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帝国激動 ~Tales of the Crumbling Empire City~  作者: 十条クイナ
序章
19/101

序章4の3 ヴァンピール

 煌々と夜空に輝く月。

 月光は地上を優しく包み込み、穏やかな安らぎの一時を与えていた。

 星々も、その輝きに負けまいと、金色に燃え盛る。

 

 天頂に一際強く輝くのは、白鳥座だった。

 デネブ、アルタイル、ベガの大三角は、子午線より西側へと傾いている。

 野を吹き抜ける夜風は存外に涼しく、夏の終わりを感じさせるものだった。

 そんな秋の先駆けが吹く夜道には、4つの月影が映し出されていた。


 ハイジ、レオン、母リーザと父ヴォルターの4人は暗い野原を、道を、村を夜行する。

 統一された漆黒のローブを纏い、連れ立つその様子は、まるで魔女のサバトのようだった。


「こうやってみんなで一緒に歩いていると、なんだかピクニックしてるみたいに感じるね。」


 リーザの歩調は軽快で、心なしかスキップでも踏みだしそうに見えなくも無い。

 じめじめとして暗い印象を持つサバトのイメージとはかけ離れた、明るく楽し気な声だった。


「はあ・・・。楽しいのは分かるが、もう少し落ち着いてくれ。」


 そんな楽し気な妻をヴォルタ―は、ため息交じりに窘めた。


「お父さんたら、そんな堅いこと言わずに。

 こうして皆でどこかに行くなんて久しぶりのことなんだから。

 それに、ワイルドハントみたいで楽しいじゃない。」


 夫の諌言もどこ吹く風で、リーザは満月のスポットライトの下で野原の上をくるりくるりとステップを踏んでいた。

 そんな天真爛漫にはしゃいでいる母に、夫も娘ハイジも呆れ、レオンもまた苦笑を浮かべていた。


    ※


 4人はここに至るまでに、何度か幽霊と遭遇した。

 しかしそのどれもが、小動物の残滓ざんしと言えるような、まるで脅威と成り得ない存在ばかりだった。

 お陰で、初めて随伴したハイジとレオンにも、問題なく対処できていた。

 そしてリーザとヴォルターは、そんな子供達の支援に従事していた。 


「今夜は、随分と楽だったねえ。」


「ああ、初めて来るこの子らにとっては、随分と都合の良い夜だったよ。」


 4人は、小高い丘の上に敷物を引いて休息を取っていた。

 リーザは前もって用意をしていた藤籠の中からサンドイッチと温かい飲み物を取り出す。

 もはやピクニックとしか形容できない状況に、ヴォルターは難しい顔を浮かべていた。

 だがそれも一つのため息と共に、何かを諦めたような、疲れたような表情へと変わる。


「ちゃんと、戴きますを言わないとダメよ。」


 夫とは対称的に、リーザはニコニコとした笑顔を浮かべいた。

 子供達に取り出したパンと飲み物を手渡し、そして皆でそれを食べた。

 

