魔女の娘
私の母様は魔女だ。それもかなり悪名高い魔女らしく、北の辺境にある闇沼の森の塔に幽閉された。幽閉と言っても閉じ込められているわけでもなければ、監視がいるわけでもない。なにせ、闇沼の森は魔素が濃いため大型の凶暴な魔獣や魔物が跋扈している。森のさらに北にあるエルラルカ山脈には竜すらも棲んでいるような場所だ。だから、普通なら塔を出れば死んでしまう。つまり、母様はこの森に追放処分になったというわけだ。とはいえ、母様くらいの魔女になれば、森の魔獣や魔物なんて大した脅威ではないようで、自由気儘に塔を出入りして、好きな場所に出かけていく。そもそも、母様は転移魔法も得意だし、飛行魔法も使いこなす。この塔で暮らしているのは、ただ単に、ここの生活を気に入っているかららしい。
そんな母様が、ある日突然、知らない男の子を連れて戻ってきた。
金髪で綺麗な翡翠色の瞳をしたちんまりした男の子だ。私より二歳年上の十歳だというけれど、背丈は私と同じくらいに見える。どこかの路地で子供を拾ってきたのかなと思ったけれど、身なりは随分いい。キラキラした刺繍入りの上着と膝丈のズボンをはいていて、靴も上等なものだ。怯えたように母様にくっついて、私を見ている。
母様は「今日から、うちの子になるから面倒を見てあげて」と、それだけ言い残すと男の子と私を塔に残して、またふらりとどこかに出かけてしまった。なんて無責任な!
そもそも、母様は子供を放置しすぎだ。私はまだ八歳。八歳児に十歳児の面倒を押しつけていくなんて、いったい何を考えているんだろう。私は頭が痛くなった。しかも、残された男の子は泣きそうな顔をして、塔の中をキョロキョロと見回している。怯えているのは一目瞭然。きっと有無を言わさず、連れてこられたのだろう。
「ねぇ、あなた。名前は?」
私は箒を持ったまま、片手を腰に当てて尋ねる。
「僕……カイン…………」
男の子は小さな声で、そう名乗った。
「カイン、私はキャロル。キャロル=オーウェンよ。ええっと、よく分からないけれど、よろしくね」
私が手を差し出すと、カインという男の子はビクッとして身を竦める。叩かれるとでも思ったのかな。けれど手と私の顔を見て、恐る恐る握手してくれた。ひどく冷たい手だ。外は雪が降っていて寒かったからだろう。私はその手を引っ張って、塔の螺旋階段を上がっていく。
壁には魔石のランプが付けられている。その周りに、小さな蝶々が飛び交っていた。もちろん、冬場に蝶々なんていない。こんな姿をしているけれど、立派な魔物で母様が観賞用に育てているものだ。躾けられているから襲ってこないけれど、この魔物の蝶には毒があり、さらに人に群がりその魔力を吸い取ったりもする。
「あっ、その蝶々には触っちゃダメだからね。気をつけて。この塔には母様が飼っている魔物がけっこういるの。半分は私が育てているけれど……」
物珍しそうに蝶々に手を伸ばそうとしていたカインは、ビクッとして慌てて手を引っ込める。怯えていたのに、今はその瞳に好奇心が宿っていて煌めいて見えた。
塔はかなり高くて、階段はさらに続く。カインは体力がないのか、途中で息切れをして、しゃがみ込みそうになっていた。やせっぽちだからだろうか。体が弱いのかもしれない。私は時々立ち止まって一緒に休憩しながら、上を目指す。下は母様の実験室や、私の実験室、それに、燻製室や浴室、厨房などがある。食材庫にワイン蔵、薬草の調合室と部屋の数は多い。私はその一つ一つを説明しながら、塔の中を案内する。カインは言葉数も少なく、コクコクと頷いて私の話を聞いていた。
疲れているみたいだから、今日はこのくらいにしておこう。私は少し考えてから、「こっち」と彼を厨房に案内した。かなり広い厨房で、掃除や管理は私が行っているから清潔で片付いている。母様に任せておくとひどい事になるんだもの。私は小麦粉の入ったボールをひっくり返して悲鳴を上げていた母様の姿を思い出す。母様が料理をしようとすると、いつもそうなるのだ。厨房がまるで嵐にでもあったような惨状になり、二度ほど小火騒ぎも起きた。
びくついて厨房に入ってきたカインを、私は椅子に座らせる。
作業テーブルが真ん中にあり、竈がある。厨房の端には井戸の水を汲み上げる手押しのポンプもあり、流し台も設置されていて、真冬でも下まで水を汲みに行く必要はない。外観はかなり老朽化しているけれど、塔の中はなかなか快適なのだ。
