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【本編後】水色トカゲの憂鬱

1000pt御礼。


ネタバレを含みますので、本編をお楽しみ頂いた後にどうぞ。

「た~だいま~…」

「お帰りトルコ。おやおやどうしたんだい?」


気落ちした風のトルコを意地の悪い笑みで迎えたのは、きっちりと金髪を編み上げた人物。トルコは、勿論この人物が『男』である事を知っている。

胡乱げな目で金髪に映えるライトブルーの瞳をねめつけながら、トルコは自分の主の様に幸せをたっぷり一つ逃した。トルコとイノリの付き合いは長い。長いからこそ分かってしまうものもある。


「さやかがイノリの事女だって勘違いしてるの分かってたでしょ。むしろ確信犯だったよね?」

「えぇー、何その言い掛かり…心外だな。私が女性に間違われるのは何より嫌いだと知ってるだろう?」


それは勿論知っている。イノリの取り巻き――王立騎士団は巷の淑女から多大なる人気があり、ファンクラブなるものまで存在する――が、イノリをヒロイン、レイを相手役として作られた小説を本屋の店頭で真っ二つに引きちぎったのは伝説となっている。昔からからかわれる事が多かったようで、イノリは女性に間違われると、絶対零度の微笑みを浮かべながら地の底を這う様などす黒いオーラを身に纏うのだ。

トルコはサラサラと落ちる髪をかき上げながら、更にもう一つ幸せを逃す。


「間違われるのを嫌う…それを逆手にとって俺達の意識が向かない中、さやかにあれこれ言ったでしょ。そのせいで非常に居たたまれない空気の中それこそ空気の様にじっとしてなきゃいけなかったんだよ!?」

「うーん、つまりレイがまだ帰って来てないのに関係ある?」


イノリは艷やかな口唇に心の底から楽しそうな微笑をのせた。


「ありありだよ! これから三時間は帰って来ないよ!」

「三時間…リアルだねー。レイも遂に大人の階段昇ったか」

「言わないであげてよっ。イノリみたいな老若男女節操なしよりはいいじゃんか!」

「主を愚弄するのはやめて頂けませんか。あなたの巨乳好きも褒められた性癖ではないと思いますが」

「カシミール、相変わらずトルコには辛辣だね」


背中から掛けられた声に、二人は振り返る。そこには淡い月明かりの様な月白色の長い髪を風になびかせながら、姿勢よくたつ一人の少女がいた。

トルコは頬を掻きながら軽く首を傾げる。


「巨乳は正義だと思うんだよねー…あーうん、えーと、カッシーもまだまだ伸びしろはある…と思うよ?」

「その呼び方は不快だと何度申し上げればあなたの軽い頭に記憶されるのですかっ!それにわたくしの成長まで心配して頂かなくても結構です!」


少女の様に線の細いカシミールだが、イノリと契約している…すなわち『成竜』である事を意味する。それを知っていながら成長――トルコにとってはとある一部分の、だろうが――する余地があるというのは随分酷な話である。

イノリはクスリと小さく笑い、腕を組んだ。


「そうだねぇ。まぁ、胸は好きな人にでも揉んでもらえばいくらでも成長する余地はあると思うよ。良かったね? カシミール」

「わたくしはっ別にっ、このような軟弱ものに惹かれてなどおりません!」

「いやいや、私は『好きな人に』って言っただけで、特定の誰かを指した訳ではないよ?」

「なっ…!」


カシミールは大きく目を見開いたかと思えば、トルコをキッと睨みつけながらつかつかと詰め寄った。前はカシミールと同じ目線だったのに、すっかり見上げなければならないトルコの急成長が恨めしい。


「勘違いなさらないで下さいね、あなたの事など何とも想ってませんから」

「あはは、分かってる分かってる。相変わらずイノリに翻弄されっぱなしだね」


トルコが月白色の髪を優しく撫でれば、陶器のように白い頬にたちまち朱がさす。


「子供扱いとは…何処まで愚弄すれば気が済むのですか…!」

「えぇ、そんなつもりないんだけど」

「トルコ、ここは姫の希望に沿って大人の扱いしてあげなくちゃ。私は三時間位一人でも平気だから」

「三時間…?」


イノリの言葉に一瞬きょとんとしたカシミールは、黙して一拍。頭の中で先程の会話を反芻し、言外に含まれているものをしっかりと感じ取れば。


「なっ…!なにを…!!」

「…そうだよね、確かに子供扱いは失礼だ」


詰め寄って来たカシミールの項を撫で上げ、トルコは吐息がかかるほど近付いていた顔を更に近く覗き込み、色っぽい微笑を浮かべた。

零れ落ちそうな程大きく見開いたカシミールの瞳をトルコの熱がこもった視線が絡め取り、そして――。


トルコは、カシミールを優しく食んだ。

…カシミールの、鼻を。


「…!!」


竜同士で鼻を噛むのは、幼少の頃するじゃれ合いの一つだ。急所である鼻を噛み、私はお前より強い、という意思表示を子どもの頃から行う。

…つまり、トルコはカシミールを誰よりも子ども扱いした事になる。


ぽかん、と口を薄く開けたカシミールはゆっくりとその口を閉じ、眉間に皺を寄せ、顔を真赤にしたと思えば。


ゴッという鈍い音が辺り一帯に響き渡った。


   ※


「…どうして俺の周りには突っ込みが激しい人ばかりなんだろう」

「まぁ、九割はその性格のせいだと思うけど」

「ほぼ俺のせいじゃん!」


ほんのりと赤くなった頬を撫でながら、トルコは眉尻を下げた。トマトの様に赤くなったカシミールは、トルコの頬に腰の捻りをきかせた右ストレートを叩き込んだ。平手打ちではない所に、カシミールの本気度が伺える。