「あら、もう3時の半ばも過ぎた頃ね。」


 ふと、リーザは夜空を見上げて呟いた。


「お母さま、どうして時間が分かるのですか?」


 ハイジは、リーザの呟きに反応した。


「んー、お父さんとお母さんはねぇ、星の位置とかを見れば、だいたいの時間が分かるのよ。」


 そう言って、またサンドイッチを口に運んでいた。

 何年もの間、夜を駆け抜けて来たリーザとヴォルターにとって、夜空の星から分単位で正確に時間を割り出すことは、造作も無いことだった。


「お二人ともさすがですね。」


 レオンは感嘆の念を溢した。


「ねー、お父さん。あと2時間くらいで夜が明けるけど、どうしようか?」


「そうだな・・・、最後に墓地の方へ行こうか。」


 リーザの問いに、ヴォルターは少し思案した後に答えた。


「ん、了解。それじゃー、早速行きますか。」


 リーザは立ち上がって伸びをした。

 それに続いてハイジとリオンも立ち上がり、座っていた敷物をきちんと畳み、藤籠の中にしまった。


「と言う訳だ。二人とも、最後まで大丈夫か?」


 ヴォルターはハイジとレオンに語り掛けると、


「ええ、大丈夫です。」


「はい、問題ありません。」


 と、即座に二人から力強い言葉が帰って来た。


「ならば結構。それに、いざとなれば私とリーザが二人を守るからな。」


 ヴォルターは、そんな二人の頭に手を置き、優しく撫でた。


    ※


 再び動き出した4人は、丘を下り、林を抜けた先にある墓地へと向かった。

 ハイジは林の道中で、何か得体の知れない不安に駆られた。

 林の中が、異様に静かだった。

 フクロウの声も、地を這う動物たちの足音も一切聞こえなかった。

 林全体が深い眠りに落ちているような。

 或いは、林の生命そのものが絶えてしまったかのような静けさだった。

 時折吹く風になびく木々の葉音だけが耳に突き刺さった。

 先ほどまでに遭遇した小動物の幽霊が現れる気配も無い。

 どうやら、不安を感じていたのはハイジだけではなかったらしい。

 ヴォルターの放つ気配が、針のように徐々に細く、鋭くなっていき、リーザもまた、先ほどまでの軽口も消え去っていた。


「おい・・・、」


「ええ、お父さん。分かってるわ。」


 ヴォルターとリーザの言葉には緊張が混じっていた。

 そしてリーザは、ハイジとレオンの傍に近付き、


「大丈夫よ。」


 ただ短く一言だけを告げ、二人の手を固く掴んだ。


 そうして不気味なほどに何事も無く林道を抜けた先、開けた視界のすぐ前には墓地が広がっていた。

 その奥には教会が見える。

 ハイジもこの教会には、週に一度は訪れている。

 しかしそれは日が昇っている時間での話であり、夜中にこうして協会と墓地へ来るのは初めてだった。

 日中の穏やかな静けさとは一転して、闇に包まれたそこは、心臓が凍えてしまうような気味の悪い静けさに覆われていた。

 教会へと続く道を歩いていると、突如、


「静かに!」


 先頭を進んでいたヴォルターが、手で後続を制した。


「リーザ、あれは・・・、」


「ええ、嫌な予感がするけど、」


 ヴォルターはどこかを指さしていた。

 ヴォルターとリーザが小声で話をしている中、ハイジは彼が指し示した方を凝視した。

 遠く、遠くへと焦点を合わせていくと、はるか離れた所にある墓碑の近くで蠢くモノを目が捕らえた。


「ねえ、あれ。」


 隣にいるレオンにもソレの位置を伝える。

 レオンもまた、ソレの存在に気が付いた。


「ヴォルターさん、あれはいったい何でしょうか?」


 レオンは、ヴォルターに尋ねた。

 しかしレオンは、その間もその蠢くモノから視線を逸らすことはしなかった。

 一瞬でも視界から消えてしまうのが、ひどく恐ろしく感じたのだ。


「あれは、おそらくは吸血鬼ヴァンピールだろう。」


 ヴォルターもまた、レオンに顔を向けることなく答えた。

 その名を聞いた瞬間、ハイジとレオンの身が強張った。


「お父さんも、そう思う?」


 そのリーザの声は、ハイジが今まで聞いたことが無い程に緊張を帯びていた。

 吸血鬼ヴァンピール

 ハイジもレオンも、その名前は当然に知っていた。


「ああ・・・。しかしこれはかなり厄介な事態だな。まさかあんなものが出現するとは。」


 ソレの恐ろしさはヴォルターとリーザから、これまでに何度も教えられていた。

 曰く、怪力。

 曰く、駿足。

 曰く、不死身。

 曰く、変幻自在。

 ハイジは、かつて読んだブラム・ストーカーの小説を思い出した。

 その時にハイジは、リーザに吸血鬼の恐ろしさを尋ねたことがあった。

