十
二人が出会って二ヵ月。シルクはすっかりリネン室の一員のような顔をして居座っている。
「そういえば貴方、食事はどうしてるの?」
「食事?⋯普通に食べてっけど」
「そうじゃなくて、何処から手に入れてるの?って聞いてるのよ」
ふと気になったことを聞くと、シヴァは少しだけ気まずそうな顔をする。何だか変な気分になって、シルクは問い詰めるようにシヴァに詰め寄った。
「まさか、勝手に盗み出してるんじゃないでしょうね。食糧庫は駄目よ、皆が困るわ!」
「いや、それについては⋯」
「私がなんとかして来るから、シヴァは待っててね、絶対よ!」
そう言って、部屋を慌ただしく出て行くシルクを、シヴァは少しばかり不安そうに、けれどどこか嬉しそうに眺めていた。
弁明しようとした時のシヴァの表情。あれは、後ろめたいことがある人のそれに酷似していた。
だから、シルクはシヴァを信じたくて。まさか盗みなんてことをしているとは思ってなくて。
シルクにとっては、シヴァは大切な──⋯
「たい、せつ?」
自室の扉を開けようとしたシルクは、思わずぴたりと立ち止まる。
(シヴァは私の知らないことを教えてくれた。私を一人の人として扱ってくれた。子供扱いはしょうがないけど、王族としての扱いをしなかった⋯)
『シルク』と名付けられたときに、彼女は新たな生を受けた気になった。
間違いなく、王女としての自分が嫌だったからだろう。
「大切⋯でも、違うような⋯?」
輪郭の曖昧なその感覚を、シルクは手探りで探す。自分の中に、その答えがあると信じて⋯
「あれ、王女様?どこにいらっしゃったんです?」
「ピッ⋯」
自分の中に意識を向けていると、周囲の声がわからなくなる⋯シルクは本日、それを身に染みて理解した。
「ジ、ジュノ⋯?貴方こそ、今日は部屋の掃除は必要ないと言ったでしょう?」
使われた形跡のない掃除用具を抱えるジュノは、まさに今シルクの部屋を掃除しようとしていたらしい。
けれど、それはシルクの記憶とは違っているようだ。
「え?私、朝言いましたよ?『今日は掃除ありますからね』って」
「⋯え?」
そういえば、そんなこともあった⋯ような、気がする。
「ていうか、王女様。その埃だらけの服は何ですか?寝巻きに上着羽織るだけって⋯そんなのを使用人に見られたらどうなるか⋯!」
「昔からしてるし、良いのよ」
「昔と今じゃ全然違います!って、昔からやってるんです?聞いてませんよ?」
ジュノはシルクが五歳の頃から世話をしてくれている、いわば専属侍女だ。明記していないだけで、暗黙の了解というやつだろう。
「そりゃ、言ってないわよ」
口を尖らせてシルクは呟く。ジュノがまた小言を言う前に、シルクは重ねて続けた。
「それに、今から着替えようと思ってたのよ。丁度いいわ、手伝って頂戴」
「⋯⋯⋯」
じと、というジュノの視線は気にしないふりをして、シルクは自室に入る。
ピンクで統一された部屋。いわゆる『可愛らしい』『愛らしい』が前面に押し出された雰囲気のそれは、シルクが子供の時に周囲をむりやり納得させて調度品や壁紙に至るまで変えさせたのだ。
周囲を強引に賛成させた記憶があるから、シルクは可愛らしいものが好きじゃなくなっても、「変える」と言い出せずにいる。
それに、最近は国内外で小競り合いや内乱も多いと聞く。確かに王城はそう言った争いからは無縁の場所に建っているけれど。シルクたち王族や大臣は、争いを何とかするのが役目だ。
そんな時に、呑気に部屋を丸替えしたいなんて言い出した暁にはもう。
(後ろ指指される『ワガママ王女』の爆誕よね)
流石にそれはいただけない。だから、どれだけ苦手でもギリギリのところは我慢しないと。
『貴族や王族なんて、我慢の権化ですよ』
かつてジュノはそう言って彼らを讃えていた。今更だが、シルクも同じ気持ちになる。
「ちょっと、早く入ってくださいって」
「貴方ねえ、雇い主にそんな態度してるといつかクビになるわよ」
「じゃ、その時は信頼関係って言っておいてください」
用具を床に置いて片手でひらひらを手を振るジュノ。扉を閉めて、シルクはジュノを見つめた。暫く視線を送るとようやく折れたのか、懐から取り出した目隠しを着けジュノは掃除を始めた。
「いつも思ってたけど⋯器用ね」
「王城仕えの侍女は覚えさせられる技能ですよ。王城の隠し通路も全部叩き込まれます」
「⋯間諜とか、いるんじゃないの?」
「そういうのはその前に落とされます」
分かりやすいって聞きましたよ。
そう言いながら、手を動かすことをやめないジュノは、きっと良い先輩侍女なのだろう。
「それより早く着替えてくれません?これも割と大変なんですけど」
「あら。ごめんあそばせ」
やれやれ、と呟くジュノの呟きに、ほんの少しだけ罪悪感を抱いた。
クローゼットの中から適当な服を見繕い、着替え始める。
自分で着替えるのか、と言われる時もあるが実際のところ着るのが難しいドレスなんて、外交を滅多にしないシルクにとっては殆ど不必要なのだ。
(それに、王城の人は私を外国の要人に会わせたくないでしょうし)
──『民間王女』。
高位貴族の間で広まっている、シルクの渾名だ。蔑称であることなんて、とっくのとうに知っていた。
そりゃあ、公務を殆ど兄弟姉妹に投げて自身はあちこちで遊んでいれば、そんなあだ名も付く。
(慣れてるわよ、外れ者なんて)
母親が生まれてすぐに自殺したり。乳母が見つけられなくて王城のメイドに世話を焼いてもらったり。兄と生まれた時期が被ったから世話が後回しにされたり。そんなだから教育も不十分で、王城の中心に部屋がなかったり。最たるものは病弱だからと適当に言って貴族社会に出られていなかったり。
シルクの人生は多分、不幸というものだろう。本人がかなり明るい性格をしているだけで、その中がひどいくらいに歪んでいることなど誰も知らない。
「⋯愛されて、みたいだけなのよね」
「ん?何か言いました?」
はたきをかけながらジュノが振り向く。小さく呟いたのに、彼女の耳はどうなってるんだ。
「いいえ。何も?それより、そろそろ終わるわよ」
「そういうのは終わってから言うもんですよ」
ああ言えばこう言う。雇い主にすぐ噛み付く。だから、シルクはジュノを重宝した。陰口を叩かれるより此方の方が十分嬉しいから。
(だから、ジュノには見せちゃ駄目ね)
こんな、弱々しい自分のことなんて。
というか、王族としての最低限の振る舞いだ。他者に弱みを握られてはいけない。王族の中の弱者であるシルクは、より一層。
(それじゃあ、シヴァは?)
だから、頭によぎったその疑問は奥底に封じ込めた。
「⋯はい、もう良いわよ。邪魔したわね」
「邪魔も何も、ここ王女様のこの御部屋ですから邪魔してるのは私の方ですよ」
「あら、そうね」
なるべく同じ足取りで。自分の人生は他人に寄らないような、我の強い性格だとすぐにわかるように。
「まあ、貴方が掃除してくれるなら助かるわ。よろしくね」
言い返されるのが怖くて、返事も聞かずに外に出た。
全く悲惨よね。共感も同情も要らないけれど。




