序章6の6 渡海
そして現在。
巡洋艦磐手の艦長執務室。
鈴木貫太郎と佐藤市郎は一様に、困惑した面持ちを浮かべていた。
それもそのはずだ。
目の前の少年が語って聞かせた過去は、あまりにも現実離れしていたからだ。
まるで小説を語って聞かされているかのような感覚だった。
「司令官・・・。」
佐藤は思わず隣で共に聞いていた鈴木の方を向く。
「いや、だがしかし・・・、」
鈴木は口篭る。
あまりに荒唐無稽で、悪い夢物語のような話。
だがそれでも、その話を、即座に嘘や妄想の類だといって切り捨てることは出来なかった。
この少年が気が触れている訳でないことは、これまでの様子で判っており、また彼が出鱈目を言っているとも思えなかった。
そしてなにより、2人が昨夜に身を以って経験したことを思うと、その信じがたい話も信じざるを得なかったのだ。
「それで、その後のこともおしえてくれないか。
何故、遠く離れたマサチューセッツから、ここロサンゼルスまで来たのか。」
※
以下、少年の話はこうだった。
あのセイラムの大火により、町の大部分が完全に焼け落ちてしまった。
そして後日、焼けた瓦礫の下からは無残な焼死体が無数に出てきた。
夜中に起こったことが、致命的となったらしい。
数少ない生き残った者達も、住まいを失い、町を離れる者が殆どだった。
アマネもセイラムを出て、しばらくはアーミテッジの下に身を寄せていた。
セイラムを包んだ大火も、流石に隣町にまでは及ばなかった。
あの夜からアマネが感じていた不気味な気配は、薄くなっていた。
完全に消滅した訳ではなかったが、あの日に日に精神を蝕まれれような感覚は無くなっていた。
ジュウゾウが、その命をもってアレを滅ぼしたからかどうかは判らない。
だが少なくともアマネは、そうだと信じていた。
そうして、アマネは、教授の下で平穏な日常を取り戻した。
あくまで、つかの間の平穏だったが・・・。
この町の闇はアマネが考えている程、甘いものではなかった。
あれからおよそ、一年が経過した頃。
再び、あの闇がアマネの下へ忍び寄ってきた。
そして今度は、祖父はいない。
もはやアマネには、対抗する術はない。
ではどうするか・・・。
あの闇を直視し、総てを受け入れるか。あの闇から目を背け、総てから逃げ出すか。
二つに一つ。
そしてアマネは、後者を選んだ。
あの町の闇が、魔手が届かぬ地へ・・・。遥か遠くの土地へ。
※
「大陸横断鉄道に乗って、ボストンからシカゴへ。シカゴからサンフランシスコへ、ロサンゼルスへと渡って来ました。
少しでもあの町から、離れた所へ行きたかったのです。」
「なるほどな、そういうことか。」
二人の疑問は氷解した。
そして、彼が昨晩のような凶行に及んだ理由も何となく分かってきた。
見知らぬ地で、幼い子供が生きていく手段など限られていたからだ。
他人の庇護を受けるか、或いは他人から奪い取るか。
そして少年は後者を選んだ。
「ですが、駄目でした。」
少年は肩を震わせていた。
その表情は今にも泣き出しそうな、悲壮を浮かべていた。
「するんですよ・・・。またあの気配が。
あの町の闇が形を持って動き回る気配がするんです。」
アマネは、抱えていた一冊の古い本を二人に差し出した。
貫太郎と市郎は、それを手に取ってパラパラと本を捲る。
中は英語ではない、見知らぬ言語で綴られている。そしてその本の所々に紙片が挟まれており、それには注釈が日本語で記されていた。
相当の数の注釈が挟まれているが、それでも全ての翻訳や解析が成されてはいない。
「これは・・・、魔導書だな。」
「はい。祖父があの夜にボクに託したものです。
おそらくは・・・。いいえ、まず間違いなく、あの気配は、この本に引き寄せられているんだと思います。」
あの時から、薄々は感じていた。
あの夜までは、祖父がこの本を持っていた。
そして今は、こうしてアマネの手の中にある。
