いこの部屋の、一番奥にはシルクの祖父⋯前王がいた。声からして、随分疲れているようだ。薄暗くて、祖父の顔が見えない。ただ、痩せていたのは分かった。
病気の関係で王位を譲ったという噂は本当だったらしい。驚いて声が裏返ってしまった。
「さて、お前を此処に呼んだ理由だが」
大体の見当は付いている。結婚か言動。多分前者だ。これでも王族の末席に名を連ねているのだから、果たすべき使命は果たさねばならない。
生唾を飲み込む。手を握りしめた。
「──最近、別棟へ遊びに出掛けているらしいじゃないか。儂も混ぜてはくれないかね?」
「へ、は?」
素っ頓狂な声が出た。まさかの前者でも後者でもないとは。シルクが呆けた顔をして固まってるのを知ってか知らずか、側に控えていた付き人が口を開いた。
「陛下、王女様が困っておられます。もう少し言葉を」
「そうか?何やら別棟によく行くと噂を聞いたものでな。医師からも外での療養が必要と言われたので丁度いいと思ったのだが」
「⋯別棟には地下室か渡り廊下しかなかった気もしますが」
「おや?そうか⋯。すまなかったね」
不意に此方に向けて話すものだから、シルクは肩を跳ねて「は、はい」と言った。
居心地が悪い。何か、問い詰められるような気がする。そんな曖昧な不快感を持ちながら、それを口に出すことは憚られた。言ってしまえば、いよいよ王族剥奪も見えると思ったから。
(⋯いや、剥奪されても不利益はないような気もするけど)
強いて言えば、他人からの視線がキツくなることくらいだろうか。
ぼんやりとして頭の中で考えていると、再び前王に呼び掛けられて現実に戻される。
「どうやら彼をどうにかしないといけないらしい。すまないが用事は済んだということで良いかな?」
「え、あ、はい。それでは」
習ったばかりのカーテシーはきっと不格好だったろう。だって緊張していたから。
(な、何だったんだ⋯)
部屋を出たら、昼前なこともあって視界が白く輝いた。
「⋯あれ、終わったんですねぇ」
間延びした、軽薄な声にシルクは振り返る。扉のすぐ側でルイが凭れ掛かっていた。
「あ、貴方いたの」
「いますよー、今日は結構のんびりしていい日らしいので」
「⋯舞踏会だとかはないってこと?」
「はは、そうですね」
乾いた笑いに染み付いた笑顔。シルクが引き気味に戻ろうとすると、ルイが付いて来る。
「な、何で来るの?」
「王女様がすぐどこかへ行くと噂がありまして。危ないところに行ったら連絡してくれ、と」
誰が、とは聞かない。おおよそ兄か義母だろう。
(でも、見られていたら目的が達成できないのよね)
どうしよう、と考えてシルクは窓から空を見上げた。雲一つない快晴が見えた。




