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エピローグ

 塔に戻ってきてから、いつもの日常が戻ってきた。

 母様とカインは実験室にこもって、怪しい魔導具や魔法薬を作るのに忙しいみたいだ。

 私はというと、今日も部屋の掃除をしたり、洗濯をしたり、食事を作ったりと家事に勤しんでいる。母様とカインに任せておくと、どこもかしこも散らかり放題になってしまうんだもの!


 私は厨房で「あの二人ときたら、お風呂にも入らないで!」と、ぼやきながら八つ当たりのようにパンの生地を捏ねる。今日の夜こそは、湯船にたっぷり湯をためて、あの二人をお風呂に入れるのだ。

 二人とも熱中していると、多少汚れていてもまったく気にしない。似た者同士だから困ってしまう。でも、今日という今日は、二人がどれだけ不満を述べようとも、湯船に放り込むと決めている。だって、二人とももう三日もお風呂に入ってないんだもの! 私の我慢も限界だ。


「うんっ、いい感じの捏ね具合だね!」

 今日はベーグルパンにしよう。燻製のサーモンとチーズを入れたサンドイッチを作るのだ。ソースはバジルソースかな。手が空いている間に、スープも作る事にする。昼食の準備は完璧だ。

 厨房で忙しく動き回っていると、上の方でドンッと大きな音がした。塔が少し揺れたような気がする。びっくりして厨房から飛び出し、螺旋になった石の階段を急いで上がった。


 実験室の木のドアが壊れて揺れている。しかも、ひどい匂いが階段や通路まで漏れていた。

「母様、カイン、大丈夫!? これ……何の匂い!?」

 私は鼻を摘まみながら、実験室に飛び込んだ。実験道具や本が散乱している部屋の中を見れば、得体の知れない緑色のネバネバした物体が飛び散っていった。

 

 一番、被害を受けているのはカインだ。顔や服、緑色のネバネバが張り付いている。母様は慌てたように窓を開けて換気していた。

「いったい、何をしてたの!?」

 私が驚いて尋ねると、母様が首を竦める。

「ちょっと、失敗しちゃったの……動く植物を作ろうとして……」

「動く植物!?」

 緑色のネバネバは、よく見ればウネウネ動いて集まろうとしている。とっても気持ち悪くて、私は顔をしかめた。カインは顔に張り付いたネバネバを一生懸命引っ張っているけれど、なかなか取れないようだ。

 私は頭を押さえて溜息を吐いた。


「ちょうどいいよ。二人とも、今すぐにお風呂に入って! でないと、昼食はナシだよ」

 腰に手をやって言うと、二人ともしょげた顔をしていた。

 いったい、どうしたら動く植物を作ろうなんて発想になるんだろう! きっと、草を潰した汁に魔物の血でも混ぜたに違いない。でなければ、あんなに気持ちの悪いネバネバが生まれるはずがないから。


「二人一緒にいるとおかしな事ばかりするんだから……」

 私はプリプリして部屋を出ると、お風呂の用意をするために下りていった。

 余計な手間と仕事がまた増えたよ。

 王都に戻ってからの塔の生活は、平和そのものだ。



 二人とも、実験室を片付けてからお風呂に入ってさっぱりしたようだ。

 その間に、昼食の用意はできている。

 今日は居間で食べることにした。暖炉に火が点いているから暖かい。

 母様とカインの前に、ベーグルサンドを載せたお皿とスープのカップを並べる。私もソファーに座ると、三人でお祈りを唱えた。


 カインはベーグルサンドにかぶりついて、「おいしい!」と目を輝かせる。

 母様もサンドを頬張り、「うん……キャロルは天才」と微笑んでいた。

 二人とも満足してくれたみたい。美味しそうな顔で食べている二人を見ていると、私まで嬉しくなる。

 サーモンとチーズにバジルのソースがよく合う。それにベーグルももっちりして噛みごたえがある。


「キャロル……カイン……明日からまたちょっと出てくるね」

「母様、また迷宮に行くの?」

「うん……出入り口を壊しちゃったから直さないと」

「お師匠様、今度はいつお帰りになるのですか?」

 カインが少し寂しそうに尋ねと、。母様は優しく微笑んでその頭を撫でる。

「春になる頃には戻るから……お土産もたくさん買ってくるね」

「気をつけていってきてね。あっ、そうだ。買ってきてほしいもののリストを渡すよ」

「うん……ごめんね、キャロル」

 母様は少し申し訳なさそうな顔をする。

 母様がふらりと出かけるのはいつもの事だ。

 私は「もう慣れちゃってるもの」と、笑った。


「それに、今はカインがいるから寂しくないの」

「うん、僕もキャロルがいるから平気……」

 カインの服のポケットから、ノエルが顔を出してかわいい小さな声で鳴く。カインはそれを見て、「ノエルもいるね」と微笑んだ。

 返事するようにまた鳴いたノエルの周りに、雪の結晶が舞っていた。


 翌日の朝には、母様は出かけたようだ。厨房の作業机の上には、金貨がたっぷり入ったお財布と、「行ってきます」と書かれた置き手紙が残っていた。

 私は欠伸をして、朝食の準備に取りかかる。

 階段を下りて厨房にやってきたカインが、「キャロル、おはよう」とまだ眠そうに挨拶をした。

「うん、おはよう。カイン」

「お師匠様、もう出かけた?」

「そうみたい。あっ、朝食はパンケーキだよ」

 私が言うとカインが急にパチッと瞬きして、嬉しそうに笑みを浮かべる。

「僕も手伝う。顔を洗ってくるよ」

 カインはタオルを持って洗い場に向かう。パタパタと飛んでいるノエルも、大きな欠伸を漏らしていた。


 あと、一月もすれば雪はすっかり溶けるだろう。

 そうすれば、春の訪れた。

 