遙か遠方のロサンゼルスにまで逃げてきたが、結局は追いつかれてしまった。
きっとこの本を持っている限り、あの闇は何処までも付いて来る。
決して逃げ切れないのだろうと。
アマネの祖父も捨てられるものなら、さっさと処分してしまって構わないとも言っていた。
だがそれでも、
「それでもボクは、この本を捨てることが出来ないんです。
これのせいで祖父が死に、次にこうしてボク自身も脅かされている。この本が如何に危険なモノかは分かっているつもりです。」
「・・・。」
”ならば何故”、と、貫太郎も一郎も、そう問い質すことは出来なかった。
「だけど、これを捨てることは、ボクと祖父の唯一最後の繋がりが断ち切られてしまうのと、同じことなんです。
それだけはどうしても・・・、どうしても出来ません。失いたく・・・ないんです。」
俯いて涙を流し、嗚咽を漏らす。
それ以上アマネは話し続けることは出来なかった。
「・・・皮肉だな。」
ポツリと、貫太郎は苦々しく呟いた。
一郎の顔も渋面を浮かべる。
アマネの思いを聞いた2人の心中は穏やかでは無かった。
余りにも皮肉なことだった。
この呪いとも言えるしがらみから解放されるには、只単にその本を捨ててしまえば良いだけだ。
只それだけの単純なことが、アマネにはどうしても出来ない。
まだ幼いアマネに、大切な人間との思い出が詰まった唯一彼に残されたものを自らの手で捨て去るというのは、再び祖父を・・・、今度は自らの手で葬り去る行為に等しかった。
故に、それだけは・・・。
その手段だけは、決して採る訳にはいかなかった。
この少年のそういった純粋で切なる思いさえもソレは、厭らしく巧妙に利用しているかのような。
ひどく底意地の悪い、悪辣な呪いだった。
だからこそこの呪いは、真綿で首を絞める様にゆっくりと、それでいて効率的にアマネを蝕んでいくのだ。
それを思うと貫太郎は、この少年が不憫でならなくなると同時に、この歪に捻くれた呪いが腹立たしく思えてならなかった。
そして、だからこそ貫太郎は決断する。
「アマネ君、このまま私達と共に日本へ来ないか。」
その提案に、俯いていたアマネは即座に顔を上げ、驚愕した。
それとは対照的に市郎はそれほど驚いた様子もない。
こうなることが分かっていたのか、それとも彼も望んでいたのか。
「ですがおそらく、日本へ渡ったとしても、いずれは・・・、」
「まあ、間違いなく何時かは、君の言うモノは、君の元へとやってくるだろうな。
その本を持ち続けている限りは。」
「ですが、ボクはコレを手放すつもりはありません。」
「そう警戒しなくとも良い。私が君に、君の祖父君の遺品の破棄を強要するつもりはないよ。」
「それでは、一体・・・?」
アマネは、貫太郎の提案の意図が分からなかった。
「たとえ、その君を追跡するモノから逃げ切れずとも、何かしらの対策が有れば、ソレに対抗することは可能だ。
日本には君に似た者達が行く学校や、呪術といった類のものを研究する専門の機関がある。
そこならば君の持つその本について何か判明するかもしれないし、もしくは・・・、」
「ボク自身が、アレに対抗できるだけの力を身に着けることが出来るかもしれない・・・、と。」
「そう言うことだな。」
この話が本当であれば、アマネにとっては天啓にも等しい提案だった。
彼に取り巻く、この呪いめいた因縁に決着を付けることが出来る方法を見出せるかもしれないからだ。
だが同時に疑問も浮かぶ。
「でも・・・、どうしてお二人は、ボクにここまで尽してくれるのでしょうか。
昨晩に出会ったばかりで、あまつさえボクは、あなた方に危害を加えようとしたのに。」
ここまでの遣り取りで、貫太郎と市郎が優しく誠実な人間であることは分かっていた。
しかしそれでも、アマネは聞かずにはいられなかった。
「まあ、打算が無い訳では無い。君のその力・・・、呪術、魔法とでも言うべきか。
