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Sweet&Cool  作者: みずの
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Link 22  side:Kazuma


「…お前、やっぱりすごいな」

 愛海先輩の家を、夕方、日が沈む前に後にした。駅までの道のりは少し遠く、来た時と同じ道を並んで歩いていたハルカに俺はふとそう声をかける。隣で何事かを考え耽っていたハルカは、「え」と小さく声を漏らして俺を見上げた。


 それには詳しい説明を返してやらず、俺はふいと視線を逸らす。前を見据えて歩きながら…心の中で嘆息した。



 …実際、こいつは本当にすごいと思う。



 あれほど誰も変えられなかった愛海先輩を…簡単に変えてしまったのは他でもないこいつだと思ったからだ。



 俺が知っていた愛海先輩の過去というのは、彼女の家庭環境が複雑であることと、好意を寄せていた須田先輩が亡くなってしまったことだけだった。そのすぐ後にタクミ先輩と付き合い始めたから、2人の間で何かがあったんだろうということは想像できていた。

 恐らく、偽りの恋人関係を築いているのだろう…と。

 それは俺だけじゃなく、地元の連中なら皆が分かっていることだった。…だからこそ、2人は地元の奴らが進学しない遠い高校を選んだのだろう。



 俺は、その程度の事実しか知らなかったから…。愛海先輩の口から紡がれる真実に、驚きの連続だったのは言うまでもない。彼女を深く傷つけた大人たちの言葉には本気で怒りを覚えたし、須田先輩を失った悲しみには本気で胸が痛んだ。



 だからこそ、どうして愛海先輩が変わったのかが分かる気がした。



 ハルカは、愛海先輩の話を聞いて本気で涙を流した。そして、極めつけにあの一言…だ。

 拓巳先輩までもが愛海先輩に救われたんだと…今まで誰かが言えただろうか?誰にもできなかった当たり前の事実に気づけたのは、唯一ハルカだけだったんだ。




「マナミ先輩は…」

 さっきの呟きの答えは得られそうにないと思ったのか、ハルカが改めて話を変えた。恐らくこいつだって、複雑な思いもあるのだろう。どこか苦々しい感情を噛み締めるように眉を顰めたまま…前を見ながら続けた。


「家族とは…どうなるのかな」

 小さな問いに、俺はわずかに目を瞠る。恐らく、さっきの継母とのやり取りも気になっているんだろう。愛海先輩のことを深く心配しているらしいこいつに、俺は本気で頭が下がる思いだ。

 …さっきまで恋敵だった相手を、ここまで思いやれる人間なんてそうはいない。しかもハルカのそれは、偽善や同情なんかじゃなく…いつだって本気の想いだ。



「多分…大丈夫だろ」

 俺の答えを根拠がないと捉えたのか、ハルカは眉間の皺を深くして俺を見上げる。それを一瞥して返してから、俺は小さく息をついた。


「噂で…聞いたことがある。愛海先輩の父親は…若い頃から実業家で仕事一筋な人だったけれど、ある時我に返ったんだ、って」

「…『我に』…?」

「そう。自分の他を省みない生き方に、疑問を持ち始めたらしい。そうして家族と向き合わなきゃならない…そう気づいた時には、もう奥さんはとっくに家から出て行ってしまっていたって」

 妻がいなくなったことに気づかなかったわけじゃない。ただ、その事実を重大なことだと認識できたのが遅かっただけだ。

「そして、せめて残された娘とは正面から向き合おう…そう思った時には…娘の方が完全に心を閉ざしていたって…」

 その時の父親の後悔の念は一体どれほどのものだっただろう。反抗期を迎える年代ではあるけれど、愛海先輩のそれはそんな生半可なものじゃなかったはずだ。

「やがて再婚したい人ができても、娘が心を開くわけはなかった……らしい」

 地元の情報網というのは空恐ろしいものがある。うちの母親は「噂話」があまり好きなタイプではないけれど、顔が広すぎるのが難点だ。入ってくる周りからの情報を拒むわけにもいかなかったから、自然と俺にだってそれは漏れ聞こえてきていた。



