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「何よりも、守りたいものがあります」(ヴォルドレッド視点)

「ミア様、おはようございます。お目覚めのハーブティーをお持ちいたしました」

「ええ、ありがとう」


 ある日の朝。私はいつも通り、ミア様の部屋を訪れていた。


「それでミア様、本日の予定なのですが」

「そうね。今日は特にどこかへ行く用事はないから、たまには二人でのんびりしましょうか?」


 穏やかに笑いかけられ、思わず「はい」と頷いてしまいたくなる。このまま彼女を誰もいない部屋に閉じ込め、今日どころかこの先一生共に過ごして、私だけのものにしてしまいたい。


 ……だが、今日はそうはいかない。


「申し訳ございません。本日は所用がありまして、少し王宮を離れます」

「え? あなたがそんなことを言うなんて、珍しいわね。……いや、あなたにだって用事がある日くらい、あるか」

「はい。本当は、ミア様と少しの間でも離れるのは、耐えがたい苦痛なのですが……」


 そっと彼女の耳に唇を寄せ、囁く。


「そのぶん、帰ってきたら、存分にあなたを甘やかさせてください」

「なっ……」


 かあっと、彼女の顔が朱に染まる。

 別にからかっているわけではないが、こういう反応がとても可愛らしくて、彼女に愛を囁くのは愉しい。


「何よ、それ。『甘やかさせてください』って……」

「思うままにあなたのお世話をしたい、尽くして差し上げたい。……あなたを、愛したいです」


 そう言って髪を撫でれば、ますます彼女の頬に赤みが増す。本当に……可愛らしい人だ。


「よ、用事があるんでしょ! 早く行ってきなさい」

「はい。行ってまいります、ミア様」


 もう少し彼女のことを眺めていたいが、名残惜しさを感じつつ離れる。

 するとミア様は、そっと私の服の裾をつまんだ。


「早く行って……早く、帰ってくればいいわ」

「――」


 ……本当に。この人は、どこまで私の心を奪う気なのだろう。

 ミア様と言葉を交わすたび、彼女と出会うまで知ることのなかった熱い感情、胸の昂ぶりを教えられるかのようだ。私にも、こんな心があったのだと――


「……はい。私はどこへ行ったって、必ずあなたのもとへ帰ってきますよ、ミア様」



 ◇ ◇ ◇



 魔法施設の転移魔法陣を利用し、私が向かった先は、ノアウィールの森だ。

 かつては、この国最大の瘴気の発生源だった場所。今はミア様のお力により、元の美しい光景を取り戻しているが――そもそもこの場所は、魔を寄せつけてしまいやすいのだ。


 森の中には、魔王の配下である魔族どもの一部が集まっていた。


「来たな。魔王陛下の力を奪った、卑劣な騎士め!」

「魔王陛下のお力を返せ!」


 以前から魔族どもが、私に対して「陛下の力を返せ」とうるさかったのだ。一度対峙して、黙らせてやろうと思っていた。


 騒々しい魔族どもに、私は淡々と問う。


「あの魔王は、身勝手にフェンゼルを攻めた挙句、無様に敗れた。なのに貴様らはまだ、あんな男を崇拝しているのか?」

「貴様……! 魔王陛下を見下したその態度、許さん!」

「そうだ! 魔王様の血は尊きものである!」

「魔王は、ミア様との戦いに敗れ、自らミア様に降伏することを選んだのだぞ」

「黙れ! あの聖女が、陛下を誑かしたのだろう! 淫らな女め!」

「…………」


 短絡的である自覚はあるが、ミア様を侮辱されると、どうしても不快さを抱いてしまう。

 彼女を侮辱する者は……誰であろうが、許さない。


「貴様らは、そんなに今この場で命を散らしたいようだな」


 剣に魔力を纏わせ、一振りする。魔力が刃の形の光となり、魔族どもに襲いかかる。


「ひ……!」


 挨拶代わりの、軽い一撃だった。だがそれだけでも、周囲の木々が次々倒れる。


 もともと私の戦闘力は並外れていた。そのうえ今は、あの魔王の力も手に入れたのだ。

 魔王の配下達は、本来は人間からしたら驚異的な存在のはずだが……今の私の足元にも及ばない。


 魔族どもは顔を青ざめさせていたが、逃げ出すことはしなかった。何か勝算があるかのように。……どうせただの浅知恵なのだろうが。


「ふん……我々が、何の策も練っていないと思ったか!? 見ろ!」


 主犯格と思わしき奴の後ろから、手下達が現れた。

 その魔族どもはそれぞれ、人間を抱えている。魔法によって意識を失わされているようで、人間達は目を閉じたまま動かない。


「ベリルラッド村の住人達を、人質にとらせてもらった。これで我々に攻撃できまい!」


 魔族がそう言った次の瞬間、私は魔力によって無数の氷の刃を放った。

