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Sweet&Cool  作者: みずの
Side Story
57/57

my way 3


 事実を確認する間もなく、あっという間に時間が過ぎる。

 お客さんの相手をする時には夏川も特に変わった様子はない。ただ、バイト経験はないと言ってもその辺は大人な性格をしているので、多少辛いことがあったとしても割り切って顔には出さないだろう。

 だから、ふとした時に見せる表情に注意していたのだけれど…やはり顔色は冴えない気がした。



 どうするべきか考えこんでいるうちに、店に一本の電話が入った。

 それは常連の増田様からの配達の注文で、電話を受けた寺原さんが早速花の用意にかかる。

 そうして作り上げたそれを、「はい、直くん」と当たり前のように手渡されてしまった。

「……」

 増田さんは昔からのお客さんで、それこそ俺が幼い頃から配達に行っている。

 なぜかその家のおばあさんに気に入られているせいで、今ではその家に配達に行くのは俺だけだ。店でも暗黙の了解だったし、増田さんの方からもできればそうしてほしいと頼まれているくらいだった。



 …どうしたものか。

 


 今の状態でこの2人を店に残したくはない。だけど、いつも当然のように俺の役割になっているそれを、今日だけ拒むのは不自然すぎる。

 寺原さんへの言い訳と代わりの配達をどう頼むか考えあぐねていた隙に、夏川がクイと俺の服の袖を引っ張った。



「大丈夫だよ、配達行ってきて」

「…え、でも…」

「大丈夫。お客さん待ってるんでしょ?」

 ニコリと笑顔で言われるものだから、俺はそれに返す言葉がなかった。

「……すぐ帰ってくる」

 自転車を飛ばせば5分、往復で10分で済む。

 幸い店はピークも過ぎ、これから閉店までの1時間は2人でも十分回るだろう。そう考えて夏川の頭にポンと手を置いてから、俺はエプロンを着けたまま表に停めてあった自転車に飛び乗った。






 いつもは増田さんのおばあさんの世間話で30分近く捕まる。

 普段はアルバイトも足りているし、両親は「そういうのもサービスの一環」と考えているので俺もそれが当たり前のようになっていた。

 だけど、今日ばかりは勝手が違う。話したりなそうな増田さんに人手が少ないからすぐに戻ることを話して、慌てて再び自転車で来た道を引き返した。



 別に、意図したわけじゃなかった。

 意識的に息を潜めて店に戻ったわけじゃないけれど、俺は裏口から事務所側へ入った時に自然と聞こえてきた声に目を見開いた。

「君さぁ、ホントに使えないね」

 店内にお客さんはいないらしい。…から、これは間違いようもなく寺原さんの声だ。

 ドアノブにかけた手を回せずに、俺は硬直してしまっていた。

「頭悪くてチビでブスだと人生終わってるね」

「あ、すみません、これってどうすればいいんですか?」

 寺原さんの言葉に、夏川の声が重なる。どうやら無視しているというよりは…話をすりかえようと努力しているようだった。

「また質問? ちょっとは自分で考えて仕事できないわけ?」

「…すみません」

「直くんも何でこんなの連れてきたかなぁ。もっと美人で頭のいい子、そこの学校ならいくらでもいるでしょ」

「………」

「こんなトロイ女の面倒見ながら働かなきゃいけないなんて最悪。君さぁ、俺のこの今日の疲れどうしてくれんの」

 尚も続きそうで、放っておけば留まることはなさそうなその声に…俺の頭の中で何かが切れた音がした。

 バン!と勢いよく音を立ててそのドアを開けると、本当に俺がそこにいたとは気づきもしていなかった2人が驚いて同時に振り返る。

「…直くん…何、戻ってたの?」

 増田さんのところに行けば30分は戻ってこない。いつもの慣例になっていたそれに、寺原さんは疑いもしていなかったようだ。



「…寺原さん…今の、どういうことですか」

 頼むから、今は誰もお客さんが来ないといい。そう心のどこかで願いながら、俺はあの人の前に対峙した。

「今のって?」

 とぼけるつもりなのか、いつもの笑顔を張り付かせて彼は聞き返す。それが余計に腹立たしかった。




「夏川に何言ってました!? いくら寺原さんでも容赦できません!」

 俺の言葉に、一瞬目を見開いた後…彼は開き直ったかのように鼻で笑う。あざ笑うようなそれに、夏川がハラハラした様子でこちらを伺っていた。

「何のこと? 俺は仕事上の注意をしただけだけど」

 尚も素知らぬ顔をしようとする彼に、更に詰めよろうとした。だけどその途中で、「向井くん」と夏川に制止される。

「だ、大丈夫だから、私…」

「夏川は黙ってて」

 その手を押し戻した俺に、彼女は声を飲み込んだようだった。恐らく、俺がこんなに怒っているところを見たことがないから驚いているんだろう。



「他にも、あなたの発言に困っている声は上がってるんです。だから…」

「直くんさぁ、『容赦できない』って言ったって…どうするつもり?」

 どうせお前には何もできないだろ、と、そう言われているように聞こえた。

「今すぐ辞めてもらいます」

 まっすぐに寺原さんを睨み据えて、俺はできるだけ冷静にそう告げる。

 そんな一言に、彼は今度は「…っはっ」とおかしそうに笑い出した。



「俺を辞めさせたら、オーナーたちも黙ってないと思うよ? 大体、君ら無能なバイトが何人集まったって俺一人の仕事ぶりには敵わないし。店にとっても痛手になると思う判断を、君が勝手にしていいわけ? いくらオーナーの息子だからって、そんな権限君にある?」