 カインがやってきてから、色んな事があったなと思い出す。

 母様がいきなり連れてきた男の子。 

 最初はびっくりしたけれど、今ではすっかりこの塔に馴染んでいる。


 顔と手を洗って戻ってきたカインが、卵を割る作業を手伝ってくれる。

 私はその顔をチラッと見た。

「カインは……王宮に戻りたくない?」

 きっと、また第一王子がいなくなったと噂になっているだろう。

 以前のように騎士が迎えに来るかもしれない。

「ここがいい。お師匠様も、キャロルもいるから」

 カインは当たり前のように答える。 

 私は口元を緩め、カインの大好きなパンケーキを作る。

 今日は特別にたくさん焼いてあげよう。

 

(困った王子様だね……帰りたがらないんだから)


◇◇◇


 ――二年後。


 私は急ぎ足で塔の階段を下りる。

 カインは塔の外で出かける準備を整えて待っていた。


「待って、待って。カイン、忘れ物はない? ハンカチは持ってる?」

 塔を出て尋ねると、十二歳になって背も以前より伸びたカインが振り返る。

「持ってる。キャロルは忘れ物ない?」

「うん、ないよ。こんな時なのに、母様は相変わらず帰ってこないんだから」

 私は溜息を吐いた。カインがフフッと笑う。

 もうすっかり慣れているからだろう。

 カインはマントのポケットから取り出したハンカチをフワッと広げた。

 母様から預かっている転移魔法のハンカチだ。


「じゃあ、行こうか。キャロル。王都へ」

「うん!」

 私はカインと一緒に大きく広がったハンカチの上に乗る。


 十二歳になったカインは、今年から王立魔法学園に通う事になっている。

 だから、私もカインと一緒に王都に移る事にした。

 また、しばらく塔での生活とはお別れだね。


 光に包まれたかと思うと、薄暗い廃墟の中だ。

 埃っぽい臭いにむせそうになる。

 相変わらず、ひどい場所だ。でも、ここなら目立たない。

 私とカインは扉を開いて、明るい日差しに包まれている外に出た。

 そこはもう、王都の中だ。


「カイン、本当に寮じゃなくて、マティスさんの家に居候するの?」

「うん、あの人の家は面白い本がたくさんあるから。それに、寮に入ると簡単に出かけられないから、キャロルに会いに行けない」

「そっか……そうだね。でも心配だよ」

 マティスさんもカインも食事をちゃんと取らないんだから。私は小さく溜息を吐いて、カインと一緒に林の中を歩く。でも、どうせ毎日みたいにおじさんの家にやってくるかな。私はダーシーおじさんの家に居候する事になっているから。


「キャロルの方こそ……気をつけて。王都は危ないから」

「私の事より、カインが大変でしょう? 一般科で王子様が入学なんて、聞いたこともないよ……」

「キャロルも二年後には一般科で入学するじゃないか」

「私は貴族じゃないもの。当然だよ」

 母様は侯爵家の出身だけど、追放されているし爵位も継いでいない。だから、私が魔法学園に入学するとなれば一般科の入試を受けなければならない。貴族科に入学はできないのだ。


 カインは本当なら、入試など受けなくても貴族科に特別入学できる。なんといっても、第一王子なのだ。でも、カインはなぜかわざわざ入試を受けて一般科で入学した。しかも、試験は首席合格だ。

「僕が王子だなんて誰も知らないよ。だから一般科の方がいい。キャロルと同じ学舎で勉強できる」

 ずっと前からそう決めていたみたいだ。保護者はマティスさんという事になっている。

 一般科と貴族科の学舎は随分離れていて、生徒同士はほとんど交流がないと聞いている。だから、カインが貴族科に入れば、後から一般科に入学する私とは顔を合わせる機会はない。

 

「私に合わせる事はなかったのに」

「それなら、魔法学園なんて行く必要がなくなるよ」

 カインは私を見てニコッと微笑む。以前よりずっと男の子らしい顔立ちに見えて少しだけドキッとした。私は慌てて視線を逸らす。本当、カインってばかっこよくなっちゃって。学園に入学したら、きっとすごく人気者になって女の子に騒がれるはずだ。


「キャロル」

 カインは小道で足を止めて、私の方を向く。

 風が吹き抜け、木の葉が揺れていた。

「先に行って、待っているからね」

 目を細めるカインの顔を、思わず見つめる。風に靡く髪を手で押さえた。

 二年後――。

 その時には、私もカインと同じ王立魔法学園の生徒になる。

 

「うん、待ってて」

 私は笑って、カインと手を繋ぐ。

 木漏れ日の中、王都の中心街へと通じる小道を歩く。

 

(その時が、楽しみだね……)

 

 

ひとまず区切ります。一部終わり。

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