第18話 危険な波が去ったと思いきやもっと危険な波が来た。
「そう言えばさ」
「ん、なぁに?」
恵美里が「今日は満足したから帰るね」と言ってあっさりと帰ってしまった後。
二人きりになった咲良と絢音だが、すぐに別れることも出来ず、かと言って一歩踏み込むことも出来ず、咲良の部屋でだらだらとしていた。
b絢音は「今後私の定位置はここにします」と一方的な宣言をして、咲良の布団に潜り込んで漫画を読んでいる。咲良が愛読している、一つ屋根の下でのラブコメものだ。
「ところでさ、絢音は恵美里さんに、最初何て言われ……って、ちょっと!? いつの間に何読んでんの!?」
「あ!」
絢音が顔を赤らめて、咲良が貸していたはずの漫画の内側に隠して読んでいた漫画を取り上げる。咲良が苦労して入手した、本気の大人の本だった。
「こ、これはたまたま見付けたの! 咲良くんがお茶を注ぎに行ってくれてる間に勉強机を漁ったら、引き出しの上から二番目が二重底になってるんじゃないかって思って、まさかと思って引き出しの下を見たら細い穴が開いてたから一か八かでペンの芯で開けてみたらこんな感じの本が沢山あったってだけよ!」
「うわぁぁぁ! 何してんの!? 何してんの!? あの仕掛けかっこいいなって思ってガソリンの入った袋は怖いから流石にやめておいてそれ以外は全部真似してたのに! ていうかなに、絢音は元ネタ知ってたの!? うわぁぁぁ!」
「え? ……勘、だけど」
「なにその勘の鋭さ!? うわぁぁぁ!」
「一通り読んでみたけど、咲良くんは寝バックが好きなの? この体位のページだけすごく読み込んだ跡があるんだけど……」
「なんでそんなに分析してんのさ!? うわぁぁぁ! 回収! 回収!」
「あっ、ちょっと、やん……っ!」
混乱で目をぐるぐると回した咲良が、布団を捲って絢音に襲い掛かる。漫画を取り上げられ、抵抗する間も無く絢音の手首は咲良に掴まれ、頭の横に固定されていた。
「……あ……ええっと……っ」
混乱するままに飛びついたものの、現在の状況に咲良は思わず困惑の声を上げた。
「ん……んん……っ」
本来絢音が持つ力ならあっさりと解けるはずなのに、両腕を固定された絢音は何の抵抗もせず、悪戯がバレた子どものような、それでいて色香を纏った女性の雰囲気を混ぜ合わせたような表情を見せる。瞳は潤み、長い睫毛は儚げに揺れていた。
2人の荒くなった呼吸と時計の針の音だけが部屋を満たす。陽はすっかり沈んでいて、両親の帰りが遅くなるということを咲良は朝に聞いたことを思い出す。
咲良の喉がごくりと鳴ると、絢音は目を見開いて微かに喉を震わせた。
「……こ、こんなことをするなんて、絢音は悪い子だな」
「……そ、そうね、私……悪い子ね」
笑ってしまうくらいの棒読みを交わし合う。拙くてもこういった手順を踏まないと、先に進めない気がした。
「……そんな悪い子の絢音には、おしおきが必要だな」
「……は、はい……っ」
絢音の顔が、喜悦と羞恥でくしゃりと歪む。初めて見る絢音の表情に、咲良はごくりと喉を鳴らした。
――絢音の脳裏に、恵美里と交わした会話が浮かぶ。
『あたしね、絢音ちゃんの身体を借りて咲良くんとべたべたしてみたい』
『え!?』
『もっと言うと、節度はわきまえた上で結構エッチなことをしたいの』
『ちょ、ちょっと、そんなのダメに決まって……っ!』
『いいの? 絢音ちゃんにもメリットがあるんだけど』
『……え? それはどういう……?』
『……ぶっちゃけ、君たち思いっきり両想いだよね?』
『ぶっ!?』
