第1章の1 無為
「ねえ深夜、この後どうしようか。」
「どうするも何も、今日一日は、俺は大人しくお前に従うって約束だろ。
ならお前の行きたい所に行けば良いさ。そんで俺はその後に着いて行くから。」
「んもー、そうじゃなくて・・・。」
そう言って若葉は頬を膨らませた。
「何故怒る。約束はお前から強引に結んだんだろう。」
訳が分からない。
深夜は首を傾げる。
「うう・・・。まあ、それはそうなんだけど・・・、でも違う。」
若葉は、上目使いに深夜を見ながら、
「あのね、これから2人で一緒に町を歩くんだから、あの・・・、その・・・、」
両手の人差し指を合わせ、もじもじしていた。
「何だ、俺にエスコートしろってのか?」
深夜は冗談交じりに言ったのだが、見る見るうちに若葉の顔は真っ赤になっていく。
「そ、そうッ! 深夜は男の子なんだから、やっぱりこういう時は、女の子をリードしていかないと行かないと。」
「良く言うぜ。
ガキの頃は散々俺達を引き摺り回していたくせに、何を今更女みてえなこと言ってんだ。」
その瞬間。
ポカッ。
頭に小さな衝撃が走った。
「何しやがる。」
「うっさいッ! 昔のことは関係ないでしょッ!
それに、女みたいって失礼ね。これでも私は立派な女の子なんだよ。」
ポカポカッ。
再び小さな握りこぶしが落ちて来る。
痛くは無い。だが、中々に鬱陶しかった。
そしてそれよりも気になるのは距離だった。
互いの息が掛かるか、掛からないかの至近距離で向き合っている男と女。
実態はどうであれ、傍から見ればそう見えなくも無い。
若葉の手よりも、寧ろ周囲の目の方が痛く感じられた。
「ああもう、うざってえ。」
深夜は鬱陶しそうにその手を払い除けた。
「わかったよ。俺の負けだ。
お前をエスコートすりゃ良いんだろ。」
「・・・本当に?」
「ああ、本当だ。だから俺を殴るのを止めろ。」
流石にそろそろ周りの情念の籠った視線が、洒落にならないぐらいに痛くなっていた。
(白昼から堂々と、イチャついてんじゃねえ。)
(場所を弁えろや、ボケが。)
声にせずとも彼らが言わんとする思いは、犇々と伝わって来る。
だがそんなことなど、お構いなしと言わんばかりに、
「やったあッ!ありがとう、深夜。」
若葉は深夜の腕に巻き付いて来た。
直線までの不機嫌そうな顔は嘘のように消え去り、心底嬉しそうな可愛らしい笑い顔を浮かべていた。
だがそんな若葉の笑顔と反比例するかのように、周囲の空気が急速に冷えていく感覚を深夜は味わった。
「なあ、若葉・・・。」
周りの空気を敏感に感じ取った深夜は、己が疑問を口にする。
「お前、もしかして分かってやってんじゃねえだろうな。」
それは、半ば確信めいた予感だった。
「さあて、なんのことなのかなー? 私にはさっぱり分かんないなー。」
わざとらしい棒読み。
そう言った彼女の笑顔は、いつの間にやら悪戯好きな小悪魔のソレに転じていた。
「・・・そうかよ。まあ、もう何でも良いわ。」
深夜は溜め息を吐くと、若葉の手を引き、歩き出した。
「取り敢えず、ここから出るぞ。
何時までも歩廊に突っ立ったまんまじゃ、他の客に色々と迷惑掛けちまうからな。」
「そうだね。色々と邪魔になるからね。」
そして深夜と若葉は人混みを掻き分けながら、改札を目指して進んで行った。
※
歩廊を歩き、跨線橋を渡り、駅構内へと入る。
「相変わらず、無駄に広い駅だな。」
深夜は、うんざりした調子で呟いた。
「うん、でも懐かしいね。」
「そうだな。」
3年前に初めて訪れた東京駅。
2人は当時を懐かしむように、その構内を見渡しながら歩く。
だからであろうか。
感慨に耽るあまり、二人は、周囲の人間の接近に対する注意力が散漫になっていた。そして。