とにかく、その魔法を野放しにしておくには余りにも危険に過ぎる。
だが同時に放置するのは余りに惜しい力だ。
いずれは、我が国の為にその力で以って貢献してもらいたい、と言う下心も勿論確かにある。」
だがそれでも、と貫太郎は前置きを入れた。
「やはりそれを差し置いても、君のような者を見て見ぬ振りなど私には出来ない、と言うことだ。
遠く離れた異国の地に、こうして同郷の者の幼い身内が独り、路頭に迷い、困り果てている。
ならば、それに手を差し伸べずして、何が日の本の侍か。
義を見てせざるは勇無きなり、とは私の国にある格言でな。
今の今まで、たった独りで立ち向かい、闘い抜きてきた君の勇気に恥じぬよう、私も己の行いを以って、君に私の勇気を示したい。
どうか君の戦いに、私も加えてはくれないだろうか。
そして願わくば、君の力を私達の為に貸してはくれないだろうか。」
そう言って貫太郎は手を差し出した。
「はい・・・。喜んで。」
差し出された手を、幼く小さな手が握った。
アマネの目からは大粒の涙と・・・、それに加え、感謝と、喜びが溢れ出していた。
※
数日後、磐手と浅間の二隻は、次なる目的地サンディエゴ目指し、ロサンゼルスの港を出港した。
新たに、幼い乗組員1名を加えて。
※
アーカムのミスカトニック大学。
職員用の郵便受けを検める一人の老教授がいた。それが彼の毎日の日課であり、一日の始まりの合図でもあった。
数枚の手紙の中に、一際珍しいものが混ざっていた。
それは、遠路はるばる日本から送られてきたものだった。
彼はそれをまじまじと見つめた後、封筒をひっくり返し、裏面に書かれた差出人を確認する。
咲楽天音と、そこには書かれていた。
それを見た教授は、弾かれたように駆け出し、図書館の館長室へと飛び込んだ。
コートを脱ぐことも忘れ、すぐさま机に座り、その手紙を開封する。
封筒の中には、便箋と一枚のモノクロームの写真が入っていた。
写真の中にいたのは、1人の初老の男性と、成長はしているが、間違いなくアマネ本人だった。
そして、教授は便箋へと目を落とす。
『親愛なるヘンリー・アーミテッジ教授へ。
突然にヘンリーおじさんの元を飛び出し、何の連絡も無いままに、おじさんの心労を募らせてしまったことは、どれだけの詫びを入れようとも足りないことは重々承知しております。
ですが、いつの日か必ずおじさんの元へ戻り、きちんと顔を合わせて謝罪を致します。おじさんのお怒りも、すべて受け入れます。
なので、その時はどうかよろしくお願いします。』
以降、手紙には、天音がヘンリーの元を飛び出した後のことについて書かれていた。
アーカムを出て、遙か東のロサンゼルスへと渡ったこと。
そこで、鈴木貫太郎と佐藤市郎という2人の日本人と出会い、彼らと共に、日本へ渡ったこと。
今では日本で暮らし、貫太郎の世話になっていること。
日本の学校に通っていること。
祖父の残したあの書物について。
そして、彼の名について。
『日本で暮らしていくにあたり、僕はそれらしい名前に改めました。
サクラメントと、自由を意味する”楽”、を合わせて、咲楽。
アマネは、夜明。
つまり”天に立つ日”、から取って、天音。
なので今は、咲楽天音と名乗っています。
最後になりますが、これまでこんな僕の事を、本当の子であるかのように気に懸けていただいたことには、感謝の言葉もありません。
そして出来るならば、これからも時々こうして手紙での遣り取りが続けていきたいな、と思っております。
ご迷惑でなければ、どうかお願いします。
それでは謹んで別れを申し上げます。
咲楽天音より。』
読み終えたアーミテッジの心に渦巻く感情は様々だった。
驚きであり、喜びであり、怒りであり、安堵であり、そして僅かの寂しさであり・・・。
そしてその皺の刻まれた頬を、一筋の雫が滑り落ちていった。




