第25話 科学のメスと極上のエスプレッソ
「嘘……嘘よ! そんなの、何かの間違いだわ! 雅弘さんの子に決まってるじゃない!」
一条ゆかりが、畳みかけられる証拠の数々に、絶叫しながら応接室の床にへたり込んだ。
その隣で、神宮寺雅弘は魂が抜けたような顔で、自分の過去の出張記録とエコー写真を交互に見つめている。
「間違いなのは、貴女の脳内の計算式です。一万キロの距離を精子が弾道飛行するなど、現代医学では不可能ですから」
私は、事務所の備品ではなく、わざわざ持参したポータブル・エスプレッソマシンで淹れたばかりの、極上のエスプレッソを一口啜った。
クレマが厚く浮いた漆黒の液体。砂糖を一切入れないその味は、舌を焼くような猛烈な苦味と、その裏に隠れた濃厚なコクが脳を直接殴りつけてくる。
そして、その強烈な苦味に合わせるのは、カカオ分九十九パーセントの究極のビターチョコレート。
「……素晴らしい。甘さを完全に排除したこの『真実』の味こそ、腐りきった幻想を打ち砕くための最高の燃料です」
「所長! 財閥の御曹司が泡を吹いて倒れかけてる横で、なんで炭みたいに真っ黒なチョコとコーヒーで、死神の朝食みたいなことしてるんですか! 雅弘さんの母親なんて、あまりのショックで般若みたいな顔で固まってますよ! 見てください、あの白目!」
パラリーガルの木戸くんが、空になった胃薬の瓶を握りしめながら、絶叫に近いツッコミを入れる。
「失礼ですね。このエスプレッソの圧倒的な濃度は、神宮寺一族が抱えてきた『血筋という名の不純物』をすべて濾過し、清算するための儀式ですよ」
私は指先を純白のナプキンで拭い、呆然と立ち尽くす雅弘の母、つまり大奥様に向き直った。
「さて、神宮寺の母上。貴女方が『至宝』として迎え入れようとした赤子の父親……黒龍会の黒岩剛造氏についても、すでに『強制認知の訴え』を行い、同時に警察の組織犯罪対策部にも情報提供済みです」
「ひ、ひっ!」
「上場企業である神宮寺財閥が、反社会的勢力の子供を跡継ぎとして受け入れ、実質的な乗っ取りを許そうとしていた。……この事実、週刊誌や株主が知ったらどうなるか、分かりますね?」
「ひぃっ……あ、ああ……っ!」
大奥様は、それまで撫子様に向けていた傲慢な態度をどこへやら、恐怖で膝をガクガクと震わせた。
「神宮寺の名前が……一族の誇りが……泥にまみれてしまう……!」
「誇り? 笑わせないでください。跡継ぎという迷信に目が眩み、詐欺師の言葉を鵜呑みにして正妻を追い出そうとした時点で、貴女方の誇りなどドブ川に流されたも同然です」
私が冷酷に言い放つと、今度は雅弘が這いつくばりながら、撫子様の足元に縋りつこうとした。
「な、撫子……! 僕が悪かった! 騙されていたんだ! 君こそが僕の本当の妻だ、頼む、行かないでくれ! 離婚届は破り捨てて、また一から……!」
その醜悪なすがりつきを、撫子様は一切の躊躇なく、完璧な所作でスッと躱した。
「雅弘さん。貴方は私を『石女』と呼び、女を道具としてしか見ていませんでした」
撫子様の声は、かつての怯えが嘘のように、凛として、透き通るように響いた。
「私に子供がいなかったのは、幸いでした。おかげで、貴方たちのような汚らわしい一族の血を、私は一滴も後世に残さずに済みますもの」
「な……な……!」
「神宮寺家との縁は、ここで完全に断ち切らせていただきます。……結お姉様、手続きをお願いできますでしょうか」
撫子様が私に合図を送る。私は待ってましたとばかりに、木戸くんに指示を出した。
「木戸くん。特製の離婚協議書を出しなさい」
「了解です! 不貞行為の慰謝料、および財産分与、さらに今回の詐欺事件に加担したことへの口止め料……もとい、解決金を含め、総額五億円の請求書になります!」
木戸くんが、連日のエクセル作業の結晶である書類を、雅弘の顔面に叩きつけた。
「ご、五億……!? そんな無茶な!」
「ふふふ。無茶?反社との繋がりがバレて株価が暴落し、会長職を追われることに比べれば、格安の授業料でしょう?」
私はエスプレッソの最後の一滴を飲み干し、氷のような笑みを浮かべた。
「サインしないのであれば、結構。今この瞬間に、麗華様のネットワークを使って情報を放流いたしますが?」
「……書きます。書きますから、どうか……!」
雅弘は震える手でペンを取り、離婚届と協議書にサインした。