「ま、つまりだ」

 黙って俺の話を聞いているハルカに、俺は少しだけ声のトーンを上げて続ける。

「父親と継母は何とかして娘と仲良くしようと思ってる。後は…娘の方が心を開ければ万々歳、だろ」

「……開けるかな、マナミ先輩」

 前を見据えたままのハルカは、今その瞳に何を映しているだろう。目の前の住宅街ではない…もっと遠い何かを見つめているようで、少しだけ目を細めた。



「お前が、そうしたんだろ」

 唇の端を持ち上げて、俺はそう言う。…そう、きっと愛海先輩はまだ変われる。家族とも、本当は向き合わなきゃならないことはわかっているはずだから。それに気づけたのも…やはりハルカのおかげに他ならない。



「私、そんな大それたことしてないよ」

 ため息まじりに言うハルカに、俺は「それでいい」と思う。こいつが自分の強さを誇示し始めたら…全ては無意味で無価値になるに違いない。偽りのないハルカの想いが…人を救うのだから。



「…一真はさ」

 小さく俺の名前を呼びながら、ハルカは話題を変える。少し遠慮がちなその声に、俺は再びそちらを横目で一瞥した。


「どうして…あんなにタクミ先輩を敵視してたの?」

「……わかんねぇ?」

「わかんない」

 はっきりと答えたハルカに、今度は俺が吐息を漏らす。そんな俺に、ハルカは頭を振って応じた。

「マナミ先輩のことが好きだから…ってだけで、タクミ先輩を敵視するほど一真は子どもじゃないと思う。だけど…」

「だったら尚更わかんねぇって?」

 尋ね返すと、ハルカはコクリと大きく頷いて見せる。それに口元だけを歪めるように笑い返して、俺は肩を竦めた。


「前に言っただろ、あの男が『偽善者』だからだ」

「……」

 ハルカの目が、「どこが」と言わんばかりに少しだけ光る。睨むわけでもないけれども強さのあるそれに冷笑を返して、俺は唇の端を持ち上げた。…もちろん、その我ながら嫌な笑みの対象はハルカではなくてここにいない男へのものだ。



「実の母親に捨てられ、須田先輩を失って…愛海先輩がそれ以上傷つきたくなくて拓巳先輩に縋ったのは、『逃げ』だ」

 俺が続けた言葉に、ハルカが再び眉を寄せたのが分かる。訝しげに目線を上げて、俺の真意を探るようにこちらを見る。

「それは…でも、私は仕方のないことだったと思う。人間なら逃げたくなって当たり前でしょ?」

 抗議するように向けられる視線を受け流して、俺は頭を振って吐息を漏らした。

「その通りだ。だからこそ、俺はそれを受け入れてしまったあの男が許せない」

 はっきりとそう言い切って、俺は苛立ちからなのかわずかに自分の歩く速度が早くなったのに気づく。半歩後ろで、ハルカがそれに遅れないように着いて来ようとわずかに小走りになった。


「逃げるのを甘やかすのが本当の優しさか?逃げたって、愛海先輩の為にならないのに」

「………」

「本当に愛海先輩のことを思うなら、思い切って突き放すべきだったんだ。…突き放した上で、フォローしてやるのが優しさだろ?全面的に甘えさせてどうするんだ」

「……」

「なぁハルカ、俺の言ってること間違ってるか?」


 早まっていた足を止めて、俺はハルカを振り返った。それに合わせて立ち止まったハルカは、まっすぐに俺を見上げる。真剣な眼差しで見つめ返してきて、あいつはわずかに首を振った。