私は竈に薪を放り込んで、取り出した杖でトントンと竈を叩いた。ボッと火が広がって薪が燃え始める。それを、カインはびっくりしたように見ていた。行儀良く座ったままでいるのは、育ちがいいからだろうか。
「君は……魔法が使えるの?」
「キャロルだって教えたでしょう? ええ、使えるわ。だって、私は魔女の娘だもの!」
しゃがんでいた私は、立ち上がって胸を張る。魔女と忌み嫌われている母様だけど、魔法使いとしての腕は一流ですごいんだから。それに、母様は魔法以外の知識も豊富だ。この厨房のポンプも母様が鍛冶師に頼んで作ってもらったものだ。けれど、このポンプは他にはないらしい。
「あなたにも魔力があるでしょう? 使った事ないの?」
私は鍋を取り出してスパイスと紅茶の茶葉を入れ、ミルクを注ぐ。それを火にかけ、ヘラでゆっくりと混ぜる。身長が足らないから、踏み台は必要だ。
カインはまるで知られてはいけない秘密を知られてしまった時のように青ざめて、硬直する。
「どうして……分かるの?」
「分かるよ。だって、魔力が体から漏れているもの。魔力制御を習った事はないの?」
格好からして貴族とか、お金持ちの子供に見える。それなら、幼い頃から家庭教師について魔力の扱いを習うはずだ。魔法が扱える事は剣術と同じくらい大事な事だと聞いたもの。
「ない……僕も教えてもらったら……使えるのかな?」
オドオドしながらも、興味があるのか視線は竈の炎に向けられている。
「うーん、そうね。母様に頼めば教えてもらえるよ、きっと」
私が顎に手を当てて答えると、「本当?」とカインが期待を込めるように訊いてくる。目が煌めいて、頬が薄く赤く染まっている。魔法に魅入られたみたいに。もしかして、母様はこの子を弟子にするつもりで連れてきたのかな?
「うん、でも……母様は、ほとんど塔には戻ってこないの。いつもフラフラ出かけちゃって、一月とか、二月とか帰ってこないの。だから、戻ってきた時に頼んでみるといいわ。あっ、でも最初の魔力制御くらいなら、私も教えられるよ? 母様が戻ってくるまで、私から教わる?」
「お、教えてほしい……お願いしますっ!」
カインは立ち上がると、ガバッと深く頭を下げた。よっぽど魔法を習いたかったみたいだ。
それに、幼い頃から魔力制御を身につけないと、魔力が体内に溜まりすぎて倒れたり、病気になったりする。暴走させれば、大事故に繋がりかねない。そうなると、やっぱり私が教えた方がいいのだろう。私は「うーん」と、考えてからニコッと笑みを作る。
「分かった。じゃあ、私が先生よ? ちゃんと敬わないとダメなんだから」
「うん、敬う……ちゃんと教わるよ。怠けたりしない……」
真剣な顔で頷くカインはなんだかかわいい。二歳年上でも、弟分ができたみたいだ。それに、母様の一番弟子は私なんだから、私が姉弟子って事になるよね。
私はクツクツ煮えてきた牛乳の鍋を火から下ろし、作業テーブルの鍋敷きに移す。カップを二つ取ってきて、こし器で漉しながら注いだ。シナモンミルクティーの出来上がりだ。そこに、砂糖を追加する。うちにある砂糖はなぜか真っ白でとても甘い。こんな真っ白な砂糖は、近くの村でも売っていないのに、母様はどこからか仕入れてくる。それに紅茶の茶葉もだ。
砂糖をたっぷり入れて甘くしたミルクティーのカップを、「はい、どうぞ」とカインの前に置く。
「外は寒かったんだもの。温かいものを飲まなくちゃ。おいしいよ?」
私も椅子を出して腰を掛けると、カインも椅子に座り直してカップに手を伸ばす。
「いい、香りがする……」
「そうでしょう? 飲んでみて」
私が一口飲んでみせると、カインもカップを口に運ぶ。目を瞑ってゴクッと飲んだ彼は、びっくりしたように目を丸くしていた。口の周りにミルクがついている。
「…………おいしい……こんなに甘いの飲んだ事ない……」
「砂糖は貴重品だもの」
「それに、こんなにいい香りのお茶……初めてだ」
「そうなの? でもカインは、いい所のお坊ちゃんでしょう?」
「…………王宮………………」
カインはボソッと呟く。
「王宮?」
私が聞き返すと、コクッと頷いていた。
「えっ……もしかして、王宮にいたの?」
「うん…………」
待って、母様。この子、いったいどこの子!? どうして、連れてきちゃったの!?