 一つ一つが短剣のように研ぎ澄まされたその魔法は、的確に魔族どものみを傷つけ、人質にはかすり傷一つつけない。


「ぎゃあああああああああああ⁉ な、何をするんだ! 人質がどうなってもいいのか!?」

「ああ、どうでもいい。ミア様以外の人間がどうなろうが、私の知ったことではない」

「な……!? こ……こんなこと、聖女が知ったら悲しむぞ! 恐ろしい化け物だと、お前を軽蔑するだろう!」

「知られなければいいだけの話だろう?」


 こんな魔族どもの言葉など、思考するに値しない。そもそも、自分達が人質を使うような卑劣な真似をしておいて、どの口が「軽蔑」などと言っているのか。


 次の瞬間、私は再び無詠唱で魔法を発動させた。

 やはり魔族どもだけを氷の刃で斬り刻み、人質には何の危害もくわえていない。

 もともと魔法の扱いには自信があった。このぐらいの芸当は容易い。指先を少し動かす程度のものだ。


「ぎゃああああああああ!? こ、こんな、はずじゃ……!」

「これしきのことも想定していなかったのなら、愚かとしか言いようがないな。もう少しいたぶってやってもいいが、早くミア様のもとへ戻りたいからな。すぐに終わらせてやる。……ミア様に感謝するがいい」


 羽根を扱うように軽く剣を振るい、ミア様を侮辱した愚か者どもに制裁を与えてゆく。魔族どもは次々とその場に倒れた。もはや最初の威勢のよさは完全に失われていて、矜持も何もなく地面に頭を擦りつける。


「も、申し訳ございませんでしたっ! ど、どうかお許しくださいませっ! 人質どもも解放いたしますので……!」

「…………」


 以前までの私なら、何の躊躇もなく剣を振り、命を奪ってやっただろう。

 そもそも……自分の意思ではなく、従属の呪いで操られる形で、それをやらされてきた時期も長かった。


 こうして怯える相手に剣を突き付けていると、ふと、思い出してしまう。

 王族の命令で、王家に背く奴らを斬ってきたこそ。そして、その後の元国王や元王女の反応を――


『なんですの騎士、それ、返り血ですの? 汚らしいですわねえ。せっかく顔はいいのに、そんな血に塗れた男、誰も近付きたがりませんわよ。……ふふっ、ああ、かわいそう。あなたみたいな男、この先誰からも愛されず、幸福になれないのでしょうね。は~あ、私はあなたみたいな人に使われる者ではなく、高貴な王族に生まれて本当によかったですわぁ!』


 ……このような記憶など、序の口だ。思い出せば傷口が開くような、ろくでもない過去ばかりだけれど。


 それでも今、私の頭の中には、ミア様の存在がある。


 彼女はきっと、私がまた手を汚すことを、良く思わない。

 理不尽に遭遇したら決して黙っていない人だから、誤解されることもあるが……彼女は、とても、優しいから。


 私は軽く息を吐きつつ、魔族どもを睨む。


「まずは人質を解放しろ。当然のことだろう」

「は、はい! 今すぐ!」


 人質達の拘束が解かれ、皆、目を覚ます。


「あ、あれ? 私達、たしか……魔族に襲われたはずで……」

「あ、ヴォルドレッド様……!? ヴォルドレッド様が、助けてくださったのですか……!?」

「なんと! 命の恩人です……誠にありがとうございます……!」

「感謝なら、ミア様にしろ」


 以前の私なら、人質のことなどどうでもよかった。人質を解放しろだなんて言ったのは、「ミア様ならそうしたはずだから」という理由でしかない。……今の私の行動は、全て根幹に、ミア様の存在があるのだ。


 彼女のことを想うと少し心が凪ぐが、魔族達の前でそのような顔は見せない。殺気を宿したまま告げる。


「それから、ミア様への侮辱の言葉を撤回し、地に頭を擦り付けて詫びることだな」

「ま、誠に申し訳ございませんでしたぁっ! この先もう二度と、聖女様を侮辱しないと誓います! ですから、どうか、どうか命だけは……!」


 なんのプライドもなく地に頭をつけている魔族どもを見ていると、あまりの情けなさに殺意も薄れてくる。私は息を吐き出した。


「私は最初から、貴様らのことなど眼中にない。……私とミア様に手出ししなければ、貴様らがどう生きてどう死のうが、どうだっていい」

「で、では、お許しいただけるのですね……!」


 あからさまに安堵した魔族に対し、剣を鞘におさめたうえで、斬るのではなく、打撃で魔族にダメージを与えた。


「ごふぁ!? な、ななななな、何を!?」

「許すなどとは一言も言っていないが? 都合のいい解釈をするな」


 剣を突き付けてやると、魔族はビクリと、面白いほど反応した。私は意図的に酷薄な微笑を浮かべる。


「命を奪うことだけは、勘弁してやる。だが……今後決してミア様を害そうとしたり、ミア様のお心を乱すような真似ができぬよう……徹底的に、恐怖というものを叩きこんでやる」