ドンッ。
と、横から歩いて来た者と深夜がぶつかってしまった。
「・・・ッ。」
転倒こそしなかったものの、突然の衝撃に深夜は、驚くとともに即座に己の不注意を悟り、
「申し訳ない。」
ぶつかった者に謝った。
「怪我はないだろうか。」
そう言って深夜は手を差し伸べる。
そしてその瞬間に気付いた。
深夜と同じくらいのスラリと高い身長。
腰まで伸びた金色に輝く髪と、碧い双眸。
その顔立ちいずれもが、日本人とはかけ離れていた。
だが普段西洋人を見慣れていない深夜や若葉でも、分かる程に端正な顔立ちをした少女だった。
そして、
「いや、こちらこそ済まなかった。」
「ッ!?」
彼女の言葉に2人は更に驚愕し、呆気に取られた。
そんな2人を見た少女は、
「・・・どうしたのだ?」
と、疑問を口にした。
「いや・・・、まさか日本語で返されるとは流石に予想外だったから、少し呆気に取らてしまった。」
ハッと我に返った深夜は、慌てて答えた。
「ああ、そのことか。
私は今年から、日本の学校に留学することになってな。
それで日本語を少し勉強していただけだよ。」
彼女の言葉に、深夜は目を細める。
「へえ、それはまた随分と珍しいこともあったものだな。
わざわざ日本に来るということは、大学への留学なのだろうか。」
「いや、大学ではない。私はまだ15だからな。」
「へえ、それじゃあ私達と同じなんですか。
すっごく大人びて見えたから、ずっと年上だと思ってましたよ。
それに、日本語もスッゴく上手だし。」
若葉は目を輝かせながら、感心したように言った。
「そう大したことでもない。
何処に行くのであれば、誰でも最低限の準備はするだろう。それと同じだ。
日本へ行くことになったから、私も多少の準備をしたというだけのことだ。」
特に何でもないといった調子で、彼女は言った。
すると、
「”Hey Heidi, Was geht?"」
遠くからそんな声が聞こえた。
3人がその声のした方を向くと、少し離れた所に、これまた2人の異邦人の男女が立っていた。
「”Ach, nicht viel."」
彼女は向こうにいる2人に、そう声をかけた後、
「すまないな、向こうで2人が待っているのでね。」
深夜と若葉の方へ向き直った。
「気にするな。こっちこそ引き留めてしまったからな。」
深夜がそう言うと彼女は、フッと微笑み、
「ああ、では。もしまた縁があったならば、いずれ何処かで会おう。」
踵を返して歩いて行った。
その長く柔らかい髪が、ふわりと宙を舞った。
深夜は何となく目が離せず、終始その後ろ姿を目で追っていた。
そしてその3つの影は、1番線の歩廊へと降りて行った。
するとその時、己の手の甲に痛みが走り、深夜は現実に引き戻された。
バッとそれに目を遣ると、若葉が手の甲を抓っていた。
「・・・おい。」
若葉の顔を見ると、また元のむくれ顔に戻っている。
「深夜、鼻の下伸ばしてた。」
「伸ばしてねえよ。」
「嘘だッ! だってスッゴイ集中して見てたもん。全然私の声に反応してくれなかったもん。」
前言を撤回しよう。
元には戻っていなかった。
寧ろ更に機嫌が悪くなっていた。
※
その後、深夜は何とか若葉の機嫌を宥め、2人は東京駅を出た。
丸の内の広場。
そこを走る都電の線路。
正面に広がる千代田通。
そしてその奥に見える皇宮。
駅から見える景色は、所々あの時とは大分変化してしまっている。
だがその大元は、3年前のあの日から何一つ変わっていなかった。
「あの子、一体何処の国の人だったんだろうね。」
「さあな。ただありゃ独語だったから、その辺りの人間なんだろうよ。」
「それにしても、スッゴく綺麗な子だったね。
お人形さんみたいな綺麗な目だったし、髪もキラキラだったし。」