それ、大丈夫!?
私は沈黙の後で、カインの横顔をチラッと見る。カインの頬はミルクで温まったからか、血色が良くなって見えた。雪みたいな真っ白な肌で、睫毛も長い。王宮に仕える貴族の子とか?
「ええっとね、カイン。ちょっと訊くんだけど……あなた、どうして母様に連れて来られたの? あなたのお父様とお母様は、あなたがどこにいるか知っているんだよね?」
「父上と母上は僕に会いに来ない……僕は十歳になったら、魔女との契約で……連れ去られる事になってるから……いらないんだ」
カインの綺麗な顔が悲しそうに曇る。俯くその瞳に涙がキラリと光っていた。
「つまり……あの…………あなたのお父様って、国王様?」
「うん……」
「あなたは王子様だったの?」
「うん……」
母様~~~~~~!!!!
私は頭を抱えて呻きたくなった。いったいなんて子供を連れてきちゃったの!
これって反逆罪とかで捕まっちゃうんじゃない? 母様を捕まえられるような魔法使いなんてこの国にはいないと思うけれど、その代わり私が捕まったらどうしてくれるの。
王子様をいきなり攫ってくるなんて!
私は「う~~」と唸って、チラッとカインを見る。
「あなた、王宮に戻りたい?」
それなら、私はこの子を連れて王都に出向かないといけなくなる。私はまだ転移魔法は使えないから、それはかなり大変な事だ。それでも、いきなり両親と離されたのだとしたら、返してあげるのが筋だ。きっと彼の両親も心配している。けれど、契約って言ったよね。それって、母様との契約?
だとしたら、なおさら厄介だ。魔女の契約は絶対だ。その魔力を媒介として魂を縛る。違反すれば、その代償は己の肉体の一部で補う事になる。その一部がどこの部分かは、契約による。片腕や片脚で済むならまだいい。心臓や頭といった部分なら即死だ。
「後で、母様に手紙を送らないと……まったく、なんて厄介な……」
「ぼ、僕は帰りたくない…………帰っても…………!!」
急にカインが顔を上げて、私の袖をつかんできた。カップが揺れて、ミルクティーが少しこぼれてしまっていた。青ざめた顔に浮かぶのは、恐怖の色だ。
「でも、あなたのお母様やお父様は捜しているかもしれないよ?」
私が驚いて訊くと、カインは首を大きく振る。
「僕はいないも同然だから…………捜してない。王太子も弟のミハエルだもの……父上も母上も、僕はいらないって……魔女に差し出したんだ」
カインは絶望しているように項垂れて、声を絞り出す。
事情は私にはよく分からないけれど、カインが本気で王宮に連れ戻される事を怖れているのは分かる。もしかして、両親に嫌われていた? それに、確かに王太子はミハエル王子で、私よりも一歳年下の七歳だと聞いた。その上に王子がいたなんて、ほとんど聞いた事はない。王国の端だから噂が聞こえてこないだけかもしれないけど。
「落ち着いて。あなたが望まないのなら、大丈夫。追い返したりしないよ……うん、よく分からないけど、あなたがここにいたいなら、そうすればいいよ」
王子様なら、いつかは王宮に連れ戻されるのかもしれない。それまでは、魔法使いの弟子としてしっかり勉強してもらえばいい。王族も貴族も十二歳になると、王都の魔法学園に通う事になる。うちの母様も昔はそこに通っていたと言っていたから。後二年――それまでに、魔法学園でも不自由しない程度の魔力操作を身につけておけば困らないだろう。母様もそのために連れてきたのかも。
