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第13章 消失

 爆発によって外側へ大きく開いた鉄扉の向こうから、マクシミリアンが部屋へ飛び込んだ。


「殿下!!」


 薄暗い室内。

 床一面には、まだ青白い残光を漂わせる巨大な魔法陣が広がっている。


 だが――。


 誰もいない。


 ルクレインも。

 リクターも。


「…………」


 マクシミリアンの足が止まった。

 目だけが、凄まじい速さで室内を走る。


 右。

 左。

 奥。


 何度確認しても、ルクレインの姿はない。


「……殿下」


 低い声が漏れる。


「ルクレイン殿下」


 返事はなかった。


 マクシミリアンの右手が、ゆっくりと握り締められる。


 ギリッ――。


 手袋の革が軋んだ。


 いつもほとんど表情を変えないその顔に、隠し切れない怒気が浮かんでいた。

 眉間に深い皺が刻まれる。

 奥歯を強く噛み締め、こめかみに血管が浮き上がる。


 全身から放たれる殺気に、部屋の空気そのものが冷え切ったようだった。


「……私が、そばにいながら」



 その時。


「リクター殿下!」


 ゾランが遅れて室内へ飛び込んできた。


「リクター殿下は――」


 最後まで言わせなかった。


 マクシミリアンの姿が消えた。


「え――」


 ドゴッ!!