「お前がそれを言うかよ。」
「別に私は、深夜みたいな厭らしい目であの子のことを見てないし。」
「・・・そうかよ。」
最早何度目かも分からない溜め息が零れた。
「まあ良い。取り敢えず適当にその辺の預り所に、荷物を預けてから行くぞ。」
そう言うと深夜は、若葉の手を引いた。
一瞬、若葉は呆気に取られる。
「随分と積極的じゃん。」
「こうしねえと、お前はまた拗ねるだろうからな。」
「・・・一言余計だよ。」
それでも、若葉は引かれるがままに着いて行く。
「ただ、あんまり期待はすんなよ。
俺も東京のことなんぞ、殆ど知らねえんだからな。」
「ううん、それは大丈夫だよ。
深夜と一緒に行けるなら、それだけでも十分嬉しいもん。」
余りにもアッサリと。
若葉は、そんなことを言ってのけた。
その顔も、心の底から楽しみにしているかのような屈託の無い笑顔だった。
「そ、そうかよッ。」
いきなりの不意打ち。
思わず、グッと引き込まれそうになった。
それでも深夜は、何とか顔に出さないよう努めて平静を装おうとする。
だが、
「おやおやー? もしかして照れておりまする?」
まるでその拙い努力を見透かしているかのように、若葉は悪戯っぽく覗き込んできた。
そして一度こうなってしまうと、後はもうどうしようもなかった。
「バッ・・・、べ、別に、照れちゃいねーよッ!」
何とか慌てて否定するも、若葉は益々嬉しそうに、悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「もう、深夜ってば本当に可愛いんだから。」
そう言いながら再び深夜の腕に抱き着いた。
「バカ、お前。早く離れろッ!
周りの奴らが見てるだろうが。」
深夜は咄嗟に振り解こうとするも、まるで外れる気がしなかった。
「やーだよ。何ならもっと見せつけちゃえばいいじゃん。
それとも何。やっぱり恥ずかしがり屋さんの深夜君には、まだ無理なのかなー?」
「この・・・ッ!」
何か言い返してやりたかった。言い返さずにはいられなかった。
だが肝心の言葉が出て来ない。
数秒の間、恥ずかしさと屈辱で身体を震わせるも、すぐに身体から力が抜け落ちる。
そして再び溜め息が出てしまうのだった。
「・・・お前は、本ッ当に面倒臭い奴だな。」
そんな心底呆れたような呟きにも、若葉はどこ吹く風だった。
「エへへ―。そうだよー、女の子はね・・・、みーんなめんどくさい性格してるんだから。
だからもっと気を付けないとダメなんだぞ。」
ケラケラと笑いながら、更に腕に巻き付いて来た。
「そうだな・・・。誰かさんを見ていると、嫌と言う程身につまされるよ。」
「そうそう。深夜もその誰かには感謝しないとねー。」
憎たらしいまでに、可愛らしい笑顔。
最初から最後まで深夜は調子を狂わされ続け、手綱を握られっぱなしだった。
「それはそうと、あのね・・・、私は最初に銀座が見てみたいの。
だから先ずはそっちの方から行ってみようよ。」
「好きにしてくれ。」
結局はいつもの如く、深夜が折れて納まりが付くのだった。
だがそれでも、決して悪い気はしない。
本人は頑なに否定し、認めたがらないだろうが、何だかんだ言いつつも彼らはこの雰囲気が嫌いでは無かったのだ。
そうして2人は、帝都へと繰り出す。
どちらがエスコートをしているのか、もう既に定かではない。
何とも締まらない、不格好な2人組だった。
序章がちょっとアレだったので初めの方は、なるべく明るい雰囲気の話にしてこうかなあ、と思いました。やはりメリハリがないとダメですからね。
どうせ皆いなくなる・・・。(ボソ
それはそうと話は逸れますが、19日の国会の法務委員会に、妙にデジャヴを覚えた今日この頃。