 ミア様の優しさに触れて以前より柔らかくなった自覚はあるが、だからといって、彼女の脅威になる可能性のあるものを簡単に許すはずがない。魔法を発動させると、その場にいた魔族が全員、顔を真っ青にして半泣きになった。


「ひ、ひいい……! も、申し訳ございませんでした~~~~~~!!」



 ◇ ◇ ◇



 王宮に戻ると、庭園にミア様のお姿が見えたので傍に寄る。

 彼女は、穏やかな微笑みで私を迎えてくれた。


「ただいま戻りました」

「おかえりなさい、ヴォルドレッド」

「……あなたにそう言ってもらえると、本当に夫婦になったかのようですね。あなたと少しでも離れるのは嫌ですが、その言葉をかけてもらえるのは、悪くありません」

「もう。……実際、もうすぐ本当に夫婦になるでしょ」


 少し恥ずかしそうにそう言われ、思わず目を見開いてしまった。

 そして、彼女の指に煌めく、私が贈った指輪を見て……ぞくりと胸が震える。


「まあいいわ。そろそろ帰ってくるかと思って準備していたから、タイミングがよかったわね」

「え?」


 庭園のテーブルに目をやると、ティーポットと二人分のカップ、パウンドケーキが並べられていた。


「いつもあなたが私にお茶を淹れてくれるから、今日は私が用意したのよ。……帰ってきたあなたに、温かいものを飲んでほしくて」


 柔らかく微笑みかけられ、指先から幸福感が這い上がってくる。

 つい先程まで、魔族どもに剣を向けていたというのに。同じ世界、同じ国なのに……。

 ミア様。あなたの傍は、こんなにも温かい。

 あなたの傍にいると、ずっと冷たく閉ざされていたこの心も、まるで穏やかな日差しに照らされるかのようだ。


「ありがとうございます、ミア様。とても……嬉しいです」

「お、大袈裟ね。お茶を淹れるだけよ。いつもあなたがしてくれることでしょう」

「それでも……私は幸せです。ミア様」

「もう……」


 ミア様は困ったように笑いながら、ティーポットからカップへお茶を注ぐ。

 温かな湯気が、夕暮れの空気に溶けてゆく。紅茶が注がれたティーカップには、眩い夕陽が映し出されていた。


 夕陽の光に照らされながら、ミア様はふと呟く。


「ねえ、ヴォルドレッド……」

「はい」

「……結婚っていったって、長く一緒にいれば喧嘩したり、衝突したりすることもあると思うの。……私は自分のやりたいことは曲げない性格だから、あなたに理解を求めることも多々あると思う。その代わり、私もなるべくあなたを尊重したいと思っている。だから……だから、ね」


 柔らかな風が、ミア様の長い髪を揺らす。

 金色と橙の光に包まれる中で微笑む彼女は、この世の何よりも美しく見えた。


「喧嘩したり、すれ違うことがあっても。何年経っても……こうして一緒に温かいお茶を飲んで微笑み合えるようになりたい。あなたと……そんなふうに、家族になっていきたいの」


 ――家族。帰る場所。温かい場所。穏やかな心。生きている実感。幸福。愛し合える人。

 過去に失ったもの、手を伸ばしても届かなかったものの全てが、今ここにある。

 全て、あなたが、私にくださった。

 だから、私も。同じものを、いいやそれ以上のものを――この先もずっと、あなたに返してゆきたい。


「……はい。はい……ミア様」


 柄にもなく目の奥が熱くなるのを感じながら、私は彼女の左手をとった。

 ミア様。私はあなたを傷つけるものを、決して許さない。そんなもの、全て排除してしまいたいと思う。誰もあなたに触れてほしくないし、近付いてほしくない。あなた以外の全てのものを壊してしまいたいと思う日だって、少なくない。


 だけど。

 私が最も好きなものは、こうして、穏やかに微笑んでくださるあなただから。

 あなたの心を、乱したくない。そのために、凶悪な自分に蓋をする。

 あなたが私に微笑みかけてくださるように。私も、この先もずっと、笑ってあなたの傍に立っていたいのだ。


「愛しています。……この先何年、何十年経とうとも、あなたの笑顔を守ることを、誓います」

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