「戻りたくない……僕はもう、行く場所がないから……魔女の弟子になる」
カインは両手でカップを包むように持ち、俯いたまま答える。その声には決意が籠もっているように聞こえた。よく分からないけれど、王宮ではあまりいい事がなかったんだろう。
「カインは、好きな食べ物はある?」
「好きな……食べ物?」
「うん、そう。カインがここに来たお祝いに、何でも作ってあげる。大丈夫、私はこう見えても料理が上手なんだよ。おいしく作れるんだから」
母様がどこかから手に入れてきた、綺麗な色つきのレシピ本がある。魔法を使って作った本なのか、本物そっくりの絵が描かれていて、ツルツルした表紙の見たこともない本だ。見知らぬ世界の文字で書かれているけれど、その読み方も母様から教えてもらった。なんでも〝異界文字〟というらしい。
「よく……分からない……あまりおいしいと思って食べた事がないから」
「そうなの? 王宮ならご馳走がたくさん出るじゃない?」
それとも、王宮では冷たくされてきたから、ご馳走は出してもらえなかったのかな。仮にも王子様なの?
私は腕を組んで首を傾げる。
「スープとパン……ばっかりだった」
だから、カインはこんなに痩せっぽちなんだ。王子様なのに。育ち盛りの男の子はもっとお肉をたくさん食べるべきだよ! 母様のレシピ本には栄養についても書かれていた。〝タンパク質〟が筋肉や血を作るんだって 。
「よしっ、今日はお肉のスープにしよう!」
私は決意して立ち上がる。
「お肉の……スープ?」
「そう、お肉をたっぷり使ったスープだよ。それに、キッシュも作るよ」
「そんなに……?」
食べきれるだろうかと、カインは不安そうな顔をする。日頃から小食であまり食べないのだろう。
「うん、一人じゃ大変だからカインも手伝って。自分で作ると、十倍は美味しく感じるんだよ」
「知らなかった……料理なんて作った事ない」
「それは、あなたは王宮暮らしで、料理人が作ってくれるからよ」
私は飲み終えたミルクティーのカップを洗い、夜ご飯の支度に取りかかる。
カインも急いで残りのミルクティーを飲むと、立ち上がってそばにやってきた。
「まずは、食材を取ってこなくちゃ。食材庫に行くからついてきて」
「うん……」
◇◇◇
タマネギや人参、ジャガイモといった食材を洗って皮剥きし、お肉を切り分ける。塔の地下には、母様が氷魔法を掛けた氷室がある。そこには、凍らせたお肉も保存されている。今日使うお肉は、シカのお肉だ。熱魔法でジワジワ解凍したお肉を切り分けで、野菜と一緒に鉄鍋でしっかりと炒めていく。塩に胡椒などと調味料を足し、水を注いであくを取りながら煮ていくのだ。その間に、カインに卵を割ってもらい、キッシュ作りに取りかかる。
「お塩も胡椒も高級品なのに……」
カインは私が遠慮なく塩や胡椒を使うのを見てびっくりしていた。
「そうなの。母様はどこかから持ってくるのよ? でも、どこから持ってくるのか教えてくれないの。もしかしたら、異国に行っているのかな?」
何日も帰ってこない事があるから。そういう時には長旅をしているのだろう。
「すごいね……僕もいつか……行ってみたい。遠くの国に」
「行けるよ。人生はどう生きるのも自由だって、母様はいつも言うもの」
「自由……?」
「うん、そう。行こうと思えば、月にだって行けるって母様は言うもの」
「月に!?」