 彼女が言うには、ドラキュラ伯爵ほど万能ではないがそれでも大体のことは書いてある通り、とのことだった。


「かと言って、あんなモノを野放しにしておくわけにはいかないわ。」


「そうだな・・・、だがそれでも準備がいる。」


 ヴォルターは、鞘からゆっくりと音を立てないように剣を引き抜いた。


「リーザ、まずその二人を連れて林の中に入ってくれ。その時間は私が稼ごう。」


「わかったわ。そしたら・・・。」


「ああ、そしたら私も後を追って・・・、」


 しかし、次の言葉は続かなかった。

 遠くにいるソレに二つの小さな赤い光が見えた。

 真っ赤に光る二つの小さなモノの動きが止まった。

 ハイジは即座に理解した。

 ソレは吸血鬼ヴァンピールの双眸なのだと。まるでネコ科動物の眼球ように、暗闇で爛々と光っていた。

 そして遙か遠くにいるはずのソレと、確実に目が合ってしまったのだと直感した。

 その次の瞬間、


「やばい、気付かれた。急げ!」


 ヴォルターは弾かれたように叫んだ。

 同時に、遠くにいたソレの影と赤く発光する双眸がみるみる間に大きくなっていく。

 物凄い速さで、彼らに接近してきた。

 ヴォルターはハイジとレオンの二人を強引に掴んで、飛び伏せた。


 そのすぐ後に、爆音が轟いた。

 二人が立っていたところの地面には、大きな穴が空いていた。

 ハイジは、その大穴の中心にいるモノを見た。

 ソレは降り注ぐ月光に照らされ、その姿を克明に晒し出していた。


 ボロボロの屍衣を纏い、身体中のあちらこちらが腐り果て、皮膚が剥がれ落ちて、幾つもの歪な穴が浮かび上がっていた。

 穴には蛆が涌いており、所々の穴からは、剥き出しになった骨が顔を覗かせていた。

 頭部も例外なく腐り落ち、歯も頭髪も醜く不揃いになっていた。

 しかしその眼光だけは、月光に負けぬほど爛々と強く、赤く燃えていた。

 その容貌をハッキリと見てしまったハイジは、彼女が想像していた吸血鬼ヴァンピールの姿とはかけ離れた、腐乱死体然とした醜悪さと悪臭に、堪らない嘔吐感に襲われた。

 そして吸血鬼は大きく跳躍し、穴から抜け出すと、ヴォルター、ハイジ、レオンの三人のいる所へ飛び掛かって来た。

 朽ちかけた死体の姿からはまるで想像も付かない程の力強さと、俊敏な動きだった。

 素早く体勢を立て直したヴォルターは、振り下ろされた腕を、手にした剣で最小の動きで、かつその剛腕に一切逆らうことなく受け流し、そうして生じた刹那の隙を逃すこと無く吸血鬼の脇腹に蹴りを叩き込んだ。


「お父さん、役割変更。傍の子供達のことをお願い。」


 蹴り飛ばされ、墓石に激突した吸血鬼の後を即座にリーザが追った。


「Senge mit heiliger Lohe!(聖なる炎が身を包む。)」


 リーザが腕を振りぬくと、その手の先から大量の火炎が吸血鬼へ向かってほとばしった。

 暗闇の中で急に生じたその強烈な閃光により、ハイジの視界が真っ白に眩まされた。


「分かった。お前も無理はするなよ。」


 ヴォルタ―は、ハイジとレオンを抱え上げ、林へ向かって疾走した。


「お母さまッ!」


 一人残ったリーザの背がみるみると小さくなっていった。


    ※


「はあ、はあ・・・、」


 林の中に入った3人は、木々の後ろに隠れていた。

 吸血鬼の視界に入らぬよう、ヴォルタ―は木の幹に背をはりつけて、ハイジとレオンは根元にしゃがむように小さくなっていた。


「あれが・・・、吸血鬼。」


 息を整えたハイジは、思わずそんな言葉を呟いていた。

 落ち着いていくと共に、先ほどまでの恐ろしい体験が脳裏に蘇って来た。

 あの醜悪な顔、あの凶悪な力、あの凶暴さ・・・。

 次々にあの光景がフラッシュバックした。

 一歩間違えたら、殺されていたかもしれない・・・。


「そうだ、あれが吸血鬼だ。」


「どうして、あんな怪物が・・・、現れたのでしょうか?」


 レオンも同様に、知らず知らずのうちにそんな言葉を呟いていた。


「分からん。だがそれでも、アレはまだマシな方だ。」


 ヴォルターは、木の陰で震えている二人の方へ向いた。


「どういうことですか!」


 ヴォルタ―の不穏な言葉に、レオンの語気が強くなってしまった。

 じろりとヴォルタ―の目が動いた。


「う、ごめんなさい・・。」


 動いたそれと目が合い、レオンはたじろいだ。


「アレはまだ成り立ての状態か、或いは完全な状態になれなかった吸血鬼だ。

 だから、私でも何とか対応出来たんだ。」


 その言葉にハイジは愕然とした。

 あれよりも、もっと危険なモノがいるのか?