『ていうかお互い好きすぎでしょ。見てらんない。なによあのブランコのくだり? 付き合い立てのカップルにしか見えないわよ』
『な、な、な……っ』
『普通だったら毎日3回以上ヤってそうなくらいなのに、何で手を出さないのかなーって』
『はわわわわ……っ』
『お互いヘタレだけど……特に問題なのは咲良くんかな? 本当に優しそうだよね、彼』
『そ、そう? わかる? そうなのよ。この間なんかね……』
『急に惚気るのはやめようね~』
『あ、ご、ごめんなさい……っ』
『……まあ、そんな訳でね? あたしが憑依したっていう建前で、あなたは咲良くんに迫れるわけ。わたしは欲求を大体満たせるし、絢音ちゃんは咲良くんの身体の感触も知ることが出来るし、ついでに既成事実も作れるわけ』
『どこまでやろうとしてるのよ!?』
『まあまあ、それは置いといて。……どう、あたしの提案に乗って、咲良くんとの関係を一歩進めてみない?』
『う……』
『ああいう子ってね、いざ責めに回ると豹変すると思うの。絢音ちゃんは見たまんまドМだからたまんないと思うわよ~?』
『見たまんまってなに!? ……でも……うぅ……うぅぅ……っ』
『……あ~、咲良くんがドSだったら、多分今の絢音ちゃんを見て襲いたくなるわね』
『……ほんとに?』
『はい、決定~。じゃあよろしくね~』
『え、ちょ、ちょっと……わ、わかったわよぉ……』
「……本当に成功した……」
「ん、どうしたの?」
「ううん、何でもない」
恵美里の言った通りになったことに驚きながら、絢音は咲良に悪戯っぽい笑みを浮かべた。
× × ×
「……さ、咲良くん……」
「ん、なに?」
「発想が変態すぎると思うんだけど……」
「……うるさいなあ。おしおき、もっとひどいことされたいの?」
「…………」
「あれ!? 結構乗り気だ!?」
咲良が絢音を押し倒した後。
咲良が絢音に命令したのは、
『下着と靴下を脱いで。俺の目の前で』
という破廉恥極まりないものだった。
絢音は予想の斜め上の命令に口を金魚のようにぱくぱくとさせ戸惑ったが、咲良の顔が笑顔ながらも本気であることを悟り、渋々脱ぐことにした。
ベッドから降りて、咲良がじっと見ている目の前でまず靴下を脱ぐ。続いてブラをどう外したものかと迷ったが、幸いにしてフロントホックだったため、ワイシャツのボタンを上から数個だけ外してそこから抜き出すことが出来た。
生温かい黒のレースの下着が絢音のワイシャツの中からずるりと抜け出てくるのを凝視して、胡坐をかいていた咲良の一部がぱんぱんに膨れ上がっているのに絢音は気付いてしまう。
ワイシャツのボタンを留めつつ、『ばか……変態……どスケベ……!』と心の中でなじりながらも、羞恥心こそあれど嫌悪感がまるで湧いてこない自分に絢音は驚いた。
このまま関係が進んだら、なんかとんでもないことになるような……と思いながら、絢音はスカートの中に手を入れ、黒レースのショーツに手をかけてずるりと下ろす。
明らかに重さが増していることを恥じらいながら、絢音は咲良と向き合ったままゆっくりとショーツを下ろした。
何の動作をしても一歩間違えればスカートの中身が見えてしまうという緊張感に震えていると、ショーツに新たな糸が落ちてきたことに気付いてしまう。咲良にバレないか気が気でなかった。
しかしいざショーツを脱いで手に持つと、ぐっしょりと湿り気を帯びて、我ながら呆れるくらいいやらしい匂いがする。絢音がぼうっとしながらショーツを手に持って見ていると、匂いがベッドまで届いたのだろうか、咲良が大きく喉を鳴らした。
あ、もしかして、咲良くんがこういう匂いを嗅ぐのって、初めて……?