 この男は…こうやって人を追い詰めていくんだ。

 まるで「お前は役立たずだ」と…そう思わせて。そんなことを言われて傷つかない人間なんていないのに。



 加賀美さんや夏川や…それ以外にどれだけ、この男に苦しめられた人間がいるんだろう。

 そう思うと、何も気づかずに彼を野放しにしてきた自分にも腹が立って仕方がない。そういう意味では確かに、俺は彼の言うように「無能」で「役立たず」だろう。だけど…今ここでこの男の言葉に傷ついて黙り込んでなんかやらない。



「『権限』…?」

 寺原さんの言葉を繰り返し、今度は俺が「ハッ」っと鼻で笑った。きっと一真ならここで同じことをしただろう。

 嘲笑するような声を漏らした後、ふと真顔に戻る。そしてそれから、目の前の男を睨んで大声を上げた。



「そんなもん知るか!!!」



 俺のその勢いから、もしかしたら寺原さんに殴りかかるんじゃないかと思ったのか…夏川が後ろから俺の腕を引く。

 それに気づいてそちらを一瞥すると、夏川が勢いよく首を左右に振る。

「……大丈夫だよ」

 吐息まじりに、俺はそう彼女に応じた。

 殴るわけない、こんな男。……殴る価値もない。




「……ちっ」

 俺のそんな様子を読み取ったのか、やがて寺原さんが舌打ちをした。そしてそれから、不機嫌そうに乱暴に自分の髪をかき回すとエプロンを外す。

 それを俺のすぐ傍にあるカウンターに投げるように叩きつけると、「お望み通り辞めてやるよ」と忌々しそうに言った。

「その代わり、知らないよ? 俺が辞めて明日からどうすんの」

「大きなお世話です」

 言外に「さっさと帰れ」というニュアンスを含むと、今度こそ彼は乱暴にドアを閉めて店を後にした。

 ドラマによくあるような陳腐な捨て台詞を聞くことはなかった。




「…向井くん…っ」

 そんな彼の姿が見えなくなった時、夏川が心配そうに俺を見上げる。

「ごめんね、私のせいで…」

「何言ってんの」

 ため息をつきながら、俺は近くの椅子に座った。顔を仰向けて目を閉じ、額に手の甲を当てる。

「謝るのはこっちだ。…ごめん、色々ひどいこと言われただろ?」

 俺がたまたま聞いた一部だけでもあれだ。きっと今日一日、もっとひどいことを言われ続けたに違いない。

 …それこそ、例えばすれ違うたびに小声で…とか…。



 夏川は、申し訳なさそうな顔をしながら首をブンブンと横に振った。

 悪いのは俺の方だ。気をつけていたつもりだったけれど、結局嫌な思いをさせてしまった。

「ごめん、それより、明日からもっと忙しくなると思うけど…よろしく」

 苦笑い気味に言うと、夏川は一瞬目を丸くする。そしてそれからニッコリと笑ってみせた。



 あぁ、やっぱり、彼女にはこの笑顔が一番似合うと思う。





「私ね、それほどチビではないと思うのよ」

 もう今日はお客さんも来ないだろうということで、店を開けたまま閉店作業の準備をしながら夏川はそんなことを言った。

 そう言って冗談っぽくして、今日のことはなかったものにしようとしてるんだろう。それが分かったけれど、俺は同じように笑い返すことはできなかった。

「頭悪くもブスでもないよ」

 真顔で答えると、一瞬動作が止まった夏川は、次の瞬間豪快に笑いながら俺の背中をバンと叩いた。

「やだなぁ向井くん! お世辞言っても何も出ないよ!」

「…痛いって」

 伝票を整理しながら苦笑を漏らすと、夏川はおかしそうに笑っていた。



「それより、後10分して店閉めたら送っていくから」

 バイト終了まで後10分。そう言うと、彼女は「え」と目を見開く。

「大丈夫だよ。 まだ8時だし」

「遅い早いの問題じゃなくて…」

 下手をしたら、あんなことがあった後だ。もしかしたら寺原さんが逆恨みして…なんて事態も考えておく必要がある。

 彼のあの性格では、怒りの矛先は俺よりも彼女に向きそうな気がした。



「大丈夫だってば。それに向井くん、私が帰った後もまだ仕事あるんでしょ? 明日の朝も早いだろうし」

「そんなのは別に…」

 言いかけた俺は、ふと手を止める。

 夏川が俺に遠慮して断る気持ちも分かる。だから……。



「じゃあ、タクミ先輩は?」

「え?」

「先輩に迎えに来てもらうとかできない?」

 そんな俺の問いは思いがけないものだったのか、夏川は少し意外そうに片眉を持ち上げた。

 