信じられないのか、口がポカンと開いていた。私だって、さすがに月に行けるとは思わない。きっと母様はちょっと大げさに言ったのだろう。だけど、月に行ける日が来るかもしれないと思うと、胸がワクワクしてくる。
「可能性を信じる事は、一番のおまじないだって言うの。だから、私もね。信じるんだよ。それが魔法を扱う上で一番大事な事なんだって教わったもの」
「一番大事な事?」
「イメージ? 信じる力? よく分からないけれど、思う気持ちを魔力が具現化するんだって。だから、火を起こす時も、火が燃えるイメージを思い浮かべるの。そうすると、ボッと火が出るんだよ」
私は説明しながら〝缶詰〟を開ける。これも、母様がどこからか手に入れてくれる食材の一つだ。この金属の筒に入っていると、食べ物が腐りにくくて長期保存できるらしい。缶の表面にはトマトの絵が描かれている。その缶詰を鍋に注ぎ入れると、ローリエの葉が浮かんでクルクルと舞っていた。
不意に魔力の揺らぎを感じて振り返ると、カインが自分の手を見つめていた。「あっ、ダメ!」と咄嗟に踏み台を下りて手を伸ばしたけれど、間に合わない。カインの手の平からボッと炎が広がり、急な事にびっくりしたようにカインがよろめいて尻餅をついた。
「大丈夫!? いきなり魔法を使うなんて、危ないよ。魔力制御もまだ教えてないのに」
私は膝を突いて、カインの手を取る。手の平がほんの少し赤くなっていた。
「ほら、火傷しちゃってる」
ため息をついて、急いで水を張った桶を用意した。
「つ…………使えた……魔法」
カインは火傷した手を握り締め、嬉しそうに笑みを深める。カインが笑ったのを初めて見た。
よっぽど嬉しかったのか、「魔法、使えた……僕にも使えた……」と噛みしめるように何度も呟く。私はその額をピシッと指で弾いた。カインは瞬きして、額を押さえる。
「喜んでないで、手を冷やすの。水ぶくれになっちゃうよ。私はまだ母様ほど上手に治癒魔法が使えないんだからね。ものすごく臭い塗り薬に頼る事になるんだよ?」
私が脅すと、カインは顔を強ばらせて手をギュッと握る。
「それは……嫌だ……」
「じゃあ、冷やして」
私が桶をテーブルに置くと、カインは大人しく椅子に座って水に手を浸す。
私は砂時計を用意してひっくり返した。
「これが全部落ちるまで、冷やしておくこと」
「うん……」
「でも……魔法の使い方をほとんど教わってないのに、火魔法が使えるなんて、カインはきっとすごく優秀な魔法使いになれるよ。私はそんなに簡単に炎は出せなかったもの」
「なりたい……僕、魔法使いになりたい……」
まだ興奮がさめないのか、カインの頬は紅潮したままだ。
「そんなに、魔法に憧れていたの?」
「うん……魔女様がやってきた時……みんなは怖がってたけど……僕は、すごく…………綺麗だと思った。初めて、魔法を使っているところを見たんだ……だから僕は、ここに来た。あそこにはもういたくなかったから」
カインはジッと桶の水を見つめたまま言う。水面に波紋が広がるのは、また魔力が揺らいでいるからだろう。彼の魔力は感情に大きく左右されるみたいだ。それだけ、不安定だという事でもある。危なっかしいなぁと、私は内心心配になった。私はまだ八歳。母様に魔力の制御の仕方は教わっていても、分からない事の方が多い。もし、カインが魔力を暴走させたら、私では対処できないだろう。
やっぱり、できるだけ早く戻ってきてくれるように連絡を取ろう。母様も無責任過ぎるよ……子供に子供を預けてどこに行っちゃったの?
