第200話 差し押さえ完了
円卓に落ちた便箋の端が、空気の流れで僅かに持ち上がる。
軍務大臣の視線が、紙面に書かれた署名の文字の上に固定されていた。
彼の喉の仏が上下に動き、口が半開きになる。
呼吸のたびに、胸元の勲章が微かに擦れ合う音が鳴る。
円卓を囲む他の使節たちが、テーブルの中央に散らばった紙の束に手を伸ばす。
紙の束が手元へ引き寄せられ、表面が擦れる音が会議場に連続して響く。
彼らは視線を紙面に落とし、隣に座る者と顔を見合わせる。
囁き声が重なり、議事堂の広い空間を満たしていく。
大臣がテーブルの上のグラスへ右手を伸ばした。
彼の指先がグラスの側面に触れる。
指が滑り、グラスが傾く。
中の氷がガラスの壁面を叩き、高い音が鳴る。
彼は手を引っ込め、拳を握りしめた。
「捏造だ」
大臣が声を上げる。
声帯の振動が不規則で、音の端が掠れている。
「南洋の者が持ち込んだ出処不明の書類など、証拠の体をなしていない」
レオニスが椅子の背もたれから背を離し、鞄の中から革張りのファイルを取り出した。
金属の留め金を外し、中の紙の束を円卓へ置く。
「塔で行われていた研究のデータ。そして、そこへ流れた資金の経路の記録だ」
レオニスが紙の束を前へ押し出す。
「書類の筆跡や押印の跡、紙質まで調べれば、出処は自ずと明らかになる」
円卓の正面に座っていた白髪の男が、その紙の束を手元に引き寄せた。
帝国の宰相の席だ。
宰相は紙面を無言で確認し、ページをめくる。
紙がめくれる音が響く間、大臣は言葉を発さずに宰相の顔を見つめていた。
宰相が紙の束をテーブルに戻す。
彼は右手を軽く上げ、背後に立つ護衛の兵士へ視線を向けた。
兵士が顎を引き、会議場の両開きの扉へ向かって歩き出す。
扉が開かれ、廊下から軍靴の音が複数近づいてくる。
制服を着た憲兵たちが、円卓へ向かって歩み寄ってきた。
大臣の肩が跳ねる。
憲兵たちが大臣の椅子の後ろで立ち止まる。
「同行を願います」
憲兵の低い声が響く。
大臣が周囲の使節たちを見る。
彼らの視線は手元の書類に落ちたままか、あるいは大臣から意図的に外されていた。
憲兵が大臣の腕を両側から掴む。
椅子の脚が絨毯を擦り、重い音が鳴る。
大臣が立ち上がらされ、円卓から引き離された。
彼が憲兵に引かれ、扉へ向かって歩き出す。
その進路は、私が立つ場所のすぐ横を通る。
軍靴が絨毯を踏む音が近づいてくる。
私は扇子を閉じ、体の向きを通路側へ変えた。
大臣が私の横を通り過ぎようとする瞬間、私は彼の顔を見た。
焦点の合っていない目が、床の模様をなぞっている。
「私の年金と慰謝料分は、あなたの個人資産からきっちり差し押さえさせてもらったわ」
私は扇子の先を大臣の肩に向けた。
「残りの借金は、刑務所で働きながら国に返しなさい」
大臣の足が止まりかける。
憲兵が彼の腕を引き、無理やり前へ歩かせる。
大臣は振り返らず、扉の向こうの廊下へ連れ出された。
両開きの扉が閉まり、金属のラッチが噛み合う音が会議場に反響する。
円卓の奥に、主のいなくなった空席が残された。
グラスの氷が溶け、水面が微かに揺れている。
テーブルに広げられた裏帳簿と便箋の束を、使節たちが再び手に取り始める。
宰相が椅子の手すりに両肘を置いた。
彼の視線が、円卓越しにレオニスへ向けられる。
「南洋の使節殿」
宰相の低く落ち着いた声が、会議場の囁き声を切り裂いて響いた。