頭から湯気が出る程怒り心頭のカシミールは、敵の動向を探ってくると言ってその場を後にした。


残された二人は、岩場に腰を下ろし、かつて戦場となった大地を見渡した。痛ましげな瞳で見つめながら、トルコは静かに息を吐く。


「…また、血に染まるのかな」

「どうだろうね。攻めてくるというのなら徹底的に排除する。それだけだよ」

「イノリは揺るがないなぁ。俺は、ザンゲ・コンフェスが戦に加わるとは思えないんだけどな」

「随分情にほだされたようだね。私は守るものを脅かす存在ならば、どんな事情も関係ないよ。躊躇えば、容易く失ってしまうものだと誰よりも知っているからね」


イノリの自嘲的な笑みに、トルコは返す言葉が見つからなかった。

正直、今でも答えを見い出せないでいる。自身の鱗に転移の指輪を隠してさやかに渡した事が、果たして正しかったのかどうか。

頑固なレイの性格を思えば、会いに行きたいのならば行けばいいなんて説得が通じないのを誰よりも痛感していた。だから、独断であんな賭けに出た。

竜の鱗は高位な魔導師と同等の魔力を秘めているが、水竜の鱗は水に触れていなければ魔力が開放されない。さやかに洗ってくれれば鱗が喜ぶ、なんて随分苦しい言い訳を口にしたものだ。

真面目なさやかなら定期的に洗ってくれると信じていたが、今度はレイがさやかの名を呼ぶ確率が限りなくゼロではないかと危ぶんだ。

何せ一ヶ月近く共に暮らしていたというのに、呼んだのはただの二度だけである。この二つの条件が重なる瞬間は、奇跡と呼べる程に稀有だった。


それでも、確かにその奇跡は起こったのだ。


お互い家族の為、自分の想いも願いも後回しにする優しすぎる二人の、これ以上ない幸せをトルコは守りたかった。見守りたかった…見続けたかった。

奇跡が起きたのならば、後は自分がその奇跡を大切に守り抜けばいいのだ。それが例えイノリの思惑を無下にしようとも。

ただ無表情に荒野を眺めるイノリの横顔に、小さくごめんと呟いた。


「うん?」

「イノリがレイの為を思ってした事を、全部無駄にしたから」

「なんだ、そんな事」


柔らかく微笑んだイノリはトルコへ向き直り、風に弄ばれる鮮やかな深海色の髪を梳いた。


「私は酷く刹那的だからね。その時その瞬間最善だと思った事をするまでだよ。例えどんな結果になろうとも、レイが辛い想いをしていないのなら…レイが幸せなら、それでいいんだ」

「イノリも随分レイの事が好きだよね」

「そうだねぇ、ないものねだりってやつなのかもしれないけれど。沢山愛されて育った子は自分にない可能性を秘めていそうで…大好きだよ」

「イノリが言うと、何か違う意味に聞こえるから不思議」


クスクスと笑うトルコの頬をイノリの長い指が包んだ。


「まぁ、間違っていないとは思うよ。トルコもそうやって可愛い顔ばかりしてると、質の悪い人間に狙われるからね?」

「ぶはっ、自分で言ってる」


すっと目を細めたイノリがトルコとの距離を縮めていく。吐息がかかるほどの危うげな空間をイノリが侵食した。

…まさにその時。


「この非情事態に何をしてるんですかっ」


トルコの口唇を自身の両手で死守したカシミールが、剣呑な目つきで己の主を睨みつけた。


「おやおや、さっきまで私の擁護をしていたとは思えない口ぶりだね」

「別に主を擁護した覚えはありません。巨乳好きよりはましだというだけの話です」

「はは、酷い言い草だね。非常事態だからこそ数時間後には生きてるかなんて分からないでしょ?カシミールも躊躇ってばかりいると必ず後悔するんだからね」


そう言ってカシミールの額を軽く小突いたイノリは、音もなく立ち上がった。


「さて、今度は私が警戒にあたろう…あぁそうだ。三時間位帰って来ない方がいい?」

「イノリ様っ」


快活に笑いながらひらひらと手を振るイノリの後ろ姿に大きな溜息をこぼしながら、カシミールはトルコを拘束していた両手を離した。

見下ろす形となったカシミールは、主の言葉を反芻し、たっぷり数十秒逡巡してから。


トルコのすっと通った鼻筋をぱくりと甘咬みした。


「…成竜となっても、私の方が強いのですからね」

「えぇ、それはどうだろう」

「この想いは、誰にも負けません」

「うん?」


何でもありません、と微笑んだカシミールは、イノリの後を追う。

颯爽と去る後ろ姿を見つめていれば、二人の姿が米粒程小さくなった頃とある事実に気付いた。


「あ、俺今レイがいないから魔力の消費激しいのに一人にされた…!あのどSコンビめ~…」


…どうやら優しい水色トカゲの憂鬱は、周りの人間によって形成されているようだ。

トルコの困り果てた声が、青い空に溶けて消えた――。























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