「間違ってないよ」

 はっきりと答えた後で、「でも」と力強く続ける。


「タクミ先輩も、間違ってないと思う」

 続いた言葉に、今度は俺が眉を顰めた。

 睨むように目を細めたけれど、ハルカはそれくらいで動じたりしない。まっすぐに見つめ返すあいつは、一歩も引かない目をしていた。


「一真の言いたいこともわかる。でも私は、タクミ先輩は偽善者なんかじゃないと思う。だって先輩は、マナミ先輩を甘やかすだけじゃなかったもの。偽善者だったら、4年もマナミ先輩がそれ以上傷つかないように守ってあげることなんてできない。せいぜいその場しのぎで甘やかすことくらいしかできなかったはずよ」

「……」

「タクミ先輩の覚悟は、相当なものだったと思う。それは2人を中学の時から近くで見てきた一真なら…私よりよくわかるでしょ?」

「…わかんねぇな」

「………」


 ギリ、と唇を噛み締めると、わずかに血の匂いがした。尚も俺を正面から見据えるハルカは、強い眼差しのままこちらを見ている。

「結果的に、お前に惚れてることを愛海先輩に感づかれて傷つけたじゃねぇか。十分中途半端なことしてんだろ」

「……でも…」

 この時初めて、ハルカは俺から目を逸らした。自分でも言いたくない言葉なのか、少し息を吸い込んでから声を絞り出す。

「タクミ先輩は……途中で迷っても、最終的にはマナミ先輩を選んだはずだよ」

「……」

 わずかに目を見開いた俺に、ハルカは少しだけ悲しそうに微笑んで見せた。


「人間だもん。迷うことだってあるよ。でもタクミ先輩は…最終的にはマナミ先輩を裏切ったりしない。葛藤はあったかもしれないけど…最後までマナミ先輩を見守る覚悟はあったと思うよ」

「……」

 返す言葉を失って、俺はただ黙りこむ。そんな俺を横目で見上げてから、ハルカは今度はいつも通りの笑みを口元に浮かべた。

「本当は、わかってるんでしょ」

 続いたハルカのそんな意外な言葉に、俺はピクリと眉を持ち上げる。わずかに目を見開くと、ハルカは手にした鞄を少し持て余すようにしながら言った。


「一真が、本当に許せないのはタクミ先輩じゃなくて…誰なのか。自分でわかってるんでしょ?」

「………」

 念を押されるように言われ、俺はそれを黙殺する以外に術がなかった。




 …そう、本当に俺が許せないのはずっと自分自身で…。


 好きな人を助けられる位置にすら立てていないことに、腹をたてていたはずだった。


 毅然と真正面から拓巳先輩を責めることでしか自分を守れなかったのは、己の弱さ故だ。だけどそうでもしないと、俺は自分の無力さに押しつぶされそうだったから。



「一真は、悪くないよ」

 俺の心の内のどす黒い感情なんて、こいつには全部お見通しなのかもしれない。黙ったままの俺にそう告げて、ハルカは少し速度を緩めて再び歩き出した俺を、半歩分だけ追い越して行く。

「一真がずっと好きでいてくれたから…何があっても支える覚悟をしていたから、マナミ先輩は自分の過去を全て曝け出す決心ができたんだよ」

 そう言ったハルカは、ニッコリと笑って斜め後ろの俺を振り返った。その晴れやかな笑顔に、少しずつ頑なに凍りついた自分の中の何かが音を立てて溶けていくのが感じられる。



「…やっぱりすげぇよ、お前」

 苦笑混じりにそれだけ答えた俺に、あいつは「?」と疑問符の浮かんだ表情を返したけれど…。それでも俺は、そう嘆息せざるを得なかった。




 一体、この件で何人の人間がこいつの一言に救われただろう?



 愛海先輩と、俺と……。




 そして、最後に救われるべきあの男。




 願わくば、あの人が救われる時にはハルカ自身がその隣で笑っていられたらいい。





 俺はこの時、初めて本気でそう思った。






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