「カイン、魔法を使うのは、魔力制御を教えるまで禁止だよ。練習するのもダメだからね」
私はカインの腕をつかんで、強めの口調で言い聞かせる。カインは瞬きしてから、残念そうに眉の端を下げる。
「ダメ……かな? ちょっとだけでも」
「ダメ。あなたがまた火を出そうとして、塔が丸焼けになったらどうするの? 私もあなたも、この寒い中、森で野宿だからね。魔物だって出るから怖いんだよ」
「う、うん……それは困る」
「じゃあ、我慢して。かわりに、簡単な魔力制御を教えてあげる。それを繰り返し練習する事」
それに、図書室から一番簡単な魔力制御の本も貸してあげよう。私が三歳の時に母様からもらった本だ。私も繰り返し、その本を読んで魔力制御の仕方を勉強した。十歳のカインなら十分読めるし、実践も難しくないからできるだろう。
キッシュを焼いて、スープを作り、パンを温める。今日はとっておきのデザートも用意しよう。きっと、カインはびっくりするはずだ。
◇◇◇
二人きりだから、夕飯は厨房で食べる事にした。食堂の暖炉には火を入れていない。
ここなら、竈の火があるから暖かい。焼き立てのキッシュを切り分けて、皿に盛る。それにスープを取り分けた。お祈りをしてからスプーンを取ったカインは、鹿肉のシチューを掬って恐る恐る頬張る。お肉をトロトロになるまでしっかり煮込んだから、美味しいはずだ。カインは口に入れた途端、溶けるように崩れたお肉にびっくりしたのか、目を見開いている。その後は、夢中になって口に運んでいた。
「おいしい……すごく…………こんなの初めて食べる……王宮のスープよりずっとおいしい」
「王宮のスープはどんなスープだったの?」
「ベーコンと少しの野菜が入ってただけ……味もほとんどしなくて美味しくなかった。でも、このスープはお肉がすごく……おいしいっ!」
目を輝かせて、カインは肉の塊を頬張る。うんうん、そうでしょうとも。私特製のスープだからね。
「キッシュも美味しいよ?」
私が勧めると、カインは頷いてフォークでキッシュを切る。口に運んだ途端、これまた目が輝いていた。気に入ってくれたのは、その顔を見れば分かる。あっという間に食べきってしまうから、追加でキッシュを切ってあげた。食べっぷりはやっぱり男の子だ。
私も熱々のキッシュを味わう。ほうれん草とベーコン、それにチーズをたっぷり入れたキッシュだ。生地はさっくりしていて、バターの風味が利いている。
「母様も匂いにつられて帰ってこないかな?」
私はシチューを食べながら呟く。キッシュもシチューも母様の大好物だ。時々、見計らったように帰ってくる事がある。でも、今日出て行ったばかりだから、そんなにすぐには戻って来ないだろう。
料理を食べ終えて満足したところで、私は立ち上がって厨房を出る。とっておきのデザートを取りに行くためだ。ガラスの器にいれた真っ白な半円形のものを、「後口のデザートだよ」とカインに渡す。
器の冷たさに驚いたのか、カインはマジマジとデザートを見つめている。
「これは早く食べなくちゃ溶けてなくなっちゃうの」
「えっ……なくなるの?」
「そう。だから、早く」
スプーンを渡されたカインは真っ白なデザートを口に入れる。そのまま三秒ほど固まって、「こ……これ……何?」と訊いてきた。
「アイスクリームだよ」
「アイス……クリーム?」
「うん、母様のレシピ本に書いてあったの。牛乳と砂糖で作るの。甘くて冷たくて、おいしいでしょ」
これも母様の氷魔法を掛けた氷室があるからだ。
カインは溶ける前に急いでスプーンで掬ったアイスを、しきりに口に運ぶ。あっという間になくなってしまったからか、名残惜しそうに器を見つめていた。
「ここにいると……こんなに美味しいものが食べられるんだ……」
「作らなきゃ食べられないよ。アイスはけっこう大変なんだよ。カインが手伝ってくれるなら、もっと一杯作れるけど」
「て、手伝う! いくらでも手伝う。だから、また食べたい!」
真剣な顔をして言うカインがおかしくて、私は笑ってしまった。
「うん、じゃあ、今度一緒に作ろう。でも、ミルクが足りないの。今度、村に行かなくちゃ」
「村? ここは闇沼の森だって聞いた……村があるの?」
「森の向こうだよ。小さな村があるの。でも貧しい村で、行商人はたまにしか来ないの。でも、牛を飼っている人がいるから、その人からミルクを分けてもらうの。カインも一緒に行く?」
「行く……行きたい」
「じゃあ、晴れてる日に行こう。しばらくは吹雪くみたいだから無理かもしれないけど」
「うん……」
こうして、カインは〝うちの子〟になった――。