 もし、アレが完全な状態になってしまったら・・・。

 この地は、この村は、そして私達は・・・。

 そう思ったところで、


「そうだ!お母さま、お母さまは!」


 たった一人で、あの怪物の下に残った母親のことを思い出した。


「ねえ、お父さま!お母さまを助けに行かなくては!このままじゃ・・・、このままじゃ!」


 我を忘れんばかりにハイジは取り乱した。

 焦る心は、うまく言葉を紡ぐことができない。


「ああ・・・、リーザならば、」


 その言葉は、遮られた。

 三人のすぐ後ろから、突如、土草を踏む音が聞こえたのだった。

 ハイジの身が強張った。

 この場に緊張した空気が流れた。

 そして、


「ああ、やっと追いついたわぁ。」


 果たして、3人の前に姿を現したのはリーザだった。

 ひどく緊張感のない声だった。


    ※


「それで、あの後どうなった。」


 合流したリーザに、ヴォルターは尋ねた。


「んーと、初めの1体はやっぱり私の炎を避けてたみたい。」


 聞き逃せない言葉があった。


「はじめの1体?」


 ヴォルタ―は怪訝な顔をした。


「そうなの。その後に奥の教会の方からもう2体出て来てね・・・。さすがにまずいと思って炎を盾に撒いてきたの。」


「そんな・・・。」


 ハイジの顔が絶望に染まっていった。


「あの、リーザさん・・・。どうして僕たちのいる場所が分かったんですか?」


 そう疑問を口にしたレオンの顔も、ハイジ同様に恐怖に支配されていた。


「それはね、みんなの匂いを辿って来たの。」


 リーザは、鼻頭に人差し指を当てた。


「おい、それじゃ!」


 ヴォルタ―は焦り顔を浮かべたが、


「んーん、大丈夫。痕跡はあらかた燃やしてきたから。」


 リーザは、指先に小さな火を灯して、おどけてみせた。


「まあ、それでもいずれ見つかるでしょうけど。」


 灯した火を消して、ため息を吐いた。

 ハイジはいてもたってもいられず、リーザの手を掴み、


「お母さま、もう逃げましょう!3体の吸血鬼だなんて、絶対に勝てないよ!あいつらに気付かれる前に・・・。」


 そこでハイジは、リーザの腕から血が流れていることに気が付いた。

 そして、その細い腕に大きな牙痕が付けられていることに気が付いた。


「ああ、どうしよう。

 どうしよう、お母さまが吸血鬼になってしまう。」


 吸血鬼に咬まれた者もまた吸血鬼となる。

 そんな言葉が思い浮かんだ。


「ああ、ああ・・・、そんなことって・・・。」


 この瞬間まで我慢していた涙が、遂に一筋零れ落ちた。


「うああああ・・・、お母さま。嫌だよ、こんなことになるなんて・・・。」


 一筋の涙が切っ掛けとなり、それ以降、堰を切ったように涙が溢れ出し、ハイジは嗚咽をもらした。


「うあああああーん。」


 もはや抑えが効かず、ひたすらに泣きじゃくった。


「しょうがない子なんだから。大丈夫よ、こんなの大した傷じゃないから。」


 リーザは少し困ったような微笑を浮かべ、泣いている我が子を優しく抱きしめた。


「それに咬まれたって吸血鬼にはなりません。」


 そして胸の中に埋まるハイジの頭を撫でた。


「ぐす・・・、ほんと、ほんとに?」


「ええ本当よ。彼らは、ルスヴン卿やドラキュラ伯爵とは違うの。

 そんなのは、物語の中だけです。」


 我が子を諭し、落ち着かせると、リーザはゆっくりと立ち上がった。


「とはいえ、逃げる訳にもいきませんね。

 あんなのを放っていたら、何が起こるか分かったものではありませんから。」


 そうして、リーザはヴォルタ―の方へ向き、


「ねえ、お父さん。」


「ああ、わかってる。もう用意はできている。」


 ヴォルタ―は、持っていた剣の刃に掌を宛てがい、そして引いた。

 手の切れ目から鮮血があふれ出した。


「”Das ist sein Blut des Neuen Testaments.”(これは主の契約の血である。)」


 短く呟いた後、リーザは彼の下に跪き、胸の前で十字を切った。

 そして、その手から滴る血に口を付けた。


「え・・・?」


 ハイジは、目の前の状況が理解でなかった。


(お母さまが、血を啜り、飲んでいる? 

 なぜ・・・、どうして・・・?)


 疑問の言葉が頭の中をぐるぐると廻る。

 さらに、彼女の思考を置き去りにするかのように、新たな事態が生じた。


 リーザの身体に変化が生じた。

 輝かしく煌めいていた彼女の金色の長髪は、毛先から黒く、黒く・・・、まるで夜の闇を吸収しているかのように、急激に暗黒色に変色していった。

 また、青く透き通った瞳の色にも異変が生じた。

 青から蒼へ。

 蒼から紫へ。

 紫から赤へ。

 そして、赤から紅へ。

 ルビーを思わせる真紅、燃え盛るような紅蓮色にリーザの双眸は染まった。

 それはハイジの恐怖と絶望を掻き立てたあの吸血鬼の眼光と非常によく似た・・・。

 いや、まさに吸血鬼ソレそのものだった。

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