第1話 色褪せた日常
頭上で光り輝くクリスタルのシャンデリアが、磨き抜かれた大理石の床に、いくつもの光の輪を描いている。
あまりに鋭く、濁りのないその輝きは、まるで私の一挙手一投足を監視する無数の瞳のようだった。
伯爵令嬢として生まれた私の人生は、この邸宅を飾る豪華な調度品と何ら変わりはない。
最高級の絹で仕立てられたドレスは、重厚な刺繍のせいで肌にずっしりと重く、締め付けられたコルセットは呼吸のたびに肋骨を圧迫する。
首元に纏った大粒のサファイアは、美しい装飾品というよりも、私をこの場所に繋ぎ止めるための枷のようだ。
誰からも羨まれる美しさと価値を持たされる。けれど、その本質は飾られただけの置物と同じだ。
決められた場所から一歩も動くことは許されず、ただそこに、静かに、優雅に佇んでいることだけを求められる。
「エレーナ、また溜息か。そんな顔では、明日の夜会が台無しだぞ」
父の重々しい声が、書斎の冷たく重厚な空気の中に響いた。
革張りの椅子に深く腰掛けた父は、羽ペンの先を動かす手を止めることさえせず、書類から目を離さないまま私を咎める。
その声には娘の体調や心を案じる響きなど微塵もなく、ただ商品の微かな傷を指摘するような冷淡さだけがあった。
私は反射的に、指先まで凍りつくような緊張感を覚えながら、すっと背筋を伸ばした。
そして鏡の前で何度も練習した、完璧な、けれど血の通わない微笑みを顔に貼り付ける。
口角の角度ひとつ、指先の添え方ひとつまで、マナー講師に叩き込まれた理想の令嬢の形をなぞる。
「申し訳ありません、お父様。少し、外の空気が吸いたくなっただけですわ」
「明日の夜会には、ヴィンセント侯爵がいらっしゃる。我が家の領地経営を支えてくださる、代えがたい大事な御方だ」
父はようやく顔を上げ、値踏みするように私を見た。
「お前も今年で十八になった。そろそろ伯爵家の娘としての自覚を持ち、家を支える責任を果たしなさい。私はお前に期待しているんだよ」
父の瞳に宿っているのは、私という人間への慈しみではない。私を利用して手に入れようとしている、利権と権力への執着だ。
父の言う期待という言葉は、私の耳には「どれだけ高値で売れるか」という商人の呟きと同義に聞こえる。
ヴィンセント侯爵。
父の仕事仲間であり、私とは二十歳以上も年の離れたその男の、脂ぎった顔を思い出すだけで胃のあたりが重く沈む。
彼が私を見る時の、ドレスを透かして中身を覗き込むような、ねっとりとした濁った視線。その指先が、挨拶のキスと称して私の手の甲に触れる瞬間の湿り気。
思い出すだけで、真夏でも背筋に氷を押し当てられたような嫌悪感が走った。
「……はい、お父様。心得ております。伯爵家の名に恥じぬよう、努めますわ」
私の答えに満足したのか、父は再び手元の書類へと視線を落とした。それは、もう私に用はないという無言の合図だ。
私は静かに、ドレスの裾を乱さないよう細心の注意を払って一礼し、逃げるように書斎を後にした。
長い廊下を歩く自分の靴音が、虚しく、カツカツと響く。
厚手の絨毯が音を吸い込むはずなのに、なぜかその足音だけが頭蓋の裏側にまで届くようで、私は耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
息が詰まりそうになり、私は導かれるように中庭へと向かった。
外、といっても、私が行けるのは高い壁に囲まれ、徹底的に管理されたこの庭までだ。
そこには、風に運ばれてきた名もなき雑草の一本すら生えていない。
季節に合わせて計算し尽くされた配置で植えられた花々が、まるで精巧な刺繍のように、寸分の狂いもなく整然と並んでいる。
噴水の水音さえも一定のリズムを刻み、自由を謳歌しているようには見えない。
土の匂いも、花の香りでさえも、どこか人工的な香料のように冷ややかだった。
「……美しいのに、少しも優しくないわ」
私は、その完璧すぎる景色に、言葉にできないほどの息苦しさを感じていた。
この庭は、私そのものだ。
整えられ、管理され、誰かに愛でられるためだけに存在する、生きた標本。
私は、自分がいつかこの場所で、誰にも気づかれず音もなく枯れていく未来を想像した。
その時、私の枯れた姿を惜しむ人はいるのだろうか。それとも、ただ代わりの花が植えられるだけなのだろうか。
冷たくなった指先を隠すように、私はドレスの裾を強く、強く握りしめた。