「それは…無理。先輩ね、夏休み中、予備校の夏期講習に通ってるの。今日は7時に終わるって言ってたから、もう帰ってるだろうし」

「まだその近くにいるかもしれないじゃん。夕飯食べてるとか…」

「それでも先輩の予備校の場所からここまでだと、急いでも1時間近くかかるよ。無理だって」

 笑って首を横に振るので、「じゃあやっぱり俺が送る」と続ける。

 頑として引く気はなかったので、それが分かったのか夏川は苦笑を浮かべて俺の顔を見上げていた。







「本当に大丈夫なのに…」

 8時を少し過ぎた頃、事務所を出て裏口から表通りへ向かう。

 鞄を手にした夏川の後に続こうとすると、そんなことを言われた。

「何があるか分かんないから」

 予想していても防げない出来事もあるくらいだ。予想していないことなんて、もっと何があるか分からないじゃないか。

「向井くんって、たまにすごい頑固……」

 笑いながら言いかけた夏川が、ふと表通りに出たところで足を止めた。

 続く言葉も飲み込み急に立ち止まるものだから、一歩後ろを歩いていた俺は思わずそれにぶつかりそうになる。

「…っと! って、夏川?」

 危ない、と言いかけながらもその視線の先を追って、俺は思わず驚いて硬直した。

 表通りの…店の入り口のすぐ前に、人影があったからだ。



「ハルカ」

 歩道の柵に腰かけていたその人は、こちらに気づくと笑ってその名前を呼んだ。

 あまり見たことがないその柔らかい笑顔は、俺ですら何故かドキッとさせられる。それくらい、いつもは表情の少ない人だからかもしれない。



「先輩…っ何で…」

「どうだった? 初バイト」

 夏川の問いには答えず、タクミ先輩は笑って尋ね返す。

 だけどそんなやり取りをする彼女の声が震えていた気がして、俺は思わず横からその顔を覗きこんだ。




「…先輩…っ」

 その表情は一瞬でクシャリと崩れ、ぶわっと涙が溢れ出す。

 それと同時に地面を蹴った彼女は、数メートル先の先輩の下へ勢いよく走ると、子どものように泣きじゃくりながら抱きついた。




 …本当は、相当我慢していたんだろう。心無い言葉を1日浴びせられ続けたんだから当然だった。

 だけど気丈に振舞っていた分、先輩の顔を見て安心したようだ。それはまるで、転んでも泣かなかった子どもが母親の顔を見た途端に号泣するそれに似ていた。




 先輩は事情なんて知らないはずだけれど、それでも大体のことは察しがついているんだろう。夏川を抱きとめて、安堵から嗚咽を漏らすその頭を微笑みながら優しく撫でる。

 その様子を見ていたら、先輩も何も全く心配じゃないわけではなかったんだ、と漠然と思った。




 いつもクールな装いのタクミ先輩は、別に冷めているわけでもなく…。

 ただ、自分の心配を押し付けるよりも、きっとその時夏川がどうしたいのかを優先して考えてくれているんだと気づいた。

 だからこそ今回だって、バイトをしたいと言った彼女の言葉を尊重したのであり、それに対するフォローだって忘れないんだろう。

 何故なら、急いでも1時間近く離れているという予備校にいて、今ここへいるということは恐らく…。



「……」

 表情はいつも通り冷静だから気づかなかったけれど、よく見ると先輩の額に汗が光っている。

 きっと相当急いで来たんだろうと気づくと、そんな彼と目が合った。

 そして俺が感づいたその事実を理解したのか、抱きしめた彼女にバレないように俺に向けて口元に人差し指を立てる。

 「内緒にしといて」とでも言うようなその仕草に、俺は思わず笑って頷いた。




 ひとしきり泣いた夏川は、すっきりして復活したのか「向井くん、また明日ねー」と元気に手を振って帰って行った。

 もう来たくないと言われてもおかしくないほど辛かったはずなのに、だ。思わず眩しそうに目を細めて、先輩と手を繋いで帰って行くその後ろ姿を見送ってしまう。


「先輩、ご飯食べて帰りましょう! 何食べたいですか?」

「ラーメン」

「えぇ!!? 私今日はパスタ気分なんですけど」

「じゃあジャンケン」

「えぇ!!? そこは傷心の彼女に譲るところじゃなくて!!?」

 去って行く2人がそんな会話をしているのが聞こえてきたものだから、俺は後ろで1人爆笑してしまった。

 いつだったか一真に「漫才カップルか」と呆れられていたのを思い出したから尚更おかしい。

 そんな寄り添うような2つの影が見えなくなるまで見送っていると、角を曲がる前に夏川が再び振り返って俺に大きく手を振った。もうその表情は晴れ晴れとして華やかなものだった。




 2人のそんな関係性が少し羨ましくも思えて、思わず笑みを零す。

「さて、もう一仕事するか」

 気合を入れなおすように呟くと、俺は店に戻りながら大きく伸びをした。




 寺原さんがいなくなった分、補うためにも明日は今日より忙しくなる。

 肉体的には辛いだろうと予想できるのに、それでも俺の気持ちは清々しいものだった。

 



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