それは、彼がそれまで「道具」として扱っていた一人の女性から、人生で最も高い買い物をさせられた瞬間だった。
◇ ◇ ◇
……という、最高にハードで、最高にビターな『ざまぁ』から、数週間後。
「失礼いたします。九条院先生に皆様、本日のお茶の準備が整いました」
帝都の一等地、『九条院法律事務所』の所長室。
そこには、ブランド物の洗練されたパンツスーツに身を包み、完璧な姿勢でティーセットを運んでくる、見違えるほど美しくなった撫子様の姿があった。
「撫子様、ありがとうございます。……木戸くん、どうですか? 彼女の仕事ぶりは」
私が問うと、デスクで書類を整理していた木戸くんが、感銘を受けたような顔で頷いた。
「所長……驚愕ですよ。撫子さん、秘書検定一級を満点合格しただけじゃなくて、一度会ったクライアントの顔と名前、以前の会話内容まで完璧に把握してるんです」
「それだけじゃありませんわ! 来客への対応からスケジュールの調整まで、その完璧なマナーと気配りは、もはや芸術の域ですのよ!」
東陰院麗華様が、扇子を広げて自慢げに胸を張った。
「結お姉様! わたくしたちが見出した撫子様は、まさに『トップ秘書』になるために生まれてきたようなお方ですわ!」
撫子様は、恥ずかしそうに、しかし誇らしげに微笑んだ。
「……義母からは『無駄な教養』だと嘲笑われてきましたが、結先生に『その能力は現代のビジネス界で最強の武器になる』と言っていただけて、救われました」
かつて「産む機械」として否定されていた彼女の、上流階級で培われた圧倒的な教養。それが今、最強のビジネス・スキルとして開花したのだ。
「さて、撫子様。合格祝いに、貴女にふさわしい就職先を紹介しましょう」
私は一枚の名刺を彼女に差し出した。
そこには、かつて無能な義理の兄と婚約者に罪を着せられ追放させられかけたが、見事蹴散らし、巨大企業のトップに就任した、あの女性新社長の名前が刻まれていた。
「彼女は今、自分の右腕となる『完璧な秘書』を探しています。九条院の推薦なら、二つ返事で受け入れるでしょう」
「私が……あのような素晴らしい女性社長の下で……?」
「ええ。貴女のその教養は、財閥の奥の間に隠しておくにはあまりに惜しい。世界を股にかける女経営者の隣で、存分にその腕を振るって下さい」
撫子様の瞳に、希望という名の眩しい光が宿った。
彼女は深く、美しく頭を下げ、私の事務所を旅立っていった。
一人の道具ではなく、一人のプロフェッショナルとして、自らの足で歩き出したのだ。
「……終わりましたね。木戸くん、麗華様。今回のコーヒーは、少しばかり苦すぎましたか?」
私が空になったエスプレッソカップを見つめると、木戸くんが深いため息をついた。
「苦かったですけど、最後は最高に爽やかでしたよ。……さて、所長。次の依頼人が、扉の前で震えながら待ってますけど」
「おや。次なる『異世界テンプレ』の被害者ですか」
私は新しいカカオ九十九パーセントのチョコを口に放り込み、魔王の笑みを浮かべた。
「さあ、木戸くん、麗華様。六法全書を研ぎ澄ましなさい。次はどんな愚か者を、現行法で解体してあげましょうか?」
事務所の扉が開く。
次なる理不尽な物語が、結たちのリーガル・タコ殴りによって、書き換えられるのを待っている。
法の番人にして、不合理を許さぬ魔王。彼女たちの戦いは、まだまだ終わることはない。
第5章『偽物の妊娠・跡継ぎ簒奪テンプレ編』、最後までお読みいただきありがとうございました!
無事に離婚と巨額の慰謝料を勝ち取り、撫子様は新たな空へと羽ばたいていきました。彼女が第1章の女性社長の下で働くラスト、作者としても感慨深いものがありました。
もし、今回の事件を読んで
「科学のメスでの消毒、最高に気持ちよかった!」
「撫子様の再出発を応援したい!」
と感じていただけましたら、ページ一番下の【☆☆☆☆☆】をポチッと押して、【★★★★★】の最高評価をいただけますと、次章への執筆エネルギーが限界突破いたします!
(※すでに前章で評価済みの方は、そのまま応援していただけると嬉しいです!)
【ブックマーク】を外さずにお待ちいただければ、数日後に始まる「第6章」の更新通知が届きます。
次はどんなテンプレを現行法で解体してやりましょうか? 最強トリオの次なる活躍にご期待ください!