「がっ!?」


 ゾランの顔面に拳が突き刺さった。

 身体が床から浮き、そのまま横へ吹き飛ぶ。


「ぐぁっ!」


 石壁へ背中から激突した。

 ゾランは何が起きたのか分からないまま、床へ崩れ落ちた。


「な……なんだ……!?」


 頬を押さえて顔を上げる。

 マクシミリアンは、すでに目の前に立っていた。


「ちょ、待て、マクシミリアン……!」


 ゾランの顔に明らかな焦りが浮かぶ。


「何だ突然! 状況が――」


 マクシミリアンが胸倉を掴んだ。


「殿下をどこへやった」

「は?」

「ルクレイン殿下を、どこへやった」

「知らん!」

「…………」

「本当に知らん! 待て! 話を聞け!」


 マクシミリアンの右腕が動く。

 袖口から、どす黒い鞘がぬらりと姿を現した。


 妖刀――《焔》。


「お、おい……」


 ゾランの顔色が変わる。

 マクシミリアンが柄へ手をかけた。


「言わないのであれば――」


 ――チィン……。


 鞘の中で《焔》が鳴いた。


「殺します」


「待て!!」


 ゾランが叫んだ。


「知らん! 本当に知らんのだ!」


 マクシミリアンの指が柄を握り込む。


「私はお前を引き離せと命じられただけだ!」

「誰に」

「デーブだ!」

「…………」

「お前をルクレイン殿下から引き離し、足止めする! 私が聞いていたのはそこまでだ!」


 マクシミリアンの眼光が鋭さを増す。


「転移は?」

「知らん!」

「第一王子殿下が巻き込まれることも?」

「知るわけがない!」


 ゾランは早口にまくし立てる。


「私が敬愛するリクター殿下までさらわれたんだぞ!」

「…………」

「私が知っていて、あの方を転移させると思うのか!?」


 ゾランは壁を背にしたまま、マクシミリアンを睨み返す。


「ルクレイン殿下を痛めつける計画までは知っていた! だが、誘拐など聞いていない! ましてやリクター殿下まで――」



 その時。


 マクシミリアンの目が動いた。


「…………」


 ゾランも言葉を止める。


「何だ?」

「静かです」

「……?」


 先ほどまで路地の外では、剣戟と怒号が響き続けていた。


 それが今は――。


 何も聞こえない。


「……まさか」


 マクシミリアンがゾランを放す。


「先ほどの件は、後で伺います」


 二人はほぼ同時に部屋を飛び出した。



 路地へ出る。


「…………」


 誰もいなかった。


 つい先ほどまで十数人いた刺客たちが、一人残らず姿を消している。

 デーブもいない。

 リクターに付き従っていた二人の護衛も消えていた。


「逃げた……!」


 ゾランが吐き捨てる。

 マクシミリアンは無言で周囲を見回した。


 その視線が、鋭く止まる。


「いました」


 路地の右手。

 かなり離れた建物の陰を、黒ずくめの男が走り抜けていく。


 ほぼ同時に、反対側の路地にも別の影が見えた。


「二人」

「二手に分かれるぞ」

「私は右を」

「なら私は左だ」


 二人は同時に地面を蹴った。



 マクシミリアンは路地をそのまま追わず、数歩加速したところで一気に跳躍した。

 壁の出っ張りを蹴り、そのまま二階建ての建物の屋根へ飛び乗る。


 着地と同時に走り出した。

 瓦を蹴り飛ばすほどの勢いで、屋根の上を一直線に駆ける。


 逃げる男は地上の入り組んだ路地を縫うように走っていた。

 だが、マクシミリアンとの距離は見る見る縮まっていく。


 男が一度だけ背後を振り返った。


「っ!?」


 その顔に明らかな焦りが浮かぶ。

 数十メートルあった距離は、すでにほとんど残っていなかった。


 マクシミリアンが屋根の端を蹴る。

 身体が大きく宙を舞った。


 そのまま逃走者の前方へ降り立つ。


「なっ――」


 男が急停止する。

 踵を返そうとした瞬間、マクシミリアンが一気に距離を詰めた。

 腕を掴み、そのまま地面へ叩き伏せる。


「ぐっ!」


 背中を押さえ込み、腕を強引に捻り上げた。


「殿下はどこです!」

「…………」

「誰の命令です!」


 男は答えない。


「答えろ!」


 マクシミリアンの声が荒くなる。


 その時。


 男の口元が僅かに動いた。


「……?」


 直後。


「がっ……!」


 男の身体が激しく痙攣した。

 口元から泡が溢れる。


「何を――」


 マクシミリアンが即座に顎を掴む。


 だが、もう遅かった。


 数秒後。

 男の身体から完全に力が抜けた。


 マクシミリアンが口の中を確認する。

 奥歯の脇に、小さく砕けた薬包が残っていた。


「……毒」


 マクシミリアンの顔に、苦いものが走る。


 捕まった時点で自害することまで、最初から決められていた。


 マクシミリアンはすぐに男の身体を担ぎ上げた。

 今は一秒でも惜しい。



 転移部屋の前へ戻ると、すでにゾランも戻っていた。

 その足元には、動かなくなった刺客が一人倒れている。


「そちらも?」

「ああ。捕まえた直後に自害した」

「毒ですか」

「そうだ。口の中に仕込んでいた」


 マクシミリアンは担いでいた男を、その隣へ下ろした。


「捕縛されることまで想定した部隊……即席の連中ではありませんね」

「それに――」


 ゾランが路地の奥を睨む。


「デーブも、護衛の二人も消えた」

「ええ。最初から向こう側の人間だったと見るべきでしょう」

「…………」


 ゾランが唇を噛む。


「王城へ戻ります」

「ああ。すぐに報告する」


 ◇


「何だと!?」


 国王アルヴァリオンの怒声が、謁見の間に響き渡った。

 玉座の前には、マクシミリアンとゾランが膝をついている。


「リクターとルクレインが、二人ともさらわれただと!?」

「……申し訳ございません」


 マクシミリアンが頭を下げた。

 アルヴァリオンが玉座の肘掛けを強く叩く。


「お前たち二人がついていながら、何をしていた!」

「弁解の余地もございません」


 ゾランも深く頭を垂れる。


「第一王子と第二王子が同時に消えたのだぞ! 王家始まって以来の大失態だ!」


 二人は何も返さなかった。


 だが、アルヴァリオンも怒りに任せ続けるほど愚かではなかった。


「……叱責は後だ」


 すぐに側近たちへ向き直る。


「騎士団を招集しろ。宮廷魔術師も動かせ」

「はっ!」

「現場の調査と救出を同時に進める。王都の門も閉鎖しろ」

「直ちに!」

「デーブと、リクターに同行していた護衛二名も捜し出せ。一人も逃がすな」


 アルヴァリオンは再びマクシミリアンとゾランを見る。


「お前たちも行け」

「はっ」

「必ず二人を連れ戻せ」


 マクシミリアンが深く頭を下げた。


「必ず」



 命令は即座に王城中へ伝えられた。

 騎士団と宮廷魔術師を中心に、調査・救出隊がただちに編成される。

 マクシミリアンとゾランもその隊に加わり、自ら先導して事件現場へと向かった。


 現場へ到着すると、二人は襲撃が起きた路地から、ルクレインとリクターが消えた建物までを順に案内した。


 調査隊が最優先で調べたのは、二人が姿を消した転移部屋だった。


 床一面に残る巨大な魔法陣を確認した宮廷魔術師が、すぐに表情を険しくする。


「大型転移陣です」

「転移先は分かりますか」


 マクシミリアンが尋ねる。


「いいえ」

「なぜです」

「転移完了と同時に、行き先を示す座標部分だけが自動的に消去される術式になっています。追跡を防ぐためでしょう」

「復元は」

「極めて困難です」


 魔術師はさらに魔法陣を調べ、続けた。


「それと、これほどの規模の転移陣は即席では作れません」

「どの程度かかる」


 ゾランが問う。


「少なくとも数日。転移術に熟練した複数の魔術師が、事前に仕込む必要があります」


 ゾランの表情が変わった。


「……つまり、今日突然用意された罠ではない」

「はい。何日も前から計画されていたと見るべきです」


 その場に沈黙が落ちた。


 ゾランが、絞り出すように言う。


「……リクター殿下に、現場へ足を運ぶよう勧めたのは、デーブだ」


 マクシミリアンがゾランを見る。


「痛めつけられるルクレイン殿下を見れば、溜飲が下がるだろうと。やりすぎぬよう見届けた方が安全だと……」


 ゾランの拳が震えた。


「……第一王子殿下も」


 マクシミリアンが静かに言った。


「最初から標的だったということですね」


「デーブ……!」


 マクシミリアンは床に残された転移陣を見下ろした。


 行き先は分からない。


 だが、これは偶然ではない。

 何日も前から準備された、明確な誘拐計画だった。


「……必ず見つけ出します」


 その声には、凍りつくような殺意が滲んでいた。


「殿下をこのような目に遭わせた者は――一人残らず、私が殺します」


 隣に立つゾランが、短く答えた。


「同意だ」



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