己の想い人が生まれて初めて嗅ぐ女の性臭が、自分の匂い。
そう認識した瞬間、絢音は泣きそうなほど嬉しくなり、下腹部の最奥がきゅんと締め付けられて熱くなった。同時に熱い液が太ももを伝い、顔を真っ赤にして足をぎゅっと閉じる。
互いに余裕が削りに削り取られて、今まで数えきれないくらい繰り返してきた呼吸さえままならない。
……うわ、絢音の胸……っ。
咲良の視線は、縫い付けられたように絢音の双丘にのみ向けられていた。足をぴったりと閉じて前屈みになってもじもじとしている絢音の双丘は凶悪なほど張り詰めていて、弾力と柔らかさを備えた肉がワイシャツの中をぱつぱつに圧迫している。
絢音が動く度にゆさゆさと揺れ、二つの頂にはぷっくりと張り詰めた突起がはっきりと見えていた。咲良が可愛らしくもいやらしい突起に熱視線を送ると、絢音は視線に気付いたのか身じろぎをするが、それでも決して隠そうとはしない。
『俺の前で脱いで』とは言ったけど、何もここまで隠さずに頑張らなくても……と、咲良は命令しておきながらも一の命令を十の力でこなすような絢音の真面目さに呆れ、そして興奮してしまう。
「うん、よく頑張ったね。じゃあ……」
敢えて鷹揚に言いながら、咲良は部屋の真ん中にあるローテーブルを見る。
「こっちで、漫画でも読もっか」
「……へ?」
ローテーブルを指差した咲良の言葉に、絢音は素っ頓狂な声を出した。
「どうしたの? まさかもっと過激なことを期待してた?」
「ちちち違うわよ! そんな……こと……っ」
絢音の言葉尻がしゅるしゅると萎んでいき、視線が弱々しく部屋の中を彷徨う。
あ、やばい、襲いたい。
咲良は、自分の内側から溢れ出る劣情を強く自覚した。
咲良がクッションを二人分用意して、適当なマンガをいくつか見繕ってローテーブルに置き、クッションの一つにぽすりと腰を下ろす。
「ほら、絢音も座りなよ」
言いながら、咲良は空いているクッションをぽふぽふと叩いた。
「ん、わ、わかったわ……っ」
絢音は声を震わせながらも頷いて、そっと腰を下ろそうとして――今の状況が如何に危険かということに思い至る。
……これ、ものすごく恥ずかしい……っ!
咲良が置いた2つのクッションはほとんどくっついていて、この状態で座れば2人の身体が触れ合うのが目に見えている。
咲良は平気なのかと見てみれば、仄かに顔を赤くしている。彼も無理をしているのだと思えば多少は気が楽になったが、それでも今から2人が陥る状況が変わるわけではない。
「…………」
絢音はスカートの裾を押さえながら、慎重に腰を下ろす。ただクッションに座るだけの動作をする間に、咲良のことを4回ほど見ていた。咲良は絢音が緊張すればするほど冷静になっていくようで、絢音が顔を真っ赤にしているのに対し、途中から咲良は平静な表情に戻っていた。
……やばい、二の腕が既にすごく柔らかい……。
絢音が隣に座ると、咲良が意図していた通り二人の身体が僅かながらも触れ合った。絢音を如何に恥ずかしがらせようか……などという考えで始めた行為ではあったが、予想以上に危険であるということに気付く。
お互い半袖のワイシャツのため、腕が触れるときは自然に肌と肌とが触れ合う。自分の肌とはあまりにも違う絹のような感触と、しっとりと湿った汗の心地良い生々しさ。咲良は今自分が行っているのが絢音に対するおしおきなのか、罰ゲームなのか、あるいは別の何かなのか……もはや訳が分からなくなっていた。
それでも、この行為は続けたい。
強い一念を持って、咲良は絢音の温度に溺れた。