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1ー1 魔法使いの日常

 楽しんで頂ければ幸いです。


 午後二時を知らせる鐘が、活気に満ち溢れる王都に鳴り響いた。

 靴を鳴らす雑踏、大小様々な客引きの声、人々が行き交う喧騒、それらが世界から一時的に掻き消され、一つ一つの音が水面に広がる波紋のように融けていく。

 しかし、それはあくまで一時的な事だ。

 余韻を惜しむように鐘の音が消えれば、人がそこに生活する限り自然に創られる営みが街を包み込む、まるで時を刻むかのように。

 美しい少女はそれを事も無げに眺めると、瞳を閉じ、溜め息混じりに呟いた。


「暇ね……」


 商工街と呼ばれる二番街道を見下ろす位置にある一室。

 王都の住所録によれば、ウェイアーズ魔導士事務所となっているその部屋から窓越しに外を眺めていた少女は、突然糸が切れた人形のように、大量の書類が積まれた机に突っ伏した。

 彼女の名はハルカ・ウェイアーズ。

 魔法と呼ばれる技術を用い、人々から寄せられる様々な依頼を解決するウェイアーズ魔導士事務所の所長であり、全魔導士人口の内、僅か一割以下といわれる第一級魔導士だ。

 黒を基調とした魔導士制服に身を包み、腰まである金色の髪を簡素なバレッタで纏めた彼女は、海のような瞳を呆れたように細めたまま、その視線の先にある青年を見つめて言った。

「そう思わない、アルト?」

「そうだな……それと、その台詞は三十二回目だ」

 律儀に「暇だ」と言った回数を数えていた黒髪黒瞳の青年、アルト・フィリクスは、手元の書類に目を落としたまま気怠げに応じた。

 端正な彼の顔に若干疲労の色が見えるのは、諸事情で事務を担当する職員が休暇を取っている事に由来している。

 つまり、この一見無愛想な青年は朝からこの書類、魔導士協会から半強制的に回された雑用と睨めっこを続けていたのだ。

 暇である筈も、疲れていないはずもないのだが。

 彼はあまりそれを表に出す性質ではなかった。

 アルトは先ほどの鐘が午後二時を示していた事を思い出し。茶でも淹れようかと考えながら修正箇所にペンを走らせる。

「だって暇なものは暇なんだもの、それにこのままじゃ、ウェイアーズ魔導士事務所の名折れだわ」

 机に突っ伏したまま憤慨するように言うハルカ、彼女に割り当てられた、山積みの書類を整理するという仕事は彼女の中では随分前に放り投げられているようだった。

「元々堕ちるような名声なんて無いだろう」

 そして、ハルカとは対照的に、書類に目を落としたままペンを走らせ、気怠げに応じるアルト。

「うるさい、大体アルトがそんな無愛想な顔してるから」

「顔は関係無いだろ」

 二人は不毛と呼ぶのも躊躇う様な言い争いを何度か繰り返すと、どちらとも無く黙り込み。部屋の一角、そこに掛けられている予定表に視線を向けた。

 日付以外には何も書き込まれていないそれは、予定、つまり仕事が無いことを意味していて……。

「……最後に仕事したの何時だっけ?」

「確か……、一月前に猫探しをしたのが最後だな、報酬は五千テール」

「そっか……」

 ハルカは諦めたように溜め息をつくと、宣伝が足りないのかしら?

 そんな事を考えながらもう一度窓の外に視線を向けた。


 その時だった。


 積み上げられた書類が宙を舞ったのは。

 ハルカが書類の積まれた机を蹴り、まるで、見えない何かに弾かれたかの様に部屋を飛び出したのだ。

 何が起きたのか……、本来そう思うべき状況をアルトは見ると、

「またか……」

 何故か特に慌てた様子も無く席を立つと「掃除が大変そうだ」と呟き、ハルカの後を追うように部屋を後にする。



『ウェイアーズ魔導士事務所、諸事情により本日休業』

 そう書かれたプレートが軽い音を立てて戸口に掛けられた。



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